びだあどのぼうけん 急-邪悪
ヴィダードが健気にシンカとの約束を守り、弟子を育てている頃。
森渡りの里にリンレイは帰りついてた。
死んだ息子に気を取られて、生きている妻や子供達を蔑ろにする訳にもいかない。
振り切るべきなのだろう。
だが、そう易々と忘れる事は出来なかった。
里はいつも変わらない。
聳え立つ千穴壁を見上げてリンレイはしみじみとそんな事を思った。
家に帰り着くと家事をしていたセンコウとシャラが迎えてくれる。
戦争があった。里を襲撃された。そして息子が森に呑まれた。
この幸せがいつまで続くのかは誰にも分からない。
今この手元にある物が、本当にかけがえの無い物だと自覚して、大切にしていかなければならない。
親を早くに亡くしたリンレイはシンカにそう伝えて来た。
自分もその気持ちを忘れた事は無い。
「あなた。五老から出頭する様にと連絡があったわよ」
壺を持ち上げ、今にも指先で回転させようとしている12歳のリンチュウと睨み合いながらリクファが告げた。
壺を指先で回せば五割の確率で壺は床に落ちて割れるだろう。
リンレイは礼を告げて荷を解くと千穴壁最上部の集会所に向かった。
家が賑やかなのは有難い。
辛さを軽減してくれるから。
集会所に辿り着く。
番をしていたナンカンに案内されて奥の間に辿り着くと、五老のリクゲン、トウマン、エンホウ、アンジに、山渡りの襲撃時に子供達を守って殉職したウンハに替り五老に就いたジュコウ。
それに六頭のハンネ、十指のセンヒ、スイキョウ、スイセンが既に集っていた。
「ただ事では無さそうだね…」
今里にいる首脳全員が集う事態にリンレイは気を引き締め直し、囲炉裏を囲む席の一つに座る。
全員がじっとリンレイの様子を伺っていた。
「…では始めるかのぉ。まず一つ目。センヒ、話せ」
エンホウが促すとセンヒが口を開いた。
「ガンレイとジュリが失踪しました。場所はクサビナのエリンドゥイラ。装備を残して忽然と姿を消しており、宿の主人から薬師組合に照会があり発覚しました」
「現地の組合員で痕跡を辿る事は出来なかった?」
リンレイは訊ねる。
「部屋は一月分の料金が先に支払われており、掃除も不要と伝えられていた為に発覚が遅れた様です。具体的な失踪日が分からず、痕跡も残っていなかったと」
「発覚したのはいつだい?」
「5日前です。最後に彼女らの姿が確認されたのは10日前です」
「……他の土地で同じ様な事件は起こっている?」
「それは既に照会しましたが、今の所起こっていない様ですね」
ハンネが答える。
「…それと関連しているかは分からんが、全通が発布されたのは認識しているか、リンレイ?」
アンジがリンレイの目を見て訊ねる。
「全通…?いえ、知りませんでしたね。誰からのでしょう?」
「…お前だ。リンレイ」
リンレイは全通を出した記憶など無かった。
「僕は全通など出してないよ。署名は間違いなかったのかな?」
「報告では全通、六頭、リン家、そしてお主個人のリンレイ、全て間違いないものと確認したと報告をうけている」
何度も問われても全く記憶に無い。
「内容は?どんな全通でしょう?」
「…ふん、それがまるで意味が分からんから困っておる」
問いにトウマンが答える。
「内容を教えて貰っても?」
頼むとトウマンはエンホウから紙片を受け取って読み始めた。
「我が精霊よ 我が叫びの声を聞き給へ 我は祈りし者なり
我が精霊よ 我は悪しき者を討ち 敵は永久に絶えて滅ぶ
我が精霊よ 我が魂は去らずあり 我が足は地を踏む
我が愛よ その唇は祈りを紡ぎ その舌は愛を歌う
我が愛よ 祈りの丘で縁を紡ぎ 祝いの歌で愛を寿
我が愛よ 無償の愛よ 我は求める者なり
千の日を超え 分つ事は難し
正しさで道を照らし 手を取り歩け
