婿入り
*1.マリア・兵部卿・マッパラ伯 *
俺の嫁になるという、マッパラ伯の孫マリアは、王都で兵部卿の娘と呼ばれる人の、上級侍女をしているらしい。
そこで俺はとりあえず、彼女と文通を始める事になった。里娘のリコちゃんじゃあるまいし、まさか布団の上でご対面とはいかないからな。
上級侍女とは、貴族の使用人の一種だ。
主人の妻や娘など、貴婦人のそばに侍り、御髪を直したり、服を整えたり、貴婦人の肌に直接触れる仕事をする者を指す。
兵部卿つまり大臣の娘につく上級侍女が、騎士の娘。
実のところこれはかなり珍しい。普通はもっと、身分の高い者の娘が務めるものだ。
「わたしはお嬢様の片腹に侍って、時々お茶を淹れ、話し相手になるくらいで、特にすることもないのです」
と彼女からの手紙にあった。この通りだとすれば、上級の中でもさらに上、最上級の侍女と言える。
本人の能力が高いのか。あるいは祖父の伯爵が、力で押し上げたか。
いずれにせよ何か理由があるはずだ。
兵部卿というのは、兵部省の大臣で、王族の指定席とされる。ただ、地方の軍勢は、伯とか候の管轄だ。王都の中の兵士なんて、警備兵が少しいるくらいだ。
格は高いが実権は少ない。
今の兵部卿、つまりマリアの主人も、それを体現したようなお人だ。
やたらに声がでかくて、一度言い出したら聞かない。だから意見が通ってるようにみえて、大事な会議には呼ばれない。その噂は俺でも知っていた。
マッパラ伯は、マリアの出発に際し、
「よいか、兵部卿が白いと言ったら、カラスも白いのだ。それさえ守れば、どんな田舎者でも勤まる。それが兵部卿の屋敷だ」
そう告げたそうだ。俺が伯爵本人から聞いたのだ、間違いない。
従順というより、なめ切っている。
マッパラ伯は王都と領地を頻繁に行き来する。その関係上、途中の里にも良く顔を出す。いわば上客だ。俺も幼い頃から面識があり、とても可愛がってもらった記憶がある。
彼に言わせば、
「この婿入りは決まったのも同然、すべての根回しは終了、後は孫娘の決断を待つばかり」らしい。
だが俺に言わせれば、肝心要の相手の気持ちが不明なのだ。この期に及んでどんでん返しは、勘弁してほしい。
「あれは俺の自慢の孫、人を見る目に誤りはない。フィル君なら大丈夫、何の問題もない。安心して待たれよ」
それからあと伯爵様、
「俺の孫は美人だ」と仰いますが、
『親の欲目』じゃ、ないですよね?
一番尋ねたい台詞は、いつも決まって声にならない。
*2.これから3年の計画 *
院長から聞いた設定によると、
まず俺とマリアが、都の市で出会う。
そこでマリアが俺に一目惚れ。
数回の文通の後、
秋口には兵部卿邸で逢瀬を重ね、
年末、マリアが俺を連れて、国へ帰る。
デタラメというか、まだ起こってもいない事なのだが、そういう段取りで、すべての準備が進められている。
う~ん、これほんとに大丈夫なん?
さらにつづきがある。
俺はその地で3年の時を過ごす。
そして騎士となるための修行をする。
武芸を鍛錬し、
村の政の実際を学び、
南部諸侯との繋がりを作る。
3年後、騎士が務まると判断されれば、
伯から王に推挙され、騎士の位を頂く。
騎士の位には領地がついてくる。
ただし厳密にいうと、この国の土地は、大半が公有地とされているから、公式には領地(つまり個人の土地)だとは呼ばない。
騎士に付属して『村の徴税請負人』という7位の官職がついてくるので、自分が担当する村から集めた、租税の麦などのから、決められた量を上に納め、残りを報酬として頂く形だ。
ちなみに、一般に伯領と呼ばれる伯爵の領地も同様。伯爵に付いてくる官位は、5位の県令だ。
さらにつづく、
ここでやっと、俺とマリアが結婚。
そう結婚は3年もお預けなんだ。
せっかく楽しみにしてたのに。とんだ田舎娘の可能性もあるが、伯爵の話や、兵部卿の屋敷での待遇から考えると、まだ見ぬマリアはかなり、
できる女だ。
ふたりは騎士の報酬で生活をはじめる。
ただし仕事の内容は別だ。報酬は村から上がるが、仕事の内容は、県令である伯爵が、勝手に決めていい。
俺は伯爵から『王都駐在の武官』という仕事を与えられ、王都で謀略に励む。
領地の村はどうするのか?
