女神への背反
今回もウツ展開が続きます。ストーリー上、避けられない部分ですし、次話でフォローされてますが、ご注意下さい。
都内で一人暮らしを始めた俺は、相変わらず腑抜けのような状態だったが、とりあえず食って行くために昼夜いろんなバイトをやりながら、ずっと考え続けていた。
人の死って何なんだろう。
心臓が止まって、呼吸が止まって、瞳孔が開いてしまえば、本当にそれが『死んだ』ということなのか。
俺は佳代の心臓が止まった時の身体の温もりを忘れることができなかった。
「死んでねえ! 佳代は死んでねえ! 心臓が止まっただけだ!」
その叫びは心の中でずっと繰り返されていた。
心臓が止まっても、もしあと10日間、身体の細胞を生かし続けられたら……その状態で心臓移植を受けられたら、佳代を助けられたんじゃないのか……そういう考えが頭を離れない。
ある日、ふと思い立ってバイト帰りに大きな本屋に寄り、高校在学中は全く読むこともなかった生物の参考書を読んでみた。
『細胞が生命活動に必要なエネルギーを得るシステムには、酸素を必要としない解糖系と、酸素を必要とするクエン酸回路・電子伝達系の2つがあります』
そう書いてある。
酸素を必要としない解糖系。ふーん。
さらに読むと、普通は低酸素下で解糖系だけ使って細胞を活動させようとしても、その生成物である乳酸が溜まってしまって、数分もしないうちに止まってしまう、とある。
でも、もし何か細工をしてこの解糖系だけで長時間細胞が生き長らえることができたなら、心臓が止まっても、呼吸が止まっても、その人は回復可能なんじゃないか。
実際に、心停止後も人の身体の細胞は部位によって数時間は生きている。もっと長時間活動している細胞もあるらしい。それを数日レベルに引き延ばせば良い。
素人の荒唐無稽な発想だ。
でも、ひょっとしたら……
当時のネットでは、日本語で検索しても大した情報は出てこなかったし、常に欠点ギリギリだった俺の英語力では海外のサイトなんて読めなかった。
俺は大型書店に通って生物学関係の本を立ち読みしまくった。最初は高校の参考書を読んでいたが、それはすぐに大学の教養課程の教科書になり、そのうち医学書や生物学の専門書になった。
でも本を読んで得られる知識には限界がある。もっともっと細胞の生命活動について知りたい。そして実際に自分の思いつきが有効なのかどうか確かめてみたい。
気がつけば俺の前に、腑抜けのようになっていた俺の目の前に、これからの人生で自分がやるべきことが見えていた。
大学に行こう!
バイオ系の研究をできる農学部か理学部の生物学科……いや、死ぬ気で勉強して医学部に行こう。
そして、なかなか心臓移植の進まないこの国で、佳代と同じように移植を待ちながら亡くなって行く子供たちに、ちょっとでも時間の猶予を与えられるような、そういう技術を研究しよう。
でも、偏差値なんて50もないような、しかも予備校に行くような金もない、どっちかと言えば文系の俺が医学部に入るのは、至難の業、なんてもんじゃない、まるっきり無謀な挑戦だった。
とりあえず1年じゃ絶対に無理だ。2年……いや、3年計画で行こう。
1年目は……もう実際には半年ほど過ぎてしまってるので残り6ヶ月、バイトをしっかりやって資金を貯める。受験期間になったらバイトなんて行ってられないからな。
2年目は基礎的な勉強をみっちりやる。基礎がない上に医学部に入る実力を積み重ねることはできない。
そして3年目はバイトを減らして時間を作り、赤本だの青本だのX会だの、実戦的な勉強を死ぬ気でやる。本当に死ぬ気でやって、それでダメなら諦めよう。
俺は無謀な挑戦を始めた。元々、根性だけは人一倍あったからな。何でも丸暗記でがむしゃらに頭に詰め込んでいった。
英語は単語力だ。数学もひたすら解法を覚える。理科や社会は当然暗記だ。全て丸暗記のごり押しだ。
それでも1年目には40台の後半だった偏差値が2年目の夏には50台に乗り、2年目の終わりには60近くまで伸びた。
しかしそこから先がまた大変だった。偏差値が上がれば上がるほど、そこからさらに上げるのは難しくなる。
