男爵令息として②
病魔が消え去り、数日経ったがショウも両親もあまりに唐突な奇跡に未だに信じられなかった。あんなにも苦しみ、どんなに手を尽くそうにも効果がなかった為により実感がわかない。
これこそ都合の良い夢なのかもと疑ったが、ようやくその奇跡を受け入れる事が出来た。
朝の陽ざしの心地よさに感謝を出来るなんて、どれだけ久しい事か。
起き上がる事さえ苦痛であったショウには、陽の光すら祝福に思えた。
「ああ、ああ。なんて素晴らしい光景なのかしら。
ショウとまた、共に食事をとれるなんて。
さあ、ゆっくりと、たんとお食べなさい」
「母上。私はもう、子供ではないんですよ」
「ええ、ええ。勿論分かっています。
でも、とても嬉しいのです。この奇跡に、神に感謝をしなければ。
ショウ、あなたもよく頑張りましたね。
母に、もう一度こんな幸せを与えてくれて、ありがとう」
「母上……」
涙を流し、喜ぶ母の姿にショウの心も締め付けられる。
こんなにも優しく、愛をもっていた母を、自分は一体どれだけ不安にさせたのか、
今更ではあるが愚かな行為を改めて反省する。
「さあ折角用意してきれた食事が冷めてしまうよ。
ありがたく頂こう、これからはゆっくり何度だってこの幸せを
噛みしめる事ができるんだからね」
「ええ、ええ! そうでしたわね。明日はショウの好物を沢山用意しましょうね」
穏やかな時間、穏やかな空気、穏やかな家族。
なんて心地の良い場所なのだろうか。
けれど。
けれど、ショウの心は、どこかふわふわと浮いていた。
こんな幸せでずっと願っていた日常なのに、どこか心は違う所を向いていた。
あんなに幸せに笑う両親よりも、ショウの脳裏には強烈にあの少女が焼き付いていた。
桃色の魅力的な瞳を輝かせ、ふわりと魅力的な匂いを纏った天使の様な少女。
あの天使が助けてくれなければ、きっと当たり前の日常を噛みしめる事さえできなかった命の恩人にショウは心を傾かせていた。
今目の前で笑う両親よりも鮮明に心に、頭に、そして瞳に思い浮かべられる程に。
優しい笑みを隣で見られたら、どれだけ幸せだろうか。
隣にいてあの微笑みを向けられる、そんな事を思い描くだけで胸は高鳴る。
これは知らない感情だった。
胸が、どくどくとまるで、あの病魔に蝕まれた時のように苦しい。
けれど、不快感はない。
知らない感情に、ショウはただ困惑するばかりだった。
〇〇〇
「今日からお世話になります。ステラです」
それは唐突に叶った。
あの時の少女が、あの時の天使が、いま目の前で微笑んでいた。
「ショウ、今日から養女となるステラだ。
彼女の家は今大変でね、理解が出来る齢になればいずれ説明するが
今はとにかく新しい家族として仲良くするんだよ」
「まあ! あなた、あの時の男の子ね! よかった、元気になって。
家の用事があるから、あれ以降会えなかったから、
ずっと会いたかったのよ。ふふ、でも今日から家族だから
ずっと一緒にいられるのね。おかしな事言っちゃったね」
ずっと会いたかった。
その一言はショウが一番言いたかった言葉だった。
そして、ようやく心にできた『欠けた何か』を知れた。
少女の、ステラという少女の笑顔、声、その存在そのもの。
いままでほんのりと色がついたその世界が一気に色彩が戻る。
一番鮮やかに映された少女を輝かせた世界が、ようやくショウの目に映った。
ステラ。
それが天使の様な優しさを見せてくれた少女の名前。
輝くような笑顔がショウの心を離さない。
いつか、だれかと共に笑いあった記憶よりも、ずっと強烈に。
ただ隣にいるだけで胸が高鳴る、そんな存在は初めてだった。
それはあんなに熱心に読んでいた本よりも、ずっと。
誰よりもずっと、ショウの世界で一番輝いていた。
〇〇〇
「ショウ、さま……? その、その方は……」
呆然と立ち尽くしていた少女にショウはようやく気が付く。
黒い髪も、黄色の瞳も、なんだかぼんやりとして、地味で、その声にも反応は鈍い。
まるで声をかけてくれるのを待っているようなその少女に呆れたようにため息を漏らす。
「一体何の御用でしょうか、ヤアメ子爵令嬢。
私はこの通り、忙しいのです。
また後日日を改めて貰えませんか。お引き取りを」
「え、でも、あの、元気になられたからと、やっとお茶会を再開できると、
ご連絡を頂いて、手紙も、ショウさまのご両親からですが、この通り日時だって」
縋るような、泣きそうな声にショウの心は苛立ちを覚えた。
元気になられた、その言葉にも苛立ちが隠せない。
そうだ、この少女は自分に何をしたと言うのだろうか。
元気になってから、会いに来ると言う心のない少女だ。
それまで会いに来ることさえもしなかったというのに。
「聞こえませんでしたか。お引き取りを」
青白い顔で涙をたっぷり溜めた少女はとぼとぼと寂しそうに帰って行った。
そうだ。さっさっと帰ってくれ。
苦しい時も、辛い時も、何もしてくれなかったじゃないか。
助けてくれたのは、今隣で笑ってくれていた義姉さまじゃないか。
「折角楽しんでたのに……お茶会なんて初めてだから、
とっても楽しかったのに、割り込んでくるなんて酷い人ね…。
それにショウが元気になったからって、元気じゃなかったら、
来なかったってことでしょう? とっても失礼だわ」
「……そうですよね、義姉さまもそう思われるなら、きっとそうなんでしょう」
いつかどこかで感じた笑み。
あれはきっと、自分の思い違い。
あれはきっと幼くて、分からなかったのだ。
ただ年齢が近くて、ただほんの少し領地が近くて、ただほんの少し。
ほんの少しだけ出会う時が違っただけで、僕の、私の、運命の人は。
心から愛する人は、違ったはずだ。
心から愛するのは。