ヒロイン降臨
元警備員は向こうへ行ってしまった。
さっきのお姉さんにしても元警備員にしても、ゾンビは俺をゾンビだと認識した途端に興味を失うようだ。同類は襲わないということだろうか?
まあ、俺だって食われたくはないからそういう仕様の方がありがたい。
さて。
建物の外に出て周囲を探索するか、もうちょっと建物の中を調べるか。
ゲームだと、俺はまずスタート地点の建物内を隅々まで徹底的にうろうろする派だ。アイテムの取り忘れは避けたいし、取り返しのつかない系の罠とか踏みたくないしな。
それに俺の中の何かが、まずこの建物内をしっかり調べるべきだと告げている……そんな気がする。
まずはこの建物内をじっくり攻略しよう。そうしよう。
しかしこの電気が消えて薄暗いのはどうもいかんな。停電したままじゃエレベーターも動かない。階段をいちいち上がり下りするのも面倒だ。ゲームなんかでも、さあこれから探索をしようという場合、まず第一にやることは「電源の確保」だよな。
これだけの大きな建物だ。どこかに災害用の予備電源か緊急発電装置があるはずだ。
屋上かな? 地下かな?
とりあえず地階に下りてみよう。たしか階段はエレベーターのすぐ横にあったな。
俺は掲示板の前の通路を戻って階段の前に立った。踊り場に明かり取りの窓があるため、下りの階段も意外に明るい。
しかし、俺は階段を一歩降りかけて止まった。
見たところゾンビ達は、俺がゾンビであることを確認すると向かってこなくなるが、暗闇で突然出くわしたような時は、俺がゾンビであると分からずにかぶりついてくることはあり得る。囓られるリスクがゼロとは言えない。
これからこの建物内をあれこれ探索するのであれば、何か武器を持ってた方が良いな。
何か武器になりそうなものはないか?
その辺にマグナムでも落ちてたらいいんだが、現実世界ではそんなゲームのような都合の良いことはなかなか起こらない。
しばし頭を巡らし、俺は自分が倒れていたトイレに戻って、掃除道具入れからデッキブラシを持って来た。
よくある竹の柄の安っぽいものではなく、しっかりした木材でできたやつだ。これならいきなりゾンビが飛びかかってきても、ちょっと距離を取るぐらいの役には立つだろう。
よしよし。これでちょっと安心。
俺は改めて地階への階段を降りていった。幸いなことに電源関係の部屋は階段を下りた真正面だった。
『電気設備室』
この部屋だな。良かった良かった。探す手間が省けた。しかし、どうやってこの部屋に入るんだ? 入り口は頑丈な鉄製の扉だ。ドアノブをがちゃがちゃやってみるが、当然鍵がかかっている。
ゲームだと鍵が意外なところに落ちてたり、死体のポケットに入ってたりするんだが……まあそれはもう考えないでおこう。
その時、自分が鍵の束を持っていたことを思い出した。もし俺がこの建物の関係者ならば、設備用のマスターキーを持ってるかもしれない。まあダメ元でやってみよう。
ポケットから鍵の束を取り出し、一つ一つ鍵穴に突っ込んで回してみる。
一つ目の鍵。
がちゃがちゃ。
ダメだ。鍵穴に入らない。
二つ目の鍵。
がちゃがちゃ。
ダメだ。
ま、そりゃそうだよな。
我ながら馬鹿なことをやってるなと思いつつ三つ目の鍵。
もう面倒くさくなって来たな。
かちゃ。
あれ? 鍵が入った。
がちゃ。
あれ? 開いた? 開いちゃったよ。
ドアノブはあっさり回り、ドアは見かけよりもスムースに開いた。
これが設備用のマスターキーなんだな。ということは、俺はやっぱりこの建物の関係者だ。大学の職員だろうか。
まあ、今はそれはいいか。とりあえず電源、電源。
ん? 『災害用』って書いてるこの装置が緊急発電装置っぽいな。操作マニュアルをプリントアウトしたものが横に貼ってある
こうやって、こうやって、そしてここをこうやって。
マニュアルに書いてある通りに操作し起動ボタンを押す。
かちっ
……うぃーん
どこか離れた場所で機械音がする。
数秒後、パッと部屋の電気が点いた。
おっ、やった。
災害用緊急発電装置、起動成功だ。
よーし、よし。
俺は意気揚々と電気設備室を出ようとしたが、その途端にプチンと電気が切れて、周囲は元の薄暗がりに戻ってしまった。
ありゃ? 何だ?
容量オーバーでブレーカーが落ちたのか? 建物のどこかでショートでもしてるのか?
仕方なくもう一度戻って装置を再起動しようとするが、何回ボタンを押してももう何の反応もない。何だよ。1分間しか動かない緊急発電装置なんて意味ないじゃないか。
仕方ない、電源は諦めるか。
夜になったら建物の中は真っ暗だろう。明るいうちに上の階を探索しとくか。やれやれ、面倒くさいがエレベーターはなしだ。階段を上がり下りするしかない。
電気設備室を出てデッキブラシを握り直し、俺は階段をゆっくりゆっくり上がって行った。
2階に上がりかけた時、上の方からたたたた……と階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。
ん!?
この階段を下りてくる早さはゾンビじゃない。
生存者か?
まさかショットガン持ったゾンビハンターじゃねえよな。こんなまだ訳の分からない状態で頭を吹き飛ばされたくはないぞ。
隠れようか。いや、もう間に合わないな。
来るぞ。
たったったったっだっだっだっだっ……
足音が大きくなってきた。
はあはあはあ……
息づかいまで聞こえてきた。
俺は両手でデッキブラシを握って身構えた。
最後の何段かを飛び降りたのか、だん! と大きい音を立てて目の前の踊り場に飛び出してきたのは、茶色いブレザーの制服を着た、女子高生っぽい女の子だった。
女の子は俺が視野に入るやいなや、息をのんで立ち止まり、目を丸くして俺を凝視した。
前髪パッツンのセミロングで和風な雰囲気だが、ハッとするほど綺麗な顔立ちだ。そこいらのアイドルグループなら間違いなく最前列だろう。
目尻がちょっと上がってて猫っぽいところがまた個人的に俺の心をつかむ。
というか、この子の顔には何故か見覚えがあるような気もするが……まあそんな気がするだけかな。
女の子の頬は上気して真っ赤になってる。これはゾンビの顔色じゃない。ちゃんと生きてる女の子だ。生存者ってことか。
俺が何か声をかけようとした途端、彼女はひいっというようなかすれた悲鳴を上げ、回れ右して階段を駆け上がって行った。
可哀想に、あれはゾンビに追いかけられて逃げて来たんだな。怯え方が半端ない。
やっと逃げ出して階段を下りてきて、また目の前に俺のようなゾンビが現れたら、そりゃびびって逃げるだろう。
でも、またゾンビのいる所に引き返したら危ないぞ。
「おーい、待ってくれ!」
俺は彼女に呼びかけつつ後を追った。
「ひいーっ!」
彼女は悲鳴を上げ、かえって必死で逃げて行く。
まあ、ゾンビが「待ってくれ」とか言いながら追っかけてきたら、よけいに怖くて逃げるよな。
「おーい、大丈夫だから待ってくれ!」
階段を駆け上がろうと思っても、俺の方は身体が重い。
何せ呼吸はしてないから息が切れることもないんだが、雰囲気だけぜいぜい言いながら彼女を追う。




