びだあどのぼうけん 急-霜枯れに残りて我は八重むぐら
同胞の拉致を知り、急ぎ伝達の声に従いファブニーラ南方に訪れたシンカは、ヴィダードと再会するや否やラタトゥスク麾下の兵と交戦する事となった。
ラタトゥスクの兵は精強ではあれど青鈴軍、黄迫軍、赤鋼軍と比べれば個々の戦力は一段落ちる。
御告げの魍魎と一対一で戦い、四肢を失いながらも斃したシンカにとって、赤児の手を捻るのとさしたる変わりは無かった。
敵の数は多い。
己1人で相手取れる人数ではない。
しかし、鬼の王と戦った時と今は異なる。
周囲には信頼し、背を預ける事ができる多くの同胞がいる。
家族を、同胞を守らなければならない。
それがシンカの存在意義だ。
己の命を賭してでも成し遂げたい事だ。
だが、あのあまりにも絶望的で辛苦に満ちた戦いを経た今感じられる事もある。
同胞と、家族と共に争う事の頼もしさ。
信頼と共感。親愛と情愛。
それらがシンカの背を支えるのだ。
どの様な恐怖もシンカを怖気付かせる事は出来ない。
彼等、彼女らの存在がある限り。
重心を落とす。
対する敵は練度も連携も今一つな烏合の衆に毛が生えた程度の兵士達。
だが、目前に立つ30にも届かないであろう貴族の子弟が、突如として放ち始めた気迫には気を留めざるを得なかった。
男、オベサム・ラタトゥスクは大きく息を吸うとまるで己を妨げるものなど何も無いかの様に言葉を紡ぎ始めた。
「……皆の者……例えどの様な脅威であろうとも……」
剣を右手で八相に構えながら、左手を伸ばし語り始める。
「千余年の歴史を誇るこのラタトゥスク!此処で無様に無勢の敵に背を向け、後ろ傷を負うは武門の名折れ!」
唐突に語気を荒げ、始めの繊細な語り出しから打って変わり強く、聞くものの心中に刻み込む様に荒々しく告げる。
「皆の者、死を私が許そう!だが!負って良い傷は向こう傷のみ!武器を取れ!震える脚で地を踏みしめろ!目前の敵を睨め!大小の差など瑣末な事!戦え!敵と!己と!」
空気が変わった。
浮き足立っていた兵士達が肝を据え、シンカや従罔に向かって武器を構える。
シンカが行った土行法・茸笠が崩れ、中から逃走していた女性達が現れる。
「…我が名はラタトゥスク家が長子!オベサム・ラタトゥスク!我が一族、我が民の為!汝等には此処で消えてもらいう!」
オベサムが名乗り上げる。
「キキキキキッキッキッ」
蝙蝠の鳴き声を真似て赤面獼猴に跨るトウリュウと、黒岩脚高蜘蛛に乗るヨウミンに兵士達を任せる。
オベサムの周囲に腕利が集っている。
一人一人は今まで戦って来た戦士だとに一歩二歩劣る。
しかしオベサムの言葉に感化されその士気は異様に高い。
シンカはそんな彼らを冷やかに見遣る。
「……大国に蔓延る汚泥の如き病巣こそ汝等の正体。悍ましい悪行に身を沈めた、人である事を捨てた汝等に、武門も何も無い。恥人ども。速やかにその無為な歴史を終わらせる。……ヴィー!やれるな!?」
「!?…はい!」
ぺたりと座り込むヴィダードを振り返り、薄く笑い掛けて頭に手を置いた。
細く柔らかい頭髪が指に触れる。
変わらぬ愛おしい髪の柔らかさ。
「ナウラ!」
「はい」
言葉少なく応じたナウラが斧を構え右脚を前に出す。
口腔から火の粉が僅かに漏れでる。
「リンドウ!」
「いいわ、兄さん」
リンドウは大きく腕を広げて、息を吸い込む。
彼女の中で渦巻く膨大な経を感じる。
「スイキョウ!」
「いつでも」
一度岩の鎧を解除していた棒立ちのスイキョウの脚に、土が絡まり身体を覆い始める。
勢いにスイキョウの身体が宙に浮き、土に顔まで覆われて姿が見えなくなった。
土は人型を取り、次いで質を変える。
土行法・岩着膨れがスイキョウを覆った。
「スイハ!スイホ!」
「!」
「!」