純潔であれ 英明であれ 精強であれ
導かれよ」
気付けばリンレイは立ち上がっていた。
喘ぐ様に口を開けて荒く呼吸をしていた。
気付けばトウマンに手を伸ばしていた。
センヒとスイキョウがいつでも武器を抜ける様に懐に手を伸ばしているが、リンレイは微塵も気にせず、ただトウマンに迫った。
「お主、泣いているのか…?」
トウマンが差し出す紙片を受け取り、震える両手で小さな紙切れを持ち、穴が開くほど見つめていた。
「こ、これはっ!何処でっ!何時!」
「発布されたのはケルレスカン本部。25日前。リンレイ、どういう事か説明してくれんか?」
リンレイは立っている事が出来ず、跪いた。
涙が床に溢れ!小さなしみが出来た。
「こ、これはっ!シンカが僕たち家族に宛てた!生存報告なんだっ!」
リンレイが叫ぶと一同は顔を見合わせた。
「まさかっ!」
「いや、あり得ない」
「確かに全通の偽装発布をした者とシンカの身体的特徴は合致するが…」
「御告げの王と牛鬼200体を斃し、尚生き残る…。それはいくらなんでも…」
「でも彼はグレンデーラに行法で山を造った男よ?あり得るのでは?」
「あれは珠に溜め込んだ数年分の経を使ったからであって」
喧々轟々。
リンレイの言葉に面々は紛糾しあっていた。
当のリンレイは涙を流し、何度も何度も文面を読み直していた。
そうしていると俄かに集会所の表が騒がしくなり、番のナンカンが駆け込んでくる。
「皆様方!信じ難いのですが、たった今里にシンカさんとナウラさんが戻られました!」
一同は唖然として言葉を失った。
ただ、リンレイが男泣きし、鼻をすする音だけが奇妙に響いていた。
軈てセンヒが口を開き、小さく言葉にする。
「………あいつ……やっぱり化け物だったか…ていうか、個人的な報告を全通でするなよ…」
センヒの指摘は至極真っ当だった。
ヴィダードがヘンレクを出てから30日が過ぎた。
3人の弟子との生活に変わりは無く、ヴィダードはシンカやナウラ達が見たら驚愕で顎が外れ歯が抜け落ちる程甲斐甲斐しく修行をつけていた。
元来ヴィダードという者は、一つの事に拘る気質がある。
一度決めた事を投げ出す事はない。
それに加えて、ヴィダードは弟子達に対して愛着を抱いていた。
自分を師匠と呼び慕う者を邪険にする事は難しい。
ヴィダードに告白をしたオテロのせいで少しぎくしゃくとした事はあったが、今は表面的には落ち着いている。
尤も、毎日精魂尽き果てるまで厳しく修行をつけている為、余計な事を考える余地は少ない筈なのだ。
3人の中で、ティタは特に筋が良かった。
元から扱えた水行法に加え、ヴィダードが手解きした風行法も既に標準以上に扱える様になった。
頭も良く、薬の調合も直ぐに覚え、弓も既に動かない的であれば15間の距離を射抜く事ができる様になっていた。
ヴィダードはナウラを見ている様で気に食わない気持ちもあったが、輝く瞳で自分を慕う彼女を嫌いにはなれそうになかった。
オテロとトゥスもティタ程ではないが、剣も行法も成長している。
まだまだ非力だが、オテロは土行法、トゥスは火行法を使えるようになった。
剣は僅かな期間で義位程度に成長したが、伸び悩むのはここからだ。と、シンカが言っていたのを思い返す。
ヴィダードは剣技の事はよく分からない。
教わった無手の身体の使い方と、シンカやカヤテ、ユタの剣技を思い返して剣の振り方や立ち回りを教えるだけだ。
難儀したのは座学だ。
シンカの顔ばかり見ていてあまり頭に入っていなかったせいで、あまり教える事が出来ていない。
シンカがまともに座学を学ばないヴィダードとユタにぶうたれていた事を思い出し、初めて後悔した。
あの時は構ってくれていると考えて寧ろ喜んでいた。
