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「やはり……会うのは仕方ないとして、今後何も起こらないといいな」
「ええ、それを祈るしかないですわね」
避けられないアイローズとの出会い。
学園という狭い場所ではどうしたって避けることなど難しいだろう。
なにせ、二人は同い年。逃げ場なんてクラスが違わない限りあり得ない。
パンジーの旦那も心配そうにリリアを見つめる。
大人の自分たちにはどうしても立ち入る事なんてできない。
リリアはもう泣いてばかりの子ではないけれど。
リリアはもう愛されない子でもないし、何もできないと下を向くこともないけれど。
それでもやはり心配は尽きない。
彼女ではなく、彼女を取り巻いた環境で植え付けられた悪意に、だ。
パンジーには申し訳ないけれど、あんな事をする人間を再度信用することなどできない。
あれ以来会ってもいないけれど、きっと変わっていないだろう。
人質の様に使われていた名もなき父親という設定はどこへ行ったんだ。
………まさか、ね。
………いや。本当に、まさか。
………いやいやいや。それはないと、信じたい。
『転生者』ふとそんな考えがよぎる。
いやいや。アイローズもいるのに?
そんなに転生者がいたら、もうこの世界は何なのよ。
別のもう一つの世界じゃないの。
もう既に別の世界かもしれないけれどね、リリアが幸せになる為の世界として。
「これに関しては私たちは何もできない。
けれど、リリアには味方が沢山いる。何かあれば頼りなさいと伝えておくよ。
まあ、リクやカイもいるから心強いだろうけど」
「……そうね。あの子たち、本当にリリアを大切にしてくれているもの」
大切にしすぎて、こっちが心配になるくらいなのだけれどね。
「………それでねそのリクの事なんだが、少し良いかな」
「どうしたの?」
「ハイド子爵家から、相談されたんだ。どうしてもと言われてあちらも困っている様でね」
「何を、どうしたのかしら」
なんだか歯切れの悪い会話に頭を傾げてしまう。
バツが悪そうに言うその内容とは。
〇〇〇
「こ、婚約!?」
「ち、違うわよ。ちょっとお話するだけよ。
本当に話だけ。ハイド子爵家も勢いに押されて困っているのよ」
ハイド子爵家に持ち込まれたのはとある伯爵家の三女の婚約話だった。
根はいい子なのだが、中々そういう話がまとまらずに困っていた所を付き合いが広いハイド子爵家に誰かいないかと泣きつかれたらしい。
そう頼み込まれたものの、良い条件の家は幼いころから纏まるもので、そう易々と見つからなかった。
この世界的には当然と言えば当然の話だ。
婚約だって、お互いの利益を考えて結ばれる事の方が多い世界なのだもの。
三女とはいえ、可愛い末娘に幸せになってもらいたいと願う気持ちも分かる為、ハイド子爵家も声をかけて見るものの、まあ中々見つからずにいよいよプランタ伯爵家にもやって来たと言う事だ。
あまりに平穏である為に忘れていたがプランタ伯爵家だって貴族なのだった。
あまりピンとこないが、貴族は貴族で大変そうだ。
おひとり様生活を満喫していた『私』にはよくわからない所だ。
「リク、忙しい所悪いのだけど人助けだと思って、お願いするわ」
「……仕方ありませんね。けれど、私にもこういう話があるんですね。
婚約とはもっと地位のある貴族だけの話かと思っていました」
伯爵とは言ってもそこまで裕福でもないし、爵位なんて分からないものだ。
まったりと過ごせるので『私』はプランタ伯爵家はとても良いと思う。
「お相手の方は、どんな方なんですか」
「伯爵家の三女の方よ。彼女、水魔法に適性があるらしいから
もしかしたら話が合うかもしれないわね」
「水魔法! 凄いですね! 実は侯爵家の方と属性魔法の組み合わせによる効果について、
話したんですけど、土魔法と水魔法で植物に対して成長を促す事は出来ないかと
大変興味深い議題が出たんですよ。活用できるなら、我が領地でも大変需要があると思います。
今は魔術師なんて職は遥か昔の英雄の事や、魔法は研鑽を積んだ者や神に愛された者だけに
与えられたギフトかと思われがちですけど、僕はたとえ魔力が弱くとも掛け合わす事で、
