目指すは当直室
大学病院内も照明は消えている。
この辺りはMRIやCTや核医学関連の部屋が並んでいる。少し広くなった待合スペースなどもあるのだが、誰もおらず真っ暗でしんと静まりかえっている。
どこかにゾンビが潜んでいないか気をつけながら進むが、動く物の気配はない。
しばらくすると1階へ上がるらせん階段があった。吹き抜けになっていてこの辺りだけほの明るい。
階段を下りたところにあるコンビニは、俺達が行った店とは違って、まるで略奪にでも遭ったような荒れ方をしている。
いや、実際に略奪に遭ったのだろう。入り口の扉は大きく開いたままになっており、中の商品棚はあらかた空で、残った商品が床に散乱している。ひどい有様だ。
まあ、今はコンビニに用事はない。先を急ごう。
だが階段を上がりかけて、俺ははたと立ち止まった。俺が急に止まったので陽奈がキャッと声をあげて俺の背中に追突した。
「あ、すまん、陽奈。しかし、あの声が聞こえるか?」
「ああ、聞こえますね。いっぱいおられるようですね」
1階のフロアにはおそらくゾンビが多数彷徨っているのだろう。その呻き声や唸り声がいくつも重なって波の音のようになり、階段の下まで聞こえてくる。
こりゃダメだ。ここを上がるとゾンビだらけだ。どこか別の階段を上がろう。
地下階に戻り、コンビニの前を通り過ぎて歩いて行くと、奥に素っ気ない普通の階段があった。
階段の横にある案内板を見ながら思案する。
俺はまず第一に、安全に点滴できる場所を確保しようと思っていた。
点滴には短くても1時間ぐらいはかかる。その間、ショック症状など不測の事態に備えて俺もずっと横についていないといけないし、もちろん何か起った時にはすぐに対処しないといけない。
その辺にゾンビがうろうろしている環境でそんなことはできない。
周りから遮断された安全な小部屋。できれば鍵がかかる所が良い。そしていざという時のための救急カートを持ち込めるところ。
一つだけそういう場所の心当たりがあった。
大きな大学病院の建物。この建物の4階、手術室や集中治療室があるフロアの一角にある医師用の当直室エリアだ。
いろいろな診療科の当直医が泊まり込むための部屋が並んでいて、女医さん専用の部屋や研修医用の当直室もある。その一角だけビジネスホテルのような雰囲気になっていたのをおぼろげながら覚えている。
あそこなら鍵もかかるし、外来や病棟など人が多い場所から離れてるからゾンビは少ないはずだ。白衣を着たゾンビはいるかもしれないが、数が少なければ何とか対処できるだろう。
とにかく4階に上がって、当直室を一つ確保し、できれば陽奈をそこに置いて、点滴や救急用具を探して来よう。一人にしないでくれとかまた言うかもしれんがな。
階段をぼちぼち上がっていく。
1階のフロア部分はさささっと小走りに通り抜ける。
ちらっと横目に見ただけでも1階のエントランスホールはゾンビらだけで、遺体らしきものがフロアにごろごろ転がっており、酷い有様だった。
2階、3階と上がって行く。
理学部棟でもそうだったが、やはり階段にはゾンビはいない。
そういえば俺の書いた論文の中にゾンビ化したマウスの行動特性が書いてあり、その中に、ソンビ化すると垂直方向の移動をしなくなるというのがあった。
原因は不明となっていたが、おそらく運動制御の障害によるものだろう。あるいは感覚統御の問題かもしれない。
いずれにせよゾンビは階段を上がり下りして別の階に移動することはない、そう思って良さそうだ。
そんなことを考えているうちに、さあ4階だ。
下の階は大きい窓から日光が差し込んでいて明るかったが、4階の廊下は薄暗くしーんと静まりかえっている。
幸い、見える範囲にゾンビはいない。目の前に案内板があり、左側が手術室、集中治療室と御家族様控室、右側がカンファレンスルーム、当直室と書いてある。
とりあえず右側に歩き出してみよう。何となく見覚えがあるような、ないような薄暗い廊下だ。
しばらく歩き、曲がり角を左に曲がろうとして、向こうからスタスタと歩いてくる足音がするのに気がついた。
『!!』
驚いてこちらが足を止めると、向こうの足音もピタリと止まった。こんなの、絶対にゾンビの反応じゃない。
生存者か?
思わず陽奈を振り返るが……背中の彼女も俺を見上げ、戸惑った顔で固まっている。
医療関係者の生存者がいるならありがたい。俺の話を聞いてくれるか分からないが、人の命を助けるのにやぶさかではないはずだ。陽奈の点滴を手伝ってもらおう。
俺は思いきって曲がり角に顔を出してみた。




