お茶会のはじまり
ハイド子爵家の叔父夫婦という表現は直させて頂きました。
パンジー目線では全く違う意味になると気づきました
「では改めて自己紹介からいたしましょう。
今回は近しい者同士という事で礼儀作法などは
大目に見てくださると嬉しいわ。
わたくし、モモナ。モモナ・ハイド。
もちろんご存知ですわよね?」
桃色の髪を可愛らしいリボンで二つにまとめ、手入れの行き届いた美しい髪が風に揺れた。
ふわりと揺れる花のような髪に、つんと吊り上がった子猫の様な緑の瞳。
可愛らしく笑うその姿は愛らしさ満点。
そしてその隣で慈しむように見つめる黒髪の青年が優雅に微笑む。
「そしてモモの婚約者で婿となるのが私、クロバール。
今はクロバール・ロツメと覚えて欲しい。
いずれ私たちは結ばれるのだから、君たちとも親交を深めたい。
どうぞお見知りおきを」
黒い髪に茶色の瞳。一見して地味と映るその色だが、
クロバールの所作ひとつが生まれの高貴さを隠さない。
凛としたその瞳には決意と傍らで笑みを絶やさない愛らしいモモナへの愛が溢れていた。
「君が、カイ…カイ殿でよろしいか」
「え、そうですが」
カイに視線を向かせて、クロバールは少し戸惑いながら聞く。
「……い、いや。その、これについてはいずれ、いずれ二人きりで話したい。
怪我の具合を見て、またその機会を考えていて頂きたい。
その時に、またお伝えいたします。
私の個人的な事はここまでにして、次はヤアメ子爵令嬢。
お待たせして申し訳ない」
「…さ、先ほどは大変失礼いたしました。
淑女として有るまじき態度で、何を申し上げたらよいか……。
私、キツバと申します。キツバ・ヤアメ。
ここからそう離れていない子爵領の娘です」
泣き腫らした目で申し訳なさそうにそう言ったのは今まで涙を流していた令嬢、
キツバは美しい黒髪に夜空の月のような輝く瞳を持つ美しい少女だった。
ただ、今まで悲しみに暮れていた為にその瞼は赤く腫れ、少しでも抑える為に冷やした布を
当てられ、本来の輝きは曇っていた。
「キツバ。こちらの方はわたくしのお父様の伯母に当たる方の娘、リリアねえさま。
今はプランタ伯爵家の養女として、暮らされているわ。
そしてこちらのお二人はプランタ伯爵家のリク様とカイ様よ。
無理は言わないけれど、賑やかに過ごせばキツバの悲しみも軽くなると思って
わたくしの我儘で参加して頂いたの。
ねえキツバ。一人で抱え込まずにわたくしたちに話してほしい。
あなたの、本当の気持ちを」
緑の瞳がきらりと揺れる。
大きな瞳は不安そうに揺れて、どんどんと潤んでいく。
いつもなら自信に溢れた瞳と眉は凛々しく立ち上がるのに今は大切な友人の涙に
モモナの瞳もその涙をおすそ分けされたかのように今にも溢れそうになっていた。
そっ、と添えられた手は温かくて、でも震えていた。
〇〇〇
キツバの悲しみの原因。
それはモモナが話していたように婚約者からの心無い言葉と態度であった。
ほんの少し前までは病気がちではあるが、心優しい少年であったのにそれがある日一変した。
あれだけ長きにわたり少年を苦しめていた病は、きれいさっぱり消えたのだ。
それだけでも驚いたのに、更なる驚きはキツバの心を引き裂いた。
控えめなあの優しい微笑みを向けられなくなったのだ。
それは自分とは別の存在に向けられ、突如としてキツバは邪魔者として追いやられていくだけ。
元気になって嬉しくて会いに行けば、それよりも先に楽しそうにお茶会を開いており、
楽しそうに喋るその時間を邪魔したと怒りを向けられた。
これからは共に勉学に励めると喜びを隠せずに話しかけても、それよりもと断られ、
いそいそと学園から戻る義姉という命の恩人の為のお茶会の準備が先と帰らされた。
そんな日々が続くが、それでもいつか男爵という爵位を継ぎ、共にこの地を支えて欲しいと
そう語ったあの日の美しい思い出と婚約者の想いを信じたかった。
今は命の恩人に対して舞い上がっているだけだという励ましを信じ、いつか、きっとと。
ただ一人で勉強し、送るだけになった手紙を書いたり、キツバが一人でいる事にも慣れてきたある日。
あまりの所業にモモナは怒りくるっていた。
なんて酷い奴なんだと怒り、何度も突撃しそうなモモナを制していたがそれも限界を超え、
自分の親友に無礼な真似はやめてもらいたいとモモナは言い放つ。
だが、返って来た言葉は聞きたくない言葉だった。
我が家は裕福だと箔をつける為だけに用意された学び舎で、それは響いた。
「私の想い人はただ一人、義姉となったステラ義姉様だけだ」
目の前が暗くなった。
こころが、ぱりんと、砕けたように胸が痛んだ。
たとえ政略結婚であったとして、キツバは構わなかった。
愛は、いくらでも育めばいいと思っていた。
けれど、病魔と闘いながらも男爵領を想い、いずれそれを背負う覚悟を持つ彼を支えたいと、
あの美しい決意を持つ儚げなあの人を支えたいとそう思わせてくれた人物は消えていた。
その後、どうやって学び舎を出て家に帰ったか、部屋に戻ったのかキツバは覚えていない。
ただずっと、部屋で泣いていたことだけしかもう覚えていなかった。
「私も信じたくはないわ。
でも、ショウ様は……義姉の事を、命の恩人の事を愛しているんだわ。
もう私のことなんて、見てはくれないでしょう。
ならばいっそ、今、学園に上がるその前に解消や白紙にした方が良いと思うと
言われているの。
今の学び舎はこれから通う学園とは違い、必ず通う義務はない所だからと。
それなりの傷はあってもまだ挽回できるだろうと。
それに、相手は精霊に愛された存在と認められた少女なのだから相手が悪いとも」
「酷い話でしょう? キツバにはなんの落ち度もないのに、まるで悪者扱いよ!