頷いた双子がズルズルと大地に飲み込まれていく。
「ガンレイ!ジュリ!」
「了!」
「承知です!」
先程まで色濃い疲労を浮かべていた2人も、シンカに応じて再び経を練り直し、武器を構える。
「ファラ!シラー!」
「頼もしいわねっ!」
「応!任せたよ!」
ファラがヴィダードの背後で経を練り、傷を完治させたシラーが鉄棍を大地に叩きつける。
同胞を傷付ける者を許しはしない。
「者ども!掛かれ!」
「死ね!」
オベサムとシンカが同時に叫んだ。
駆け始める兵士達に対してシンカは左目をすがめ、右目を大きく見開いた。
右目に集中した経が視線上に放たれる。
水行法・蔑視
空間を氷結させる行法が一直線にオベサムに迫る。
「若様!」
兵士の1人がオベサムの前に飛び出し、蔑視を受けて倒れる。
「掛かれ!怯むな!皆が死すれば皆の父母の世話は私がする!息子の仕事を世話し、娘の婚儀を取り持とう!だから進め!振り返るな!」
押し寄せる兵をヨウミン、トウリュウ隊が相手取る。
視線をナウラに送る。
ナウラは無言で左脚を進め、回転を始めた。向かい来る兵士3人に炎が吹きかけられる。
絶叫を上げてのたうつ。すぐに彼らは動きを止めて、髪や爪の焼ける嫌な匂いと共に炭化していく。
更に続く兵士は2回転目の斧に4人纏めて吹き飛ばされ、皆が宙で上下に分たれ、小腸を撒き散らしながら森の地面に打ち捨てられる。
間隙を縫って深編笠が2人迫る。
1人は腕を振るった岩着膨れの腕に払飛ばされ、空中で肉塊に変じる。
1人は軸足で慣性のまま回転を続けるナウラが脚を伸ばし、蹴り飛ばす。
「怯むな!怯むな!囲め!殲滅せよ!」
オベサムの声に弱気を抱き始めた兵士達は武器を強く握り、構え直すとシンカ達に向けて駆け出す。
「ナウラ!」
シンカの掛け声に、ナウラが兵士3人を薙ぎ払い直ぐに回転を止めて体勢を低める。
シンカの両手が握り合わされる。
大きく背を反らせ息を吸い込み、吐き出す。
大量の水が中空に散布される。
水行法・華厳散流
扇状に散布された水が兵士達の頭上に広く広がる。
シンカは両手を握り合わせたまま、右方から迫る深編笠、山渡りの残党を股関節を開いて高く上げた右足で蹴り飛ばす。
シンカの顳顬に血管が浮き出す。
広がった水が細かく雫に分裂し、頭上から降り注ぐ。
無数の水滴は兵士達の持つ松明の灯りを反射し、視界を奪う。
水行法・雨四光
更にシンカは歯を食い縛り、経を練る。
「失せろ!魍魎!」
水滴が凍り付き針状に形を変える。
近寄る敵はナウラとヴィダードが排除する。
行使に難はない。
水行法・氷魚群
方々で絶叫が上がる。
夥しい数の氷の針が周囲に飛散し、兵士達の顔や身体に突き刺さる。
集ろうとする兵士の勢いが止まった。
すかさず経を練り終えたヴィダードが動く。
シンカは膝を曲げて体勢を落とす。
ヴィダードはシンカの背を蹴って飛び上がった。
ヴィダードの両手が宙で突き出される。
頭上を覆う枝葉が唐突にへし折られた。
兵士達を上空から降り注いだ空気の塊が襲う。
兵士ごと地面が圧縮され、周囲一面が陥没する。
風行法・大痘痕
地面がから上半身だけ露出させたスイハとスイホが口腔から大量の泥を吐き出し、兵士の足止めを行う。
彼等が土中に潜ると直ぐに泥が固まり始める。
「何だこれっ!?」
無理矢理脚を兵士が動かすと、固まった泥に亀裂が入り、直後轟音を立てて泥が爆発した。
爆発は連鎖し、一帯に立て続けに起こり、兵士達が四肢や臓物、血液、脳を撒き散らしながら吹き飛ばされた。
土行法・焙烙絨毯
混乱する集団に岩着膨れを纏ったスイキョウとヨウミンの蜘蛛達、トウリュウの狒々達が殴り込み、羽虫を払うように兵士達を屠っていく。
「怯むな!小隊単位で方円陣を組み攻撃を受け止めよ!崩され出来た穴は埋められるものが即座に埋めよ!」
