中編2
―それからまた数年が過ぎました。
次期女王様だった青薔薇は冬の女王様に就任しました。
冬の女王様になったということで、他の季節の女王様や臣下の妖精たち、そして、人の国の王様やその臣下といった様々な人々と関わる回数も以前に比べ増えていき、妖精だけでなく人たちにまで恐ろしいと噂をされるようになりました。
しかし、次期女王様だった頃よりも誰かと関わる機会が増え、その仕事ぶりを皆の前で披露するようになったので、『魔法と教養は完璧だけれど、心まで冷たく恐ろしい次期女王様』から『冷たく恐ろしいけれど、真面目に仕事に取り組む完璧な冬の女王様』と評価が変わりました。
また、春の女王様とは特に関わる機会が多く、一緒にお話しやお茶をするほど仲良くなり、妖精の森でも以前と比べると一人で過ごすことは減りました。
それでもやはり季節の塔へ行く冬の時期になれば、仕事の合間に変わらずあの野原へチュードに会いに行きます。
「チュード!おまたせ」
青薔薇が野原へやってくると、先に待っていたチュードは嬉しそうな笑みを浮かべます。
「青薔薇、忙しいのに来てくれてありがとう」
ここ数年でチュードはぐんと背が伸びて声も低くなり、急激に大人になっていきました。昔はこちらが見下ろしていたのに、五年ほど前からは彼が青薔薇を見下ろすようになりました。彼の顔からは幼さは完全に抜けきり、今では精悍さすら感じます。
それに見た目だけで言えば、数千年の時を行き、老化も人よりもずっとゆっくりである妖精の青薔薇と今のチュードはあまり変わりません。正直に言えば、チュードの方が少しだけ年上に見えます。
「別に、女王の仕事は忙しいけど、とてもやりがいがあるの。それに、チュードに会うことは私の冬の楽しみだから。それよりあなたも、森の番人で大変でしょう?」
チュードも今では立派な森の番人になり、森の見回りや狩りの手伝い、春から秋にかけては森に生える薬草や山菜を実際に目で見て収穫時期を村人にお知らせをするなど熱心に働いています。
「まぁ、僕は、この時期は森の見回り以外に特にやることもないから、ゆっくりしてるよ、ねぇ青薔薇、聞いてよ、この前ね…」
チュードは身近に起きたことを話し始めます。彼の横顔を覗き込むと大地のような温かみのある茶色の髪が冬の冷たい風に遊ばれ、好奇心あふれる緑色の瞳が嬉しそうに輝いているのが見えました。
チュードの髪の色も瞳の色も、二人で他愛もない話をするこの穏やかな時間も彼が大人になった今でも変わりません。
「ねぇ、青薔薇、僕は、冬が好きなんだ」
突然チュードは言いました。
「あら、そうなの」
少しだけ胸がドキリと鳴りましたが、何でもないように青薔薇は答えます。
数年前から、チュードはよく冬が好きだと言うようになりました。
たいてい人はただ寒くて、退屈な冬より他の季節を好みます。それは、人の国に訪れるようになった頃に知りました。自分が人にまで恐れられるのは、その人々にとってあまり好まない季節を司る女王であることも影響しているのでしょう。
そんな人々があまり好まない冬を好きだというチュードは少しおかしいのです。
「僕は、冬の透き通った太陽の光とか、地面を優しく包んでいるみたいな雪とか、冷たいけど綺麗な空気が好きなんだ」
チュードは嬉しそうに言います。
彼もおかしいですが、自分も少しずつおかしくなっていると青薔薇は思います。彼が大人に近づいていくにつれ、青薔薇の心臓がドキリと高鳴り、炎に燃やされているかのように胸が熱くなるようになり、年々その回数も増えていきました。今も、彼が冬が好きだと言っただけで心臓が大きく高鳴り、焦げそうなほど胸が熱くなりました。一方で、彼が村の女性の話をすると、心臓がズキリと痛み、凍えるほどに胸も冷たくなります。
「冬が好きなんて、チュードはおかしいのね」
「そうだよ、僕は、おかしいやつでもかまわないんだ」
チュードは初めて出会った子供の頃から変わらない優しい笑みを浮かべます。
その笑みに、青薔薇は何も言えなくなります。
本当は、青薔薇も少しずつおかしくなっていく理由も分かっていました。
「…本当におかしいわね」
それは、チュードに向けた言葉ではありません。
