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ゾンビ先生は美脚がお好き  作者: 改 鋭一
三日目 「花嫁」
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サヨナラ

ヘリは何とか俺たちに気がついてくれたようだ。今は建物の上、数十メートルのところでホバリングしている。


そのため屋上はすごい風が吹き荒れている。でもこれぐらい風が吹いてくれたら、俺から救助隊員にウイルスを感染させる心配がないから助かる。


俺たちが見上げる中、ヘリからするするっとワイヤーで救助隊員が下りてきた。屋上に降り立つと、ローター音に負けないよう大声で


「生存者の方ですね? 大丈夫ですか? 動けますか?」


声をかけて来てくれた。


「そうです! 大丈夫です! 二人とも動けます」


こちらも負けずに大声で返す。


「誰から行きますか?」


「最初はこの子です!」


俺は陽奈の肩に後からポンと手を置いた。陽奈はハッとした顔をしてこちらを振り向いた。


「あの……あの……」


何か言おうとして一生懸命言葉を探しているようだ。


「山野先生……先生が助けてくれなかったら、私、今頃、エレベーターの中で一人寂しく死んでたと思います。真っ暗な中で、友達と話をすることもなく、お母さんと仲直りすることもなく……」


涙で所々声が詰まっている。


「それに私……自分が将来何をするべきなのか全然分からなかったけど、先生たちのお話を聞いて、すごくすごく感動して……決めたんです。私もお医者さんを目指します」


「お、おう、そうか」


俺は葵と顔を見合わせて、笑顔になった。


「そんな風に見えないと思いますけど、私、学校の成績は良いんです。実は理系で1番なんです。だから推薦でうちの大学の医学部に上がろうと思えば上がれるんですけど、周囲の言うままに進路を決めるのが嫌で、ずっと進学先を決められてなかったんです」


え、ええーっ!?


そんなに成績優秀だったんだ。




「山野先生、本当にいろいろありがとうございました!」


そう言って陽奈は俺にガバッと抱きついてきた。俺は背中を軽くぽんぽんと叩いてやった。


陽奈の身体は温かい。


「あの……この白衣、このままいただいてもいいですか?」


「ああ、もちろんだ。そのまま着て行ってくれ」


「私、葵先生みたいに白衣が似合う女医さんになれるでしょうか?」


「ああ、もちろんだ。もう既にばっちり似合ってるしな」


陽奈はエヘっと笑い、


「じゃあ、私、先に行きます。山野先生、絶対に死なないで下さいね。またいろいろ教えて下さいね」


葵にも


「じゃあ葵先生、お先に行きます」


そう言い残し、乱れる髪を手で押さえながら、救助隊員の方に走って行った。


救助隊員にベルトで身体を固定される間も彼女はずっとこっちを見ていた。そしてワイヤーで引き上げられる間もずっと。


下から見上げていると……彼女の白く綺麗な脚がスカートから露わになって秋空を舞っている。思わず視線が一点に吸い寄せられた。


当然ながら横にいる葵に


「ちょっと! どこ見てるのよ!」


と怒られてしまったが。


そしてヘリに引き上げられる最後の瞬間、彼女はこっちに向かって大きく手を振った。


もちろん俺も大きく手を振り返したさ。泣きそうになりながら。


さよなら、陽奈。


さよなら、もう一人の妹。




「さあ、葵、次はお前の番だ」


それには答えず、葵は真面目な顔をして俺を見つめている。


私もここに残るとか、意地でもあなたを連れて行くとか、また困ったことを言い出すんだろうか。


しかしようやっと開いた彼女の口から出た言葉は意外だった。


「私、行くわ」


……良かった。ようやっとその気になってくれたか。


うん、と俺は大きくうなずいた。


しかしその次の葵の言葉で、俺はあやうく意識を失いそうになった。


「お腹の子供のために、私、行くわ」


え゛??


今、何とおっしゃいましたか?


お腹の子供?


「誰の子? とか言わないでよね。自慢じゃないけど私、あなた以外の男性なんて誰も知らないから。間違いなくあなたの子供よ」


あまりの衝撃で、頭の中に火花が飛んだ。


あ、あなたの子供おおおおおお!?


