馬引きの里
はじめまして 物語の世界へようこそ
*(前段) 長老の話 *
わが家の家系図をさかのぼると、この一番上、フィルという人物につきあたる。
馬引きから身を起こして、伯爵まで上り詰めたとされる、有名なお方じゃ。生まれた年も場所もはっきりせん。ただ若い頃、馬引きをしていた事は確かだ、と伝わっておる。
のちにフィルの護衛として『猛牛』の異名で知られる、ドルテ卿の話として、
《・・・ある日都の市にいくと、えらい人だかりで、歓声というか黄色い声が響いてくる一角があった。
「美女の舞か猿回しか、何か面白い見世物でもやってるのだろう」と思い、見に行った。
すると、小柄で見目麗しい若者が、馬の背で逆立ちした上、片手を離して手を振り、愛想を振りまいている。
それを見に集まった市場の女どもが、あられもない声をあげて、立騒いでおるのだ。
しかもその若者に、なにやら見覚えがある。近づいてよくよくみれば、若様ではないか・・・》
これは『ドルテ卿昔語り』という本の一節で、この若様というのがフィルじゃ。
この本はドルテ卿が晩年、子どもらに語った話を、後世の者がまとめたとされる。だからあやしい部分も多々ある。
例えば、若様という呼び名からして、変じゃ。そこらの馬引きの子を、若様とは呼ばぬ。
これは後世の者がそう書いた、とでも思う他ない。だがそれを差し引いても、フィルという人物の若かりし日の姿を、後世に伝える貴重な資料なのじゃ。
*(本編 第1話)1.都にて *
「なぁ、ドルテ、わかったから機嫌なおせよ、そんな怖い顔でにらむなって」
「睨んじゃいねぇよ、これは地だ」
「もしかして腹へってる? なんか食ってこうぜ」
「食い物なんかじゃつられねえぜ、だいたい今日は、都の偉い先生の所で、兵法の手習いのはずじゃぁ」
「それがさぁ、兵法とかもう、へぇ~ほぉ~って感じでさぁ」
「・・・」
寒いダジャレで悪うございました。
だからって、黙りこむなよ。
「ドルテならわかるだろ、昼間っから、あの先生の退屈な話を聞くだけの、苦行というかなんというか。あっ、それにそう、俺きのう院長に呼ばれたんだけど、何の話だと思う?婿入りよ、婿入り」
「ほ~ぉ、それは結構なことで」
「全然結構じゃねぇし、なんでもマッパラ伯の孫とかで、なんたらって村の騎士の娘らしいんだけど。マッパラ伯領よ、知ってる? ナンタン山脈の麓の。漢字だと『南の端』と書いてナンタン。」
「あ~」
「早い話がド田舎じゃん。俺まだ12才よ、12。こないだ下の毛が生えそろって、子種がでるようになったばっかなの。マッパラ伯領とか、あんまりじゃねぇ? 俺はもっと都で遊んでさ、女の子にキャーキャー言われたい訳よ」
「それで馬の背に乗って、片手倒立なさったと」
「それな・・・」
嫌味がきついぜ。そういうお年頃なんだよ。悪かったな。俺は話題を変えた
「そんな事よりよぉ、そっちはどうだったんだ? でかいヤマだったんだろ?」
「しっかり暴れてきやしたぜ、誰かさんの分までよ、空荷だけどな」
「今年は不作だからなぁ、仕方ないさ。
『税は送った、でも賊に襲われて届かなかった』
って事にでもしねぇと、納めるものがないんだろ。まぁ、どっからかは知らんが、報酬もでるらしいし」
「そうよ。北の方なんてなぁ、そりゃひでぇもんだったぜ」
「大婆様の話じゃ、来年はもっと寒いってよ。なんでも太陽神様がお昼寝してるとかで、日は射さねぇのに、雨も降らねぇ、南は多少マシって話だけどな」
「なるほど、それで南へ婿入りって訳か」
勘のいいガキは嫌いだね。話が元に戻っちまったじぇねぇか。
「まぁそんなとこだ。『兵を育むなら南へ』とか抜かしやがって、訳わからん」