ただ、青薔薇は理解していました。彼もいつか誰かと恋をして、そして結婚して、幸せな家庭を作っていくことも。そして、そこにきっと自分はいらないのだということも。
だから、そのことを想像して傷ついている自分はとてもおかしいのだということを。
いつからでしょう、彼の成長を見守りたいという気持ちから、一緒に時を歩んでいきたいと思うようになったのは。
そう思いながら青薔薇は少し悲しそうにチュードに笑いかけました。
********
―それから数日経ったある日のことです。
いつものように、仕事の合間を縫って、青薔薇は雪の積もった真っ白な野原にやってきました。
「チュード!」
青薔薇が先に来て待っていたチュードを呼ぶと、チュードは緊張した面持ちで、青薔薇を見つめます。
いつもなら、あの優しい笑みで迎え入れてくれるのに、今日のチュードはなんだかおかしいのです。
よく見れば、手には両手いっぱいの青いバラの花束を持っていました。それは、少し色褪せており、一目で白いバラを青く染めて、乾燥させたドライフラワーだと分かりました。
青薔薇は、昔読んだ本の中の王子様が両手いっぱいのバラの花束をお姫様に捧げて、求婚するシーンを思い出しました。
そのとてもロマンチックなシーンを青薔薇も憧れたもので、それをまだ幼かったチュードにも語ったことがありました。
「青薔薇」
チュードの緊張した声で青薔薇はハッと我に帰ります。彼のいつもは好奇心にあふれる緑色の瞳は今は真剣で、真っすぐにこちらを見つめていました。彼は、青いバラの花束を彼女に差し出します。
「僕は君を愛してるんだ、君と家族になりたい…だから、青薔薇…僕と結婚してほしい」
その言葉を聞いた瞬間、胸がとても熱くなり、涙があふれました。
悲しみの涙ではなく紛れもなく喜びの涙です。ポロポロと流れる涙は止まることを知りません。
「私も…チュードが好き……」
やっとそう返事をし、青い薔薇の花束を受け取ると、チュードは今度は彼女の左手を取り、その薬指に何かをはめました。
それは青い薔薇が彫られた木製の指輪でした。
「…ごめん、他の人が君におくるような輝く宝石も、きらきら光る金や銀も、僕は君に贈ることができない……それでも、この指輪は大好きな君に贈るために心を込めて作ったんだ……」
チュードは申し訳なさそうに言います。それに対し青薔薇は首を横に振ります。
「そんなこと関係ないわ…私、チュードが作ってくれたこの指輪が好きだわ…だから、謝らないで……」
この指輪は確かに宝石がついておらず、金や銀で作られていません。しかも女性が身に着ける指輪としては少し太いです。
しかし、何度も丁寧に磨いたのか、この指輪は木特有の柔らかな光沢があり、温かみを感じます。それに、宝石はありませんが、一輪の青いバラの花びらが一枚一枚細かく彫ってあり、丁寧に青く色づけられていて見事なものです。
そもそもチュードが自分のために一生懸命に心を込めて作ってくれた。それだけで、金や銀、宝石で作られたどんな指輪よりも、ずっと青薔薇にとっては価値があり愛おしいのです。
「チュード、ありがとう…本当に、愛してる…」
青薔薇がそう言って、涙を流しながら笑うと、空から静かに白い雪が降り始めました。それは、まるで二人を祝福するかのようです。
「雪だ…青薔薇が降らせたの?」
青薔薇にチュードは問いかけます。それに対し彼女は『いいえ』と小さく首を横に振りました。
「冬の女王が幸せを感じると、本人が願わなくても雪が降るの……」
青薔薇がそういうと、チュードにギュッと抱きしめられます。
チュードの腕の中から見上げた彼のその笑みはいつもどおり優しくて、そして、とても幸せそうでした。―
********
―目を閉じて、昔を思い出していた、今は季節の塔の中にこもる青薔薇は目を開きます。
思い出の中のあの野原とは違い、外では常に雪が混ざった激しい風と、塔の周りに集まった人々の不満の声が聞こえてくるので、この塔はとても騒がしいです。
「…チュードはあの時、幸せそうだった…」
ポツリと呟きます。
「私は、チュードと出会ってずっと幸せだった…だけど…」
青薔薇は声を詰まらせました。
「…きっと彼は…ずっとの幸せじゃなかったわ…」
