16
夏、それは多分計画を立てている時が一番楽しいと思う。
あそこへ行こう、あれをしよう。
そうやって一人でポテトやナゲットを食べて、炭酸飲料をぐぐいと。
時にはちょっと贅沢に明らかに写真より分厚いサンドイッチと
可愛いクリームソーダと共に考えている時が一番楽しい。
あの人は甘い物が好きだから差し入れはこれにしようとか。
驚きの顔を見たくて、詳しくは知らないけれどあの人が熱心に
愛を向けているキャラクターを描いて見せようかと、にしし……。
そうやって考えているそんな時間が一番楽しい。
実際の夏なんて殺す気かと思う程の熱を放ち続けるし、
浮かれた人々が多くて参る。
世間にはカレンダーとは無縁の人間だっているのに。
なんて憎らしくなる時もあった。
……が、そんな隙間を縫って描いた物を手に取って貰えるあの瞬間。
それが『私』の楽しみだった。
そして、今は。
「本当ですかっ。ハイド子爵家の領地へ」
「ええ。あちらが是非に、と誘われてね。
どうかしらリリア。きっと義姉様……お母様の愛した場所よ」
「行きたいです。おかあさまも、おとうさまも、お兄様たちとも!
…あっ、カイお兄様はお忙しいのでしたね……。
エリザ様やサーシャ様、ミリア様、マーサ様もやりたい事沢山あるのに、
沢山楽しい事があって困ってしまいます。一緒に行けないでしょうか…」
「そうね、皆で行けたら楽しいけれどそれは一度聞かないといけないわ。
ハイド子爵家にも、エリザ嬢にもご都合があるでしょうし」
目の前であともう少しでやってくる楽しい夏に目を輝かせる天使。
そうリリアの夏の計画を聞く事だ。
あっという間に夏になってしまったが、今のところ問題は起きていない。
転生者だと絡まれた様だがそれも今は目立った問題はない。
本当に頼りになるお姉様たちだ。
学園での様子は『私』にはリリアやリク、カイとの会話でしか知る事ができない。
乗り込むなんて事もできない為本当に助かる。
お勉強も順調で、学園生活も満喫してそして夏の長期休暇も楽しむ気満々。
どんなに間違いだと言われても良い。
リリアが笑っている。
もうそれだけで、『私』は間違いなんてない。
そう、確信する。
もうビクビクなんてするものか。
何を言われてもいい。
……なんて、少しくらい驕ってもいいだろうか。
「奥様っ! 大変ですっ」
なんて、ほんの少し思ったそんな矢先。
真っ青な顔で駆け込んだ彼らの言葉に血の気が引く。
〇〇〇
あぶない、そう思った瞬間体は勝手に動いた。
ふわりと宙に浮いた体を支えようと駆け出して、そして。
「きゃああああっ」
「おい! 大丈夫かっ」
「しっかりしろ、頭を打ったかもしれない!」
「誰か先生を、救護室を!」
「僅かですか光魔法が使えます!」
「薬草学で余った薬があるわ。ちょっと臭うけど、効果は…あると」
「うへえ! ほ、ほんとうに、これなら、きが…うっ」
「お前が倒れそうにな…あっ、やっぱりそれしまって、うえ…!」
がやがやと聞こえる声、集まってくる人たちの声が聞こえる。
ぼんやりする視界にふわふわする思考。
そんな中、僅かに見えたのは、泣きそうな顔の令嬢と、そして。
「フン! 情けないな。何が『将来有望』だ」
悪態をついた、誰かの声。
言い返したい。
けれど、事実だ。
目の前で同級生とはいえ、守ろうとして泣かせるなんて、なんと情けない。
けれど、何もできずに、世界は暗く、遠く、沈んでいった。
「良かったっ。目を覚ましましたね、カイお兄様っ」
「ああ良かった。本当に良かったっ」
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ。カイさま、私のせいでっ。
わた、しが…っく、わたしのせいで、お怪我を…!」
はた、と目が覚めた時あまりの光景が広がっていた。
痛む体を起こして、見れば周囲はまた慌てたように駆け寄る。
ぼんやりする頭で思い出したのは、無茶な行動をした自分。