「それで、行くのか?」
「なに他人事みたいな顔してんだよ。ドルテもいくの、一緒に」
*2.帰り道 *
俺たちはその後、都の市で飯をすませた後、里へ帰った。
大飯くらいのドルテは、結局一銭も出さなかった。芸人の真似までして稼いだのに、俺の銭入れはスッカラカン。
それでもまだ食い足りない感じのドルテを、宥めすかして、南へ4時間ほど歩き、里の前の船着き場にたどり着いたのは、夜遅くだった。
街道から河ひとつ隔てた向こう岸にあるのが、俺たち住む『馬引きの里』だ。
そこは聖パオロ寺院の門前街で、四方を塀で囲まれ、大門の前には、大きなかがり火が見える。この時間も行き交う渡し舟は、たいそうな人出でごった返していた。
門をくぐれば、女たちが春を売り、男たちが博打に興じる小屋が立ち並び、白粉と、男たちの汗と飲む酒、それに灯明の油の臭いが入り混じった、むせ返る臭いがする。
夜というのに里は明るく、どこからともなく聞こえてくる、鐘や太鼓に笙の音、女が客を引く甘い声、時折響く喧嘩の声に、割れんばかりの笑い声。
それらすべてが、ここにしかない空気を醸し出していた。
「『馬引きの里』と言っても、馬はいねぇんだよな」
俺は、考えていた事が、口に出ていた。
するとドルテが、あきれた風に、
「いっぱいいるだろ、対岸によ。馬は街道沿いにいた方が便利だからな、いちいち舟になんざ乗せてられるか」
「馬のいない『馬引きの里』にすむ、賊に襲われることがない馬引きとは、よく言ったもんだ」
「河のこちらは寺院領、お役人様立ち入り禁止、悪い奴らはみんな友達ってな、いい里だぜ」
「オイ、フィル、親方が呼んでるぜ、いつもの酒場の座敷にいるってさ」
「わかった今いく、ドルテすまんな、ちょっと行ってくるわ、明日また頼むぜ」
*3.座敷にて *
俺は里の一番奥、喧噪も絶えた静かな一角にある、酒場へと急いだ。
酒場の二階は座敷になっており、通りを見下ろす突き当りの部屋は、俺の育ての親『ベン』の、ほとんどねぐらというか、常宿と化していた。
「親父、ただ今戻りました」
「おぉ、遅かったじゃねぇか、どこほっつき歩いてんだ」
「今日は都でほら」
「あぁ、院長も余計なことばっかり増やしやがって、おめぇもてぇへんだなぁ」
顔を上げふと横を見ると、里の年寄衆がふたり、親父と向かい合って、酒を飲んでいるのが見えた。
「おっと、挨拶が遅れました。酒屋の伯父上に、花屋の叔母上まで。今日は寄合の帰りで」
「まったくご挨拶だよ。その叔母上ってのは止めろと、何回言ったらわかるんだい。姉さんだよ、姉さん。ほら1回呼んでみな」
「しかしながら、そう呼ぶのは、年寄衆の方のみとか」
年寄というのは、里の奥にある寺院の院長に、どえらい金を積んで買う地位の事だ。これを買うと、里の切り盛りや揉め事の仲裁など、里の政を決める寄合に参加でき、年寄衆と呼ばれる。
年寄衆同士で、相手が先輩の場合は、『兄貴』とか『姉貴』と呼ぶことがある。後輩の場合は、名前で呼び捨て。俺たち若い衆同士が、相手を『兄貴』と呼ぶ事があるのと一緒だ。
そして俺たち若い衆は、自分の親分以外の年寄衆の事を、『叔父上・叔母上』と呼ぶ。
ちなみに年寄衆の代表は、『大年寄』とか『里の首領』と呼ばれる。ただし、年寄衆の長男格という立場で、年寄衆を、自分の若い衆のように、扱う事はできないという話だ。
ここで花屋の叔母上が、ぶっこんできた。
「それじゃぁねぇ、あんた、あたしんとこの上の娘と親しいんだろ、何て呼んでるんだい?」
「リコちゃんと」
「それじゃぁ、あたしはサヨちゃんでいいよ。サヨちゃんって、さぁ呼んでみな」