こ、子供できとったんかいい!!


いや、婚約してる時ならまだしも、婚約破棄したんだろ? いったい、いつそんな関係に? こんな美脚の超美人と? 羨ましいぞ、おい山野!


「何? その時のこと思い出そうとしてるの? いやらしいわね」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


「顔がにやけてるわよ」


「いや、子供ができたってことが嬉しいんだよ」


「本当かしら?」


いや、でもそれは本当だ。


葵はよく子供を欲しがってた。「男の子がいいな」とよく言ってた。男の子かどうかはまだ分からないけど、葵の願いを叶えてあげることができたのなら、それは喜ぶべきことだ。


ただいきなり母子家庭になってしまう葵と子供の運命を考えるといろいろ複雑な気持ちにならざるを得ない。


俺自身も、突然、父親になったと言われても全く実感がわかない。




「あなたがさっき『今ここで俺と結婚してくれ』って言ってくれたの、ものすごく嬉しかったの。この子が生まれてきた時にちゃんとパパの名字を名乗ることができるでしょ」


ああ、そうか。即答でイエスだったのは、そういう背景があったんだ。


「妊娠検査薬で陽性が出た時は、正直、産むかどうかまだ迷いがあったわ。病院にあなたが迎えに来てくれた時も、ゾンビになってるし、記憶はすっかり無くなってるし、産むのは無理かもって思ったわ」


まあ、そりゃそうだろうな。あの状況だったらな。


「でもね、あなたがちゃんと自分の過去に向き合って、辛い記憶も取り戻して、そしてそれを泣きながら乗り越えた姿を見てたらね……ああやっぱり私の大好きだった圭だ、私が心から愛した人だ、私はちゃんと生きのびてこの人の子供を産もうって決心がついたの」


風で髪がまた乱れてても……少し上気した葵の顔は相変わらず美しい。


そして今はそこに『強さ』も感じる。


女神は母親になった。


最強だ。ラスボスだ。




「それにね……」


葵は続けた。


「圭って『好きだ』とか『愛してる』とか全然言わない人でしょ。私にとって圭はいつも何年も先を行くお兄ちゃんで、頭良いし、いろんなこと知ってて、いろんな経験してて、しかも何考えてるか分からない所あるし、ずっと、いつも、不安だったの。いつ置いて行かれるのかって」


え? そうか? そうか……そうだな。確かに、こんなに愛してるのに、口に出して「愛してる」ってほとんど言ってないよな。


「それに実際に一度、婚約破棄されて置いて行かれたしね。私、あの時、本当に辛くて死にそうだったのよ」


葵はちょっと恨めしそうな顔をして言う。すまん! 申し訳ないっ!


「圭が帰ってきて、もう一度プロポーズしてくれるのをずっと待ってたのに、いつまで経っても何も言ってくれないし、もう私の方からは結婚の話はできないじゃない?」


俺の方は、改良型のウイルス作ったり、テロに備えて中和抗体を大量に作ったりすることで精一杯だったんだろうな。女心の分からん野郎で申し訳ない。


「それなのにこんな事態になってしまって、あなたもゾンビになっちゃってるし、ノートパソコンの中の手紙には『愛してる』って書いてあったからちょっと嬉しかったけど、でも一緒に逃げるって言ってくれないし、ああ、私また捨てられるんだと思ったの」


いや、決してそんなわけじゃないんだが……何も言えない。


「でもね、圭は私が断ると思ったんでしょうけど、プロポーズしてくれて、私を花嫁にしてくれて、それでやっと信じられたの。この人、私から逃げようとしてるんじゃないんだ、この人なりに私のことを愛してくれてるんだって」


