表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/4

みずから敵の間へ躍りこんでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。

 私が神血教の聖女様に初めて出会ったのは、彼女を筆頭とした“解放軍”が『弱者の為に』と兵を挙げると言う噂が辺境の山奥にも届き始めた頃の事だった。もっとも、彼女の目的は私ではなく、我が師匠の勧誘であったのだが。

 師匠は戦争に次ぐ戦争で成り上がった叩き上げの軍人で、個人の武勇と奇抜な軍略で帝国の守護者とも言われるほどの名将軍であったらしい。それ故に貴族達から師匠は疎まれ、政争と言う名の足の引っ張り合いに敗れて野に下った。

 この『野に下った』と言うのは比喩的なモノではなく、地位や名声の全てを捨て辺境の密林で世捨て人のように生きる様になったらしい。捨て子だった私を拾ったことが奇跡に思えるほど、師匠の人嫌いは徹底している。私が成人してからは、近くの村に出向くことすらなくなり、私以外の人間を見るのは一〇年振りになるのではないだろうか?


「急な来訪をお許しください」

「そう思うなら、帰ってくれ。おい、馬鹿弟子。余計な物を森に連れてくるんじゃあねーよ」

「申し訳ございません。しかし、今や世は乱れ、人心に大きな迷いがあります。これを正し、世に大義を示すべきでは?」

「お弟子さんの言う通りです。植民地の亜人の奴隷化、貴族達の特権意識と平民に対する暴虐、邪教の封建的な身分制度、人々が本来あるべき差別のない自由と平等な社会は何処にもありません」

「自由? 平等? おい。馬鹿弟子。そりゃどういう意味だ?」


 神血教会の掲げる新たな概念に師匠が首を傾げる。

 流石は我が師匠。私のつたない説明で『自由』と『平等』を理解された。


「ふん。なるほどな」

「貴方様は、平民の産まれと言うだけで低く見られ、不当な扱いを受けてきました」

「そうだな」

「そんな世の中を変えたいとは思いませんか? 私達は今、平民、亜人、女性、病人、その他弱い人々の為に戦っています。不遇な扱いを受けて来た貴方様の言葉であれば、そう言った方々を奮い立たせることができるでしょう」


 聖女様は椅子から立ち上がり、自らの正義に燃えている。師匠は極めて醒めた瞳でそんな彼女を見て言った。


「違うだろ? お前は俺にこう言わせたいんだ。『殺せ』『殺せ』『殺せ』ってな」

「…………」

「俺は戦争を知っている。俺は誰よりも戦争を知っている。数多の理想を信じて戦い続けて来た。無数の正義に縋って戦い続けて来た。その結果が、今だ。どんな理想も、どんな正義も、どんな戦争も、何も世界を変えなかった。戦争に期待するな。戦争には絶望しかない事を、俺はこの世で最も知っている」

「…………我々は違います」

「何が違う? どうやって理想を成就させるつもりだ? この俺を頼って何をするつもりだったんだ? どうして人を集める? 何故に不和を煽る? 武器を取って立ち上がれと吹聴したのは貴様達だろう?」

「我々の聖戦は必ずや最後の戦いとなり、不朽の平和を齎すものとなるのです」

「小娘。貴様の求める道徳的な理想の勝利は立派だが、その勝利も貴様が嫌う権威共の勝利と何ら変わりはしないんだよ。暴力、虚言、誹謗、不正、戦争での勝利は、どうしようもなく不道徳でなければならない。戦争は変わらないのさ。『殺せ』『殺せ』『殺せ』と繰り返し、死体の山と血の河を作るだけだ。あそこに正義を見出すのは戦争を知らぬ愚か者達だけだと、何故に学ばない」

「それくらい、私も理解しています。しかし清濁併せ吞むことができねば理想は達成できません。犠牲なくては何も成せません、そうでしょう?」

「嗚呼! 犠牲! 犠牲いけにえだろうよ! 貴様らは本当に野蛮だ。失われたモノの尊さを、生き残ったモノの価値だと思い込もうとしている。自身は血を流していないと言うのにな! 貴様達の正義なぞ、道理を知らぬ蛮族となんら変わりない。俺から言わせて貰えば、国もお前も何ら変わりない。違う言葉で正義を騙る略奪者だ」


 そこまで言うと、師匠は立ち上がって腰に佩いた太刀を抜いた。

 え? ちょっと? 師匠?


「扇動者よ、逝ね」

「っ!」


 金属音が耳朶を打ち、掌の中の痺れる感覚が、私の抜剣が間に合ったことを教えてくれた。師匠の太刀の切っ先は僅かに聖女様の頬に触れた所で停まっており、瞬き一つでも反応が遅れていたら彼女の首を床に転がっていたことだろう。


「なんだ、馬鹿弟子。邪魔すんなよ」

「しますよ! 大丈夫ですか? 聖女様?」


 互いに太刀を鞘に収めながら私は聖女様に訊ねる。彼女は目を開けたまま気絶していた。


「ふん。まあ、今更誰が死のうと俺には関係ないか。おう、起きたらお帰り頂け」

「…………師匠、力になって上げられないんですか?」

「お前まで、俺に人を殺せと言うのか?」

「だが、無辜の民が虐げられているのです。助けたいと思うのは間違いでしょうか?」


 正直な所、私は聖女様の理想に共感している所があった。産まれ持った顔のアザの形が不吉だと、迷信深い田舎の人間達は赤子の私を捨てた。師匠が偶々通りかかって助けてくれなければ私は死んでいただろう。

 弱者として産まれ、疎まれた私には自由や平等の言葉は正義の言葉であり理想的な物に思えた。一切の偏見と差別なく過ごす事が出来る社会は、きっと幸福に違いない。

 私は思っていたことを全て口にし、師匠に聖女様を助けてほしいと頭を下げた。先程のやりとりを見るに、きっと師匠は私の言葉を間違いだと否定するだろうが、頼まずにはいられなかった。


「馬鹿弟子。お前がそうしたいなら、そうすれば良い」


 そして、返事は意外な言葉だった


「俺はお前に全てを教え、お前は俺の全てを修めた。好きにすれば良い」

「え?」

「よくよく考えたら、お前も二十の半ばだ。世間と言うのを見てこい。いつまでもジジイの世話をさせるのも可哀想だ」

「ですが、師匠の世話は? もう七〇も近いですし、一人で大丈夫ですか?」

「ガキに心配される筋合いはねえ」


 うーん。

 唐突に大きな決断を狭まれた私は困惑した。

 だが、最終的に私は聖女様について彼女を助けることにした。

 師匠が私にそうしたように、私も誰かを救いたいと思ったのだ。


「そうか。まあ、何時でも帰って来い。いや、帰って来なくても良い。お前がしたいように生きろ。俺はそれを応援しよう」

「ありがとうございます」


 餞別に幾らかの金子(まあ、私が管理してたからありがたみないけど)と名のある太刀を貰い受け、翌日の朝には聖女様を連れて森を立った。

 ああ。そうだ、もう一つ。宿題も貰ってしまった。


「“悪とは何か?” 何時か、その答えを俺に教えてくれ」


 師匠には珍しく、漠然としていて曖昧模糊で哲学的な問いだ。

 私なりの答えを、いつか師匠に報告しよう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