残党の反乱
*1.ニキータの素顔 *
ドルテはしばらくのあいだ、無言でシェールを抱きしめていた。
俺はこの無言って奴が苦手だ。こういう場合俺ならたぶん、
「マリア怒ってない?」
とか、余計な事を聞いてしまって
「殿もまだまだですね」
とか、マリアに子ども扱いされてしまうのがオチだ。
こういう時にこそ、どっしり構えて、安心を与えられる男になりたい。3つ年上のドルテは、そういう意味でも、俺の一歩先を歩いているように思えた。
「殿、ご報告のつづきが」
ドルテは優しい手つきでシェールを離すと、再び俺と向き合った。
「ニキータ様は、どうもわたしの事をお試しになっていたようなのです。と言いますのも、翌朝お目覚めになるとすぐにわたしをお呼び出しになられたのですが、それがすこぶる上機嫌でして」
おや、ドルテはてっきり、ニキータを袖にして逃げ帰った来たのか、と思ったら違うようだ。
「まず昨夜の誘いを、わたしが断った理由をお尋ねになられたので、
『将来を誓い合った相手が居ります』
と正直に申し上げたところ、ニキータ様はわたしとシェール様の関係を色々とお尋ねになり、最後にこう仰られたのです。
『最近の男共ときたら軟弱な者ばかりでの。妾の力をあてにして、近寄ってはくるのじゃが、肝心の妾を守る気もなければ、守る力さへ持たぬ者ばかり。どうせそなたもその類であろうと、決めつけておった、許せよ。だがこれはうれしい誤算というもの。妾の不興を恐れず、己が決めた女を守り抜くとは、まことに強い男の証であろう』」
「なんか疑り深くて、面倒臭そうな女だな」
「あなた、それは言い過ぎではありませんか。あの方のお立場では、これくらい疑い深くないと、いつ足元を掬われておかしくないのです。女が力を持つというのは、そういうことなのです」
マリアはニキータをかばったが、正直なところ、俺はこの手の得体が知れない女が苦手なのだ。
「それからニキータ様より、殿へご伝言を預かって参りました」
ドルテのその言葉には、イヤな予感しかしなかった。
「フィル・カサイ殿は、強い者に靡く、小物とばかり思うておったが、なかなかよいご家中をお持ちのようじゃ。カサイの家は尚武の家柄。妾の力を得たくば、まずは己の力をお示し願いたい。跳ね返り共とは申せ、我が家中の者を、むざむざサクラにくれてやるのも、業腹というもの。そこをお主らでどうにかできると申すなら、後の事は引き受けよう。妾の力をきっとご覧にいれようぞ」
「あの婆さんえらい自信だなぁ」
「ニキータ様には、ジョセフィーヌ様という切り札が御座いますから」
マリアが聞き捨てならない事を呟いた。
「それはどういうこと?」
「ニキータ様はジョセフィーヌ様と同じ年。幼少の折から、遊び相手として、宮中に伺候されていたとお聞きしています」
*****
王歴1184年5月20日、俺は結婚式を挙げた。
純白の衣装を着たマリアは、柔らかく優しげな微笑みを浮かべ、まさに女神だった。
身重で少しふっくらした身体を、慎重に動かしながら、介添人の侍女にドレスの裾をもたせ、ゆっくりとこちらに歩いてきた。父親の代役は立てていない。
「お父様はいつでも、わたしの心の中にいるのです。形だけの代役はいりませぬ」
そう言って断っていた。
次に現れたのは、ジオール族の娘キーナだ。彼女は1年前に先立たれたばかりの25才で、赤や緑に彩られた鮮やか民族衣装に身を包み、ショーに手を引かれ会場に入ってきた。
顔合わせで話した時の印象で言うと、見た目の色気とは反対の、物静かで控え目な性格の女性だ。
その席で彼女は、「当面わたしどもは、お子をなさぬ方がよろしいかと」と、夜の務めを辞退する意向を示した。
それに対しマリアは、「わたしの事を、気になさっているのですか」と尋ねたが、
「そうではありませんし、フィル様と関係を結ぶのが、嫌な訳でもありません。されど今お子ができれば、次の族長をその子にと望む者が現れます。わたしは自分の子を、争いに巻き込みたくはないのです」