この日ヴィダードは資金確保の為薬を売りに宿から出ていた。
ケツァルには薬師組合が存在しない。
建国当初、森渡り達を虜にして拷問を行った王族であるフレスヴェル一族を憎み、そのお膝元であるケツァルに彼らは寄り付かない。
ヴィダードは薬を適当な商会に卸し、金銭に変えるとぼんやりと帰り道を進んでいた。
近道の為細い路地に入ると、唐突に前後を男達に囲まれた。
「確かに、すげえ別嬪だなぁ」
大柄な男が鉄棍を肩に担ぎ、横柄な態度でヴィダードを睨め付けた。
「ちと肉付きが薄いが、この白い肌に刃物で落書きしたら映えそうだな!」
背後の肩幅の広い脂ぎった長髪の男が大剣を地に突きながら言葉にする。
「お前、俺らの仲間を結構やってくれたらみたいだからな。今頃宿の女達も攫い終わってるだろうし、あとはお前を半殺しにして、その細枝みてぇな手足を折って、後は厠女にして飼ってやるよ。飽きたら豚の餌だ!後悔しな!」
建物の上から別の声。
ヴィダードは今弓を持っていない。
武装は胸元の短剣のみ。
「大人しく捕まったら、手は勘弁してやるぜ!腕が生きてりゃ、相手する逸物が2本増えるしなぁ!」
ヴィダードを囲むのは33人の男達。
皆人を殺し慣れた気配がした。
「……」
ヴィダードは無言で立ち尽くしていた。
「おーおー、怖くてぶるっちゃった?ごめんねぇ。でも止めてあげないよぉ!」
唐突に、ヴィダードはふっと息を吐く。
「はぁっ!?」
正面の鉄棍使いの顔面が陥没し、熟れた柘榴の様に弾けた。
風行法・風咳
手振り無しの発動だった。
「こいつっ!やりやがった!?」
「畳めぇ!」
大剣使いがヴィダードに肉薄し!大上段からの縦斬りを放つ。
男はヴィダードを殺すつもりで剣を振るった。
だが肉を切り裂く感触は得られず、地を強く打ち突き刺さる感触のみが得られた。
気付けば男はヴィダードの姿を見失っていた。
突如として周囲に轟音が響き渡る。
「ぎゃっ!?」
同時に屋根の上から男の醜い悲鳴が上がる。
細い路地に建物の残骸が降り注ぐ。
土煙が降りしきり、空間が歪む。
何も無い空間からヴィダードの空色の瞳が鋭く輝いた。
武器を抜いたヴィダードが素早く動いた。正面に肉薄し、顔を潰されて倒れた男を飛び越えて、連なる集団に迫る。
咄嗟に突き出された剣を短剣で逸らすと、流れる様に腕を振い、頸動脈を斬り裂く。
どくどくと血が流れ出る首筋を抑えて、斬られた男は蹲る。
すぐにヴィダードほ両手を突き出す。
一部両脇の建物を巻き込みながら路地の見面が丸く陥没する。
ヴィダードの月槌が5人の野蛮な男を頭から爪先までを一纏めに潰し、月面の模様の様に、歪な図形を血で描く。
「っつっ、強いっ!?」
更に月槌の向こう、剣を構えて威嚇する7人に向けて行法を行う。
ヴィダードの手元が輝き、煌めく矢が形作られる。
「…」
無慈悲に放たれた光矢が男達に目に見えぬ速さで向かう。
直線上に立っていた4人が胸に大穴を開けて息絶えた。
直ぐに残る3人に肉薄すると、振るわれる剣を躱しながらながら、1人目の肋骨の隙間に短剣を差し込んで心臓を破壊、2人目の縦斬りを体を開いて躱し、首筋を短剣でなぞる。
3人目は袈裟斬りを潜って躱すと腕をひと突き、剣を取り落としたところで更に迫り、右の眼球に短剣を突き込んで脳を破壊した。
正面、頭上の敵を全て葬ると、ヴィダードほ振り返り大剣使いと対峙する。
既に包囲は解けた。
残るは大剣使いを含め11人。
狭いからヴィダードに勝てると踏んだのか。
大きな間違いだ。
風は、狭い方が勢いが増す。
「臭いのよねぇ」
日が暮れかけている。
黄昏に染まる街の中、狭く暗い路地の影。
薄暗闇で空色の相幢が炯々と輝いていた。
男達は息を呑む。
瞬く間に19人が屠られた。