そして、彼女は何も身に着けていない左手の薬指をさすり、再び苦しそうに目をつぶります―
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―チュードと結婚してから二年後の冬に青薔薇は、子供を身ごもりました。
そして、その次の年の秋の始め頃に妖精の森で、元気な男の子を出産しました。
その男の子はチュード譲りの大地のような温かみのある茶色の髪と青薔薇譲りの冬の夜空のような青い瞳を持ち、ムートと名付けられました。
妖精と人の間に生まれた子供は必ず人であると言われており、ムートも人でした。そして、人は妖精の森で暮らせません。そのため、青薔薇は妊娠していた時にチュードと決めたように、その年の冬に彼にムートを預けました。
それから、青薔薇は冬の女王としての仕事の合間を縫って、二人の下へ通いました。
家族三人での時間はムートが中心で回っています。
まだムートが赤ちゃんだった頃は、泣いたムートをあやしたり、お腹が空いたらお乳をあげたり、おもらしすればおむつを取り替えたりと、初めての子育ては初めてのことづくしでとても大変でした。親である青薔薇とチュードは慌てることや戸惑うこと、少しイライラすることが度々ありました。
それでも、我が子は可愛いもので、無邪気に笑う姿には、思わずこちらが笑顔になります。それに、愛する子どもをこの手に抱きながら、子育ての喜びも苦労もチュードと分かちあうことに幸せを感じました。
二人には冬の間にしか会えません。確かに寂しいとも感じますが、いつでも魔法の鏡で二人を見守ることができますし、冬になれば、家族三人で一緒に過ごすことができます。
家族三人で過ごす中でたくさんの思い出が増えていきます。
ムートが初めて青薔薇を『ママ』と呼んだ時のこと。四歳になったムートが家族三人分の雪ウサギを作って誇らしげに見せてきたこと。晴れた日には、あの野原と森の中を家族で散歩したこと。時にはムートがいたずらをしたので叱ったことやチュードと夫婦喧嘩をしたこともありました。
良かったことも悪かったことも全てが宝物です。
二人と過ごす家族の時間はそんな抱えきれないほどの宝物であふれ、そして、とてもあたたかくて幸せでした―
********
―そんな幸せな時間が十年ほど続いたある日の冬のことです。
今日も、青薔薇は忙しい冬の女王の仕事を終え、チュードとムートに会いに二人の家へとやってきました。
チュードはちょうど森の見回りに出かけていて、家の中にいたのは洗濯物を干す青薔薇と今年十歳になるムートだけでした。
「ねぇ、お母さん」
「なぁに、ムート?」
「お母さんは、どうして、歳をとらないの?」
それは、純粋な疑問からくる質問でした。
ムートは幼かった頃のチュードと違い、よく村の中心部まで下りていき友達と遊んでいるようです。その時に、他の母親を見て気づいたのでしょう。一年や二年ならごまかせたかもしれません。しかし、ムートを産んでもう十年、父親は口元や目元にシワも出始めて少しずつ老いていくのに対し、母親はいつまでたっても変わらず少女のまま。
ムートも自分の母親が普通の人間とは違うと感じ始めているのでしょう。
妖精と人の結婚は禁止されていませんが、あまりにも老化の速度も寿命も異なり、また妖精は一年のうちで自分が仕える季節の女王様が季節の塔に行く時期にしか相手に会いに行くことができません。そのため、妖精と人の結婚は大変珍しいのです。
いつか、大きくなり様々なことを知ったムートが自分と周りの親子を比較したとき、どんな気持ちになるのでしょうか。
十年間、二十年、数十年とどれほど時間が経っても、変わらず少女の姿のままの母親を追いこして成長していくことにムートはどう思うのでしょうか。
―私がここにいることは、二人のためにはならないのかもしれない…―
青薔薇は二人との別れを決意しました。
そして、その年の冬の最後の日の夜、二人が寝た後に、
『―もうここには来ません。
今までありがとうございました。
ずっと、ずっと愛してます。
どうか、幸せになってください―』
そう書いた手紙と共にプロポーズの時にチュードから贈られた指輪をいつも三人で食卓を囲んだ木のテーブルの上に残して立ち去りました。
