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いつもならばにぎやかな声が響く邸はしん、と静かだった。

風の音、鳥のさえずり、木々の葉の音。

それらが鮮明に聞こえるのは何だか新鮮だった。

いつの間にか賑やかで、楽しい声が止まないパンジーの邸。

それらはあの愛らしい天使たちのお陰であるという事を痛感する。

なんだか寂しい気持ちがどんどん出てくるが、

これらはあの子たちの経験の為に必要な事だと言い聞かせ、『私』の普段通りに。

普段通りに過ごそう。

少しだけ物足りない朝食をとって、それから、それから、いつも通りに『私』の仕事を。


「パンジー。君に、聞きたい事がある。

 この後で私の部屋に来て欲しい。

 ……君たちは、部屋に近づかないで欲しい、いいね」

「…え…。はあ、わかり、ました」


かちゃん。

動揺して音が出る。

これはパンジーに対して申し訳ない。

彼女として過ごし、もう何年も経っているのに『私』は貴族としては

頑張っているリリアよりも遅れを取っている。

パンジーでなかったなら、きっと『私』は恥を晒していたに決まっている。

何時になく真剣な顔で、パンジーの旦那はそう言った。

なにか、なにか仕出かしただろうか。

リリアを愛するあまり、リクやカイより贔屓しているという苦言だろうか。

平等に愛すると決めていたのに、やはり推しに甘いのだろうか。

いやそれとも、無意識にパンジーの所作を飛び越えた『私』の品のなさが露呈して、

どこかの茶会で笑い者になったとか、そんな、まさか、苦手だけども。

それとも、秘密にしていたあのこと、とか。

そんな、まさか。

だって、あれは偽名だって使ったし、それに。

それに、あれは。


「なにか、したかしら」


心当たりがありすぎる。



〇〇〇



コンコンとノックをすれば、そこにいたのは勿論パンジーの旦那だ。

品の良い調度品に囲まれた書斎、いや執務室というのだっけ。

アンティークと言うのは『私』の感覚できっとここでは新品というか、

比較的新しくてこれから色んな人に愛される家具たちなのだろう。

ああ! なんて美しい空間なのかしら。

いい資料になりそうで、瞳がカメラとかスクリーンショットでも撮れたらいいのに。

きょろきょろ見渡していると我に返る。

しまった。こんなのはきっとパンジーの取る行動ではない。

ゆっくりと振り返れば、そこにいたのはいつもの穏やかな瞳が消えた男性。

体が強張る。

あんなに笑みを絶やさず、穏やかな言動をした男性の光が消えた瞳が

こんなにも恐ろしいものなんて。


「………今から聞こうと思ってた事の答えが出たよ。

 もっと、もっと早く言えば良かった。

 