14人で勝てる物なのか。
だが引き下がるには遅かった。
風が吹く。
土煙が巻き上げられ、視界を遮る。
男達は懸命に目を塞がれぬ様に細め、耐えようとした。
だが、そんな努力をしている時点で手練れ相手に悪手だった。
土煙がうねり線を模る。
「ま、待て、止めろ!」
ヴィダードが手を突き出す。
細く束ねられた風が、男達を切り刻むべく細い路地を突き進んだ。
全てを葬るとヴィダードは再び帰路についた。
幾つかの通りを抜けて、宿に辿り着くと、宿の入り口が破壊されていた。
中に入ると宿の主人と女将が身を寄せ合って嘆いている。
放置して階段を登り、自分の部屋前に辿り着くと扉は破られていた。
荷物を確認するが、取られたものはない。
ついで弟子3人の様子を確認する。
こちらも扉は破られている。
トゥスとティタの部屋は藻抜けの空で、寝台や周囲が散らかっている。
攫われたと見て間違い無いだろう。
オテロは床に倒れ伏していた。
頭部から出血し、腹には剣が突き立ち、血が広がっている。
意識はないが、息はあった。
ヴィダードは顔を顰めながら指をオテロの頭部に当てて、経を流し込む。
頭蓋内部の出血は無い。
身体を確認するが、骨折はあるものの、臓器の損傷は無かった。
剣を引き抜く。
傷付いた内臓を縫い合わせ、薬を振りかけて癒す。
切れた血管も、筋繊維も、皮膚も縫合して癒していく。
骨折用の湿布を用意して、指や腕、肋骨、脚に貼っていく。
「………し、しょう……」
オテロが目を覚ます。
「誰にやられたのお?」
「ようへい…トゥスと…ティタが……」
「そんな事は、言われなくても分かっているけどお」
「おれ…また…まもれなかった……トゥスが…」
「オテロ。貴方が本当に大切なものは何?私なら、私に着いてこの街を出るの。トゥスとティタが大切なら、私の事は忘れて追いなさい」
「…ししょうは、助けてくれないんですか?」
ヴィダードは目を瞑り息を吸い込む。
そして開眼し、炯々と輝く薄い色の眼で腫れ上がって細くなったオテロの眼を1尺の距離から覗き込んだ。
「甘えるな。人は全てを手にする事は出来ない。己の欲しいものは、己で掴み取れ!己が奪われた物は、己で取り返せ!」
ヴィダードはいつでもそうして来た。
欲しい物は自分で得た。
選択は何時でも自分で行った。
必要な判断を他人任せにした事はない。
「貴方は見えていなかった。直ぐ側にある掛け替えのない物を見落としてうつつを抜かしていた。私に懸想して、貴方に導かれたトゥスを蔑ろにした。そのつけが今巡って来たのよお」
「トゥス…まもれなくて…ごめん…トゥス…ずっといっしょだったのに…ずっといっしょだって…」
「取り返せ!立て!泣くな!お前が取り返せ!」
オテロが折れた手を床に突き、身体を起こす。
折れた肋骨を押さえながら体勢を変え、折れた脚をついて立ち上がる。
オテロがトゥスを大切にしている事はヴィダードには分かっていた。
優秀で気が弱そうに見えても芯の強いティタではなく、明るく直向きで、だが実は気が弱いトゥスを気にかけ、気をさいていた。
わかりきった事だった。
「私は、貴方に腹が立っていたの。トゥスを蔑ろにする貴方に」
それは複数の妻を持った己の伴侶への鬱憤なのか。
ヴィダードにはわからなかった。
誰がどんな思惑でヴィダードを襲い、3人の弟子を襲ったのかは分からない。
どうでもいい。
だが、攫われた弟子に技術知識を教え込まねば、シンカとの約束を果たせない。
「貴方は少し寝て、傷を治しなさないな。走れる位に治さないと、街から出る時に置いていく事になるわぁ」
着いていく、と意気込もうとしたオテロはぐっと押し黙る。
外套を着込んだヴィダードは武器を装備して1階に降りる。
そして打ちひしがれた夫婦に声を掛けた。