一人ではできない事も可能だとそう思いたいのです。
ですから、そう言った話抜きでも是非お話して、あわよくば力を貸して頂きたいですね」
「魔法に興味ある子とは限らないから程々にね……」
プランタ伯爵家はリクもカイもそれぞれ夢中になっている物があるし、爵位は親戚に継いでもらうのも一つの手ではないかとパンジーの旦那であり、プランタ伯爵であるウィリアムは言った。
『私』は頷く以外何も答えられなかった。
それでいいのか、『私』は分からない。
ただ、パンジーの想いは、子供たちに幸せになってもらいたいと言う一点だけ。
それしか分からない。
けれど、リクやカイはまだ若い。未来はまだ分からない。
「リリアには、ありませんよね」
「え?」
「リリアには、その婚約とか、好きな相手とか。まだ、ないですよね」
おおっと。
魔法語りに驚いていたら、すぐさま妹想いのお兄さんが出てきてしまった。
そんな話があるなら『私』は平常心じゃいられないよ。
リクにお見合い(仮)の話が舞い込んできただけでも驚いたのに。
「そうね。そんな話、まだ聞いてないけど。
そうよね……いつか、リリアにもあってもおかしくないわよね…」
ゲームのリリアは恋愛なんて無関係のキャラ。
幸せになる事は許されないみたいな改めてこう言ってても理不尽な目に遭わされていたと思う。
今こうして、養女としてプランタ伯爵家に迎え入れてリリアはそんな運命から解き放たれたのか?
今、ストーリーが始まってしまった事を考えると何かの拍子で誰かのルートに入るなんて事が、あるのだろうか。それともこの世界に生きる誰かと想いあう事だってあるかもしれない。
「リリアが選んだ人なら、きっと誰だって祝ってしまうわ。
だからね、リクももし好きな人が出来たら教えてね」
「はい。その時は私の事も祝ってください。勿論カイの時もですよ」
「ええ。当たり前だわ。お祝いするに決まっているじゃないの」
微笑みあったその時、ばたばたと騒々しい物音が聞こえた。
慌てて、リクと共に駆け付ければ、そこには。
「奥様! カイ坊ちゃんがっ」
悲痛な声。
体が冷える。
言葉が出ない。
これは、どうして、何で。
「カイ! 誰にそんな酷い事をされたんだっ」
怒りの込められたリクの言葉が、遠のく意識を繋ぎとめた。
目の前に飛び込んできたのは、服を汚されて、あちこち擦り傷を作ったカイ。
傷そのものは小さく、軽傷だろうが、制服は泥まみれになっていた。
「大したことではありません。少し、転んだだけです」
「そんなわけあるかっ! 派手に転んだと納得するわけないだろう!?」
「本当に! ただ転んだだけです!!」
譲らないカイにリクは少し苛立ちを覚えて大きな声で叫んだ。
そんなわけない、それはその通りだろう。
カイが途方もないドジっ子であるわけがない。
注意力散漫、いや注意力マイナス三万なんてそんな笑い話ではないか。
カイは剣に夢中で日々鍛えている様な子だ。
躓く、こける。それは日常でないとは言えないハプニングであるが、限度がある。
泥だらけ、傷だらけで「転んだ」の言葉で納得なんてしてやるものか。
この子はパンジーの大切な息子。『私』にだってもう同じ事なのだ。
「カイ。貴方がそれをどうしたのかはとりあえず置いておきましょう。
今は、その傷を診てもらいなさい。小さな傷もきちんと処置をしないといけないと、
騎士を志すあなたなら当然知っているでしょう?」
「………はい………」
「カイをお願いするわ」
小さな返事が聞こえた。
分かる。
覚えがある。
これは、間違いなく『いじめ』と言う名の『暴行』だ。
名を出す事すらできない程上の人からの『暴行』。
ここが爵位という身分があるから、なおの事言えないくらい上なのだろう。
「母上、いいのですか。カイの奴、どうして」
「わからないけどわかるのよ。カイの気持ち。
言ったら、負けの様な気分になっているのよ。
カイは、負けず嫌いでしょう。
頼ったら、負け。親に言ったら弱いと言っている様なものだと。
今は、まず、怪我を治してもらいましょう」
「………母上、わからないですよ……。矛盾、してますよ……」
何があったか、それはきっとパンジーにも『私』にも知る事は出来ないのだろう。
けれど、事実は一つ。カイが酷い目に遭わされた。それだけだった。