 あなたは、誰なんだ。パンジーは何処だい」








ついに、ついに、来てしまったその時に。





『私』は目を閉じた。






〇〇〇




伊原 詩織。

またの名を端子。

画面の端の方で輝いていたリリアを愛した名もなきオタク。


それが『私』。



それ以外にも何かしたけれど、正直覚えていない。

授業の合間に、放課後に、学校から帰っても、休みの日も

バイトの合間の暇な時も、忙しい時の現実逃避の時も、

仕事の嫌な時も、帰る時も、帰宅してからだって、私は。

私は、いつだって推しと一緒。

輝いたたった一瞬を噛みしめて、そうして、ずっと生きてきた。

沢山の推しがいたけれど、その中でも一番はリリア。

誰がなんと言おうと、モブだって言われてもそれは変わらない。

リリアが、どうしても、私の心を掴んで離さない。

理由なんてない。

私が好きだから、推す。それだけだ。

グッズが無ければ、なんだって作った。

無いならば、描いて、描いて、作って、そして愛する。

公式じゃないグッズは不格好だけれど、愛は沢山詰め込んだ。


どんなに愛しても、応援しても、リリアに私の声は届かない。

好きだよ、愛しているよ、幸せになって。


幸せに、私が、してあげるのにって何度叫んだか分からない。

どこにもない、笑顔のあのこを描いては泣きそうになって、こうなればいいのにと

いつもいつも独り言を投げる繰り返し。

ただの自己満足。

それでもいい。


だってあれは物語。

あの世界を楽しむ読者の一人。

けれど、それを愛する人たちを沢山知っている。

ひとり変わっていると思っていたけれど、周りはいいねと言ってくれた。

こそこそと描いていたものが誰かに星を、ハートを送られた。

たったそれだけで、リリアを愛する人がいると嬉しかった。

それだけ。

たった数個でも、私には大喝采だった。


そんな変わらない毎日。

いつものように何気ない言葉にいいねを送って、そうしていつも通り原稿を、

趣味の絵を描いて息抜きして、そして原稿をして。

そうしたら美味しいものを食べよう。

そんな、何も変わらない日々がこれからも続くと思った。

そんな日々は突然、終わりを告げた。



ぐらり。



世界が、まわって。






「エッ、うそ、違う、人!? ち、ちがう、ちがうっ」



バタバタと駆け出した焦った声。




『ねえ、どうしたの!? ねえ、聞こえる? ねえっ!?』





遠く、遠くとおくなっていく声。





ああ。

何で忘れていたんだろう。

素敵な日々に『私』が勝手に逃げ出した。

忘れたい。

こんな素敵な場所を失いたくない。

ずっとずっと願った幸せにできる立場を手放したくないからと。

そうやって、現実から逃げたんだ。

パンジーには、大切な人がいたというのに、『私』は勝手に。





〇〇〇




「つまり、君はパンジーではなくてどこか別の世界の人間だと言うのか」


覚えている事を全て話した。

それでも、突き刺さる様な冷たい言葉。

当たり前だ。

この人はパンジーの大切な人。

それなのに、『私』は勝手にパンジーに入り込み、そして成りすましていたのだ。

嫌悪感しかないだろう。

リクやカイだって、得体のしれない人間が張り込み母として振る舞っていたなんて

きっと蔑視とかそんな目で見られた日には、もう耐えられない。

リリアだって、嫌だろう。

成り代わりが露呈した者の末路なんて、それはもう……。



「……すまなかった。長い間、隠し事をさせてしまった。

 本当ならば、もっと早く切り出すつもりだった。

 だが、母はあなたの、パンジーが明るくなったと喜んで、

 私も、母親になれば強くなるものだと周囲にも言われて、そう納得していた。

 それに、パンジーが別人だなんて、リクやカイ、それにリリアを悲しませると思って。

 配慮のつもりだった。

 だが、逆にそれがあなたを苦しませていたのかもしれない。

 もう一度謝らせてくれ、申し訳ない。

 貴方からしてみれば、愛した物語の世界で見知らぬ男が旦那を名乗り、

 そして婚姻をした後で、逃げることもできぬ身で本当の事も言えない。

 辛かっただろう、いはら、嬢でよろしいか」

「え……、なぜ、なんで、謝るのですか…。

 だって、だって、私は貴方の奥様であるパンジーを、

 あっ、いえ。パンジーさんに成り代わって、その様に振る舞って、

 騙していたのに、なんで……」


予想もしてない言葉だった。

だって、『私』はパンジーに成り代わり、そうして、自分の欲望を満たそうとした。

どうしたって達成できないことを、自分の欲望のままに過ごしていた。

そんなの、身勝手な自称ヒロインと大して変わらない。なのに。



「……たしかに、あなたはパンジーではない。

 けれど、あなたはいつも私たちを想っていてくれた。

 特に子供たちに対しては本当に、大切に愛を注いでくれた。

 それは、間違いない真実だ。

 今だってこの家を仕切っているのはあなただろう」

「そんな、そんなのはパンジーの知識や品性のお陰であって、『私』は」

「そうだとしても、子供たちを想ってくれたのは本当じゃないか。

 あんな事、偽物だと気づかれない為だけに出来る事ではない。

 あなたは、いつも真摯に向き合い、いつも真剣に生きていた。

 私はあなたに憎しみなど向ける気はない。

 この事を誰かに話す事もしない。

 ただ確認がしたかった。

 これ以上隠し事を続けてもお互い苦しいだけだからね」


パンジーごめんなさい。

いつもいつも、旦那なんて他人行儀な態度であなたの大切な人に

一線を引いて、避けるような事をしていて。

あなたの、大切な人なのに。


「私はウィリアム。ウィリアム・プランタ。

 ……なんだか、可笑しな感覚だが、どうかこれからも

 ここにいて、皆の母親で居てくれないだろうか」


照れたように手を差し出す目の前の男性は、きっとあなたが選んだ大切な人。

まだ分からないけれど、いつか、きっとあなたがもう一度出会える様にするわ。

だから、だから、それまで、それまではあなたの名前を名乗らせてほしい。


「居させてくださいっ。やらせてくださいっ!!

 『私』はパンジーの代わりは出来ませんが、

 あの子たちを幸せにしたいんですっ」



その手を取った、その時。






「大変ですっ! リリアお嬢様がっ、モモナお嬢さまと共に行方不明だとっ!」





二つの声が重なった。

『私』の気になる事は後回し。

今は、それどころではない!

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― 新着の感想 ―
本当のパンジーがあまりに可哀想だ。 この主人公結局全部自分自分自分なんだよな。 子供の為でもリリアの為でもなくて、自分が望む通りになりたいだけ。 この人の自己満足でリリアは確かに救われたでしょうが、の…
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