「貴方達も若い女を拐かされたのお?」
ヴィダードは先ほど囲まれた男達の装備に見覚えがあった。
随分と薄汚れていたが、戦争の時に見かけた。
こそこそと赤毛の兵士達に付き従っていた隣国の傭兵、雨月旅団の物だ。
どういう経緯でケツァルにいるのかは分からないが、足跡を追うのはヴィダードには容易い。
「お客様…申し訳ありません…。男達がやって来て、宿のお客様や私達の娘を攫って…」
必死に取り繕い営業を続けようとする女将を尻目にヴィダードは頭巾を被る。
「貴女の娘は、中々丁寧な接客だったわぁ。だから、悪い様にはしないわぁ」
ヴィダードはその場で這いつくばる。
オテロは全く役に立たないが、一つ本人が予期しない役立ち方をした。
激しい暴行を受けた彼の血液が襲撃者の靴に付着し、床に血痕を残していた。
血痕は直ぐ乾き、1階に辿り着く頃には消えていた。
だが、ヴィダードには匂いを追い続ける事が出来る。
這いつくばりヴィダードは進み出した。
宿から出る。
格調高い宿が並ぶ通りにそれは大層目立った。
だが気にするヴィダードではない。
這いつくばり匂いを辿り進み続ける。
脇をアギがしずしずと歩き、ヤカは後頭部に止まっていた。
通りを幾つか抜け、目的地に到達した。
立ち上がる。手に付着した土を払い、正面の建物を見遣る。
大山公司。
それが何処で聞いた店だったか、ヴィダードには記憶が無い。
どうでもいいからだ。
「……げ…」
その時横合いから苦味を多分に含んだ声が掛かる。
振り向くと見覚えのある顔。
「あらぁ。ファラじゃないのお」
「ヴィダード…。こんな所で会うなんて。今度は敵?味方?どっちなのよ!」
ユタが復讐で消え、探しに向かった先で敵の1人だったイーヴァルンのファラ。先の内戦では味方として同じ戦場に立った。
ファラの背後にはお馴染みの相棒、ダゴタのシラーが立っている。
ヴィダードはこの女が嫌いだ。
「…そちらの目的次第ねぇ。私の邪魔をするならぁ、殺すしかないわねえ」
「同胞に殺すとか言うなっ!」
ふふ、とヴィダードは薄く笑う。
目の異様な光と合わせると狂人の微笑みだったが、ヴィダードはただ自分の冗談に対するファラの適切な突っ込みに笑っただけだった。
「それでえ?ここで何してるのお?」
顔を顰めたファラが手招きでヴィダードを呼ぶと細い路地に入った。
「…あんたが関係あるとは思ってないから有体に言うけど、最近同胞が数人姿を消しているのよ」
ヴィダードの目が細められる。
ヴィダードとて若かりし頃は里を守る為に戦って来た戦士だ。
多少の愛着はある。
「私もねえ、弟子が拐われたのよお。あの建物にいるのお」
「?!何で分かるのよ!」
小声で怒鳴るという妙技を披露してファラが食い付く。
「え、待って待って。あんたが弟子?武器の名前とかじゃないわよね?」
「何を言ってるのお?」
ヴィダードに呆れられて本気でファラは落ち込んでいた。
「私達はファブニーラで消息を絶った4人の同胞について調べてここに来たのよ。食べ物に薬を仕込まれたみたいで、夜に拐われて、朝には藻抜けの空。ファブニーラの薬師組合からグレンデーラに連絡があったの。森渡りの人達が翌日にケツァル行きの商隊が出て、どうもその中に紛れていた可能性が高いって調べてくれて。それでケツァルに来たわけ」
「だが、おかしくないか?」
いままで黙り込んでいたダゴタのシラーが口を開く。
「イーヴァルンの民を攫ってどうするんだ?人間の貴族とかなら権力がどーとか、金がどーとかで分かるが、イーヴァルンの民から引き出せるものなんかないだろ?」
「そうなのよね。何の為に?」
ファラが首を傾げている。
「…攫われた同胞は、男?女?」
「女が4人よ」
