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「あの子でしょう。父親に捨てられたっていう」
「ふふ、哀れねえ。どうせ使用人としてタダ働きさせられる未来しかないのに」
「プランタ伯爵家の駒にもならない着せ替え人形は気楽でいいですわね」
「みて。義兄を侍らせてご満悦。はしたないわねぇ」
くすくす、けらけら。
ああは言ったものの、こんなに早く本当になるなんて思いもしなかった。
『私』の愛した存在はやっぱりリリアだけだったのだ。
簡単で優しさに満ちたゲームはプレイヤーだけのもので世界は割と醜かった。
ブーケ公爵の孫娘の誕生パーティーに呼ばれ、出席すればご覧の状況。
何かしら言われることは分かっていた。
ハイド子爵家と揉めたユリーズ伯爵の実子がプランタ伯爵の養子になって早何年経ったことか。
学園に通う時期だってももうそのうちと数えているうちにやってくる。
これからはプランタ伯爵家の養女として学園に通うのだから、向けられた悪意はまだ可愛いものだ。
大人の目があるから、言葉だけで済んでいる。
大人の目があってもこれだけの悪意を向けられるのだ。
恐らくは嫉妬も含まれているだろう。
リクとカイはかなり見目が良い。
パンジーという親の視点を以ても、中々に見目が良い。
リクは黒味の強い紫の髪と薄い紫の瞳。まだ幼いながら涼やかな瞳は大人びた印象を与えるだろう。
学園に入学したリクは勉学に力を入れており、学年でも上位の成績を維持している。
まだ婚約者は決まっていないが、優秀であり伯爵家嫡男という立場のリクを放っておく令嬢は少ないだろう。平凡な伯爵家だが、下位貴族から見れば成り上がる好機だ。
まあ、婚約者は『私』にも口を挟む権利はあるだろう。
パンジーの可愛い息子はもう既に『私』にも可愛い息子なのだ。
幸せに、してやるのがこの立場の仕事だ。
カイは体を動かすのが好きなやんちゃ坊主だが、可愛らしい顔立ちをしているのだ。
童顔であるとカイは気にしているが、そんな所も可愛らしい。
丁度リクの色を逆にした髪は薄紫、瞳は黒とパンジーとよく似た所も誇らしい。
お勉強は苦手ながら、剣ではリクにも負けてはいない。
知識と戦略にやり込められるが、それでも咄嗟の行動で何度リクの肝を冷やしただろう。
よく戦略を捏ねてもカイには敵わないから鍛錬も負けられないとリクの闘志を燃やさせている事はきっと知らないだろう。
こんな魅力的な二人がストーリーに関わらないなんて勿体ない。
だが、それでいいのだ。
二人を知り、可愛がる立場はパンジーでないと叶わなかっただろう。
とにかく、リクとカイは中々に人気なのだ。
誕生パーティーとはいえ喋るチャンスは生まれると期待した所もあっただろうが、そんな見目麗しい優秀な二人をリリアが独占しているのだから妬ましいのだろう。
そう。リリアはこんなにも可愛いのだから仕方ないと言えば仕方ないがいい気はしない。
名前すら分からない令嬢たちだが、年端もいかない少女たちに既に夫人であるパンジーが言い返すなんて大人げない。何よりパンジーの心が、体が、そんな気持ちを抑えてくれている。
きっとパンジーが教えられてきた学びのひとつなのだろう。
そしてパンジーもきっとこんな悪意に負けずに耐えてきたのだろう。
パンジーの過去の努力を無駄にしてはいけない。
『私』も耐えなければ。
震えるリリアの小さな手を握り、既に顔を歪めて怒りを露わにしているカイに、顔には出さずに手を握りしめて怒りに耐えているリクに笑いかける。
「リク、カイ、それにリリア。
言い返したりするのはダメよ。もちろん睨むのもね。
気にせずに過ごすの。にこにこして仲良くしていなさい。
大丈夫。お母様が一緒よ」
「母上」
「リクとカイもよく耐えたわね。偉いわ。
さすがはお父様の振る舞いを学び、日々勉強しているだけあるわ」
不安そうに怯えているリリアの手を握るのはカイ。
にこり、と向けられた笑みは今にも零れ落ちそうな涙を止めた。
微笑み合う二人を観て、リクもにこりと笑った。
「あっちに美味しそうなケーキがあったよ。後で頂こう」
「リリア、僕らから離れないでね。一緒にいこうね」
優しい言葉にリリアの心は落ち着いたようだ。
ずっと悪意を向けられ、冷たい視線と言葉に怯えていたリリアはようやく笑った。
「はい! リクお兄様、カイお兄様」
ぎりり、という一人の妬みの音を『私』は聞き逃した。
〇〇〇
「立場が分かっていない様ね! 養女のくせになんてはしたないのかしら」
それはほんの少し目を離した瞬間だった。
ざわつく会場のど真ん中にいたのはリリアだった。
突き飛ばされたのか尻もちをついているリリアを見下す令嬢集団。
嘘でしょう?
