第十五話『誘拐』
『もごもごもご』
『兄貴、何か言ってますぜ』
『気にするな。どうせ助けてとかだろ』
「……………」
困ったことになった。明姫はため息を吐こうとして無理だと悟り、もう一度もごもごする。さるぐつわを嚙まされていつものセリフを言えないなんてひどい仕打ちをしてくれる。
「(これなら、寄り道なんてしなければよかった)」
後悔してももう遅い。こうなってしまったからには助けを待つほかない。……明姫は心の中ではぁとため息をつく。
――明姫が宿題を終わらし、学校を出たのは、鏡花たちが駄菓子屋を去ってからまもなくのことだった。別に約束をしていたわけでもなかった明姫は、そそくさ家に帰ろうとしてふと空を見上げた。
「…………今日は、可能性がある、かも!」
ハッとした明姫は直人に連絡するより早く、例の遺跡へと走る。一度本物を見ている彼女は現地に行けばなんとなく質が分かる。とりあえず下見をしてから呼ぼう、その決断が結果的には間違いだったようで、人気のない道を突き進んでいくうちに、後ろから追いかけてきた男二人につかまってしまったというわけだった。
「(それにしても、この人たちは何のためにわたしをユウカイしたんだろう)」
今の明姫の状態は、どこからか持ってきた椅子に足と手を縛られ、さるぐつわを噛まされているといった感じ。目隠しはされていないから、誘拐した男たちの顔はよく見える。……犯行の時はともかく、覆面くらいすべきだと思った。覆面が嫌なら目隠しをして顔を見られないようにいないと、解放した時にすぐに追っ手が来てしまう。それだけではなく、一応明姫だって島民。視覚情報でここがどこなのか大体分かってしまう。遺跡近くにある古ぼけた小屋だ。七不思議の時にチラっと見たのを覚えていた。……島自体広くないから、ここが見つかるのも時間の問題。目的はともかく、誘拐するのだったら、逃走経路を用意すべき。島の中ならなおさらだ。まったく、今時の誘拐犯はどいつもこいつも。
よく分からない文句を浮かべながら、他になんか暇潰しはないかとキョロキョロと辺りを見る。すると、何やら持ってきた鞄をごそごそとやっていた男たちと目が合う。
「この娘、ちょっと余裕すぎやしやせんか?」
「…………確かにそうだな。普通は怖がるものだが」
そりゃ、これだけ杜撰な誘拐だったら。……さるぐつわを噛まされていなくてもこんな煽るようなことは言えない。そもそも杜撰な計画なのに連れ去られてしまった自分が一番情けない。
「…………なんか、急に落ち込みだしましたぜ」
「……遅れて恐怖が出てきたんだろう」
結果オーライで勝手に勘違いをしてくれる。とりあえず怪しまれずには済んだので、今後は大人しくすることに――。
「――じゃあ、そろそろ始めようか」
兄貴分が唐突に低い声で告げた。
「そうっスね、始めやしょう!」
弟分のほうもテンション高く拳を空に向かって突き上げる。
言い合うやいなや、二人は明姫ににじり寄ってくる。終始冷静だった彼女もこれには若干の恐怖を覚える。
――誘拐の目的というのは、考え始めれば色々あるかもしれないが、大きく分ければ二つある。一つは身代金を要求し、金を手に入れようとするもの。この場合、人質に危害を加えてしまうと取引に響く可能性があるため、丁重に扱うことが多い、らしい。ただ、よっぽど計画的じゃないと金を手にしてトン面をこくことはできない。……人質を始末して、逃げるだけ逃げることもあるから要注意ではある。
もう一つが、誘拐した人物自身に用がある場合。聞くところによれば、子どもが欲しかった女性が、目についた女児を誘拐し育てるという映画があったらしい。フィクションじゃなくとも、己の欲求を満たすために、多くは力の弱い女や子どもが浚われるということはあるようだった。
とまあ、前置きはこのくらいにして、今回の場合、だ。
「(……身代金を要求するそぶりはないし、何か始めようとしてるから――)」
――彼らの目的は後者。すなわち、明姫に何かをさせようとしているということ。
「(ま、まずい。乱暴はされないと勝手に思ってたけど、これだと直人たちが見つけてくれるまで無事でいられるか分からない)」
焦りにもごもご言う。すると、思いかけず、さるぐつわを外してくれる。
「!?」
「騒ぐなよ。できれば自主的にやってもらいたいが、言うことを聞かないと無理やりになってしまう」
「…………」
「良い子ッスね。じゃあ、まずはおいらから」
言うなり、弟分はスケッチブックを取り出し、明姫に魅せてくる。あらかじめ何か書いておいたようで、反射的にそれを心の中で読み上げてしまう。
