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『花言葉は愛を紡ぐ』それが今私が生きる世界。
剣と魔法が存在するファンタジーな世界観で、精霊に愛されたヒロインと
見目麗しい男性たちとの美しい恋物語が展開される王道な乙女ゲーム。
私はそんな世界の精霊に愛されるヒロインでもなく、推しのリリアでもない、わずか一行にも満たない台詞を言って、その後一切出てくることのない推しのリリアの叔母のパンジーとしてこの世界に転生した。私の前世の記憶が蘇ったのは娘が生まれたと言う兄の手紙を受け、お祝いとして出向いた事がきっかけだった。
夫人とよく似た可愛らしい女の子。
これからきっと美人になり、皆に愛される女の子。
その女の子の名前は『リリア』にするよ。
そう聞いた瞬間に、私の脳に流れてきたのは大きな情報の津波だった。
私の今までを呑み込んでいく様で、ぐらりと世界が揺れた。
楽しみはあるものの生活の為に必死に働くばかりの日々だった『私』と同時にあまり変わらない日々を輝かせてくれた存在を今、思い出した。
リリア。
リリア・ユリーズはこれから両親に愛され、幸せになるはずだった女の子。
心優しくて控えめな彼女は何もなければ、きっと幸せになるはずだった。
伯爵令嬢らしく、幼いころから騎士を目指す令息と婚約を結び、きっと幸せになるはずだった。
そんな幸せな日々は、母親の死によって全て崩壊する。
幼いリリアは母との別離を受け入れる事が出来ず、いつも泣いてばかり。
部屋に閉じこもって泣いてばかりの娘を心配した父親は自分の悩みを真摯に聞いてくれた女性と懇意になり、きっと彼女ならばと再婚する事を決めるのだが、それがまずかった。
ベルローズ・アイビー、リリアの義母となった彼女には連れ子がおり、それがアイローズ。
攻略キャラの一人、騎士見習いのイオ・ダンテーラの婚約者候補となる少女の名前で、そのルートでのライバルキャラだ。
リリアはそのルートで、義妹となったアイローズの侍女をしている。
一気に流れ込んできたのは、あどけない顔で眠る赤ん坊が辿る過酷な未来。
義母と義妹に妬まれ、全てを奪われ、粗末な生活を強いられた彼女はそれでも彼女たちといい関係を築こうと努力するが、上手くは行かず更に敵視されて生活が苦しくなるだけだった。
広い世界に出たいと願うが、唯一の父を人質の様に扱われてこき使われるだけの毎日。リリアはこれからそんな日々を耐えなければならなくなるのだ。
ゲーム本編が始まれば、お気に入りの令息に近づくヒロインへの八つ当たりに暴力を振るわれて、嫌がらせを手伝う様命じられるが、咎めれば義母に言いつけられて逆にリリアが酷い目に遭わされた。
そして、最終的には全てを押し付けられて罪人として処刑目前となるなど、平和なゲームなのにどうしてここまでの事を背負わなければならなかったのだろう。
疑いが晴れても、爵位を無くすハメとなり、楽な暮らしなど待っていない。
リリアは何もしていないのに。
何故。
どうして。
何度も何度も泣いて、悔しさから、幸せになる話を作り出して、幸せにしてあげる事しかできなかった。脚本の犠牲となったリリアをほんの少しでも幸せにしてあげたかった。
涙を流しながら寝ていた私は、ようやく『私』を思い出す。
そして、今の自分をもう一度確認する。
パンジー・プランタ。
リリアの父親の妹で仲の良かったプランタ伯爵の嫡男と結婚し、今に至る。
子供は息子が二人で、それなりに暮らしている様で至って健康体。
薄い紫の髪に黒い瞳で、それ以外は目立った所なんてない伯爵夫人だ。
もう既に伯爵令嬢として長いこと暮らしていたこの体にはパンジーの努力の賜物の貴族令嬢の振る舞いが叩き込まれており、現代を生きていた『私』の常識なんてものに絡めとられない程に自然にその振る舞いができている。
どんなに魔法が優れていようが、剣の腕が素晴らしいとしても、この世界の常識を知らない方が余程まずい。パンジーが真面目な女性で私は生きる事が出来ている。
ヒロインやプレイヤーからすれば、リリアは少し出番が多い脇役で、その叔母のパンジーなんて回想でほんの少し喋るだけの存在にしかならないのだろう。
でも、パンジーは生きている。
この世界でちゃんと生きている。
配偶者がいて、子供がいて、自然と美しい所作ができる程に努力をした伯爵夫人なのだ。
そしてリリアも。
彼女も生きている。
もうこの世界はゲームじゃない。
あの物語の様に不幸にさせてなるものか。
「叔母様と会えるのが一年に一度だなんて寂しいです。
リクお兄様やカイお兄様ともっともっと遊びたいのに」
大きな紫の瞳が潤む。
そんな寂しそうに見つめられたら、『ハイ喜んで!!』と連れて行きたくなる。
だが今そんな事をしたら気が狂ったおかしな女として名前を刻まれる。
そんな衝動をぐっと堪え、『私』は伯爵夫人のパンジーとして振る舞う。
私だって本当は毎日会いたい。
いや、そんなの叶わないからせめて一か月に一回。
だけど、現代だって頻繁に親族が来たら迷惑だろうから会うのは一年に一度の集まりだけ。
後は手紙のやり取りをしている。
いくら魔法がある世界でも、ここがゲームの世界でもホイホイ移動できるほど世界は楽ではなかった。そんな都合良く出来てはいないらしい。
だがパンジーは大人で伯爵夫人。
いくらリリアが可愛くて『私』の推しだとしてもそんな勝手気ままに遊び、パンジーのこれまでの努力を無駄にする事はできない。
「ええ。それは私も息子たちも同じですわ。
カイもリクもリリアを本当の妹の様に可愛がって、こうやって会う日を楽しみにしていますの。
それにリリアのお手紙も心待ちにしているの。
いつも今日は届いたかと何度も聞かれるし、私も楽しみにしているの。
それにリリアはどんどん賢くなっていくのがお手紙を通してわかるわ。
きっと毎日お勉強を頑張っているのね。えらいわリリア」
その言葉にリリアの顔はどんどん明るくなる。
きらきら輝く瞳は眩しくて直視ができない程。
「叔母様はやっぱり優しいです。
リリアを誉めてくれて、こんなに優しくしてくれて。
お父様は最近忙しくてお話しできませんし、お母様は……」
突然曇る瞳の原因。
それを私は知っている。
あと二年後、リリアの母親は病に倒れそのまま帰らぬ人となる。
そしてリリアは部屋に閉じこもり、泣いてばかりの毎日を過ごして、そして。
そこからがリリアの地獄の始まり。
けれど、私には転生して分からない事が一つあった。
それはどうしてリリアの母親が病に倒れる事になったかと言う事だった。