ある情景
私はある国家規模の組織のスパイをやっていた。何度か死にそうになったし、いつ死ぬかもわからない。しかし給料はとてもよく、スリルを味わいながらたのしい毎日を過ごすのはこの上ない喜びだろう。私は自分の中では満足をしきっていた。
ある日私は国の重大機密が洩れたために、大国の幹部を殺さなくてはならなくなった。よくあるとはいえないが、まあ慣れた仕事だ。私はそれに見合った金額を要求して承諾させ、意気揚々と現場へ向かう。
飛行機に乗り、数日間を過ごす。なにやら通れないルートが発覚したらしく、随分と大きな遠回りをしたためだった。早く出て得をするのはこういう時だろう。私は余裕を持って機内で情報収集をしていた。
やがて、目標とする国に着く。私は平然とした態度で進んでゆき、あやしまれることなく空港から抜け出すことができた。私はホテルを確保しておき、しばらく国の中を探索して歩く。なんともない、平坦な国。面白いことも、訝しいこともなかった。私は薄暗くなってきた空を見上げ、ホテルに入る。
「何号室ですか」
「いまはじめてきたばかりなので…」
私は言い、偽名である名を伝えた。事務員はしばらく探した後、私の泊まる部屋を見つけたようだった。私は鍵を渡され、礼をしてから部屋へと向かう。
悪くない部屋だった。なかなかきれいであり、サービスも整っていた。私は少し環境に慣れたあとゆったりと休み、眠りについた。
夢を見る。私は空を飛んでいた。山を越え、深い霧の中へとはいって行った。周りが霧で見えなくなったころ、私は引き返そうとした。しかし、そこで飛べなくなっていることに気づく。私はあわて、必死に暴れる。私が暴れていると、急に目の前に地面が……。
私はそこで目を覚ます。悪い夢を見た。一日、悪いことづくめだろう。私は落ち着かないまま眠れずに夜を明かし、明るくなってくると探索に出かけた。
街角で私はのどがかわき、どこかに水がないか探した。ホテルからは随分と離れてしまったのだ。やがてバーを見つける。私は裏通りからそのバーに入って行こうとし、人の声を聞いた。私は慣れた動作のため、すぐ近くの物陰にひらりと身を隠した。
「本国の幹部がねらわれているらしい。どうしたものだろうか」
「前にも聞いたことがあったが、あれは噂ではなかったのか。それでは仕方がない、そのスパイを殺すとしよう。殺す人間がいなくなればまず安全だろう」
私はその声を聞いてふるえあがった。いかにも強そうな、低い声だ。私はどうすることもできず、物陰で身を潜めているしかなかった。私はやがて平生を取り戻してたため、やっと逃げることができると音を立てぬよう足を動かし始めた。その途端、石を蹴飛ばしてしまい、かべに当たった。わずかな音だったが、やつらには聞こえただろう。私は絶望に浸る。
「なんだ…」
男に一人が言い、近寄ってきた。私はあっというまにとらえられ、連れて行かれてしまった。しばらく離れたアジトのような建物の一室に入れられる。私は嘆いた。
「おまえは、浮かれたようだな。スパイなんぞ、あまいものじゃないぜ」
男の顔を見て、私は残念に思う。死ぬ覚悟はできていたから、怖くはない。しかし…。
「隊長、やりました。しかしまた、随分と計画を練りましたね」男は言った。暗い一室に照らし出された顔は、先ほどのスパイを捕らえた男のそれと同じものだった。
「いや、あの計画は、本当は計画ではない。あいつが、そういう運命にあったということだな。飛べない鳥、先の見えない暗闇。お決まりのものだろう」
男は半笑いをし、部屋を出て行った。一人になったなかで、隊長と呼ばれた男は一人つぶやく。
「まったく、最近のスパイは頭の悪い人間が多い。先ほどの男たちだってそうだ。両方ともだまされている。一人に持ちかけ、もう一人にそれを捕まえさせる。ありがちなパターンだろう…。まるで……」
ある国では、犯罪が完全に撲滅していた。そんな中で、一人の少年がつぶやく。
「平和というものは、まったく退屈だなあ。ぼくは平和以外を味わったことがないけど」
少年がそう言って見上げた先では、何人もの人がだましあい、殺しあっているのだ。少年はまだそんなことを知らないが、いつかは知ることになる。少年の目に明るく映っている太陽が、一瞬黒ずんで見えた。