彼女には今現在子どもはいない。しかし出産は2度経験している。いずれも病弱で、1歳を迎える事なく亡くなったと聞いている。族長家にしろ伯爵家にしろ、良い家柄の子というものは、は政治的な思惑から結婚相手が限られてしまうのが常だ。恐らくは血の濃さが原因の病。逆にそれ故、どんな子であろうと、育った子に対する期待は並大抵ではないのだ。
彼女と俺の間の子なら、血の濃さを恐れる必要はない。彼女ならそれを武器に、ジオール族内部で有利な立ち回りも可能なはずだ。しかし彼女はそれをしたくないという。
俺は彼女の意見を受け入れる事にした。
続いて式場に入ってきたのは、シェール。
深い緑の薄衣を一枚まとっただけの、あられもない姿で現れた。細くてまっすぐな体の線がまともに浮き出ている。
王国民の参列者からは、どよめきの声があがった。
しかし横を歩く父親の平然とした姿をみるに、これがエルフの婚礼衣装なのだろう。
俺の狙い通りといえば狙い通り、観客の視線をすべて攫ってくれてはいたものの、やはり文化の差には驚かされる。
横に立つドルテをちら見してみたが、奴は満足げにうなずくだけで、顔色一つ変えていない。むしろ俺の方が赤くなっている気がする。
参列者席に目をやると、まずリコちゃんとサヨさんが目に入った。『馬引きの里』の代表として、最前列に座っている。これはかなり気まずい。気休めにいうと、ふたりは美しい3人の花嫁を眺めるのに夢中で、素直に楽しんでくれてるように見えたのが救いだった。
同じく最前列で目立っていたのは、ニキータ様だ。同盟相手のひとりとして、もちろん招待状は送ったのだが、まさか彼女本人がくるとは思ってなかった。それだけこの同盟を重視している表れなのだろうが、それだけではない気もする。
ともあれ、俺たちはこうして、永遠の愛を神に誓った。
誓いの口づけは、まず俺とマリアが、次にキーナと。そして最後にドルテとシェールの順に交わした。俺の気まずさはこの時がピークだった。もっとシンプルに自分の結婚を喜びたかったという思いは強かったが、今の俺の立場では無理な相談だ。俺には女の力に縋ってでも、守るなければならないものが沢山ある、というかそれを自覚し始めていた。
結婚式の後は、お約束の宴会になだれ込んだ。会場は砦の前庭に、ワラで編んだ敷物を敷き、大皿の料理と酒を並べた簡素なものだ。とは言え人数が尋常ではない。ジオール族にエルフ族は勿論の事、カサイの領民や遠くは伯都の者まで、祝いに駆け付けてくれた。
会場の中心では、俺の配下や、ジオール族の若い衆などによる余興が次々と行われ、座を大いに盛り上げている。中でもエルフの女性陣による舞は、感嘆に値するものだった。
料理の方も、ジオール族からは大量の羊。エルフ族からは山で採れた大量の果物や珍味、それに蜂蜜酒が届けられた。里からも20台の荷馬車に山積みされた祝いの品が届き、その大半は今日の食材だ。しかもそれを料理するのは、ニキータが連れてきた伯爵家お雇いの料理人という豪華版なのだ。
俺たちは最初、ひな壇で一通りの挨拶を受けると、その後、エルフ族など普段交流の薄い者たちの席を中心に巡り、親睦を図った。
エルフの族長は、王都のワインをすでに何本も開け、顔を赤らめながらも、大変な上機嫌だった。
「この辺境ともいえる山間の地で、これほどまでの宴会は、300年生きても、見た事はおろか、聞いたことも事もない。長い生きというのはしてみるものよ」
確かにそうかもしれない。今でこそ女神峠の馬車道が通り、カサイから自由に物資を運べるようになったが、あの道がなければ、ここまでの宴会などなしようがなかったのだ。
俺はここの領主としての3年間が、少しだけ報われた気がした。
そこへニキータが
「妾にもみなを紹介してもらえぬか」とやってきた。
なるほどこれが狙いか。
森の民と草原の民。その有力者が一堂に会す機会など、そうそうないのだ。
