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びだあどのぼうけん 急-ほどけて風になるまで



ラタトゥスク領兵団員と睨み合うナウラ、ヴィダード、リンドウの3人。

敵の残存数はラクテア、リバエ、レドゲイの3人まで数を減らしていた。


領兵団員と3人の間の練度や経験は隔絶した差が存在した。

だがこの段階になっても領兵団員の士気は異様に高く、シンカと対峙するオベサム・ラタトゥスクの指示を受けた雑兵が、適宜戦闘を妨害するべく動きを取る為膠着状態にあった。


レドゲイが後方から風行法を行う。


両手が突き出され、風行法・鎌鼬が行われる。


ヴィダードは最早無言で鎌鼬の制御を奪い取ると風に自身の経を纏わせる。


鎌鼬は上空へと立ち上ると細かく分裂し領兵団員と周囲の雑兵に雨霰の様に降り注ぐ。

風行法・群燕


領兵団の精鋭3人はラクテアの土行法・天蓋に護られる。

しかし有象無象の兵士達は上空からの不可視の風刃から逃れる事は叶わずばたばたと地に臥した。


直ぐにシンカと相対しているオベサムが増援の指示を飛ばす。


「精霊よ。其は何を想い何を求める」


リンドウが詠唱を始める。

リンドウの詠唱内容に意味は無い。


詠唱が無い場合、リンドウの行法威力は森渡りの平均的な行法威力にやや劣る。


対して行法を行う為に必要な表象の明確な想像に加え、リンドウはそれぞれの行法に対応した独自の詠唱を行う事でその威力を格段に向上させる。

また、肉体運動を行いながらの練経、行法の行使も効率が良いものとは言えない。


良い面と悪い面。

この資質は母カイナから受け継いだものであった。


この資質が故に里への山渡り襲撃時にリンドウは思う様に能力を発揮する事ができなかった。

怒りや悲しみによる感情によって、一時的に能力が増幅されていなければ、彼女は死んでいた可能性も高い。


しかし前衛に護られながらの行法行使に於いて、カイナやリンドウの直系血族は森渡りの中でも頭一つ飛び抜けた能力を誇る。


「熱を求め火を想う。照らせ。其は焔の大樹也」


敵の中心地が赤らむ。

強い焔が立ち上がり、どんどん空へと伸びていく。


そして大樹を象り焔の枝葉を広げた。


「リンドウ。流石に規模が大き過ぎでは。火災が起きます」


「私が成長している事、兄さんに見てもらわないと」


火行法・火樹


強烈な熱を発するそれからナウラ達も敵も距離を取る。


リンドウが手を高く上げ、刹那の後振り下ろした。


上空に広がる焔の葉が一斉に敵に降り注いだ。


「ぐあああああああああああぁぁぁぁ……」


「熱いっ!?熱いっ!息がっ……」


絶叫と共にそれに触れた雑兵達が瞬時に焔に巻かれ、肺から空気を奪われ僅かな間に絶命していく。


降り注ぐ焔の葉を天蓋に隠れてやり過ごす精鋭3名。


そこにヴィダードが銀線を行う。


天蓋に加え岩戸を行いヴィダードの銀線を防ぐ。


敵に向けて焔が雨の様に降り注ぐ中、ナウラが屈んで両手を地に突く。


敵の行った岩戸に干渉し、岩塊を変形させる。


土行法・山嵐


「ぎっ…!?」


全身を針に穿たれ、レドゲイが短い断末魔の声を上げた。


直ぐに岩戸の左右からラクテアとリバエが駆け出してくる。


焔を降らせ続けた火樹も力を失い消滅する。


リンドウは兄が死んだと思っていた数ヶ月を思い返す。

リンドウにとって、兄シンカの記憶は再会するまで7歳時のものが最後だった。


会話をした記憶は無いが、いつも必ず少し後ろでじっと見守っている。そんな記憶が残っていた。


家族も周囲の同胞も、何時もシンカを褒めていた。

リンドウにはシンカがどんな人だったか、はっきりとした記憶は残っていなかった。


18歳の時、唐突に再会した兄を見て、リンドウは衝撃を覚えた。


里でも随一の経の濃さや量を誇る母カイナを超える経。

時折り垣間見える鋭い気配。

戦士長のクウハンを17歳で負かしたと話には聞いていたが、背を向け気を抜いていても尚鋭く周囲を観察している事が分かった。


太過ぎず凝縮されて筋張った筋繊維。

所々で現れる器用さ。

間違い無く里ですら見た事が無い程の手練れだ。

野暮ったい癖の強い頭髪や暗さを感じる鋭い眼光も、端正とは言えない顔も、脂肪が落とし切られ、努力に裏打ちされた自信を浮かべた、傲慢さとでも言うべき太々しい表情と合わせれば、逆になんとも魅力に溢れたものに映った。


