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リリアが幼いころに病に倒れ、そして間もなく天国へ旅立ったリリアの母親。
設定資料集でも、たった一行でしか語られない母親の顛末だったが、この世界ではそんな一行では片付かない事態になっていた。
ゲームやノベライズ、コミカライズでは病弱な母と描かれ、父親についても少し弱気な男性と言うのが多かったが、この世界ではまるで違っていた。
数年前までのリリアの母親リンドゥーラはそれはそれは素晴らしい健康体だった。
どれくらいかといえば、幼いリリアと共に広い中庭できらきらと輝きながら追いかけっこするくらいには健康だった。リリアの母親と言う事でとんでもない美人さんが幼くとも清楚で品のある我が推しリリアと仲睦まじく駆け回っているなんて素晴らしすぎて声が出なかった。
そしてご飯だって素晴らしいマナーと共にぱくぱく召し上がっていた。
そう。リリアの母親は至って健康で、病弱なんて事はなかったのだ。
あまりに違う姿に驚いたが、ここはゲームなどと違って皆が生きる普通の世界。
たった一行で片付くわけなんてない。
そもそも脇役だからってとってつけたような設定で片付けていい所ではなかった。
だが、そうなると私は今、目の前の光景が不思議でならなかった。
今、私の目の前にいるのは色褪せた銀髪にすっかり肌が青白くなったリンドゥーラの姿だった。
数年前まで楽しく駆けていたなんて信じてもらえない程に痩せてしまい、彼女は床に伏せていた。
誰が見ても分かる程に衰弱した彼女の姿を私はまだ受け入れる事ができない。
どうして、こんなにも急に彼女が体を悪くしなければならなかったのか何も分からない。
病気が流行るなんて事もなかったし、体が弱いなんて今更寝言だとしか思えないし、何故こんな事になっているのか本当に何も分からなかった。
絵画の様に美しかったあの姿、あれは私の見た幻だったとでも言うのだろうか。
「ああ、パンジー。リリアの相手をしてくれてありがとう。
私はこうだから、あんまり話せなくてね……」
「それは、いいのです。私、リリアと話すの大好きですので……。
あの、お義姉様……一体どうして、こんな事になっているのですか。
お体が悪いなんて、私、信じられなくて」
その言葉に、リンドゥーラは俯く。
ほんの僅か考えると、私を見つめて、静かな声で言った。
それはあまりにも衝撃で、言葉を失った。
「毒、ですって」
「……そうなの。ふふ、笑っちゃうわ。
私、仕込まれたのも知らずに呑気に食べていたなんて」
「笑いごとではありませんわ!」
ふつふつと怒りがこみ上げる。
仮にもここは乙女ゲームの世界だ。
他よりもずっと難易度が低くて、ご都合主義なんて馬鹿にされるくらいには緩い難易度で、一番悪い事をしていたライバルキャラのアイローズだって嫌がらせは未遂に留まっているのに。
それなのに、脇役の女の子の母親が毒を摂取させられて衰弱死待ったなしとはどういう事なのか。
手が、体が、震える。
「どうして、そんな」
言葉は途切れ途切れにでるばかりだった。
ただ病弱であった方が、良かったなんて思いたくない。
もっと早く気が付ければ、リリアは母親と末永く幸せに暮らせたはずなのだ。
私が薬や腕のいい医者をピックアップしている間に、とんでもない事になっていた。
勝手に病弱だと思い込んで、なんて失礼なのだろうか。
「あの人、最近懇意にしている人がいるらしいの。
愛人は貴族として仕方がないけれど、どうもそれでは満足しないみたいね」
「なんて事を! 早くご実家へ帰りましょう!
いいえ! わたしの家に、リリアと共に避難しましょう!!」
リンドゥーラの手は冷えていたが、そんなの気にせず握り、そういうが彼女は少し困った様に微笑む。
「嬉しいけどそれはパンジーの立場が悪くなるわ。
何かに感づかれたと、嫌がらせを行うかもしれない」
「そんなの受けて立ちますわ! 子供には母親が必要ですのよ。
リリアにはあなたが必要なのです!」
リリアは母親を弔ってからというもの自室にこもり、泣いてばかりの生活だった。
父親は可哀想に思った為に、新しい母親を用意した。
なんて、前から思っていたけれど、母親は物じゃねえわと突っ込むべきだった。
シンデレラだって同じような流れで、継母と義姉たちに虐め抜かれていたじゃないか。
そしてそれは全く善意じゃなかった。
ただ単に父親が、自分が愛した人と結婚する言い訳にリリアの純真な心が利用されているじゃないか。
そんなに愛する人と一緒になりたいなら、貴族である事を捨てて今すぐ家を出ろ!!