交易の面からも、武力という面においても、この地に暮らす異民族と、独自の接点を持つ意義は大きい。今は不在の伯爵様も、彼らを政治の枠の中に取り込むことには、とても熱心だった。
ニキータは気さくにも、車座の中に入り込み、自ら酌をして回る。特権意識に凝り固まったお高いババァという思い込みが、完全に崩れた瞬間だった。
その後も彼女は、進められるままに杯を重ね、ゲラゲラと笑いながら、次々と飲み干していく。酔った気配など微塵もない。ドルテとの一夜など、演技も甚だしいとしか言いようがなかった。
飢饉から戦乱へ。ここ数年節制に節制を重ねてきた、俺たちに、いや領民すべてに取って、待ち望まれていた、祝宴という特別な時間がそこにあった。
*2.風雲 *
結婚式の翌朝、俺は朝早くに目が覚めた。二日酔いで喉が渇いたのだ。マリアは珍しく横でまだぐっすりと眠っている。お腹の子どもを気遣って、酒は舐める程度だったが、かなり気が張っているのは、横にいて良くわかっていた。俺は静かに床を離れ、水を飲みに調理場へと向かった。
参列者の多くは、ジオール族の家などに分散して泊まり、今この館にいるのは、ニキータ様とその護衛、それに馬引きの里の関係者が数名といったところか。館の中は昨日の喧噪が嘘のように、ひっそりと静まり返っていた。
水を飲んでいると、ふと後ろから、人が近づく気配がある。
リコだった。
リコは辺りを見回しながら、ゆっくりと俺に近づくと、静かに抱きついた。俺は何も言わずに、左手を彼女の背中に回し、右手で髪をなでた。リコは時々顔を上げ、満足そうな表情を浮かべ、しばらくそのまま動かなかった。
「名残惜しいですわ、でも誰かに見られる訳にも行きませんし、大事なご報告もあります」
リコはそういうと、両手で突き放すように俺から離れた。そして俺の手を引いて、リコとサヨの泊まる客室へ俺を招き入れた。サヨも既に起きており身支度も整えてあった。
「リコ、ふたりの話はもう済んだのかい」
「はい、お母様」
「それじゃぁ、王都の報告を始めるとするかね。まず6月に臨時の叙任式が開かれる事が決まったそうだよ。これはサクラの重臣3人に伯爵の称号を渡すためだそうだ。領地はすべて王都の北東側で、タケイの残党が完全にいなくなった場所だね。マッパラ伯に付いては、当面はこのまま。今の伯爵様は、職務停止になってはいるが、伯爵の肩書だけ残すそうだよ」
大方の予想通りってとこか。
「ツァラスト様はどうなった」
「残念ながら、今回の叙爵は見送りと決まったよ」
「よくそれでツァラスト様が納得されたな」
「あたしは、直接会ってないから、なんとも言えないけど。うちの首領なんかは、『サクラも一枚岩とは言い難い』とか言ってるねぇ」
ツァラストのことだ、伯爵なんて地位に拘る事はないだろうが、仕事が進めにくい状況に置かれてるのは、確かなようだ。
「それでここからが重要なんだけど、叙任式にあわせて、新たな討伐軍の編成が発表されるそうだ」
「兵力はどのくらいだ?」
「ノルマン様、ツァラスト様を中心に、2万以上」
「総力戦だな」
「討伐軍が向かう西の方は、良くも悪くもそれで決着がつくんだろうが、問題は王都の周辺と、この辺り南部一帯と、首領様は仰せでね」
「なるほど、それで俺にどうしろと?」
「一言でいうと、残党狩りを手伝えってことさね」
「簡単にいってくれるねぇ。こっちの動きは、今回の結婚の話も含めて、ちゃんと伝わっているのか?」
「もちろんさ。少なくともツァラスト様はお喜びだそうだよ。余計な場所に裂く兵は少ないに越したことはないと。ただジョセフィーヌ様がねぇ・・・王都や南部一帯からも、タケイの残党を一掃しろと」
「マッパラの一族もまとめてか? ジョセフィーヌ様はなんでそんなに強硬なんだ?」
「そこはモルガン様の一件が尾を引いてるとしか」
「モルガン? あぁ、タケイ相手に最初の反乱を起こして、あっさりトカゲの尻尾切りされた奴だったっけ?」