オベサムの号令に兵士達は一心不乱に従う。
強力な行法による攻撃で兵士が怖気付いても、彼の一声で気を取り直し体勢を立て直す。
シンカとヴィダードは攻撃の合間に幾度かオベサムの狙撃を試みていたが、忠実な兵士が幾度も彼を庇って犠牲となり、オベサムを生かしていた。
「キキキキキッキ、キキッキッ」
テンリ、スイハ、スイホに時間を稼げと指示を出す。
「キキッ、キキキッ、キキキキ」
「はぁい!」
「キッキッ、ファラ、シラー。シンカ様の右方防衛を任せるわぁ」
ナウラとヴィダードには自分を守るように指示を出すとシンカはその場で両の膝を着き、指を組んで気を落ち着かせた。
戦場でこれを出来る者は森渡りと言えど少ない。
周囲で繰り広げられる剣戟行法の応酬に気を取られず、精神を落ち着けて限界寸前の練経を行う事は森渡りにしても極めて困難である。
「あの男を狙え!大規模な行法を発動される!」
オベサムの指示のもと、右方から押し寄せる敵をシラーが防ぎ、動きが止まった敵をファラが射殺していく。
左方を守るのはヴィダード。
両手に逆手で握った短剣を攻防に利用し、敵の懐に瞬時に潜り込んでは急所を穿つ。
中央にてシンカへの接敵をナウラが防ぐ。
太い岩槍を乱立させ、敵の脚を遅らせ斧を振るって弾き返す。
シンカ後方、北側には非戦闘員が怯えて寄り添っている。
彼女らを守る様に救援に駆け付けた森渡り達と、追われていた武人達が押し寄せる兵士達を退けている。
「ウルガリ!何とかせよ!」
オベサムの後方で様子を伺っていた肥満体型の男、ランクルスが指示を出す。
ランクルスを護るように武器を構えて立っていた粗野な見かけの男、ウルガリが周囲に支持を飛ばす。
革鎧の傭兵達がシンカに向かって駆け出した。
ヴィダードが素早く矢を番え。
細められた目は正確に敵の身体が重なる位置を見極める。
風行法・白荊棘
風を纏わせ射られた家は、強烈な回転と共に傭兵達の間を抜けていく。
僅かに遅れて。強烈な旋風が矢を追い駆け抜ける。
周囲を切り裂き、傭兵達の装備から手足までを千切り、多くを死傷させた。
「…かっ…っ……」
「……な、…ん……」
喉元を白荊棘に抉られた兵士は血に倒れ、流れ行く血液を抑えながら冷たくなっていった。
ヴィダードが時間を稼いだ。
両手を強く握り合わせる。
水の循環を表す手振り。
練られた経は膨大。
俄かに周囲の気温が下がる。
シンカの足元に霜が立ち、森の地面が浮き上がる。
シンカの経が地を伝う。土中の水分が凍りながら霜が立つ地面が敵に向けて伸びていく。
「回避!皆退がれえええええ!」
両脇を配下に抱えられ、引きずられる様に後退しながらオベサムが叫んだ。
シンカは足元から送り込む経を増大させる。
シンカの経に馴染んだ地面が水路の様に経を流す。
「っ!」
土中の水分が増幅され、更に凍り付き白い柱を立ち上がらせる。
水行法・氷塔原
次々と立ち上がる氷の柱が南からシンカ達に迫る兵士達を貫いていく。
闇の中、松明に照らされて橙に輝く美しい氷柱が、流れ落ちたどす黒い液体に覆われて、鈍く光を発していた。
急激な練経、極度の集中、そして森の樹々の呼吸で蒸した夏の夜。
シンカの額から流れ落ちた汗が目に入り、じわりと痛みを与えた。
「……やってくれましたね」
乱立する不気味な飾り付けの氷柱の向こうで、オベサムがシンカを睨みながら、深く呪い殺す様な声音で声を掛けてくる。
シンカは返事をせず、オベサムに1番近い氷柱に経を流し込む。
兵士がオベサムを庇い背を穿たれた。
「…オ、オベサム…さま……かぞ…くを……」
伸ばされた兵士の手をオベサムは取る。
「必ず!」
百舌鳥の早贄の如く力尽き、吊られた兵士をオベサムは看取った。