…なんて口にすれば、私はパンジーの人生を台無しにしてしまうのだろう。
ああでも言いたい。
目の前で邪魔だからなんて理由で死にかけている人も助ける事もできないのに。
とんでもない理由で奥さんを殺そうとしている人間を張り倒す事もできないなんて。
どうしてリリアの周りはこんなにも過酷なのか。
いや、もしかして私が観ていたゲーム世界は都合のい所だけで、意外とクソ世界なのだろうか。
パンジーもそれなりに苦労していたのだろうか。
「ありがとう。そんなに怒ってくれる人がいるなんて
私はとても素晴らしい義妹に巡り合えたのね。
パンジー、私はそんなあなたにお願いがあるの。
リリアを、リリアを幸せにしてあげてくれないかしら」
「……え」
リンドゥーラの言葉に心底驚いた。
何故なら最初からそのつもりでいたから、改めてお願いされるとこっちが驚いてしまう。
「い、いいのですか」
「あなたしか頼めないわ。
リリアも懐いているし、きっと貴方なら大丈夫。
それにあの人に任せたらリリアがとんでもない目に遭わされそうで、怖いの」
その勘、当たってますお義姉様!!!
本当にとんでもない事になりますって言いたいがそんな事を言ったらそれこそとんでもない。
ただでさえ体が悪いのに、心まで壊しかねないし、まず信じてはもらえないだろう。
「でも、せめて、ここよりうちの屋敷にきてください。
きっと今より楽になりますわ」
「パンジー、あなた優しいのね。
でも、体が思うように動かなくて、きっと迷惑だわ」
「そんな事ありません!
焼け石に水であっても、きっと今よりマシになります!
それにリリアに元気な顔を見せてあげて欲しいのです。
最近会っていない、と寂しそうにしていましたから」
「そう、リリアが」
会いたくても、きっと見られるのが嫌だったのかもしれない。
弱り切った自分の姿が彼女も嫌なのだ。
大人な私は言葉にするのを躊躇うが、子供にはそれがない。
遠慮のない言葉はより深く突き刺さり、現実だと知らしめることになるのを避けたかったのかもしれない。
けれど、今、ほんの少しでも変えられるのはここだ。
「……パンジー、ほんの少しお邪魔するわ。
もしかしたら気分もよくなるかもしれないし」
「そうですわ! それがいいですわ!」
〇〇〇
リンドゥーラの姿を見たパンジーの旦那もそれはそれは驚いて、我が屋敷への招待を快諾してくれた。
唯一反対したのは、リンドゥーラの旦那でリリアの父親で、私の兄たるオレガノだけであった。
安静にしていれば治るだの、悪い病気だったらどうするだの、腕のいい医者がもうすぐくるだのと言っていたが、気分転換だと押し切ってリリアとリンドゥーラを連れて行った。
なにを狼狽えていたのかは、なんとなくわかっていたが、彼の問題に首を突っ込む気なんてない。
新たな母親ベルローズとその娘のアイローズとリリアを関わらせる気も勿論ない。
そこに関わらせなければ、リリアはあの物語にも関わる事もないだろう。
リンドゥーラはといえば、毒を仕込まれる事もなくなり、顔色はすっかり良くなったが、毒により蝕まれた体は回復する事はなかった。
結果もそんなに変わる事はなく、彼女はを天に召される事となったが、医師により毒物の摂取が明らかとなり、兄の顔色は随分と悪くなった。
リンドゥーラの意向により、真実は葬儀が終わり、改めてリリアの意志を聞いてから実家に伝えてほしいと言われているので、今はまだ報告はしていないが兄は気が気でないのだろう。
リンドゥーラの意向はリリアの意志。
それは、私に幸せにしてほしいといったリリアのこれからだった。
このまま私の家で暮らすか、あんな事があっても父の元に戻るか、それとも母親の実家で養女となるか。
もし、父を選んだら真実は闇に葬ってほしいと言われている。
本当ならずっと娘の成長を見られるはずだったリンドゥーラの願いだ。
推しであるリリアを幸せにするのはこの私だが、リリアが父親を選ぶのならば、それは、応援するしかないのだろうか。
嫌だが、絶対に嫌だ。
リリアを幸せにできるのはわたし、私しかいないのだ!
そんなうるさい心を抑え、私は出向く。
娘の幸せを願い続けた素敵な義姉の葬儀に。