様々な要素を総合し、リンドウは玄人向けの渋さを滲ませるシンカの見た目、能力を総合したものに一瞬で絆された。

それは一目惚れに近かった。


だがシンカは伴侶候補を4人も連れていた。


初めは諦めかけたリンドウだったが、母のカイナはリンドウの様子から心情を全て悟ったのか、人気の無い所でリンドウを諭した。


決して本人には言うなと念を押しつつも、自身が望むなら、リンドウとシンカに番って欲しいと。


母はシンカや他の子供達の前ではその心情を決して吐露しないが、シンカを人として、家族として尊敬し、また愛しており、できる事なら彼と血縁になりたいのだと言った。


リンドウがシンカに好意を抱いているのであれば、自分が後押しをするので是非にでも彼と一緒になって欲しいと。


リンドウは母の後押しに気を取り直し、シンカに自分を売り始めた。

あまり本気にしてもらえ無かったのは恋愛経験の不足した自分と母の至らなさ故なのであろうが。


母カイナは、誰にも告げない事を強くリンドウに課し、自分の思うシンカの人間性について語り、彼と距離を詰める方法を論じた。


シンカは幼少期に恐らく実の両親の愛情を感じられる環境に居なかった。そして不幸にもそのまま両親が森に飲まれてリン家に身を置くこととなった。


幼児から青年に至るまで、シンカはリン家の家族の為に滅私と言っていいほどに身を捧げた。

それは恐らく、家族と家族からの愛情を得る為の努力であり、無意識に無償の愛の存在を信じないが故に取る、代償行為なのだろうと。


シンカが4人の伴侶候補を連れて来たのは、誰かが欠けても家族や、積み上げた愛情を保つ為の補いでは無いかと。


恐らくリンファが嘘とは言えシンカを傷付けた事により無意識に保険をかけているのでは無いか、と。


リンドウに対してカイナは、決して裏切らず、常に側にあり続けて好意を示し続ければ、シンカはリンドウを受け入れるだろう。その努力を怠らず、シンカが何処に行くにも着いて回れば良いと助言した。