そうか。9回裏、二死フルカウントから俺が苦し紛れに放った打球は、ぎりぎりポール際に飛び込むサヨナラホームランになったんだな。


「だから、私行くわ。あなたが一緒に来てくれなくっても、とりあえず、先にここを出るわ」




「葵……」


「何よ?」


俺には、言わなきゃならないことがある。


今ここで絶対に言っておかないといけないことがある。


ホームランは、かっ飛ばしただけじゃダメだ。ちゃんとダイヤモンドを一周してホームベースを踏まないとホームランとして成立しないんだ。


さあ、言え。


思い切って言え。


「俺は、お前のことが、死ぬほど好きだ」


声がかすれた。止まりかけてるはずの心臓がドキドキしてる。


たったこれだけの台詞だが、これまで口に出して言えなかったことだ。ようやっと言えた。


葵はうつむいたまま、小さな声で


「私も。でも死んじゃダメよ」


そう言ってくれた。




ちょうどその時、救助隊員がもう一度ワイヤーで下りてきてくれた。


さあ、いよいよお別れの時だ。


葵は一歩踏みだし、俺のすぐ目の前に立って顔を上げた。


「さっき結婚式の時にキス……誓いのキスしなかったでしょ? 今、して」


俺は黙って彼女の小さな唇の上に落ちていった。そしてそのまま彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。


女神の身体は思ったよりも細く華奢だ。でも温かく、しなやかで、身体の芯がしっかりしている。


彼女は俺の耳元で悪戯っぽくささやいた。


「私はスカートじゃないから、いくら下から見上げても無駄よ」


「それは残念だ」


葵はパッと俺の腕を解いて二三歩離れ、髪を手で押さえながら、大きな声で言った。


「私、あなたが死ぬとは全然思ってないから。あなたのことだから、きっとまた何かミスしてる。絶対あなた死なないわ」


……いや、残念ながらこれだけは確実だ。俺はもう間もなく完全なゾンビになり、そして死ぬ。これは避けられない。だが、もうそれは言うまい。


「だから『さよなら』って言わないわよ。先に行くだけ。とりあえず先にここから出て、役所で婚姻届出しとくわよ」


「お、おお」


「壁が撤去されたら必ず探しに来るから、それまでちゃんと生きてるのよ。頭を撃たれたりしたらダメよ」


「ああ、分かった。なるべく撃たれないように逃げる」


「それにちゃんとした結婚指輪も買っておくから、あなたが出てきてから、も一度指輪交換もするわよ」


救助隊員が、こちらに声をかけて良いかどうか分からず、困ったような顔をして待ってる。


「ほら、救助隊の人が待ってるぞ」


「分かってるわよ。とにかくあなた、この子のパパなんだから、絶対に死んだらダメなのよ。分かってる? 撃たれそうになったら逃げるのよ。竹やり持って向かって行ったらだめよ」




葵はだんだんまた涙声になってきた。


「葵、泣いてもいいんだぞ」


「泣かないわよ。泣く意味ないでしょ。あなたは絶対死なないわ。なのに泣く意味ないじゃない」


そう言いながらもう涙がぽろぽろ頬を伝っている。


「それ以上、大きなケガしたらダメよ。とにかく逃げるのよ。どっか隠れとくのよ。研究室に戻ってじっとしててもいいわ。私が探しに来るまで生きてなきゃダメよ」


「分かったよ。極力死なないようにする。それでいいだろ」


「それだけじゃダメよ。この子の……この子の名前も考えといてよ」


「分かった。考えとくよ」


「……」


葵はもう言葉も出せなくなって、俺を見つめたまま、ただただ泣いている。


「あのう、すいません! もう行かないと!」


困った救助隊員がとうとう声をかけてきた。


「あっ、すいません! 今、行きます! ほら、葵、もう行かないと」


俺はノートパソコンや中和抗体なんかが入った大きなバッグを葵の肩にかけ、背中をポンと押してやった。


「分かってるわ……じゃあ圭、私、行くわ」


「ああ」


「じゃあね、ダーリン! これ一度言ってみたかったの」


葵は無理矢理笑顔を見せ、そしてきびすを返し、救助隊員の方に走って行った。


ベルトで身体を固定されてる間も、ワイヤーで吊り上げられて行く間も、葵はずっと泣いているようだった。


見上げている俺の方も、気がついたら思い切り泣いていた。


さよなら、葵。


さよなら、俺の女神。そして俺の花嫁。


ずっとずっと、馬鹿な俺を愛してくれて、ありがとう。


すまんが、子供を頼んだぞ。



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