「そうです。ブランカ様はもとよりうちの首領も、モルガンなど端から捨て駒としか見てなかったのです。ところがジョセフィーヌ様は本気で次の国王に据える気でおられたとかで」
「そうだよな、トッティーも『平気、平気』とか言ってたんだろ、それがまたなんで今頃?」
「そこは女心って奴ですよ」
「モルガンってのはジョセフィーヌの愛人かなにかか?」
「愛人ではなく息子同然だったって話ですね。あたしも話でしか知りませんけど。ジョセフィーヌ様といえば、父親のパオロ王最愛の娘。パオロ王は一時本気で彼女を、女王に就ける気でおられたとか。結局女王になられる事はありませんでしたが、王家の財産の大半を相続され、国内一の資産家となられました。ただその際、彼女を争いから守るという理由で、生涯独身を守ると決められてしまったのです。しかしながら、彼女はだいの子ども好き。早くに母親を亡くした王族の子を引き取っては、手ずからお育てになられました。その中でも一番のお気に入りが、モルガン様だった。とまぁ、そういう話です」
「モルガンをやった奴らを、皆殺しにせよとでも?」
「お気持ちとしては、それに近いものがあるかと」
理屈なんて全く通らない相手なんだろうな、きっと。
「それで結局、俺はどこに兵を出せばいいんだ」
「トリイ伯爵領。あそこは強硬派の騎士で領内がまとまってしまい。伯爵代行も完全に追い出されてしまったとか」
また無謀な事をと言いたいところだが、分りやすいと言えば分りやすい。トリイ伯といえば、タケイの御曹司が大臣の位に就くまでの腰掛として、代々座って来たイスだ。あそこにトリイ伯としてのまとまった家臣団はなく、タケイ本家の家臣が交代で統治にあてっていたはずだ。しかも場所が、王都とここの丁度中間にあたる。
「トリイ伯領に兵を出すのは、やむを得ぬとして。そのあとやっぱりマッパラもなんて、物騒な話だけは勘弁だぞ。話はついてるんだろうな」
「実はそこが、一番の問題でして」
「マジかよ」
ジョセフィーヌ様の怒りには並々ならぬものがあり、それが今後どうでるか、誰にも予想が付かないらしい。
俺はこの問題をひとりで悩んでも、埒があかないと判断した。そしてマリア、サヨ、ドルテ、コージ、それに加えて、ショーやシェール、ニキータといった同盟者も集め、話し合う事に決めた。
*3.会議の行方 *
会議の冒頭、まずサヨから改めて王都の情勢を説明してもらった上で、俺が若干の補足をした。
「問題は大きく分けると、3つだ。
一つ目は、領内の強硬派への対応だ。連中は騎士としては10名、多く見積もっても20名、軍勢全体でも100に届く事はない。ただ、盆地の南側、森林地帯との際にある村々に立て籠もる動きを見せている。森林地帯に逃げ込まれるとやっかいだ。それをいつ、どのように攻めるか。
二つ目は、トリイ伯領への出兵の可否。あそこは元々タケイ氏の拠点だ。連中の思惑は単純で、こちらの兵を1兵でも多く削り、西に向かう兵を少しでも減らしたい。それだけだ。ただそれだけにやかいとも言える。当然自分の命など投げ出してくるはずだ。救いなのは連中が、年寄りと子どもばかりという点だが、全く油断ならん敵と考えてほしい。
三つ目は、王都との交渉だ。トリイ領に兵を出しサクラに味方したところで、そのあとこちらまで攻められたのでは、自分の首を絞めるも同然。かといって最初から兵を出さなければ、西へ行くはずの大軍を、わざわざこちらに呼び込む可能性が高くなる。伯爵家安堵の約束を取り付けないことには、動きようがない」
口火をきったのは、ドルテだった。
「ニキータ様、そちらの騎士の方々は、領内の強硬派についてどのようにお考えで」
「うちの騎士なんて、それこそ子どもか年寄りばかりよ。おまけに強硬派の親戚だって大勢いるわ。出したところで士気だって上がらないはずよ。これだけは、元々余所者のあなたたちか、リチャードの兵を巻き込むかで、どうにかしてもらわないと」