そしてリンドウはそうして来た。


彼の妻となった先の4人とリンファ。彼女らとも良好な関係を築き、中堀をゆっくり埋めつつ内堀もじっくりと、少しづつ埋めていく。

外堀は母カイナがとうに埋め終わっている。


そんな矢先にシンカは自らを犠牲にして開闢の魍魎を討ち果たした。


流石自分が自分が見染めた人とは思いつつも、自分の人生を奪われた様な絶望と虚無感に襲われる。リンドウは以来暇あれば涙を流して悲しんだ。


自分のこの悲しみは、決してシンカの妻達に引けを取らない。

一月目は泣き腫らして自室に篭り続けた。

涙等とは縁遠く見えるカイナも涙を流して、時折り2人でシンカとの思い出話しを語った。


二月目からは引き篭もっているわけにもいかず、部屋を出て修行に明け暮れた。

悲しみを忘れる為だ。

唐突に思い出したかの様に悲しみが振り返し、人前で思わず泣いてしまう事もあった。

それを見た里の同胞は、そっと見ないふりをし、リンドウを1人にした。


三月目も同じであったが、泣いてしまう事は幾許か減った。

四月目も同じく。


そんな折に、唐突にシンカは帰って来た。

里の者達は驚愕した。


シンカの戦った跡地は森渡り達によって絵として記録に残されていた。

リンドウもシンカの最期をしっかりと知る為にそれを見た。


クサビナの内戦でも遠く及ばない程の惨状。

深く抉れた大地と薙ぎ払われた森。

死して、更に絵の中でも存在を主張する朱顔鋼鬼。

無数の牛鬼の遺骸。


相打ちですら奇跡。

そう言わしめた光景だった。


それなのに、義兄は帰って来た。


その時の驚愕による響めきと、遅れた歓声。

シンカが帰って来たと告げる伝達。


慌てて家を出て見下ろした先、いつもの様に佇む彼の姿。

その時の光景を表現しようとして、リンドウはふと、精霊の御導きという言葉を思い浮かべた。


その後直ぐに伝達された同胞の掠取の情報を聞き、シンカは踵を返す様に里を出た。

リンドウは慌てて追いすがり、同道した。


そして今、此処で敵と戦っている。


義兄に振り向いてもらう為、そして振り向いて貰った後に愛と信頼を得続ける為、リンドウはこれからもシンカと歩みを共にする。


だから戦う。


リンドウに向けて駆けるラクテア。

後衛であるリンドウになら接近戦を仕掛ければ勝てると考えているのだろう。


「リバエ!色黒女は力が強い!打ち合うな!躱せ!」


頷きナウラに迫るリバエ。

大業を使ったばかりの3人は次の行法のための練経が終わっていない。


接近戦で相手取るしか無い。


ラクテアの竹割りの一撃をヴィダードが逆手に持った短剣で受ける。


拮抗する力。


腕に力を込め、ヴィダードを押し切ろうとしていたラクテアの視界、ヴィダードの右脇から低く躍り出る影を視認する。


リンドウだ。

その右手には分厚い鉈が握られていた。


左脚を強く蹴り込み、力強く踏み締められた右脚。

同時に素早く上段から鉈が振るわれる。


「おまっ!?はやっっ、ぶ……」


リンドウの鉈がラクテアの兜を断ち割り、頭蓋骨を叩き割って脊椎を首元まで竹割りにした。


「森渡りに接近戦が出来ない訳ないでしょ?」


美しい女の、そんな言葉を最後にラクテアは地に臥す前に死亡した。


「ラクテア様!?」


ナウラの剛斧を躱しながらリバエは悲痛な声を上げる。


森が騒ついている。

激しい音、火の手、血と臓物の臭い。

それらが何かを呼んでいる。


小型の魍魎は姿を消した。

しかし大型の魍魎は逆に釣られる。


早く片を付ける必要がある。


ナウラは距離を空けたリバエに対し、腰を僅かに落とし、右脚を前に肩幅程脚を開いた上で正眼に斧を構える。

柳龍流・合掌の構え


ナウラの出方を窺うリバエも深く腰を落とし、右足前で大きく脚を開いた王剣流・大堤の構えで待ち受ける。


大堤の構えにより受けに回り、その上で相手の攻撃を見極め放たれる王剣流奥義・中洲は生半可な攻撃では崩す事も出来ない。


ナウラが右脚を進める。

鉞を右上段から袈裟に斬り落とす。

身を引いて躱されると、即座に身体の左側で勢いそのままに回転させ、左上段から袈裟に斬り落とす。


リバエはそれも引いて躱す。

左右どちらからの攻撃を中洲で受けるかリバエは窺っていた。

ナウラは一歩づつ前に進みながら高速で左右交互の斬撃を繰り返す。