「…………?」
「察しの通り、これを読んで欲しいんス」
「…………なんで」
変に会話をしたくないという気持ちはあれど、我慢できず尋ねてしまう。
「よく聞いてくれたッス!」
声が大きくなり、表情にも喜色が浮かぶ。……機嫌は損ねなかったが、無駄に薪をくべてしまった。
「おいらたちは、お姫様マニアなんス!」
「!?」
いかつい兄貴分がうんうんと頷いている。
「…………それは?」
「お上品でおしとやかな女子が好きってことッス」
……鏡花みたいにお嬢様に憧れているのではなく、お嬢様然とした女子を愛でている連中らしかった。
「…………なぜ、わたしを?」
名前に姫がついているなんて分かるわけもない。王族ってわけでももちろんないし、何が彼らをここまで駆り立てたのか。
「夕方のニュースで見かけたんス! そして、気付いたんス!」
絶対ろくなことではない。
「君の纏うお嬢様オーラがものすごいことに!」
やっぱりろくでもなかった。……いかつい兄貴分が大きく頷いていて怖い。
「…………そんなの出てない」
「出てるッス! 会って確信したんス。君はその気になれば、誰よりも気高く上品な振る舞いができるはず、それこそ、お姫様のように!」
「…………」
熱弁され、もはや否定することができなくなる。兄貴分の眼光が鋭くなり、有無を言わせぬ迫力を纏っているし。
「理解してくれたところで、セリフ言ってほしいッス」
弟分は弟分で、子分然とした下手に出る感じがあるが、熱意が強すぎて、こっちも別の意味で圧が強い。……まあ、別に卑猥なことを言わされるわけでもないので、指示されるままに言ってやることにする。
「『皆さま、ごきげんよう』」
お嬢様だからって全員言うわけではないのに、なぜかイメージが定着してしまっているセリフ。鏡花がよく言うのも無理はない。で、当のお姫様オタクはというと。
「おおおお、良いッスね」
「ああ、良いと思う」
……普通にしゃべっただけなのに、リアクションは上々。この調子でテキトーにご機嫌を取っておこう。そう思い、彼女は指示されたセリフを順次言っていく。
『お花を摘みに行ってまいりますわ』
『私を誰だと思っているんですの?』
『お兄様とお呼びしてもいいですか?』
『おいたをする殿方にはお仕置きが必要ですわね』
言う度に騒ぐ様は無邪気に見えて微笑ましく、苦笑するしかない。……ところどころ自分にクリティカルヒットする部分があったことはこの際目を瞑るとして、この分なら問題なさそうだなと思えた。しかし。
『こ、こんなことをしてただで済むと思っているの。お父様に言いつけて貴方なんか、ああっ』
『も、申し訳ありません。わたしが悪かったです。許してください』
『わたくしにはもったいなきお言葉です。どうかじっくり可愛がってくださいまし』
……数分後、セリフがだんだんと怪しくなってくる。彼らの瞳もギラギラとし始め、大人の、それも男の醜悪な臭気を感じさせるような生暖かい視線が注がれ出す。ことここに至って、ようやく彼らが誘拐犯という強悪な犯罪者だと悟る。こんなことなら、もっと時間をかけてセリフを言う、あるいは、緊張して中々上手くいかないみたいなトラブルを演出して時間をかければよかった。そうすれば、彼らの欲望にまみれる悪趣味な会話を聞かずに済んだのに。
「――ッス。堕ちていくお姫様はやっぱりいいッスね」
「ああ。このそこはかとない背徳感が最高だ」
「うす。でも、やっぱりこのまま物足りないッス」
「色々と別のシチュエーションを試したいな。小学生であることを差し引いても、あの娘は綺麗だ。きっと癖に刺さるものがあるはずだ」
「そうッスよね。このために衣装と小道具を持ってきたッスから!」
怖気が走り、息を詰める。さきほどまでは平気だったのに、手足を縛られていることにひどく恐怖を覚える。例え計画が杜撰で、いつか助けが来るとしても、一度抱いた恐怖は消えない。このまま彼らの欲望を叶えていくしかないのか――。
「さて、休憩終了ッス。次のセリフに移る前にお召替えッス」
「姫といえばドレスだ」
「ピンク色のおしゃれなやつッス」
そのオシャレなドレスを男二人が持っているという時点で怖い。
「……きがえるの?」
「そうッス」
「……どうやって」
両手足を縛られて着替えるというのはさすがに無理がある。これで諦めてくれるなら穏便にことが収められるが。
「そッスね。縄はといてあげるッス」
「…………逃げるなよ」