プランタ伯爵家次男カイ。
ゆっくりと聞かれ、そう答え、次に続いたのは今日の日付。
これもまたゆっくり答え、徐々に周りは空気が和らいでいく。
「何が起きたか覚えているかな」
「………自分が、階段から落ちて」
「いいえっ違いますわ! 階段から落ちそうになった私を、
カイ様が、プランタ伯爵令息が、助けてくださったのですわ!」
まだ涙が真っ赤になっている令嬢が、そう答えた。
そうだ。
そうだった。
〇〇〇
「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
この世界の魔法が物語よりも発展していて良かった。
そうで無ければ、こうも早く学園へ駆けつけるなんて事もできなかったし、
ぼろぼろ泣いている年頃の令嬢を慰める事もできなかっただろう。
「ミリア嬢、大丈夫。カイは貴方を守ろうとしたのでしょう。
令嬢を守ろうとしたなんて、カイは立派だわ。
だから泣かないで。私ね、リリアたちと同じであなたが大好きよ。
カイはきっと大丈夫だから、安心して欲しいわ」
「うう、プランタ伯爵夫人。わたし、わたしが、迂闊だったのです。
長期休暇だと、浮かれて、ごめんなさいっ」
真っ青になりながら受けた連絡。
それはカイが意識を失ったという連絡だった。
それを聞いたときはこっちだって血の気が引いた。
実際駆け付けて、目を伏せたままのカイを見た時はゾッとした。
けれど、そんな隣でぼろぼろ涙を流して、謝り続けるミリア嬢を見れば、
どんなに不安でも、立場は大人の『私』が支えなければと奮い立つ心がある。
その後慌ててリクもぼさぼさの頭のまま息を切らして駈け込んで来て、
リリアもエリザ嬢たちを連れて、駆け込んできた。
泣いているミリア嬢を落ち着かせようと友人たちは安心させようと抱きしめ、
リリアの前ではお姉さんの様に振る舞っていたミリア嬢も彼女たちの前ではまだ『妹分』。
幼い子の様に泣きじゃくり、そんな彼女を抱きしめる。
息子が怪我をしたということさえなければ、なんて素晴らしい場面……。
なんて不謹慎な母親なんだろうか『私』は。
そうしている間に、カイは目を覚ました。
医師による質問にも問題なく答え、唯一言葉を濁した質問もミリア嬢により
修正され、問題なしとされたが一応知り合いの医師も紹介された。
話は通しておくと、ありがたい話だ。
けれど、カイにとっては大きな問題が一つあった。
「……足、ですか」
「軽い捻挫とはいえ、本人には辛い事でしょうがご理解ください」
軽い捻挫。
そう医師は言ったが、カイの残念そうな顔を見て、言葉を続けるのをやめた。
カイが楽しみにしていた泊まり込みの訓練。
それがこれから一週間。軽いとは言っても治れば終わり、魔法でチョチョイともいかない。
物語より発展していても魔法も万能ではない。医学だって完璧にこうとはいえない。
あんなに楽しそうにしていたカイに対して、はっきりと言うのは正直辛い。
「……母上、今回は怪我をしたともうあちらも知っているでしょうから、
残念ですがあちらから心配されてお断りされるでしょう。
私をここに運んだのがその訓練の担当される教官だったそうです。
ミリア嬢に怪我がなくて、良かった。どうか気に病まないでください」
「…カイ、あなた、強い子ね」
「夏はより、基本をもう一度復習しようと思います。
剣の素振りだって立派な特訓ですし、この機会に手当を学ぶのも有意義でしょうね!
きっと、いつか、役に……」
消え入りそうな声。
なんて、なんて、強い子なの。
何も言わずに抱きしめると、苦しいと苦笑いする声が聞こえた。
まだ表情の暗いミリア嬢は頼りになるお姉様にお任せしよう。
きっとあの子も、辛い。
これ以上自責の念に駆られる前に、優しい彼女たちに任せよう。
楽しいと思っていた夏は思いのほか大きな事件から幕を開けた。
けれど、まだ始まったばかりだ。
これから、きっと楽しくなる。
いいや、楽しくさせる。そう『私』は決意した。