リチャードかぁ。確か1000位の歩兵を抱えているはずだな。輸送部隊だから、戦闘力は高くないが。
「マリア、リチャードはいまどこにいるんだ?」
「伯都の伯爵館を接収して、そこを拠点に村々を回っていると聞いてますが。でも彼らが行ったところで、森に逃げ込まれ、帰ったら出てくるという、いつもの繰り返しでは?」
「森の中ののことなら、わたくしがなんとか致しても、よろしくってよ」
シェールが口を挟んだ。
「王国の方々なら、そう何日も森で暮らすなんてできないでしょ。食糧にしたって、住処にしたって、どこかに準備してないと、生きていけないのじゃなくって」
「見つけられそう?」
「森の中で獣に襲われる事なく、人が食ったり寝たりできる場所なんて、そう多くないわ。見つけるだけでいいなら、任せてくれて大丈夫よ」
「隠れ家さへ見つけられれば、わざとそちらへ逃がして一網打尽という手も使えるか」
俺はみんなの反応を伺った。
「殿、一網打尽はできるとして、捕えた敵をどうなさるおつもりで」
コージが聞いてきた。
「さて、どうしようか、ニキータ様はどのようにお考えで」
「殺したところで、味方が減るだけというのが、頂けないのう。仕方ない、こちらに引き渡してもらうとするか。事が済むまで、地下牢にでも放り込んでおけば、バカ共の頭も少しは覚めるやも知れぬ」
「あとは誰が森に行って、連中を捕まえてくるかだな。ショーのところは何人か出せそうか?」
「おいおい、俺らは草原の民だぞ。森の中なんか行ったところで、足手まといにしかならねぇよ。代わりと言っちゃなんだが、トリイ領ならよろこんで行かせてもらう。あそこなら隊商で土地勘もあるし、麦畑で真っ平だ。ちょいと目立てば、サクラに恩を売る事もできそうだしな」
「ということは、ドルテ。コージの隊もつけるから20人と、エルフの援軍でどうにかしてほしいが、やれるか?」
「騎士だけでよろしいのでしたら」
「もちろんそれでいい。お付きの者など、そのまま逃がして構わん。それから俺の隊から伝令を2人回す、何かあった時はそれで知らせてくれ。あと森の道の件はどうなってる?」
「かしこまりました。それでしたら、わたしとシェールは一時中座させて頂き、これから族長と相談して参ります。よろしいでしょうか」
「そうだな、トリイ領の方は、ショーの兄貴が出張ってくれるようだし、それでいくか。エルフ族の方は二人に任せる。うまくやってくれ」
ドルテとシェールが退席し、話はトリイ領への派兵の件に移った。
「しかし、トリイ領といっても、広いんだよな。敵がどこにいるのかすら分からないのに、闇雲に討てと言われてもなぁ。さてどうしたものか」
「ニキータ様は、トリイ伯のご家中と繋がりはありませんか」
マリアがすかさず、いい合いの手をくれた。
「妾か? 確かにない事はないのだが、最近は警戒されておるのか、まともな情報は入っておらぬぞ。いっそ誰か潜り込ませた方が早いのではないか」
「埋伏ねぇ。うちの隊商の奴らを行かせてもいいが、それだと、敵の主力の位置を掴むくらいで精一杯だな。詳しい情報を掴みたいなら、敵陣の中に味方をひとり忍ばせたいところだな。ニキータ様よ、誰か一人貸してくれねぇかい」
「そうよのぉ、クリスでも行かせるとするか。あやつなら武闘派イヌイの跡取りとして、名も知られておろう。自ら強硬派を名乗りトリイの家中と合流したところで、誰も不審とは思うまい」
「ニキータ様、よろしいのですか? クリスはあの通り嘘のつけない性格。間者など務まるのでしょうか?」
マリアは至極もっともな疑問を挟んだ。
「そこよのぉ。しかし間者の一つも務まらぬようでは、この先ジュリアーノを支えて行くなど、無理というもの。ダメならダメで大人しく死んでもらうのが、お家の為であろう」
ニキータのあまりに伯爵夫人然とした返しに、俺は唖然とするしかなかった。