犯人としてはうかつだが、男二人にこうじろじろと見られていては小細工をすることもできず、出口と思しき場所に走ることもままならない。
「――と、ほどいたッス。じゃあ、着替えるッス」
「………………」
着替えるだけならまだ我慢できる。何をさせられるかは正直考えたくない。
「…………きがえたいん、ですけど」
「このまま着替えるといいッス」
弟分が平然と言う。覗くどころかじっくりと眺めているつもりらしい。
「目を離すと逃げる可能性があるからな。仕方ない」
言い分は分かるが、いや、誘拐している時点で一ミリも分かりたくないが、道理ではあった。……女子として着替えを見られるのは誰に対してであっても恥ずかしい。相手が変態犯罪者たちだったら嫌悪感が先に立つ。
「…………早く着替えるッス」
「一人じゃ無理なら手伝うぞ」
弟分の圧が強くなり、兄貴分の方はじりっと近寄ってくる。
「……分かった」
半ば脅しを受け、指示に従うしかなくなる。受け取ったドレスをさきほどまで座っていた椅子にかける。
二人に背を向けるが、その状態で着替えても色々見えてしまう。下着の指定がないのが幸いではあった。……この先もそうであるとは限らない、そう思い至ってぞっとする。
チラリと後ろの二人を見ると、彼らはやはりこちらをじっと見つめている。……気色の悪い視線を浴びながら、明姫はふぅと小さく息を吐く。覚悟を決め、まずはスカートに手をかけ――。
「…………」
ピタリと動きを止める。ここから一歩踏み出してしまうと、坂を転がり落ちるようにどこまでも落ちていってしまいそうになる。……いずれ彼らは捕まるだろう。しかし、自分が彼らにされたことは永遠に残る。それが誰かの関係に波紋を与えるのは明らか。心にだって深い傷を負うかもしれない。それこそ、死ぬよりも深い絶望を味わうかもしれない――。
「………………いや」
小さく呟く。血の気が引き、頭がクラリとする。倒れそうになるのをどうにか堪え、彼女は力のなく部屋に一つだけある窓に囁く。
「…………助けて、直人――」
「――やっと、見つけた!」
ドガアアアッ!
激しい音が鳴り、三人が音の方を向く。
「な、なんスカ!?」
「ちっ、見つかったか」
犯人二人は蹴破られたドアに目を向け臨戦態勢に入る。兄貴分は言わずもがな、弟分も腕っぷしには自信があり、現れた人物を認めるなり、ニヤリと笑う。
「誰が来たかと思ったら、ただのおっさんスか」
「こいつが相手なら、俺一人で十分だな」
兄貴分が前に進み出る。
「見くびられたものだな。ごちゃごちゃ言ってないで二人で来いよ」
直人は不敵に笑いながら、スッとファイティングポーズを取る。
「…………兄貴、もうやっちゃいましょう」
「ああ」
二人の視線が直人に集中する。普通なら気圧される迫力。しかし、直人は一歩もいかない。なぜなら――。
「――人質を放置なんて、どこかの誰かみたいに三流中の三流ですね」
凛とした声がして、ぶわっと風が吹く。
「「!?」」
動揺する二人。明姫の傍に現れたもう一人に同時に視線を移す。――いくら慣れていなくても視線が切れれば分かるし、隙が生じれば攻めるに決まっている。
「ていやっ」
「ガッ」
狙ったのは弟分の方、すなわち弱そうな方。
「そっちは任せたぞ」
強そうな方は、援軍に頼ることにしていた。
「隠密に救出。それから、戦闘ですか。ここぞとばかりにこき使いますね」
「これまで駄菓子屋で店主やってきただけなんだからいいだろ!」
「……レンタル屋でのんびりしていた貴方も同類でしょう」
やれやれと首を振りながら、いよいよ激高し出した兄貴分に向き合う。
「この野郎っ!」
ガタイがいいのを活かし、彼はパワーで押し切ろうとする。
「別に素手で対応する必要はないんですがね」
ぼやきつつ手を兄貴分へとかざし――。
「――この程度なら、お嬢様を守りながらでもどうとでもなりますね」
「……だれがおじょう様」
不機嫌そうな声をBGMに、ただの駄菓子屋店主がヒラリと手を振る。
ドガン。
直後、鋭い音がなり、兄貴分の拳がなぜか地面へと突き当てられる。
「ガッ」
「ダメ押しです」
スッと脚を高く上げ、一切の容赦なく、脳天へと一撃を食らわせる。
「うぐっ」
的確な打撃はいとも容易く彼の意識を刈り取る。
「こちらは終わりました。そちらはどうですか」
「…………見れば分かるだろ」
最初の不意打ちが効いたようで、直人も弟分を取り押さえることに成功している。
「そ、そんな、兄貴が負けるなんて」
ガタガタと拘束から逃れようとしていた弟分が大人しくなる。それでも油断なく、組み伏せていると、バタバタと周囲が騒がしくまる。