俺もよく知らないが。誰か使用人を雇って任せるとかするんだろう。
*3.文通 *
マリアとの文通に話を戻そう。
俺は今、リコちゃんの隣に座って、せっせと手紙を書いている。
そう、俺はあの次の日から、花屋の宿の裏手にある、リコちゃんたちが住む屋敷の母屋に、居候を決め込んでいる。リコちゃんと、そして何故か、サヨ様と呼ぶはめになった義母と同居だ。
今までも、俺の家らしきものはあった。
親父が子分の馬引きを住まわせている、長屋の空き部屋とか。あと親父の屋敷の部屋も、どこでも勝手に使っていいらしいが、そっちはほとんど職場だ。大勢いる馬引きたちが、しょっちゅう出入りするし、客人も訪れる。
おちおち寝てなんて居られねぇ。
親父ですら夜は、いつものねぐらから、ほとんど帰ってこねぇくらいだ。
そこんとこ、こっちの家はいい。
さすがは年寄の家だけあって広い。うちの親父も一応年寄ではあるんだが。
そして静か。宿からちゃんと離してあって、使用人が押し掛けて来ることも少ない。
それに何より飯がいい。飯くらい俺んちだって、あるにはある。馬引きの奴らが大勢いるからな。朝からデカい鍋に汁を沸かして、ほら食え、って感じだ。
結婚は3年先だろ、筆おろしが早くないかって?
そこは、俺たちに都合が良かったから、そうなったとしか言えないな。元々俺たちが好き合ってたのは、バレバレというか、ほとんど公然の仲だった。
もちろん一線は超えてなかった。
それをあのババァ、じゃなかったサヨ様が、うまく利用してきやがった。だから俺も利用させて頂くことにしたんだ。
ここは俺のいない間も、里における俺の拠点になる。
里で集めた軍資金を管理したり、俺宛の書状なんかを、俺のいる場所へ転送する役目を負う。リコは俺の現地妻、サヨ様は義母として、俺の代理人の立場を得たとも言える。
俺の肩書は、『里の首領の後継者』だ。
ただ『里の首領』なる人に、俺はあった事もないし、それが誰なのかすら知らない。年寄になれば会えるらしいが。ミステリアスというかなんというか。
『里の首領』の正体は、
一説には、王族の誰かだといい、
一説には、昼行燈の町役人だという、
あるいはまた、すごい剣豪だという説や、
院長の一人二役説、
果てはうちの親方こそが、その人だとか。
個人的には『町役人』というのが、如何にも『闇の仕事人』感じで、好きなのだが
それはともかく、俺はリコちゃんの隣で今、マリア宛の手紙を書いている。
うん、我ながら下衆い。
ていうか、単なるヒモか女衒じゃねぇ?
実はこの後、月が開けた9月。
俺たちは満月の夜に、兵部卿の屋敷の庭で、お月見デートする事が決まっている。手紙には、それが楽しみですねとか、当たり障りのない事を書いている。
他に何書くよ。
う~んだいたい、会ったこともない女に、どんな恋文書けっていうんだ。王都じゃそれが普通らしいけど。
それに、主の庭で侍女と馬引きが、勝手にデートして、大丈夫なのかよ。そっちが気になって仕方ないんだ。
でもそれは、
「向こうで話がついてるはずです、そんな色気のない話を書くのはおやめなさい」
と、リコちゃんが言うんだ。
あれ、もしかして俺もう、リコちゃんの尻に敷かれてる?