ここは、ブーケ公爵の孫娘を祝う誕生パーティーの一角だ。
ブーケ公爵の孫娘といえば、いずれは攻略キャラの一人であるアスター王子の婚約者として登場する公爵令嬢ツツジ様。
アスター推しからも『様』を付けられる程敬愛されているライバルキャラ。
言動は厳しいがアスターの幸せを願い、ヒロインの立ち居振る舞いを教育する手伝いをする優しさに溢れた令嬢だがそれは未来の話。
まだ子供であるツツジの大切な誕生日にこんな騒ぎを起こしたら、恐ろしくはないのか?
仮にツツジ様が許しても、溺愛するブーケ公爵が黙ってないだろう。
王太子エンドだってツツジ様がいなければあんな優しい終わり方にはならなかっただろうし。
「血の繋がらない兄にべたべたして自立もしないなんて、はしたないと言っているの」
「見てくださいな、エリザさま。本当の事を言われて返す言葉もないようですわ」
「ふふ、哀れね。伯爵家の養女のくせにツツジ様の誕生パーティーに出席するなんて
烏滸がましいと思わないの。図々しいわね」
「そういった所は実の父親に似たのでしょう? ほら、あの没落寸前の。
全くそんな穢れた存在のくせにリク様の御傍に近寄るなんて………」
ざわつく周囲の声も彼女には聞こえていない。見えてないのだろう。
このままでは本当に手痛い経験を積んでしまうかもしれない。
最悪物語が始まる前に家ひとつ消えかねない。
ブーケ公爵はゲームプレイヤーの『私』でさえ怯える存在なのだから、この世界に生きる人々はもっと恐ろしいだろう。いい大人たちが怯えているもの。
今まで数々の醜い世界を見せられてきたのだ。
王太子エンドも本当にあれだけで済んでいるのか疑わしくなってきた。多分確認する機会はないけど。
「私の誕生パーティーでなんの騒ぎかしら」
凜とした美しい声。
はた、と振り向いた先にいたのは神々しいくらいに輝く少女。
金の髪は煌めき、青い瞳は輝いて、歩く姿は美しい花。
しゃらん、と音が鳴りそうな程優雅な姿はため息が漏れる。
「つっ、ツツジ様っ」
血の気が引く音を初めて聞いた。
「あ、こ、これは……、あの子が勝手に転んで、だから、起こしてあげようと」
「まあ。そうなの……でも。私、転んだ相手に対してすぐに手を差し伸べずに、
あんなにも咎めてばかりなのは初めてですわ。
それとも、私の学んだ事が間違いで、本来はそうやって見下すのが常識なのかしら」
「あっ、そ、それは……」
ああどうしよう。さすがにかわいそうだ。
リリアに悪意を向けたといっても、彼女たちはこの世界の未成年。
いくらなんでも可哀想だ。
自業自得といえばそうなのだけど、どうしたら、どうしたらいいのだろう。
この世界では兄のように見捨てるのが正しいのだろうか。
「ふふ、なんてね。私、まだ『子爵』令嬢なのに出過ぎた真似をしましたわ。
伯爵令嬢様方に意見するなんて礼儀知らずで申し訳ありません。
いい勉強が出来た事、感謝いたします。
これから先、生かす時が来るかもしれませんわ。
……ああ、そうだ。よければ今からもっと教えて頂けないかしら」
しん、と静まった空気。
そこに響くのは美しい声だけ。
「私、彼女たちとお話がしたいわ。
大丈夫ですわ。ちゃんと時間にはこちらに戻ります。
是非色々と教えて頂きたいの。ね、いいでしょう」
そう言うと、既に真っ青な令嬢たちとリリアを連れてどこかへ歩いて行った。
優雅な音と共に去っていく姿はとても絵になるが、なるけども!