その体感はぶれること無く大樹の様に通っており、リバエは中洲による隙を見出すことが出来ず、刃を合わせず後退していた。


時折り放たれる矢は巧みに手元で鉞を翻し、隙無く弾く。

宛らその様は攻める要塞の様。


柳斧流奥義・八門金鎖の舞


周囲の状況が如何にあろうと惑うこと無く舞い続ける心。

重い斧を途切れること無く振り続け、刃先を常に意識し攻撃方向に向ける技。

体幹の振れる事なく舞い続ける体。

心技体全てが高水準にある事で体得出来る奥義である。


これ以上下がれば戦線の崩壊を招くと判断したリバエが左から振り落とされた斧に狙いを定め、絶妙な角度で斧を受け流そうと待ち構える。


思惑通りナウラの左袈裟斬りがリバエの剣に受け流され右方向に滑る。


右に流れるナウラの隙を突き、僅かな挙動で急所を突こうとリバエが動く。


だが、それはリバエの思い描いた理想像に過ぎなかった。

リバエがナウラの急所を突こうと動いた時、ナウラの身体は微動だにせず、大樹の様にしかと地を踏んでいた。


「なっ!?」


「っ」


彗星の如く振り下ろされる鉞。


左首筋から吸い込まれる様に鉞の刃がリバエの身体に突きたち、幾つもの骨と筋を断ち切り右脇に抜けた。


「ずっっっ、ぇ」


ぼとりとリバエの右肩と首が地に落ち、血飛沫が上がる。


ナウラは右脚を蹴り素早く後退し、一滴の血潮を浴びる事なく、僅かにずれた菅笠を直した。


何故、生きる為に己を高める努力をしないのか。

努力が出来ないのなら、枯木のように朽ちていくのが生き物の定め。


立ち塞がる敵を殺すのも良い。空腹を凌ぐ為に食うのも良い。

だが、自らがかつてその憂き目に遭った様に、身を掠取され、子を欲する訳でも無く慰み者にしようとするその行為自体が、ナウラには未だに理解できない。


その様な生物の道理から外れた者達は、矢張り枯れ枝の様に朽ち、土に還れば良いのだ。




雨月旅団残党、大山公司の護衛、ラタトゥスク兵とジュリ、ガンレイ、スイハとスイホの双子、シラー、ファラの6名は激しい戦闘を繰り広げていた。


土中を潜航する双子は散会したラタトゥスク兵達に牽制され、思う様に攻撃の手を出せず、シラーとファラは弓兵の矢を捌く事で手一杯だった。


雨月旅団のジャブダルとウガル、大山公司護衛のウルガリ、フォルクの4人とガンレイ、ジュリが刃を交える。


ジャブダルは腕一つで荒くれた残党を率いるだけあり腕は相当に立つ。ウガルは勘が鋭くガンレイ、ジュリの致命的な攻撃を上手く交わしていた。

一方でウルガリとフォルクは体格や腕力には優れるが技術は兵士に毛が生えた程度。

オベサムの指揮により動く兵士達に援護され、辛うじて生き延びているに過ぎなかった。


しかしガンレイとジュリの、雨月旅団2名への決定打を防ぐ程度には機能しており、激しく刃を交えながらも膠着状態にあった。


ジャブダルはクサビナ内戦時、雨月旅団の3人の隊長の内、ハウルト隊に所属していた。

ハウルトはエケベル攻略の際に一騎討ちで老人に討ち取られ、その後団長のアシャも光に飲まれて半身を炭化させて死亡した。

残党を率いて虚しく帰路を辿るクシャラも、国境を越えると雨月旅団を解散させた。


あと一息だったのではないか。

一体何が起こり、優勢であった自分達が敗れることになったのかはジャブダルには分からなかった。


だが、アシャの語る輝かしい未来が脳裏にこびりつき、離れなかった。


雨月旅団がクサビナの肥沃な土地を切り取れれば、そこでの暮らしはまるで貴族のように悠々自適な物となるのでは無かったのか。


栄光へと駆け上がる、その光明をジャブダルは忘れる事が出来なかった。


散り散りになる団員達を掻き集め、数百だが雨月旅団を再建した。

そしてクサビナ国内で組みする貴族を探し、ラタトゥスクを見出した。


これからだった。


それが、こんな薄暗い森の片隅で団員を失い、手練達もウガルを残して皆死んだ。


だが、生きてさえいればまだ芽はある。


ジャブダルは菅笠の女、ガンレイに斬りかかる。

ガンレイは強撃を左逆手に構えた短剣を頭上に掲げて受け流し、右逆手で構えた短剣で反撃を狙う。


喉元に迫る刃をジャブダルは引いて躱す。

ガンレイは両足を肩幅に開き、体を落として顎前で両手を構える。

拳と拳の間でしかとジャブダルの動きを見つつ、風に揺れる蟷螂の様にゆらりと前後左右に身体を揺らした。


