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ハツコイのコ  作者: 海都
5/5

最終話 始まる

 満腹感からか僕は部屋に戻るなり、いつの間にか眠ってしまっていた。『確か明日は10時にチェックアウトだったよな?』そう確認する聖史の言葉に返事をしたかどうかは定かではない。

 ヘンな時間に、ふと目が覚めてしまった僕は、携帯を開いて時間を確認する。


(3時か…)


 隣のベッドで大の字になって寝ているタカシさんや、直立不動体勢で姿勢良く寝ている聖史を起こさないように、ゆっくりベッドから降り、タオルや着替えだけを持って部屋のドアをそっと開ける。まるで親に見つからないように、夜な夜な外出する中高生の気分だ。これでも20歳という一応大人の分類に入るであろう僕としては、懐かしくもあり、なんだかくすぐったい。


 そんな長い時間でないにしてもかなり爆睡したハズなのに、疲れた体はまだ100%の体力回復には至らず、血液の流れが遅いような感じで体が重い。


「あー運動不足やなぁ」


 僕は動きの悪い体を引きずりつつエレベーターに乗りこみ、首をゴキゴキしながらクアハウスのある階へと降りる。こういう時は軽く運動をしたほうがいい。ハードトレーニングした後は無理に筋肉を休めず、少しだけ負荷をかけてやったほうが筋肉痛にはならない。高校時代に覚えたものだ。


 エレベーターを下りて左、廊下をまっすぐ歩き、突き当たりを右に折れる。数メートル先の右手にある大きな<暖簾のれん>の奥が大浴場で、そのもう少し先にクアハウスがある。風呂もそうだが、こんな時間でも開いているのがありがたい。

 すると、風呂から上がってきたのだろう、頭を斜めに傾けて髪の水分をタオルで拭き取りながら出てきた女性が目に入った。その仕草が妙に色っぽく感じられるが、あまりジロジロ見るわけにもいかない。それに時間も時間だ。ヘンな誤解を受けてしまわないように注意して、すれ違おうとする瞬間、その女性が急に立ち止まった。


(ん?なんやろ?)


 その人の顔へ目を向けると同時。


 僕の心臓はギュッと押しつぶされ。


 体中の鼓動が一斉に止まる。


 疲れた体と寝起きの頭が重なり、見事に頭の中が真っ白になった。


 マジで一瞬、止まったように感じた心臓の鼓動や脈は、海で走り回った後のそれよりも、遥かに大きく、早くなっていった。もう…心音がホテル中に響いてしまうんじゃないかと思うほどに。


「え…センパ……」


 とても懐かしいその声は、僕の心を鷲掴みにする。

 なんて心地の良い音だろう。

 とても小さなその音は、綺麗な旋律となって頭のテッペンからつま先まで駆け巡り、僕の細胞をさらに高揚させていく。


「な、夏…妃?何でここに」


 やっと出せた声は、彼女の放った声よりもさらに小さく震えていた。我ながら情けないとは思うが、夏妃と別れる事になったあの日以来、僕の中で拡大していく想いに歯止めをきかせる事が出来ずにいたのだった。


「先輩こそ…何で」


「あ、…ああ。今勤めてる店の旅行で…さ」

 と、僕は何とか平常心を取り戻し答えた。


「そうなんですか。じゃあ、その…お店?のみんなと来てるんですね」


「そう。オーナー夫婦とスタッフとの6人でさ。あ、俺、美容師になったんだよ」


「えーそうなんですか?美容師さんって、なんか意外かも。あ…私は……家族と来てるんです」


 夏妃は真夜中の廊下に響く声を気にしているのか、か弱く小さな声で言ったが先ほどの驚きの音とはまた違う音色だった。


「でも、びっくりしたよ」


「うん。私も」


「あ、俺さ。ここへは今日初めて来たんだけど、すっごくいいホテルだよな」

 僕は1秒でも沈黙とならないように、言葉を探しつつ紡いだ。


「そうですよね。私も…みんなも、とても気に入ってて。でも──」


「でも?」


「相変わらず、夏ってイジワルだなって」


「いじわる?」


「うーん…だってほら。先輩と前にああなっちゃったのも夏だったし」


「いや、正確には春だぞ?っいうかごめん。でも、しょうがなかったんだよ。俺だけ残る訳にはいかなかったし」


 実際は『親父だけ単身赴任でもしろよ』とか言ったくせに、つい、はしょるついでにええ格好しぃになる。


「うん。それは仕方ないと思います。もしそれが私でもそうしたと思いますし。でも、転校って私には経験がないですけど、ちょっぴり憧れたりした事もあるんですよね」


「なんでだよ?俺は少なくとも歓迎はしなかったけどなぁ」


「だって、新しい生活になるわけじゃないですか?もちろん、その環境が自分に合うかどうか不安だろうし、悩んだりもするとは思うんですけど。それでもやっぱり、これからどんな事が待ってるんだろうとか、考えただけでもワクワクすると思うんですよね」