「私の攫われた弟子もぉ、女2人なのよねえ」
「……ねえ、私達精霊の民は当然だけど、人間って、精霊を信仰してるわよね?」
「……多分?」
ヴィダードは首を傾げた。
「役に立たないわね!亭主が人間なのに!」
「旦那様は精霊を信仰していないからあ。ただ現実として受け入れているだけよお」
「森渡りの人達は大体みんなそうよね。でも、信じてる人は多い。そうでしょ?」
「多分?」
「話が進まないから素直に頷きなさいよ!…で、精霊は万物に宿る。だから物は大事にしなきゃいけない。人の命もまた然り。争い事で失われる事はあれど、それを売り物として扱う事は禁忌中の禁忌。そんな事をすれば、大陸中の国々に目の敵にされるのは明らかよ?それを、こんな王都で…?」
「どうでもいいけどお、あの中に弟子がいるのよねえ。私、もう行くわぁ」
路地から出て大山公司に向かおうとするヴィダードをファラが慌てて止める。
不快そうにヴィダードはファラを見た。
「話は続きよ!…まず、これは十中八九人攫いの人身売買よ。でも、ここは大陸一の大王国、クサビナの王都よ?…大きな商会だとしても、商会だけでそんな大それた事が出来るかしら?」
「無理だろうな。治安を維持する兵隊達と、そいつらを動かせる貴族が絶対に関わってる筈だ」
シラーがファラに答える。
「そう。しかもここはグレンデーラじゃなくてケツァル。私達に味方してくれる人は居ない。きちんと計画を練ってから行きましょ?」
そうしてヴィダードはファラとシラーに連れられて2人の宿に向かった。
そこで情報を開示し合い、打ち合わせを重ねる。
話し合いは日を跨ぎ、更に夕刻に到達していた。
2人の宿は大山公司の入り口を窺える位置にあり、窓からこっそりと様子を確認していた。
嗜好品を扱う商会の様で、酒や煙草などが一二度と運び入れられたが、その時にやけに大きな木箱が二箱運び入れられていた。
人が入っていたのかもしれない。
まだ、大きな箱は運び出されていない。
「不味いわね」
暮れゆく黄昏の中、隠れて外を窺うファラが小さく口にする。
確かにあまり良くない。
明らかに手練れと思われる旅装の男達が店に出入りしている。
「纏めると、多分大物の貴族が近衛兵に人攫いを容認させてる。実働隊は雨月旅団の残党。大山公司で捉えた人を捌いてる。しかも明らかな手練れが護衛として屯してる」
「…ふふふっ、これは頭蓋潰しが捗りそうだな」
ダゴタの民の悪癖、頭蓋潰し。
彼等は重量のある鈍器で人の頭を潰す事に快感を見出す退廃的な嗜好を持つ民族だ。
いままで常識的で真っ当な発言をしていたシラーが怪しく舌なめずりをし、身体から発情の匂いを湧き立たせた。
3人で相談の結果、夜間に密かに忍び込む事に決めた。ヴィダードも一度自分の宿に戻り、背嚢を持ち出す。
オテロは薬の副作用で熱を出して寝込んでいたので、適当に額に濡れて拭いを載せておいた。
ヴィダードは背嚢を弄り、幾つかの薬剤を取り出すと調合を始めた。
「流石、旦那が森渡りだけあるわね。聴いたわよ。その……」
「気を使う必要は無いわあ。旦那様が死んだって、言いたいんでしょお。腕と脚が見つかったけど、でもそれだけなのよお?頭が見つかってないのだから、見つかるまで私はシンカ様が死んだとは信じないの。他の誰が信じてもぉ」
「あんたがそれでいいならいいんだけどさ。でもその腕はしまっておいた方がいいと思う。もし、シンカさんが生きていて、自分の腕の骨をあんたが持ってるのを見たら…。私なら、私が人間なら、嫌いになる」
「!?」
シンカの腕骨を取り落としたヴィダードは慌てて拾い上げるとふーふーと息を吹きかけて目に見えぬ塵芥を吹き飛ばした。
調合していた薬が舞い散り、それを吸い込んだシラーが卒倒した。
筆が乗ったので投稿。