*4.満月のデート *
そして9月満月の夜、
俺はマリアに、いやマリア様に出会った。
中秋の名月の名にふさわしい、
澄んだ空、冴えわたった月。
それに照らし出されたマリア様。
いや~驚いたなんてもんじゃない。
「こんな人間いるんだ」とさへ思った。
それくらい神々しく、艶やかだった。
淡いベージュの布地の下に見え隠れする、深い胸の谷間。ギュッとくびれた腰付き。その下で豊満に広がるドレスのライン。
どんな田舎娘が出てくるのかなぁ~
なんて思ってたとか、口が裂けてもいえない。
口をパクパクさせて呆けていたら、
「フィル様は、いつもそのように、無口でお静かな方なんですか」
と、天使が微笑みを浮かべてきた。
俺は答えた、
「あっはい、俺はいつも無口でお静かなんです」
思い出しただけで、顔から火が出るぜ。
そしてその後俺たちは、紅葉で有名な兵部卿の庭を一回りし、四阿でお茶と団子を頂いたはずだ。
でも、なにを話したか、どんな味だったか、そしてマリア様がどんなご様子だったのか。何も覚えちゃいない。
これを目の前にして、3年間手を付けちゃいけないとか、どんな拷問だよ。
そんな事ばかり考えていたら、勝手に元気になっちゃって、ただしょっちゅうモゾモゾした。
(そんなん、怪しい人間にしか見えないだろ!)
ただ幸いにしてマリア様は、女神の如く、その御心も広くあそばした。そんな俺にドン引きすることもなく、
「かわいいお方なのですね」
と、頭を撫でて下さった、そこだけは覚えている。
至福の時に包まれながら、俺は心の奥で泣いた。
(こんなん、ダメに決まってるだろ!)
俺は思い出す度に何故だか、心の悲鳴が聞こえ、口で布を引き裂きたい衝動にかられるのだ。
ヤッチマッタぜ。
*5.マリアの回想 *
フィル様の事は、わたしより3つ年下の、表向きただの馬引きの子ながら、さる高貴なお方のご落胤だと、聞かされていた。
「小柄ながら馬の扱いは巧みで、弁舌も爽やか、騎士家の婿として申し分ない」
お爺様からの手紙にも、そう書いてあった。
ただお爺様はつづけて、
「されど結論は、お前に任せる。伯家の孫としてよく考え、自分の生き様は自分で決めよ」
そう結ばれていた。
「仕事は金で選ぶな。結婚と恋愛は違う。人がその限られた時を費やすもの、その全てが己の生き様と心得よ」
それらはお爺様の口癖。
厳格とも奔放とも言われるおじい様にふさわしい。
わたしはとにかく、フィル様に会って、考える事にした。
真新しい騎士の装いに身を包んだフィル様は、年よりもさらにお若く見え、ぱっちりとした目に、おなごの様に長く反り返ったまつ毛、
貴公子というより、美しい童のようなお姿だ。もちろん馬引きなどには見えない。
はじめは緊張のせいか、なにやらモジモジなさっておられたが、庭の池を巡る頃には、すっかり打ち解けられたご様子、
庭の借景や建物の設えを誉めるなど、博識で風流なお姿まで、お見せなられた。
確かに、この年でこの在りようは、只者ではない。
兵部卿の子弟といえど、このくらいのお年では、背伸びした政治談議にかまけ、他人を言い負かす事に、夢中となる者が多いもの。
しかしフィル様は違われた。
まずは、わたしの話をゆっくりとお聞きになられ、それを否定するのでも、かと言って流されるのでもなく、
「こういう見方もありますよね」
と、ご自分の意見を付け加えなさる。
それがとても心地よかった。
ただ、わたしが調子に乗って、フィル様の頭をお撫ですると、少し微妙な表情をされた。
おなごの下に立ちたくないという、年相応のお気持ちも、やはりおありのよう。
