男爵令息として①
「僕はいつか、この男爵領を治めなくてはならない。
体が弱い僕は、きっと君に迷惑をかけてしまう。
それでも、この男爵領をよりよくして、守っていきたい。
君と、共に守りたい。共に、歩んで欲しい」
小さな手を差し出して、その手は同じような小さな手が包む。
美しい黒髪の少女は、頬を赤く染めながら小さく頷く。
寝具の上でそう言葉をかけた少年も、ほんのりと赤く染まる。
ちいさな少年と少女の強い決意が結ばれた日だった。
少年は豊かな男爵領の嫡男だった。
他と比べても裕福で、暮らしに困ったなんて言う事は気になった事もない。
優しい両親、優秀な使用人、そして大切な領民たち。
穏やかな領地と、政略であったとしても心から信頼できる婚約者。
何もかも恵まれた生まれである少年にはただ一つだけ問題と不満があった。
それは、自身の体の弱さだった。
咳が出る、熱がある、体が痛い。
そうわかりやすく出てくれれば、諦めがついただろう。
けれど、そんな症状は何一つない。
ほんの少し動いただけで世界はぐるぐると周り、意識がなくなる。
それに名前がついていれば、どんなに楽だっただろう。
どんな名前の病気なのか、どんな病状なのか、どんな薬が効果があるのか。
何一つ分からず、ただただ寝具の上で一日を過ごす。
そんな日々であったが、少年はいつかきっと治ると信じていた。
未来を信じて、勉学を、努力を怠らなかった。
少年、ショウはいつの日か男爵を継ぐ事を諦めたりしなかった。
それはそんな自分の決意を優しく支えてくれたちいさな手。
温かな手がショウの不安をほんの少し和らげてくれた。
はにかんだその笑みに、ショウもきっとこの人ならばと互いの手を取った。
美しい黒髪にお月様のように優しい瞳。
たとえこれが政略であっても、きっとこの人となら。
〇〇〇
ショウのそんな決意とは裏腹に、彼の体調は良くなる事はなかった。
むしろ、より悪くなるばかり。
窓から外を眺められるならまだいい方で、大半は起き上がる事もできずに寝る事しかできない日々が続く。なにも、なんにもできないそんな空しい日々が続くばかり。
勉強もできない、両親の役にも立てない、この男爵領の為にも尽力できない。
そんな空しい生き方しかできない。
悔しくても、苦しくても、声を上げて泣くことすらできない。
ショウは生きる意味を無くした。
何も出来ない自分にこれから生きる意味なんて、生きたいとすらショウは思わなかった。
ならば、もう終わらせてしまおう。
自分がいなくなれば、父や母を悩ませることなんてない。
自分がいなくなれば、何もかも良くなる。
優しい婚約者だって、自分は重荷にしかならない。
自分より、良き相手がきっと。
ショウの心に希望なんてもう存在しなかった。
誰にも見つからない場所で、天にこの命を、大地にこの体を捧げよう。
誰にも見つからない場所で、誰にも気づかれない場所で、ひとりで朽ち果てよう。
けれど思うようにいかなかった。
寝てばかりしかできない生活では、体力の限界は早かった。
体は動かない。
足も動かない。
苦しい。
息が、息ができない。
こんな所で倒れたら、父と母に、醜聞になってしまう。
それもできずにのたうち回るしか、できない。
ショウは、自らを嫌悪し、憎みながらその意識を手放した。
最後に脳裏に浮かんだのは、父と母と、優しい使用人たちと、そして。
穏やかに笑った、美しい少女。
キツバ、どうか、幸せに。
聞こえるはずもない少女にそう、言葉を送ってショウは力尽きた。
「みぃつけた」
そんな力無く倒れる幼い少年を見下ろして、少女が口元を歪ませた。
〇〇〇
「ああ、ショウ。よかった、よかった…!」
目が覚めるとショウは驚いた。
泣きながら自分を抱きしめる両親に、信じられないと呟き興奮している医師と教会の魔術師たち。周りを見渡してもそこは、嗅ぎ慣れたにおいの覚えのある場所。けれどショウは周囲の雰囲気は全く分からなかった。
自分はたしかにあの時、倒れた。
けれど、自分は。
「いきて、いる…」
不思議だった。
いつもならある不快感が、まるでない。
いや、そんなものは存在しないという程になくなっていた。
感じたことのない感覚にショウはただ戸惑うばかりだ。
「ええ、ええ。そうよ、貴方は生きている。
ああ、なんて素晴らしい奇跡なのかしら。
なんて、なんて……っ」
ぼろぼろ泣きながら、抱きしめてくれる母に言われ顔を上げれば、父も頷く。
「ああそうだ。素晴らしい奇跡だ。
助け出してくれた上に、病魔まで消し去ってくれた。
ほんとうに、本当に、奇跡としか言いようがない……」
病が、消えた。
その言葉に、ショウは驚いた。
あちこちの名医に、あちこちの教会の光魔法つかいでも何も分からなかったのに。
そんな自分を、自分の苦しみを無くしてくれた。
更に無様に倒れた自分を助け出した天使の様な人がいると教えられ、ショウは心がざわつく。
感じたことのない感情が、体を駆け巡る。
「まあ、よかった。もう良くなったのね」
明るい声が聞こえた。
花が咲いた様なその笑みに体が熱くなる。
ふんわりとした茶色の髪にはあまりに目立つ桃色の瞳。
だが、それが少女をより輝かせていた。
きらきらと輝く彼女は、あまりにも眩しかった。
まるで、それは、舞い降りた天使の様でショウはもう少女に釘付けだった。
周囲の色を奪う程に輝く少女。
その時、ショウの世界は天使ただ一人が鮮やかに映る様になった。