割り込んできたのはあちらだというのに、本当許せないわ。
リク様たちだってリリアねえさまを娶るなんて、愚かな事考えないのに
一体どういう思考回路をしているのか、見て見たいものだわ」
「本当に許せない。いくら命の恩人だからといって、今は義姉だ。
そういった想いがあるのならば、まずはヤアメ子爵令嬢や両親に相談するべきだ。
そうでなくては相手にも悪いだろうに、本当に何を考えているか理解できないよ」
モモナもクロバールも一連の仕打ちを見ていた為にこの行動が怒りを隠さない。
それほどまでに無礼な仕打ちがあったのだろう。
そして、どこかで聞いたことのある通り名にリクもカイも顔を見合わせた。
それは、間違いなく。
「それはもしかしなくてもガロイジュ男爵令嬢ですね、兄上…」
「ああ、恐らくというか、精霊に愛されている少女となれば間違いはないだろう。
ハイド子爵令嬢、その義姉となった御令嬢ならば今学園に在籍しておられますよ。
まさか、こんなところで聞くとは思っておりませんでしたが」
「変わった御令嬢だと聞いております。何でもいつでも廊下を行ったり来たりしたり、
学園のあちこちをのぞき込んでは不満な顔で文句を言って帰っていくとか。
そういえば春のレクリエーションでは嘆いていましたね、こんなはずじゃとか」
「廊下でもダンカー伯爵令嬢に虐められたと嘘をついたり。
義弟にここまで思われている程の御令嬢だなんて知らなかったな」
二人の脳裏に浮かぶのはどうにも落ち着きない令嬢の姿だった。
確かに見目は一般的に見て、可愛らしいという部類に入るのだろうが、
リクもカイも、日々淑やかな振る舞いを健気に学ぶ可愛らしい義妹を見て育っている。
義妹の努力と比べれば、付け焼刃にしか見えない礼儀作法しか身についてない令嬢は
リクやカイにしてみればまた別の可愛らしさには映らなかった。
加えて義妹の見本となるべく美しい所作を身に付けたそれこそ真の努力をしている令嬢たちを知っていてはより浅く映っている。
「まあっ。学園でそんな振る舞いをされているの?
噂だとしても酷い事。
わたくしだってそんな事、やったりしませんわ」
モモナが驚いたように返す。
聞こえてきた単語だけでもその行動の真意は意味不明だろう。
「何故、廊下を……? まあ学園での振る舞いなんて
私たちには関係ない。
それを言ったところで彼が聞く耳を持つとは思わないな。
むしろ貶めただとか、言いがかりだとか言い始めて、
面倒な事に発展しかねないな…」
「ありえるわ、クロ。このままじゃ本当にキツバが悪役にされてしまうわ。
何にも悪くないキツバがあいつの為に傷つくなんて!
