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澤村愛はめんどくさい

現在地

作者: 末摘花

  俺って実は陸上部で、長距離の中の長距離、千メートルを走っていたりする。大会に出れば入賞は当然だったりして、俺の努力は無駄じゃなかったんだって安心するような真面目な人間。かれこれ5年も陸上部。陸上生活は12月で14年です。当然か。

  なんで走るの? とか、この質問は好きじゃなくて、むしろ俺に失礼なんじゃないかって思う。じゃあなんで生きてるのかっていう質問に答えられる? とか、真面目な俺は考える訳。でも俺は澤村愛じゃないから、その答えになんの興味もない。産まれたから生きている。この考え方はきっと、朝日とも澤村愛ともかぶらない。価値観の相違を、色濃く感じるのは最近だ。

  学ランの詰め襟を触る。息苦しくてホックを外した。第一ボタンを外すと怒られるけど、ホックくらいでは誰も何も言わない。心臓に近い第二ボタンをなぞる。冷たかった。

  俺は廊下を歩いていて、目的地は職員室。職員室やら保健室やらは全部1階に固まっているこの学校に、もう1年と半分も通っているのにまだ慣れない。静かなのは嫌いじゃないけど、責め立てられているような感覚になるここは、あまり好きではない。糸をピンと伸ばしたような緊張感。俺は緊張が頭痛になるタイプだ。

  誰もいなくて、この廊下の同じ板を誰も歩いていなくて、俺の足音だけが響いている。不安だった。頭が痛いから、たぶん緊張しているのだと思う。放課後のくせにって、放課後だからか。冷たい空気がコーヒーの匂いに消された。職員室はいつだって、コーヒーの匂いがする。

「失礼します」

  抵抗されているんじゃないかってくらい重い扉を、最早こじ開ける勢いで横にスライドさせる。あ、ノック忘れたとか今更。もういいかって全部開けた。誰もこちらを見ない。教師って実は俺たちに興味なんてない。興味もたれても、それはそれで困るけど、さ。

「2年A組御簾納です」

  相変わらず面倒な苗字を名乗って、俺を呼び出した担任を探す、必要はなかったみたい。

「こっちだ」

  手招かれて、眼鏡と鳥の巣みたいな無残な頭を目指す。 よくいる厳しい顔をしたおじいちゃんみたいな、我らが担任七加(ななか)先生。顔の通り校則やルールにアホかってくらい厳しい。気づかれる前にホックを留める。セーフ。

「なんで呼ばれたかわかるか?」

  そんなの見当もつかない。悪いことをするような不良じゃないし、提出物もちゃんと出す優等生な御簾納雪名。な、はず。

「はぁ、さっぱり。俺なんかしました?」

「お前のことじゃないけどな」

「じゃあなんでもいいです」

  窓からグラウンドが見えた。陸上部が走っている。妹を見つけて、もっと真面目に走れよって先輩風。うざいって言われるから言わないけど。サッカー部も野球部もいる。狭そうだなって、思った。

「大会が近い中悪いがな」

  俺の部活に行きたいという思考がだだ漏れなのか、ただ単にそういう顔をしていたのか、七加は謝る。でも俺は少し性根が曲がったお年頃だから、さっさと要件を話してくれと思っている。優等生だから何も言わないけど。3年が引退してから初めての大会が近いのだ。不安というものが、焦りとなって表れている。

「時間はあまり取らせないから、聞きたいことがある」

  溜息。俺ではなく七加の。事態は深刻そうで、吐き出された言葉に叶わず時間がかかるのだろうと思う。説教じゃないことだけが救い。たぶん。

「澤村の希望進路って」

「え」

  澤村。澤村愛。

「知ってるか?」

  俺はまだ2年で、名前の出た彼女も2年。来年には受験を控えていて、11月現在に行われた面談と調査票では、学年全員が進学だと聞いたはずだった。

「進学するのか、就職するのかだけでも」

  知らないかと問われる。俺は何も知らなかった。

「進学じゃ、ないんですか」

  声が上擦った。調査票は白紙で、親を含めた三者面談では二者面談になり、こう言ったらしい。


  ──私の好きに生きます。


  聞いて、呆気に取られた。澤村愛らしい言葉で、全く澤村愛らしくない。非現実者で現実者の、彼女の立場がよく表れているように思った。好きに生きる。まるで矛盾していた。本当は生きていたくないくせに。好きに生きられるとは思っていないくせに。

「今決めろとは、思ってないが」

  その言葉を反芻しているのだろう七加は、複雑そうに顔を歪めていた。気難しくて険しい。乱れも間違いも許容できない七加は、きっと澤村愛を理解できない。

  俺は何も言えなかった。やけに喉が乾燥して、うまく息も出来ていなかった。

  雷管が鳴る。スタート位置に、きっと彼女はいない。

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