「警察が来たみたいだな」
この島には常駐の警官がいる。ただ、今回は犯人が島外の人間であるということもあり、時機に管轄の警察署から応援が来る。連行は彼らに任せることにする。
「…………先行して動いたこと、怒られるかな」
「注意はされるでしょうが、予断を許さない状況だったようですし、大目に見られるかと」
視線が椅子に掛けられた赤いドレスに向けられる。赤い瞳で、立ち居振る舞いが上品な明姫によく似合いそう。じゃなくて。
「明姫、これを着せられそうになったのか!」
動揺して弟分の頭を地面に打ち付けて気絶させてしまう。幸い大けがはしてなさそうなので、捨て置き明姫に駆け寄る。見た感じ外傷はなさそう。衣服の乱れもないし、何か取り返しのつかないことが起こる前だったことは分かる。
「良かった、無事で」
「…………良くはない」
彼女は不服そうに直人を見つめる。
「助けるなら、直人が助けてよ」
「うっ」
痛いところを突かれた。そりゃ、直人だって、救出のところまで自分がやりたかった。ただ。
「彼にそれができるだけの実力がないのだから仕方ありません」
「うぐっ」
「そうかもしれないけど」
「うぐぐっ」
駆けつけたのに散々な言われ様。膝をつきそうになるのをどうにか堪え、チラリと店長を見る。
「まあ、お前がちょうど一緒にいてくれて助かった」
「一緒にいなくても、おじょ、……明姫さんの危機なら手を貸しますよ。…………暇ですしね」
そんな会話をしているうちにドタドタと人が入ってくる。意外と早く応援が到着したらしく、早々に反応を連行していく。あとは現場の確認と、事情聴取を行うくらい。
「……明姫もか」
「誘拐された時の状況などは聞かれるでしょうね」
「…………別にいいけど」
「……本当に大丈夫か?」
ここまでガチの誘拐となれば精神的に弱っているかもしれない。その状態の彼女に負担をかけるわけにはいかない。
「………………もう大丈夫」
言いつつ、直人の服の裾を掴む。上目遣いに彼を見ながら、さきほどの不機嫌そうな顔から一転、柔らかく安堵したような笑みを浮かべる。
「直人がいてくれるから」
「! おう」
いつになく素直な明姫に驚きつつ、頭を撫でてやる。くすぐったそうにしながらされるままにしている。
「お二方、どうやら事情聴取は明日以降にするらしいですよ」
いつの間にかいなくなって戻ってきたらしく、店主が声をかけてくる。
「……………」
「どうやら邪魔をしてしまったみたいですね」
睨みつけられても平然とそんなことをうそぶく。どう考えても気付いていただろうに。
「……なら、もう帰ろう」
ギュッギュッと伸びそうなくらいに裾を引っ張ってくる。本当なら素直に従って家に帰るところだが。
「すまん、明姫。少し、外で待っててくれるか」
外には警官が大勢いるし、もう害される心配はないだろう。なるべく早く合流するつもりだから許してほしい。
「…………分かった」
パッと手を放し、店長を一瞥してから、そそくさと出口へと向かう。その直前。
「………………直人、助けてくれて、ありがとう」
振り返り、なぜか恥ずかしそうに告げる。直人が何か言葉を返すより早く、彼女は背を向けて出て行ってしまう。
「…………私も協力したんですけどね」
「高くない好感度を下げるようなことするから」
かといって、この性別不詳の麗人に好感度を上げられても困る。小言はこのくらいにしてさっさと本題へと入る。
「今回の犯人、知らないやつってことで間違いないんだよな」
「はい。身代金がなく、おかしな内容のメモ帳と数々の小道具からしてただの変態でしょうね」
「…………そっちの方がやばくないか?」
心の中でもっと痛めつけておけばよかったかなんて思いながらしかめ面をする。
「やばい連中なのは認めますが、マシではあるでしょうね。彼女を狙う、かもしれない方々に比べれば」
「…………完全に安全とはいかない、か」
苦々しげにため息をつく。縁は切れたはずだが、どこに諍いが残っているか分からない。警戒をするに越したことはない。
「まあ、今回は偶然の誘拐でしたし、これだけの間、何もなかったら大丈夫だと思いますが」
「…………お前がそう言うならそうなんだろうけど」
不安感は消えないまで、ひとまず今のところ問題ないということにしておく。それより。
「――この島に来てから一年が経つのか」
感慨深い心地になりながら、妹然とした明姫と共にこの島に来ることになった出来事を思い起こす。
「…………きっかけは、間違いなくあの時だよな」