鈴剣流・蟷螂剣・獲待ち揺れ


ジャブダルがガンレイの胸部に剣を突き込む。

ガンレイはぬるりと腰の位置は変えずに刃を躱し、右腕を素早く突き出す。


咄嗟に首を傾けて躱したジャブダルの左頬に、1筋の切り傷が薄らと刻まれる。


予備動作無く更に左腕が動く。


突き出されたジャブダルの、剣を握る拳を狙う動きが割り込んで来たウガルに阻害される。


ガンレイは獲待ち揺れで飛来する矢を躱し、ウガルの袈裟斬りを躱す。


ジュリは無所作で土行法を行い針状に整形圧縮した土塊を無数に浮遊させる。

手当たり次第に針を掴み取り、流れる様な動きで連続投擲を開始した。


ジュ家の体術・針吹雪


投擲される針をジャブダルとウガルは後退しながら捌いていく。

致命傷は避けつつも、針は2人の鎧を削り、数本が鎧の上から肉体に突き刺さった。


「この程度っ!」


ジャブダルは気を奮い立たせて吼える。


しかしジュリの目的は2人を仕留める事には無かった。


2人を狙う針吹雪。

しかしそれは2人だけを狙った攻撃では無かった。


スイハとスイホを追い詰めようとする兵士達が、横合いからの針吹雪に晒されてばたばたと倒れる。


ぬるりとスイホが地面から上半身を現した。


「…う"…お"っ!」


えずき声と共にスイホの口腔から泥が拳ほどの大きさで吐き出される。


土行法・粘金


シラーと対峙するフォルクが頭から吐き出された泥を被る。


「なんだ!?」


無視しようとしたフォルクだったが、直ぐに違和感に気付く。

泥は直ぐに固まりびくともせず、フォルクの肩から上を固定した。


「なっ!?……まっ!」


慌てるフォルク。


「うらぁっ!」


その隙を見逃すシラーでは無かった。

瓜を踏み潰した様な水気の多い音と共に、鉄棍がフォルクの頭部を食べ殴り潰し、脳漿を周囲に飛散させた。


「フォルクっ!?」


シラーに斬りかかろうとするウルガリの胸に矢が突き立つ。

ファラの矢だ。


しかしシラーへの攻撃を妨げたものの、致命傷には遠かった。


だが。


「がっ!?………お……おの……れ…」


ぬるりと背後から現れたスイハが背後から、成形した土行法の剣で心臓を刺し貫いた。


「ひ、な、な、な、ひいいいいいいっ」


己の護衛を葬られた大山公司のランクルスが後方で悲鳴を上げて尻餅をついた。


「糞っ!お前ら!掛かれ!」


ジャブダルが声を荒げて様子を窺っていた配下に指示を出す。


だが、動く者はいなかった。


既に雨月旅団員全員が戦闘の直接的、或いは余波に巻き込まれて死に絶えていた。


「お前ら!?びびってねぇででてこい!何してやがる!?」


配下が全員死に絶えたとは考え付けぬジャブダルはそれでも口角から唾を撒き散らしながら吼えた。


「ウガル!何してる!?行け!」


一度深く目を閉じたウガルは剣を構え直す。

その全身には針が突き立ち、鎧は襤褸で、自らの血を滴らせていた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


あらん限りの気迫を込めてガンレイに斬りかかる。


ガンレイは向かって左から振り落とされる袈裟斬りを、左足に重心を動かし空振らせるとがら空きの脇を正拳突きの要領で切り払った。


ジュリにより襤褸にされた鎧ごと、ざくりと脇を斬られたウガルは腹圧により大量の臓器を溢れ落としながらふらふらと数歩歩いて前のめりに崩れ落ちた。


「……ク…シャラ…ねえさん………に…」


「…あんた、素人の割には良かったわよ」


ガンレイの言葉が聞こえたか聞こえぬかは彼女には分かりようも無いが、虚に見開いた瞳は二度と瞬く事はなかった。


「…何故だ!何故こうも!何事も上手くいかない!?何故だ!」


叫びにガンレイは鼻で嘲笑う。


「自分で積み上げてない他人の砂の城なんて、微風のひと吹きで崩れ落ちるのよ。この後に及んでもまだそれが分からない能無しだから、上手くいかないんじゃない?」


「……あああああああああああああああああああああああああああっ!」


最後は破れかぶれに駆け出し斬りかかるジャブダルに、詰め寄ったシラーが横殴りに鉄棍を振るう。


流石なもので、咄嗟に剣を立てて防御するが、シラーの渾身の一撃はジャブダルの剣を飴細工の様にひんまげ、剣士の命である両腕を枯れ枝の様に粉砕し、頭部を玩具の玉の様に弾き飛ばした。