特に3年目後半の半年は本当に辛かった。バイトはぎりぎりまで削って部屋に閉じこもり、1日に18時間ぐらい泣きながら勉強した。
目の前にあの佳代の制服姿の写真を飾り、眠くなったら身体のあちこちをグーで殴りつけ、自分を追い込みながら必死で机に向かった。
全身アザだらけ、もうこれがあと10日続いたら死ぬなという極限状態で、幸い入試は終わってくれた。
そして俺は無事、第一志望の医学部に奨学金付きで潜り込むことができた。
一次の学力試験の出来は微妙なところだったし、三浪の俺は二次の面接でも明らかに不利だった。しかし面接で志望動機を聞かれた時に、俺は正直に佳代の話をした。それが面接官の心を動かしたのかもしれない。
一人暮らしを始めた頃には無気力の海に沈みそうになっていた俺を、天国の佳代が引っぱり上げてくれた。俺はそう思った。
俺は佳代にお線香をあげながら合格の報告をした。
当時、啓蒙大学の医学部は私立の医学部としては格段に学費が安かった。
だからこそ俺のような苦学生でも奨学金さえあれば何とかやって行けたのだが、それでも周囲はお金持ちの坊ちゃん嬢ちゃん、しかも年下ばっかりで、最初は全く馴染めなかった。正直、浮きまくってた。
でも出席番号が一つ後の女の子……附属からエスカレーター組のお嬢様、三つ年下だから佳代と同じ歳だ。後で知ったが内分泌内科の渡辺教授の娘らしい。
これがとんでもない美人で、しかも何故か俺のことを気にかけてあれこれ世話を焼いてくれた。
それが葵だ。
彼女のおかげで俺は周囲の優等生集団にちょっとずつ馴染むことができた。
生活費のためバイトを外せない俺はレポートを書く時間がない。そんな俺のレポートを代筆してくれたりもした。試験前でバイトに入れず食費がなくなった時にはメシを奢ってくれた。
葵のおかげで、俺は苦学生をしながらも、医学部の学習システムにどうにかついて行くことができた。
当然、俺は葵に惚れまくった。
俺みたいなおっさん、絶対に振られるだろうと思って告ったら、意外にもすんなりOKしてくれた。俺たちは付き合い始めた。
医学部に引っぱり上げてくれたのが佳代なら、その後を引き継いで俺を引っぱり続けてくれたのが葵だ。俺にとって二人目の女神だ。
いろいろ苦労はあったが、それでも医学部の6年間は比較的平穏な歳月だった。
俺はとにかくバイトと学校で忙しく、余計なことを考えている時間もエネルギーもなかった。葵と過ごす時間も楽しかった。俺は苦しい葛藤からしばし離れていられた。
しかし医学部を卒業して医師になった俺を待ち構えていたのはまたあの問いだった。
人の死って何なんだろう。
いや、この問いはこれまでよりももっと激しく、鋭く、俺を突き上げた。
例えば、こんな感じだ。
明け方の4時、当直室に電話がかかってくる。
「7A病棟です。申し送りが行ってると思いますけど、MK(胃癌)ターミナルの85歳の男性患者さんが心肺停止状態です。先生来て下さい」
とりあえず病棟へ行く。
そしてまずやることは、病室へ行くのではなく、詰所でカルテを開けることだ。
そこで確認する。
確認事項は、心肺蘇生をするのか、どこまでするのか、他に何か注意事項はないか、だ。
だいたいはカルテの目立つ所に
『心肺蘇生は家族到着まで』
とか
『心肺蘇生不要』
とか書いてある。主治医と家族の間で話ができてる。それを確認するんだ。
それからおもむろに病室へ行く。
心肺蘇生が不要な場合は、すぐに心肺停止を確認し、瞳孔散大、対光反射なしを確認し、そして家族に宣言する。
「4時18分、ご臨終です」
この4時18分というのがいわゆる『死亡時刻』になる。
もし家族が病室にいなくて『家族が到着するまで心肺蘇生をする』っていう設定になってたら大変だ。
家族が到着するまで延々、汗水垂らしながら心臓マッサージを続けることになる。例え患者さんがもう完全に亡くなった状態であってもだ。
場合によっては気管内挿管して、アンビューバッグをもまないといけないこともある。これも辛い。すぐに握力が死んでくる。