「冷たい女に見えるか? しかしの、これでも妾はクリスに期待しておるのじゃ。妾は期待してない人間に何かを求めるなど、そんな無駄な事はせぬ。出来ると思からこそ求めるのじゃ。甘い言葉を掛けたところでそれがなんになる。増してはこれは、失敗したら死ぬことなど決まり切った役目。クリスの他に務まる人間が見当たらぬからには、彼にやってもらう他あるまい」
ニキータはさっさと、クリスを呼び出すと、居並ぶ全員の前で、埋伏の役目を告げた。そして、
「連絡役を務める者は、その方が自分で選ぶが良い。決まり次第出発じゃ、よいな」
「かしこまりました」
クリスは顔色一つ変えることなく、それに応じると、すぐさま部屋を後にした。
「トリイ領の件については、今日はこれくらいでよかろう。兵を出すにせよ、クリスからの繋ぎを待たぬことには、話になるまい。確かショー殿であったの、出陣の際は良しなに頼むぞ。妾の方からもそれなりの兵は出すが、いかんせん経験不足な若い騎士ばかりじゃ。面倒をかけるやもしれん」
「ニキータ様、そこはどうぞお気遣いなく。味方同士、相身互い身でございます」
「ショー殿、感謝いたすぞ。さて、フィル殿。王都の件じゃが、ここは妾に任せてはもらえぬか」
ニキータはここにきて、話の主導権を握ると、一気に本題へと切り込んできた。
「無理にと迄は言わぬが、いまこの領で、ジョセフィーヌと直接会って話が出来る者など、妾を置いて他に居らぬであろう。ジョセフィーヌという女はのう、昔から感情の起伏がそれは激しい女じゃ。妾とて話がどう転がるかなど、今からでは見当もつかぬ。しかし話して見ぬことには始まらない事だけは、確かなのじゃ」
「ニキータ様、そこに異存はありませんが、ひとつだけお願いがあります」
「なんじゃ、フィル殿」
「わたくしをその席に同席させて頂く訳には参りませんでしょうか」
「妾だけでは、心もとないとでも申されるか」
「違います。お話に口を挟む気はございません。ただわたくしもジョセフィーヌ様に直接お会いし、どういう方なのか、自分の目で確かめたいと思うのです」
「確かめたいのぉ」
「いずれにせよ、女性の長旅ともなれば、護衛の者は必ず必要です。わたくしは馬の扱いなら、誰にも引けをとりません。万が一の時でも必ずお役に立てるかと」
「妾の心配までしてくれるか。だがこれは危険な任務じゃ。妾とそなたが共に倒れる事があってみよ、それこそ取り返しがつかぬぞ」
「心得ております」
「マリア殿、そなたの亭主は、こんな勝手を申しておるが、そなたはそれで良いのか」
「殿がそう申し上げた上は、それは必ず必要な事。わたしに異存はありません」
「そうか、困った夫婦じゃな。あい分かった。フィル殿を王都まで伴う事は約束しよう。但しその先、ジョセフィーヌと会えるかどうかは、彼女が決める事。妾とて保障は出来かねる。そこは承知しておいてほしい」
こうして俺とニキータの王都行きが決まった。
ニキータ様は馬車で、身の回りの世話をする侍女を1人伴い、他に御者1名、護衛の若い騎士を2名同行させるそうだ。俺はもちろん馬に乗り、配下の2名を伝令兼護衛として連れていく。総勢8名。この身分の貴婦人が移動するには、少なすぎる人数だ。しかも途中で治安のあやしいトリイ伯領を、まともに通り抜けなければならない。
その危険は百も承知だ。しかし俺は、ジョセフィーヌという女への興味を、抑える事ができなかった。興味といっては語弊があるかも知れないが、俺が同席したところでなにか結論が変わるという事はないように思える。それでも俺は彼女に会ってみたかった。この女を見極めない事には、この先起こるであろうどんな問題も乗り越えられない気がした。だからこれは、純粋な興味という他に、置き換える言葉がみつからない。俺はその興味が赴くままに、王都へと旅立った。
次回「ジョセフィーヌ」
いつもお読みいただきありがとうございます。
風邪?により寝込んでおります。
お盆明けの再開を予定しておりますので
しばらくお待ちください