ラタトゥスクのオベサム、カラキア、山渡りのアナトリ、ルスランと対峙するシンカは左脚前の下段、望槍流・登竜の構えで静かに次の一手を狙っていた。


変幻自在に穂先と石突きの両端を操り巧みに相手の隙を突く望槍流と、素速さと力強さを突き詰めた春槍流、そして槍術に於ける鈴剣流とも言える、人体精神の隙を突く罰槍流。


全てを徳位級に扱うことの出来るシンカは敵が僅かにでも動けば凡ゆる技で先の後を取ろうと待ち構える。


生き物として死に面している事を否応無く本能で理解した4人は真夏の夜に滝の様に脂汗を流して各々取れる手段を講じていた。


風の無い夏の夜。


菅笠の下で瞬き一つせずに眼を見開くシンカの表情を見て、4人は等身大の人形を見詰めているような気分に陥っていた。


シンカの後方で味方の精鋭が次々と打ち取られていく中で、4人は地面すれすれに向けられた槍の穂先が、瞬きの後には己の首筋を穿っている様を想像し、ただ目に流れ落ちて滲みる汗の痛みにすら応じる事が出来ないでいた。


その時、4人にとっては幸運な事に、緊迫感に耐えきれなくなった囲みの兵士1人が、半ば悲鳴とも取れる叫び声を上げながらシンカに襲いかかった。


シンカはまるで木になる果実を刈り取る様に、無造作に、しかし些かの無駄も無く槍を扱い、的確に走る兵士の眼窩を穿ち、脳幹を破壊し、右脚を進め、先頭のカラキアの左足首を長軍靴の上から石突きで強打した。


「っ!?」


骨を砕かれ崩れ落ちるカラキアは咄嗟に頭部を庇う。


鈍い音と共に腕が強打され、カラキアの右腕が圧し折られる。


左脚を進めつつ槍を返し、肉薄しようとするルスランの喉元を穂先で抉ろうと槍を小さく振るう。


「どっ!?」


背をのけぞらせて躱すルスラン。


左方から駆け寄る兵士の喉元を素早く突き、槍が持っていかれる前に抜きさる。


糸の切れた人形の様に兵士がくずれおちる。

右方から駆け寄る兵士も瞬きの間に同じく葬る。


その隙に数歩下がり体勢を整えたルスランに向けて右脚を進める。


「森渡り…いや、狐男!お前は一体何なんだ!?」


アナトリが経を練りながら叫んだ。


「その問答に意義は無い。己の存在意義を求めるのは頭のでかい十代の子供の悪癖だ。俺はただ、俺の家族を守る為に戦うだけ。それだけの人間でしか無い。地位も金も興味は無い。家族と過ごす、些細だが幸福な時間を求めるだけの、何の目標も向上心も無い、瑣末な男に過ぎない」


「…そんな奴に我等はっ!」


「人には分というものがある。金は必要な分だけあれば生きられる。物も生活に使う分さえあれば生きられる。地位は生きられれば必要ない。……それを分からないものが分不相応な力を求め、その分量に潰されて自滅していくのだ。……汝等の様にな。汝等が抱えようとして取りこぼした物の多さ。それは望んだ物と見合う分量だったか?」


「…黙れっ!」


「欲を掻き、欲に肥大した悍ましい魍魎、山渡り。その心は肥え太り、故郷も家族も失った、哀れで醜い鬼の成れの果て共。憐れで救いようの無い醜い魍魎。これぞ将に鬼の正体也」


「黙れえええええっ!」


振るわれる竹割りの一撃を穂先で左に払い、返して石突きでアナトリの頭部を薙ぎ払う。


しかしアナトリは左腕を犠牲にそれを躱す。


「射て!」


オベサムの指示で放たれた3本の矢の内2本を槍の一振りで払い、1本を躱して左右から駆け寄る兵士に対処する。


右の兵士は右腕だけで首を貫き、左の兵には指を曲げた掌を向ける。


躊躇の後振るわれた剣は、シンカの経で強化された指に捕らわれ、刹那の後行われた紫雷により痙攣して崩れ落ちる。


右の兵士の首から引き抜いた槍を流れる様に水平に振るい、ルスランの剣と放たれた矢1本を払い、そのまま地面で剣を握ろうとするカラキアの眉間に突き立てた。


「カラキアっ!?」


呆気無く命を奪われた親族に向けてオベサムが声を上げる。


「人の道に反する行い、たとえ我等が許そうと、精霊は許すものでは無い。…或いは汝等が我等の同胞を拐かし、我等が報復に至るその道筋も、精霊に導かれて繋がれた道なのやもしれんな」