ありていに言えば、わたしはフィル様を見初め、この方を信じ、長き時を共にすることを望んだ。けしてひと時の思いに、のぼせたのでない。
ただフィル様はそれを、どこまでお分かりなのだろう。少し浮わついたお顔のいろを、隠しきれていないのが、またかわいらしい。
*6.聖パオロ寺院の院長 *
12月1日。
聖パオロ寺院の、奥ノ院にある茶室で、俺は院長の点てた茶を飲んでいた。
「結構なお手前で(う~ん、苦い)」
「結構というには、あまりな表情よのう
・・・まぁ良い、そなたにもまだ子どもらしいところがあって、かえって安心したわ。菓子などつまんで口を直すのが良かろう
・・・時にフィルよ、南に連れて行く、30名は選んだか?」
院長は間近に迫った出発の、準備について聞き始めた。
「はい。
隊長は私とドルテとコージの3名とし、
私の隊には、身が軽く馬が得意な者を10名、
ドルテの隊には、身体が大きく力ある者を10名、
コージの隊には、剣の筋が良い者を10名、
隊長を含め10名づつの計30名、
それぞれ選び終わりました」
「結構結構。して出発の日取りは」
「占いの結果7日が吉日という事で、
朝にマリア様が都を徒歩にて離れられ、
昼すぎに里の前の街道にて合流、
その後1日8時間づつ歩いたとして、
天気さえよければ、約10日。
17日には伯都につく予定です」
「マリア殿を歩かすのか」
「それが・・・
『アインの渡しで、どうせ降りるのに、たかが3日、騎士の娘に馬車など不要』
と申されまして」
「噂通りしっかりした娘のようだな。確かに彼女ひとり馬車に乗せたとて、それだけの家臣と荷物を引き連れて、早く着くも遅く着くもあるまい。そなたも見習って精進に励むがよい」
そして院長は最後に、素知らぬふりで、付け足した。
「ただ励み過ぎて、また子どもでも作らぬようにな」
ゲフンゲフン
「院長、どこでそれを?」
「知らずと思うてか。一発必中のフィルの噂など、里で他に知らぬ者がおらぬか、聞いてみるがよかろう。」
唖然としている俺を尻目に、院長はつづけた。
「一発必中ならかわいいものだが、百発百中ともなれば笑えぬぞ。お主にそれだけの甲斐性があれば別だが、
・・・まぁ今の国父様(王様の父親)など、22男の生まれで、棚ボタ王とか呼ばれたものだ。子沢山は国の栄え、そこまで行ければ、逆に大したものかも知れぬ」
「またお戯れを」
「そういえば、マリア殿は街道を素通りのようだが、彼女とてそなたの育った里を、一度ぐらい見てみたいと言わなんだか?」
「勘弁してください、マリア様が穢れます」
「穢れるとはこれ如何に、そなたが育った里ではないか、ハッハッハ」
げせん。
俺がなぜに院長から、ガキの件でおちょくられる。院長は僧侶で非婚のはずなのに、里を歩けばソックリな顔のガキで溢れてるじゃないか。
院長にすれば、自分が普段言われてる事の、敵討ちかも知れないが。いくらなんでも、八つ当たりというものだ。
俺たちは只でさえこんな裏稼業なんだ。いつなんどき、里ごと皆殺しの憂き目にあったって、驚きはしない。だけどそれまでに、せいぜい子種をばらまいておかなきゃ、子孫が絶えちまう。しかも、それが気持ちいいんだ、やらない手はないだろう。
神様というのは、ほんと良くお考えだ。
12才、いや生まれるのは来年だから、俺は13か。
それで父親というのは、確かにちょっと早すぎるかも知れない。それでも、リコもいればサヨ様もついてる。里のみんなだっているんだ。俺なんかいなくても、ガキをちゃんと育ててくれるはずだ。
2024/07/09 全面改稿 剣士隊の隊長の名を「ジョン」から「コージ」に変更