「ウウゥ気色悪い。まったく酒が、まずくなるだろが。おいフィル坊、女ってのはなぁ、幾つになっても、年上なら、全部姉さんだ。わかったか。どんな糞ババァでも、全部だ」
「誰が糞ババァだい、まったく」
「勘弁してくれよ、これじゃぁまとまる話も、まとまんねぇじゃないか」
叔父上と叔母上が、言い争いを始めた。うちの親父はボヤくだけ。まぁいつもの事だ。しばらくすると、花屋の叔母上が、急に思い出したかのように、俺の方へと向き直り、言った。
「あぁそうそう、フィル坊、婿に出るんだってねぇ。めでたい話さ。ところでお前さん、筆おろしの方は、もうお済みかえ?」
ゲフンゲフン
「だから、おめぇんとこの、女郎なんて、あてがった日にゃ、どんな病気、もらってくるか、わかんねぇだろって、言ってっだろが」
「そこはちゃんとした生娘を用意するわよ。でもね、あたしんとこの生娘はねぇ、一味違うよ。穴の方は生娘でも、他の手練手管は、あたしが撚りをかけて仕込んでるからね。黙って寝てればあら不思議、天国まで無事ご到着って寸法さ」
急に言われて、咽ちまったが。
でもまぁ、当たり前と言やぁ当たり前の話かも。
騎士のお嬢様を前にして、
『わからないから教えてください』
とは、言えねぇからな。
その前に一回やって、手順とやらを、覚えないといけねぇ。
そこまではいい。
ところがここでもう一発、叔母上が、ありえねぇ話を、ぶち込んできやがった。
「それとも何かい、そんな怪しい生娘はおイヤかい? それならそれで、何も知らない正真正銘の生娘だって、ご用意してるよ。それが丁度いい娘がいるんだよ。リコっていうんだけど」
グホッ
俺は即死だった。
そこに追い打ちとばかり、叔母上が、死体蹴りを繰り出す。
「あんたが将来、リコを妾にでも貰ってくれるってんなら、慶んでおつけするよ」
*4.特別な部屋 *
すったもんだの話の末、
俺は結局、リコを選んだ。
最初くらいは、好きあった者同士がいいというか、なんというか、まぁそういう事だ。
花屋の叔母上は、
「あんたも好き者だねぇ、大物になるよ」
だとさ。てめぇから言い出しておいて、よく言うぜ、まったくよ。
一方、酒屋の叔父上は、
「俺なら、こんなぶっとい紐付き、御免こうむる、クワバラクワバラ」
とか抜かして、さっさと退散しやがった。
どうせ自分の娘でも、あてがおうとしてたくせに、あのドワーフ野郎。
初手からドアーフの娘じゃ、難易度が高すぎるだろうがよう。
そんなこんなで俺はいま、花屋の宿の離れにいる。特別な客にだけに使う、特別な部屋だ。
そしてリコちゃんと、仲良く並んでお布団の上、何も言えず、ただモジモジしてるって訳だ。
それにしても、このお布団ってのは、すげえもんだ。中に綿がつまってるとか。
さすがは特別室。
俺もはじめて見たが、ふっかふかだ。冬に着りゃ、そりゃぁ温ったけぇらしいが、残念ながら今は夏だけど。
わざわざ、ひっぱり出して来たのかな?
ちなみに当然、『花屋』は花屋ではなく、芸妓を置いた宿屋だ。
ついでにいえば、『肉屋』って名の鍛冶屋もある。肉屋の倅が親父の包丁を作ろうってんで、鍛冶屋に修行に行ったはいいが、修行が終わる前に親父がオッチンだ。それで肉屋はなくなり、『肉屋』という名の鍛冶屋ができたって話だ。
どうしてこうなった・・・。
ハァ、リコちゃんかわいいよなぁ。これでふたつ年上なんだよなぁ。真っ赤になっちゃってさぁ、可憐とかお淑やかなんて言葉が似合う娘なんて、この里で他にいると思う?
ヨシ、そろそろ、気合い入れるかぁ。
2024/07/08 全面改稿 改行を増やし、文体を改めました