「……成る程。精霊の……。言われてみれば、そうなのかもしれませんね…」


オベサムに向けて素早く歩を進める。

兵士達がその道筋を遮り、横合いからルスランがシンカに斬りかかる。


槍の穂先を左顳顬を狙うルスランの剣の腹に沿わせ、右に払う。

嘗てヴィティアのスライで一角のベルトランとの一騎討ちの折に使った技だ。


ベルトラン同様、ルスランの身体が右に泳いだ。

頸部を狙い右手で柄を取り回して石突きを打ち込む。


ルスランは片手での攻撃を肩で受ける。


シンカは即座に柄に左手を添え、槍を転じさせる。


シンカの右後方に位置していた穂先が月光を纏い、銀光を煌めかせながら左へ走る。


「っ!?」


革の編み靴ごとルスランの右脚首が切断され、そのまま向かって左へ身体が倒れる。


ルスランの身体が地面に倒れ切る前に、穂先が掬い上げるように動き、首を刎ねた。


惚けた表情で回転する首から血糊が撒き散らされる。


まだ暖かいそれにシンカは己の経を浸透させ、即座に氷結させ無数の赤い針を形作る。


水行法・針時雨


オベサムを護る兵達に赤く鋭い氷刃が突き立ち、無数の絶叫と共にその数を減らす。


歩を進める。


一足ごとに兵を屠り、後退するオベサムを大木の根本に追い詰める。


「……ここまでか」


自身を護る兵も、後退する場も失ったオベサムは剣を振りかぶりシンカに斬りつける。


シンカは背後に、視線すら向けずに槍を下投げで投げ付ける。

シンカに向けて両手を向けるアナトリの胸部に槍が突き立つ。


オベサムの斬撃は左の素手で雨傘を行い逸らし、槍を投げ終えた右手でオベサムの剣を握る右手を掴み、握り潰した。


「ぐああっ!?」


そのまま力を込め、鋒をオベサムに向ける。


「死ね」


オベサムは歯を食い縛り、シンカの力に抗おうとする。

しかし虚しくも刃はゆっくりと迫る。


「……無念…」


オベサムは目を瞑り最期の言葉を紡ぐ。

直後、オベサムの右手の上から剣を握ったシンカは彼の左眼窩に剣を突き立てた。


崩れ落ちた亡骸を一瞥し、振り返る。


死屍累々とはまさにこの事。


戦闘は粗方終わり、月下に無数の骸が晒されていた。

夏の夜の匂いが土と血、臓物の匂いと混ざり、周囲に充満していた。


「た、た、た、頼む……助けてくれ…っ!?」


醜い命乞いが聞こえた。

尻餅をついたまま喚く大山公司のランクルスにヴィダードが矢を放ち、正確に眉間を射抜くことで、到頭静寂が訪れた。


終わった。


醜い企て、醜い所業を行った者達が消え、森に朽ちていくだけだ。


人を攫って売り飛ばす。

人を買って尊厳を破壊する。


森渡り達が知らないだけで、この様な出来事は過去に幾らでもあっただろう。


力を持ち、金を持ち、地位を持てば全能感が生まれるのか。

自分の手は何処までも届き、自分の行いは肯定され、悪行もばれることはない。或いは力を使って隠し通せると思ってしまうのだろうか。


いずれにせよ。

シンカは温度のない視線で屍を見遣り、心中で独りごちる。


今度も同胞を護る事が出来た。

妻を救う事が出来た。


シンカはヴィダードと向き合い、視線を交えさせた。


「…全く。お前達は。…少し目を離しただけでふわふわと放浪して。大人しく亭主の帰りを待てないものか…?」


月光下で相変わらず澄んだ空の上澄のように透き通った瞳で、ヴィダードはシンカを食い入る様に見つめていた。


先は戦闘中故に封印していた感情がシンカの心中に湧き出る。

妻も子も、親族も同胞も。

全てが人の心を形作る欠片だ。


一つでも欠ければ、心の形は歪になる。

欠けた傷口は時と共に摩耗し、角が取れて滑らかになろうとも、元の形に戻ることはない。


シンカも実の両親から始まり、それなりに大切なものを失って来た。


それでも、やはりヴィダードが心中を占める比重は大きい。

あまりにも。


吸い込まれそうな瞳。穴を開けんとばかりにシンカを射抜く視線から眼を離せない。


瞳が潤んでいた。


思えばヴィダードが涙ぐむことなど幾度あっただろうか。