「これ程の兵士を殺し、よく我等を悪様にののしる事ができるな……」
「くだらぬ問答。魍魎共にかける情けなど無用。何百人殺そうと家族の小指の先にも満たぬ価値。それが解らぬからこの様な愚行に走るのだ。水も、人の心も低きへ流れる。だが汝等のそれは飢えた獣にすら劣る。自制心なき獣。この場で朽ち果てよ」
「彼等にも家族がいる。悪事の片棒を担いだからと、無闇に奪われて良い命ではないぞ!」
シンカは鼻で嘲笑する。
くだらない。
オベサムは有能だ。兵士達を正当化して士気を上げようと口先だけの綺麗事を述べている。
「例え清廉に生きようと、強大な力の前には屈さざるを得ないのがこの世の理。剰え悪事に加担し報復を喰らいて不平を述べた所で誰が取り合おうものか。我等は力に、不条理に抗い生きる。ただそれだけの事。生き延びたくば、抗いて力を示せ。我等を捩じ伏せ、抗い、己が力で命を得よ。無意に兵を費やしているのは汝等の行いに過ぎん」
兵士達の死が敵であるシンカ達が齎すものという認識を論じて跳ね返す。
シンカは兵士達の間に自分の意見が浸透し始めている事を感じ取っていた。
オベサムも表情こそ変わりないが、シンカと討論しても指揮が下がるだけと悟ったのだろう。
口と目を閉じ大きく息を吐く。
そして自身も佩いていた直剣を抜き払った。
「カラキア!ラクテア!ジャブダル!ランクルス!アナトリ!精鋭にてこの者共を駆逐せよ!」
オベサムが腕を振るいシンカを指差す。
「若様。承りました。…ビグエリ、ペテルソン、ルリダス、サクレ。奴等を葬れば褒美は思うがままだ」
衛兵団長カラキア・ラタトゥスクがシンカを指差す。
名を呼ばれた麾下の男兵士達が扇状に展開して武器を構える。
「リバエ!エブレネ!トレメンス、レドゲイ!抜かるな!やるぞ!」
両兵団長ラクテア・ラタトゥスクの号令に4人の男女が兵士達を割って出で、武器を構える。
「サティ、ウガル、アサグ。やるぞ。舐められて終われるのもか」
雨月旅団の残党率いるジャブダルが告げる。
「ランクルスさんよ。報酬は弾むだろうな?…フォルク、オーデマ。金の分は働くぞ。気合い入れろ!」
「幾らでも払う!奴等を殺せ!」
大山商会のランクルスとその護衛ウルガリが下卑た会話をする。
ウルガリに答え、筋骨隆々な男が2人武器をかまえた。
「……森渡りどもめ!我等が同胞の無念、此処で晴らしてくれるっ!易々と死ねると思うなっ!パーベル!ルスラン!イゴール!スタニス!オレーク!ヴァシリ!皆の敵を取るぞ!」
敵が氷塔原の向こうからシンカ、ヴィダード、ナウラ、リンドウ、スイハ、スイホ、ファラ、シラーを半円状に囲む様に展開する。
「千剣流礼位、カラキア・ラタトゥスク!」
「千剣王剣信位、ラクテア・ラタトゥスク」
「鈴剣流礼位、ジャブダル」
「千剣鈴剣礼位、ウルガリ」
「千剣、王剣、鈴剣礼位、アナトリ!」
指揮官達に続き配下の精鋭達が名乗りを上げた。
「………」
名乗りにシンカは答えない。
油断無く周囲を観察し、一人一人の名前を覚え、体格、武器、腕前を推測っていく。
「無礼な。名乗らんか!」
カラキアがシンカ達に向けて怒声を上げた。
「……雑兵に名乗る名は無い。嘗て戦ったどの名付きにも及ばん力量の者風情が」
シンカは既に彼等を人間として扱っていない。
人を拐かし、尊厳を踏み躙ろうとする様は畜生にも劣る。
食料や敵として人間を襲う魍魎以下の存在だ。
「…だが、どうしてもと言うなら教えてやろう。…………千剣流徳位、狐男のシンカ」
「!?」
驚愕に息を呑む者が多数。
信じたからでは無いだろう。
緊張を孕んだ沈黙が辺りを統べる。
冬の湖面に張った薄氷上を歩くかのような緊迫感がまるで濃霧の様に蔓延り、面々の身体に柔らかく、しかし確かな重みを持って絡み付いていた。