どうなるというのかしら……。
〇〇〇
「エッ、お友達になった……?」
「そうです! お友達が出来るなんて夢の様です!」
あれからほんの僅かの時間が流れた。
とてもとても短い時間だったのに、とんでもなく長く感じた。
こっそりついていくわけにもいかずに、ただただ待つだけしかできずに心配で心配だったが、どうやら彼女たちもそんなに大きな罰などは受けていないらしい。
公衆の面前でブーケ公爵の孫娘に声をかけられた、それだけで十分な恐怖体験だっただろう。
いくら『子爵令嬢』と言っていても後ろにいるのがあまりに強大すぎる。
「だってリクお兄様を好きだと言ってくれた方が悪い方なわけありませんもの。
優しくて、お勉強もできて、自慢のお兄様なんです!
そんなお兄様の努力を見ていてくれる方が、悪い方なわけありませんわ」
「リリア! とても嬉しいよ!」
「兄上ばかりずるいですよ!?」
ほんの少し目を離した隙のトラブルをとても後悔していた兄二人の姿はもう忘れてあげよう。
「そ、それでお友達になったと言うのは、一体どういう」
「本当にお友達に…? あのブーケ公爵のお孫様と?」
義母と夫でさえも、この有様。
ブーケ公爵、やっぱりとんでもない存在だ。
無理もない。同年代が軒並み爵位を子に譲る中、今でも現役。増え続ける武勇伝。
老いを知らないのかと言われる程の肉体美を誇る最強無敵の将軍なのだ。
「ツツジ様ですよ。ポプリ子爵家のツツジ様。
いつか父が公爵を継いだとしても、今と変わらず友達でいて欲しいと言われました」
「ブーケ公爵、継がせる気あったのね」
「母上、今は」
こほん。
リリアとあの少女たちは、あの騒ぎのおかげで友人となったらしい。
そしてそれを繋げたのがあのツツジ様。
ブーケ公爵に溺愛されているツツジ様は本当なら慎ましく行う予定だった誕生パーティーを祖父の名のもとにこんなに大々的にされ、今のところただの子爵令嬢だと言うのに未来の公爵令嬢として、ブーケ公爵の孫娘として担ぎ上げられ、とてもじゃないが耐えきれなかったそう。
豪華なドレスも食事もデザートも、何一つ嬉しくない。
いつも仲良くしている令嬢たちは遠慮して近寄ってこないし、もう二度と気楽な付き合いなどしてはくれないだろう。
下手したら爵位を偽り、馬鹿にしていたと怒りを買いかねない。
いずれなくなると分かっていた中々気に入っていた暮らしはもう二度と帰ってこない。
少しでもこの場から逃げ出したい。
そう思っていた時、聞こえたのがあのトラブルだと言う。
「ツツジ様はあんなにお優しいのに、友達も中々作れないと。
この『いさかい』をなかった事にするかわりに、友達になって欲しいと」
「そうだったの……」
あの女神のように優しいツツジ様も苦労があったのだと涙しそうになる。
あの少女たちからしてみれば、脅しにも聞こえなくないが、家がとんでもない事になるよりマシだろう。というかメリットしかない。
いずれは公爵令嬢となるかもしれない子爵令嬢との縁。
今は格下といっても、未来のことを考えればそれが分からない貴族の子供はいないだろう。
まさかの交友関係が繋がれてしまった。
大人たちは胃が痛いだろうが、きっとこれは素敵な縁、だと思いたい。
 