幾度考え直しても、これ以外の選択肢や結末は存在しなかっただろう。

努力をおざなりにしているようで嫌いな言葉だが、今生きて彼女に再会できた事は、奇跡や運命とすら言えた。


それでも清んだ瞳に溢れんばかりに涙を浮かべたヴィダードを見ていると罪悪感を覚えてしまう。


駆けて飛び付いて来るかと思っていたヴィダードだったが、しかしシンカの予想に反し彼女はその場から動かなかった。


そして、彼女はそのまま崩れ落ちた。

左手を地に着き、右手をシンカへと伸ばした。

歩けなくとも、這いずってシンカに向かおうとしていた。


シンカは慌ててヴィダードに駆け寄った。


「何処か怪我をしているのか!?」


彼女の血の匂いは無い。分かっていても訊ねてしまった。


ヴィダードは答えなかった。

小さく喘ぐ様に嗚咽を漏らしながら、シンカにしがみ付き胸に顔を埋めていた。


誰もが認めるであろう、止むに止まれぬ事情があった。


それでも、残される者にとって、それは正解では無いのかもしれない。


途轍もない後悔が心中を襲った。


自分は親、兄弟、妻の心を深く傷付けていたのだと、今漸く気付いたのだった。


引き攣ったしゃくり上げが外套に吸い込まれ、くぐもって聞こえた。


シンカはヴィダードの柔らかい頭髪に鼻先を埋め、両腕を彼女の背に回して抱きしめた。

強く。彼女が好む強さで。


「…ただいま」


引き付けを起こしたかの様に身体が一度大きく痙攣した。


許容できるはずがない。

この細く華奢な身体が、あの悪災の力で捩じ切られる事など。


自分の選択は間違ってなどいなかった。

それでも。


「すまなかった」


怜悧とも言える月光が、心無しか2人の姿を柔らかく照らしていた。

そんな月光下で2人の男女が二度と離れんとばかりに抱き合い、互いの温もりを求め合っていた。



森暦198年秋下月。内乱を終えて幾許も経たぬクサビナで、大貴族ラタトゥスク侯が反乱を起こした。


先の内乱の勝者であるグレンデル一族が主将にダフネ・グレンデルを据えて青鈴軍を出し、ラタトゥスク侯の嫡男オベサム・ラタトゥスク率いる軍をファブニーラ郊外で打ち破る。


青鈴軍はそのままケツァルに進軍し、ラタトゥスク侯の邸宅を急襲。一部ラタトゥスクに同調した王都の衛兵諸共制圧し、侯爵ウルフェニ・ラタトゥスクを拘束。

碌な公判も無く処刑された。

また、ウルフェニ・ラタトゥスクの九族までも族誅される粛清が行われた。

これは先の内戦の主犯格とされたファブニル一族やバラドゥア一族に対する処罰よりも圧倒的に重い処罰であり、国内どころか近隣諸国にすら波紋を投じたが、クサビナ王政府から詳しい罪状が開示される事はついぞ無かった。


後の歴史家はこの出来事に対して幾つもの説を投じて議論を重ねる。

内乱を制し、覇権を握るに至ったグレンデル一族が、権力を誇示する為に行った。

ファブニルに迎合した為に落ち目となったラタトゥスクが国家転覆を企んだ。

等だ。


しかしどの説も説得力が薄く、謎が多く残る。


何故王政府はラタトゥスクの罪状を明確にしなかったのか。

何故ラタトゥスクは軍勢をファブニーラ郊外に集結させたのか。

何故一部の衛兵達はラタトゥスク侯を護ろうとしたのか。


歴史家達は今日に至っても、明瞭な答えは導き出せていない。



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― 新着の感想 ―
[一言] 無事に済んでよかったぁ ヴィーは沢山甘えるといい リンドウとの行方も気になる
[一言] ヴィダードおめでとう! 素直に腕の骨捨てるのかどうかが問題だ リンドウはガチだったのか、ちょっと以外 好きなキャラなので頑張ってくれ 5人も6人も大差ないと思うから娶れば良い シンカはハ…
[一言] リンドウの補完話嬉しい。予想以上にガチだった。 リンドウが報われると良いなぁ……。 このままじゃ嫁ぎ遅れになったリンファの二の舞になりますよシンカさん男の甲斐性を見せるんだ(無茶振り)。 …
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