目からは次々と熱い涙がこぼれ、止まりませんでした―
********
―それから、青薔薇は妖精の森でも季節の塔でも冬の女王の仕事の合間に、魔法の鏡でチュードとムートを見守り続けました。
青薔薇は妖精の森に帰ってからは、しばらくは泣き続けていたのですが、親しい仲の春の女王様に励まされ、また元通りの生活を送っています。
それでもやはり二人に会えないのは悲しくて、チュードから贈られた指輪を以前まではめていた左手の薬指をさするのが癖になってしまいました。
そのため、魔法の鏡で二人を見守る時間はとても幸せで、まるで本当に二人と一緒にいるような気分になります。
ムートが次期森の番人として父親であり、師匠のチュードから様々なことを教わる様子。村の友達と遊んでいる姿。チュードが相変わらず器用に木で物を作っている様子とその真剣な眼差し。森の番人として必要不可欠な狩りがなかなか上達しないことの悔しさに焦り苛立つムートの姿。二人がケンカをして、何日も口をきかなかった時はハラハラし、青薔薇はとても不安になりました。
良かったこと悪かったこと様々なことを経験して成長していくムートと、息子と力を合わせ、時に衝突しながらも全て受け止め、すぐ側で優しく見守るチュード。
そんな二人を見守るのが何年も続きました。
チュードは立派な中年のおじさんになりました。
ムートは立派な若者に成長し、一人の女性に恋をしました。
そして、その女性と愛し合い、冬の始め頃に結婚式を行いました。
結婚式はチュードの両親が眠る村の教会で行われ、可愛い花嫁さんと寄り添うムートの姿に昔、チュードからプロポーズされた時のことを思い出します。季節の塔からその様子を見守る青薔薇は会いには行けないけれど、祝福として魔法で雪と青く光を反射する氷の花びらを降らせました。
「おめでとうムート、お幸せに」
そうして、ムートとチュードの家に、お嫁さんが新たに家族として加わり、次の年に女の子、その次の年に男の子、その二年後に女の子と全部で三人の子供を産みました。
働き者のお嫁さんと可愛い三人の孫たちのおかげでチュードの住む家はいつでも賑やかになりました。
ムートがお嫁さんには敵わなくて尻に敷かれている姿。家族みんなで暖炉で温まる姿。よく三人の孫たちが森を探検していること。ムートが父親らしくいたずらをする子どもたちを叱る姿。気の強い一番目の孫と頑固な二番目の孫がしょっちゅうケンカをすること。そんな上の二人をこわがりな三人目の孫が慌てて止めに入ること。時には家族であの野原へピクニックへ行くこともありました。
年々ムート達夫婦が年を重ね、孫たちが成長していくなか、チュードはどんどん年老いていき、おじいちゃんになっていきました。
数十年の時を経て、チュードの顔は皺だらけになり、たくさんの素敵なものを作ってくれたその手も今ではしわくちゃです。
若い頃は好奇心があふれていた緑色の瞳は今では、知性と静けさが宿っていて、大地のような温かみのあった茶色の髪も、中年を過ぎた頃から、白髪がまじり、少しずつ地面に雪が降り積もるように真っ白になっていきました。
それでも優しい笑顔だけはいつまでも変わりません。
チュードは息子たち夫婦と孫たちをいつでも優しく見守っています。
青薔薇は彼のその様子を見ると、とてもおかしなことなのですが、まるで彼の隣で長年ずっと連れ添って、こちらまで皺だらけおばあちゃんになって、家族を見守っているかのような気分になるのです。
「本当に、おかしいわね」
現実は数十年経っても青薔薇は少女のままなのですが。
「孫娘とおじいちゃんっていった方がピッタリなのにね……」
それでも、年老いたチュードを昔と変わらず愛していました。
そんななか、チュードは体調を崩すことが多くなりました。
一日のほとんどをベッドで過ごす時間もどんどん増えていきました。
青薔薇は彼の終わりが近いことを悟りました。
心が不安と恐怖でいっぱいになり、魔法の鏡で息子夫婦と孫を見守ることも、チュードが日に日に弱っていく姿を見ることもできませんでした。
そして、ある冬の日の朝、ついにチュードは死んでしまいました。