婚約の破棄でも白紙でも解消でも、あいつが望む結果なんて許せないっ。
せめてあいつから言えば愚か者として思う存分言えるのにっ」
モモナとクロバールが熱くなっていく中、キツバの表情はまだ暗い。
自らに降りかかった出来事はまだ愛を信じたかった少女にはどれだけ辛かっただろうか。
たとえ政略であっても、信頼や愛を育み、いつかはとほんの少し抱いた夢も粉々に砕かれた。
最初からそうであったなら、どれほど良かったか。
初めからこちらをなんとも思わない人間であれば、すぐに切り捨てる事だって出来たはずだった。
だがそうではなかった。
キツバの心には、脳裏には共に歩もうと手を取り合った記憶がある。
強い決意のある瞳で夢を語って、病に立ち向かう心を持ったあの日の姿。
それがキツバの心を迷わせた。
恩人に対する礼をやりすぎているだけなのだと言い聞かせ、自分はいつか見て貰えると言い聞かせ。
そうして耐え忍んでいたが、ついにハッキリと言われた。
それも、自分の意気地がないばかりに他人をけしかけるなんて情けないという罵倒つきで。
そこまでされてもキツバはあの時の美しい思い出を手放せなかった。
あの時誓ったはずの未来を、まだ捨てられなかった。
まだ、信じたかった。
だけど、それを言葉に出来ない。
ほんの少し見上げれば、いつも自分の傍に寄り添ってくれる優しい少女が、自分の事のように怒って、心配してくれている姿。そんな大切な親友がまた心を痛めてしまう。
周囲の声だってそうだ。
あの子は特別な存在で命の恩人。
ただの口約束だし、まだ幼い貴方はもっと良い縁がある。
それでも、キツバはあの時の瞳を忘れられない。
婚約を無くしたくなどなかった。
本当の事なんて、キツバは言えなかった。
「………キツバさまは、婚約者様のことがお好きなんでしょうか……?」
「えっ」
紫色の瞳が心配そうにのぞき込んだ。
不安そうな瞳に捕らえられ、キツバはぎくりとした。
「リリアねえさまっ。キツバはあれだけの酷い事をされたのよ。
いくら、キツバが優しくても、そんな……」
少し熱くなっていた可愛いお茶会はしん、と静かになった。
あれだけ熱く語っていたその場はいきなり静かになった。
「……わたし、お父様に似たような事をされたの。
お母様が急に具合が悪くなって、それからずっと辛そうで。
だからせめてお父様に少しでも構ってもらいたかった。
でも、どんなに話しかけても構ってもらいたくても、
お父様は冷たかった。
それに、苦しそうなお母様を放っておいていつもどこかへ行ってしまうの。
働いてるから仕方ないと言われたけれど、あの時はとても悲しかった。
そんな時、今のおかあさまがわたしとお母様を助けてくれて、
今、こうやってお兄様たちの義妹として暮らせています。
……無理やり手を引かれて、連れて行かれそうになった時はとても怖かった。
お父様の冷たい態度や言葉、わたし今でも思い出して苦しいです。
わたしはもう関わりたくない。
同じように暮らすなんて、出来ないけれど、楽しかった時を思い出すと
どうしてあのままじゃなかったのかとも思うんです。
お父様がいて、お母様がいて、そんなもうあり得ない日があったのではと。
……わたしとキツバさまでは全く違う事なんですけれど、
そうじゃなかったらごめんなさい。
でも、キツバさまは婚約者さまの態度が変わられたと言ってました。
いい事もあったのに、本当は好きとか、そういう気持ちがあったならば
きっとそんな事を想って、心が辛いと思われたりしていませんか?」
視線がキツバに集中した。
それにキツバは驚き、咄嗟に俯く。
ちらりとモモナを見て、また俯く。
「……ごめんね、キツバ。
わたくし、また貴方の事を無視して進めてしまったわ。
貴方の本当の気持ちを聞かせてなんて言ったのに、何も聞かずに
ただ自分が腹立たしいと思うままに喋って」
「私も申し訳ない。私たちが悪く言っていたら、
それとは違う意見を言うのは勇気がいるだろう。
ヤアメ子爵令嬢の意見も聞かずに自分たちだけで白熱して申し訳ない」
「我々も噂という不確定な事でヤアメ子爵令嬢の心を不安にさせてしまいました。
貴方のお気持ちも考えずに、申し訳ありません」
熱くなっていた空気が冷えていくのをキツバは感じた。
そうして皆が落ち着きを取り戻してきた時、キツバは口を開く。
「……あ、あの。私、ショウ様を信じたいのです。
これが政略でも、口約束だったとしても、あの時のショウ様を
私は信じたいの。
今よりも小さい時に病に苦しみながらも、
男爵領を想い、発展させたいと、共に歩んでくれませんかと
そう言ってくれたあの時のショウ様を。
病に打ち勝ってから、ショウ様は変わられたわ。
まるで私の事なんて置物のように扱う事が増えて、
手紙も返してくれなくなったり、とても心が痛かったわ。
私は特別な才能もないし、何も出来ないけれど……ショウ様の支えに
せめて男爵領を支えられるパートナーになれたら、良かった。
モモナ、ロツメ侯爵令息、お二人の心配も優しさも本当に嬉しい。
だけど、私、あなた達の優しさを無下にしてショウ様を信じたいというのが怖かった。
二人は思いやりに溢れているから、きっと反対すると、更に心配させると思うと、
何も言えなかったの。ごめんなさい」
頭を下げたままキツバは動かない。
そんなキツバをみて、モモナは泣きそうな顔で見つめる。
絞り出した声は、震えていた。
「な、によ…なによ…それ」
その言葉にキツバは頭を上げるのが怖くなった。
浮かぶのはいつも、どんな時も傍にいてくれた親友。
コロコロ変わる愛らしい大切な親友との日々。
それらを無下にした自分に対する言葉に耐えられるだろうか、キツバはぎゅと目を閉じた。