第一話『ある日』
『ひゃぁっ!』
『!? ど、どうした、明姫!』
『………………絶望的だぁ』
『いや、本当にどうした!?』
黒岩明姫の朝は早い。洗濯掃除は家を出るのが遅いもう一人に任せているからいいとして、朝ごはんくらいは自分で作ろうと日々思っていたからだ。特に当番制でもない食事は気が向いた方が用意するというふわふわした体勢が随分と前から形成されている。それゆえに、気が向きやすい、というか、気が向きにくい相手方に変わって彼女が腕を振るっているわけであった。
黒岩直人の朝は早くも遅くもない。規則正しい生活、のようなものを送り始めたのも数か月前の話。起きたい時間にケータイのアラームをかけ、それで起きれれば良し。起きれなければ、明姫に叩き起こされる。……つまり、起きる時間が早くも遅くもならないからちょうどいい、ということになる、のかもしれない。
「……変なこと考えてないで、そろそろ起きよう」
布団から起き上がり、目をパチクリさせる。今日は首尾よくアラームで目を覚ますことができたので、大人しく起き出そうとしているところ。ぼーっとしながら、思考に耽っていたら二度寝の容疑で明姫が飛び込んできてしまう。……それはそれで――。
「いやいや待て待て」
一気に目が覚めた。妹にどやされる兄貴という構図に憧れなんて一ミリもない。一ミリもない。
「…………さて」
よこらっしょと、二十代半ばにしては年寄り臭い掛け声を上げて、立ち上がる。そのまままずはトイレにでもとふすまに手をかけたとき、いつもの、あの声が聞こえてきたのであった。
「で、どうしたんだ」
尋ねつつもだいたいは察している。明姫がいたキッチンに駆けつけ、それを見てしまったら察さざるを得ない。
「…………失敗した」
「……おう」
その落ち込みようのせいで何を、とは聞き返せなかった。チラリと見てみると、そこには見るも無残に焦げた卵だったもの。玉子になり損ねて、黒くてカリカリした炭となっている。いや、まだ黄身の部分は原型を残している。美味しくはなくても食べることくらいは可能だろう。
「…………俺が食べるから、肩を落とすなよ」
失敗くらい誰にだってある。そう慰めようとしたら、バッと直人の方を向き、ようやくここまで落ち込んでいる理由を口にする。
「目玉焼きを失敗するなんて、絶望的に料理下手ぁ!」
「そんなことないだろ」
「ひゃっ」
即答したらなんか驚かれた。不思議に思いつつ、思ったことをそのまま口にする。
「いつも朝ごはん用意してくれるのは助かってるし、ちゃんと美味しいぞ」
「…………だったら、そう言って」
赤みがかった瞳でじと~と見られる。……そういえば、まともに美味しいと言ったことがなかったような気もする。思うだけで口に出さない。悪い癖だ。
「分かった。これから言うようにする。今日の目玉焼きは失敗しちゃったが、昨日のスクランブルエッグは美味しかったぞ。あと、明姫の作る料理で一番美味しいのと言ったら味噌汁で――」
「も、もう、大丈夫。気持ちは分かった、から」
いつに間にか息も絶え絶えになっている。……誉められ慣れていないのかもしれない。すごく罪悪感が湧く。これからは今までの分まで存分に褒めてやらないと。
「…………」
考えただけで睨まれた。……ちょっとずつ地道に褒めていくことにしよう。明姫はまだ小学六年生。もうすぐ中学生になるとは言ってもまだまだ子どもだ。時間は十分にある。
「…………ところで」
「?」
決心したところで、また彼女が暗い顔をし始める。
「わたし、スクランブルエッグ作ったっけ?」
「…………え?」
「昨日作ったのは卵焼き」
「…………美味しかったぞ、玉子焼き」
焼いて丸め損ねた玉子焼き。スクランブルエッグに他ならない。そして、特段の味付けもなく炒めただけであれば、もはや卵の実力ではないか、と思ってしまう。
「こ、焦げてなかったし」
「いつでも焦がすわけじゃない、よ?」
こてんと小首を睨みつけてくる。こんなに動作と表情が合っていないことはない。
「えっと、ご、ごめん」
これ以上しゃべると、さらに墓穴を掘りかねない。そう悟った直人は、失敗していない朝ごはん、白飯・味噌汁に舌鼓を打つ。
「お味噌汁、三日に一度は、インスタント」
字余り。
じゃなくて、なんかすでに地雷を踏んでしまっていたらしい。
「い、いや、俺が美味しいって言ったのはちゃんと明姫が作ったやつだよ?」
多分。鍋の有無を一々確認していないから分からない。味噌もずっと赤みそだし、いまいち区別がついていないし。…………。
「………………もっと、上手くなる」
「…………おう」
健気な宣言に対し、ダメ兄貴たる直人は頷くことしかできなかった。
「少なくとも、俺よりは上手いから大丈夫」
「…………あまりうれしくない」
「ストレートすぎない!?」