季節の塔にいた青薔薇は、それを知ると急いで仕事を片付け、その夜に数十年ぶりにあの家へ向かいます。
青薔薇が過ごした数十年前とほとんど変わらないこの家、外にいる青薔薇が、窓から家の中を覗き込むと孫たちは既に泣き疲れて子供部屋で眠り、ムート達夫婦はリビングにいるようでした。
そして、青薔薇は魔法で隣のチュードの部屋に入ります。
その部屋のベッドにチュードは寝かせられていました。
青薔薇が近づいて覗き込むと、チュードの皺だらけの顔は眠っているように見え、まるで、幸せな夢を見ているかのように穏やかな顔でした。
「…チュード…」
名前を呼んでも返事はありません。
青薔薇は、胸の前に組まれた彼の手にそっと触れます。
思い出のなかでは、初めて会った時に握ってくれた彼の小さな手もプロポーズの時に指輪をはめてくれた大きな手も、こちらの白い手を握る日焼けした黒い手も、赤ん坊だったムートの柔らかい手を包む固い手も、どんな時でも彼の手はお日様のようにあたたかい手でした。
しかし、今触れているこの皺だらけの手は、まるで氷のような冷たさ。
青薔薇はやっと実感しました。
「…本当に…死んじゃったのね…」
そのことが胸の中から染み入るように身体中に広がっていき、目の奥が熱くなります。そして、眠っているチュードの顔が滲み、冬の夜空のような青い目からはボロボロと雨のように涙が零れてきました。
青薔薇はすぐにその場から逃げるように立ち去ります。
そして、森の中を駆け抜け、あの野原へと向かいました。
着いた野原は、チュードと出会った数十年前のあの日と何一つ変わらず、雪に覆われた大地以外には何もない場所でした。
そこに、またポツンと一人の彼女。
しかし、あの日とは違い自分の手を握って笑いかけ、名前を呼んでくれたチュードはもういないのです。
「あぁッ…チュード…ッ…!!」
ひとりぼっちの自分を救ってくれた人、たくさんの幸せをくれた人、愛してくれた人、愛した人。
涙と嗚咽が止まりません。
ひとりぼっちだった時も、チュードとムートと別れた日もこれほどまで、悲しくて苦しかったことはありません。
昔、流行り病で両親を亡くした、あの時のチュードの気持ちも、何もできない自分を呪う夏の女王様たちの気持ちも今なら痛いくらいに分かります。
寒くて寒くて、胸が凍えるほどに冷たく、痛くてたまりません。
青薔薇は夜が明けるまでそこで子供のように泣き続けました―
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―夜が明けると、青薔薇は家族として過ごしたあの家を一目見て、季節の塔に戻ろうとしました。
そして、ちょうど家の裏に近づいた時に、お悔やみのためにやってきた村人の言葉が聞こえてきました。
「春になっちまえば、すぐにチュードじいさんの体も腐って、跡形もなくなっちまうなぁ…」
その言葉に、青薔薇は目を見開きます。
―春になったら、本当にチュードがいなくなってしまう!―
青薔薇は、これ以上チュードとお別れをするのが嫌でした。
そして、すぐに季節に塔に戻って大雪を降らし、さらに寒さを厳しくして、冬が過ぎても塔にこもり続けました―
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―そして、今のこの状況に繋がるのです。
青薔薇は季節の塔を取り囲む、人々や王様とその配下、夏と秋の女王様たちその配下の妖精たちを窓の中から見下ろします。
「―私は別に、冬の女王になんてなりたくなかった…」
「でも、チュードがいたから…冬の女王になるのも悪くないって思えた…」
「チュードが、私を冬の女王にしてくれた……!」
左手の薬指をさすりながら、目をつぶると、瞼の裏に彼のあの優しい笑顔が浮かびます。
―もう、私にとって冬の女王の地位なんて何の意味もない…―
そう思った時でした。
「―冬の女王…いいえ、青薔薇ちゃん、こっちを見て!」
その声は紛れもなく春の女王様の声でした。
今までどこかへ行って行方が分からなかった春の女王様の突然の登場に皆が騒然とします。そのうえ春の女王様はとある人物を連れていました。
「―どうして…ッ…!」
その人物を見て青薔薇は息を呑みました―