そして家族が到着してから汗だらだらの状態で病状説明をして、それから心肺停止と瞳孔散大、対光反射なしを確認し直して、そしてようやっと家族に死亡宣告する。
「4時18分、ご臨終です」
事実上は1時間前に亡くなってても、今、亡くなったことになる。
要は、その人が亡くなったかどうかは医者が決めるんだ。医者が、だ。俺みたいな、こんな若造の医者が、だ。
それでも85歳のお爺さんならまだ良い。いや、良くはないが。
患者さんが子供だったり、若い子だったり、働き盛りのお父さん、お母さんだったりしたら……これは大変だ。修羅場になる。
そう。
まさに佳代が亡くなった時の俺みたいに、家族が取り乱してしまって、患者さんの死を受入れないことがある。
しかも俺は研修医を終えて小児科医になった。さらにわざわざ小児循環器を専門にしたので、佳代と同じ病気の子供を担当する事が多かった。
俺は自身のトラウマに何度も何度も直面することになった。
絶対に死を受入れたくない家族に、子供の死を伝えざるを得なくなった。
俺が医師になった頃には法律が改正されていて、15歳未満の子供にも心臓移植の道はできていた。ただこの国では子供の心臓移植はほとんど進まず、結局渡米を目指すもあとちょっとのところで力尽きてしまう子が何人もいた。
人の死って何なんだ。
俺にできることはもうないのか。
もうあとちょっとだけでもこの子の命を延ばしてあげられないのか。
毎日毎日俺は煩悶し続けた。
だって、主治医の俺が諦めた瞬間がその子の死なんだぜ。
俺が殺した……そうじゃなくっても、そう思ってしまうんだよ。その子の家族から、そう思われることもあるんだよ。
俺が病気の子供達に背を向けて大学院の研究室に閉じこもったのは『逃げ』だったかもしれない。ただ言い訳させてもらえるなら、俺にとってはそれが『子供達の命を諦めない』もう一つの選択肢だったんだ。
俺は受験勉強をしてた時と同じぐらいの必死さで研究に打ち込んだ。医学部に入るきっかけになったあのアイデアを、実際に形にして行った。
成果は少しずつ現れてきた。
俺が書いた細胞の不死化に関する論文は海外の有名雑誌に掲載され、学会で新人奨励賞をもらった。研究者としては順風満帆と言っていいだろう。
ただ、葵は一貫して俺の研究には批判的だった。彼女には最初から、俺の研究が何かまずい結果になるだろうことが分かっていたようだ。
葵とは研修医の時に既に婚約を交わしていたが、俺の研究が落ち着いてから結婚しようということで、ずっと結婚を待ってくれていた。
「もう研究はその辺にして、普通のお医者さんに戻って」
何度もお願いされたが、俺は彼女の言うことに耳を貸さなかった。
大学院を卒業して米国へ研究留学に行こうとした時、彼女は泣いて俺を止めた。俺は彼女を向こうに呼び寄せるつもりだったが、彼女はそれをきっぱり断った。
「お願いだからもう研究は止めて。どうしても行くなら、婚約を破棄して、私と別れて行って」
そこまで言った。自分の人生を賭けて俺を止めてくれたんだ。
それなのに馬鹿な俺は、彼女が俺の研究に嫉妬してる、結婚を焦ってる、そう浅はかに考えたんだ。
それに、情けないことに俺は、研究を止めて病棟に戻るのが怖かったんだ。何もできないまま担当の子供の死亡宣告をする仕事をもう受入れられなかったんだ。
葵が泣いて止めてくれたあの時点なら、まだ俺は普通の医者に戻れた。あの時点で引き返していたら……病気の子供達に慕われながら、葵と結婚して幸せな家庭を築きながら、俺は普通の小児科医として生きていたはずだ。
しかし俺は葵を捨てて米国行きの飛行機に乗った。
あの時点で俺の運命は決まったんだな。
俺は自分から女神に背を向けたんだ。
女神の加護を失い、報いを受けるのは当然だろう。
そして女神に離反した俺に近寄ってきたのは悪魔達だ。悪魔は様々な誘惑を手に、次々と俺の元にやってきた。
俺も多少は悪魔に抗おうとはしたが、所詮は素人。結局は悪魔に取り込まれ亡者達の列に加わることになってしまった。
2話ウツ展開が続きました。辛かった方、ごめんなさい。次話を読んでいただければちょっと元気になると思います。