「ははっ。相変わらずだな。その前向きなとこ」


「だって…後ろ向いてたってしょうがないじゃないですか」


「だな」


 言った後、彼女のプラス思考に少なくとも感化され、それまでの”内に篭る自分”を見直したこともあったっけな、と思い出す。

 元からの楽天家と前向きな人とは、意味が違うのだ。もしも僕が転校もせず、ずっと夏妃と付き合っていたとしたら、どんな僕が存在していただろう。美容師になってみんなと出会い、支えられ、少なくともその頃よりは人見知りもなく、外交的になったであろう自分よりも変わった僕がいただろうか?いや、やめよう。それこそ後ろ向きな考えかもしれない。こうしていれば良かったとか後悔したって仕方がない。タイムマシンはまだ開発されてはいないのだ。たぶん。


「ねぇ先輩。ここにはいつまでいるんですか?」


「あー。えっと、明日の10時にチェックアウトだよ」


「そうなんですか」


 少し残念な表情をしてくれる夏妃がとても可愛く、自分だけここに留まってやろうかという衝動にかられる。


「夏妃は?」


「私はもうちょっといる予定なんです。ねぇ先輩。これからまだ起きてたりしますか?」


「まだっていうか、さっきまで寝てたからな」


 ついさっきまでは体が重くて仕方なかったが、もう完全に目がてしまったのでこのまま起きていたって問題はない。


「ホントですか?じゃあ少し外で話せませんか?ここじゃ、ちょっと」


「ああ、そっか。いいよ」


 風呂の後でこんな廊下で話し込んでいては夏妃が湯冷めしてしまう。それに、このチャンスを逃す手はない、と思った。実際はそんな単純な理由じゃないと後で知る事になるのだが、この時はかなり舞い上がっていたんだと思う。


 彼女の言葉の意味をあまり考えていなかったのだ。




 本来ならクアハウスで軽く体を動かすつもりだったのだが、こんなチャンスはもうないだろうと決め込み、「じゃあ急いで風呂入って来るから」と、しょうもないウソをついてカラスより早かったであろう風呂を後にし、夏妃のもとへと向かった。


 みんなと遊んだ昼間の海なのに、今こうして夏妃と二人だけしかいないとイメージはまた変わる。

 ザザ…ンと波音だけが聞こえてくる砂浜は、日中の太陽の熱気を放出しきれず、ちょっぴり暖かい。


「お待たせ」

 と近づくと、


「わ、ホントに早かったですね」

 とニッコリする夏妃。


 ノースリーブTシャツにロングスカート、足元はビーチサンダル。夜でもわかる透き通るような白い肌。

 風に揺らぐ髪を耳にかける仕草が、月明かりに輝く海面よりもキレイだ──なんて、声に出してはとてもじゃないが言えない。いくらなんでも久しぶりに会ったばかりでそれは気持ち悪い。


 僕と夏妃は浜辺にちょこんと座り、どちらから話し始めるでなく、ただしばらく海を眺めていた。すると、 「今、付き合っている人がいるんです」と、前触れもなく夏妃が先に口を開いた。


「え?」


「私よりずっと年上なんですけどね。半年ちょっと、ううん、一年くらいになるかなぁ…出会ってから」


「あー…そうなんだ?そっかぁ。なんだよ、話ってノロケ話かよぉ。まぁでも良かったな」


 こんな時、男は見栄を張る。別にショックなんかじゃないぜ!って顔で。でも、実のところ、傷口は結構深いものなのだ。


「はい…。とてもね、楽しいんです。その人といると。でも、そろそろお別れしようと思ってて」


「え?楽しいんだろ?」


「うん。だって仕事上の関係だし」


「仕事上?ああそうか。その人とは仕事で知り合った人ってことか?でも、嫌いになった訳じゃないんだろ?」


「うん。好きとか嫌いとかじゃないんですよ。男女の付き合いってことでもないっていうか」


「ん〜なんかよくわかんないけど…だって夏妃、さっき付き合ってる人がいるって言うたやん?その人といると楽しいって。そういうのは付き合ってるって言わへんで?」


「あ。なんだか懐かしい。先輩のその話し方」


「あー…。出てたか?」


「うん。出てた。ね、先輩。出来ればそのまま普通にしててくれませんか?その方がなんか…いいです」


 くしゃっとした顔で笑う夏妃はあの頃のままだった。夏妃のその仕草を見ると、高校当時に戻ったような感覚に陥ってしまう。いや、実際は多少なりとも変わってはいるのだろう。こういう場合は成長していると言ったほうが的確かも知れないが。


「ん…了解。で?」


「あ、うん。えっと、」


「あ、そうだ。仕事って?そう言えば聞いてなかったやんな?夏妃って大学とか行ったりはしてへんのか?」


 そう言うと、夏妃は少し首を傾けて言った。


「…やっぱり、気づいてなかったんですね。まだまだだなぁ、私」


「あ、いや、まぁ。っていうか気づく?って何が?」


「ん~、自分で言うのもなんか…です」


「ははっ。いや、なんやねん?」どうしてもったいぶるのかわからないが、笑いがこみ上げる。


「じゃあ、おもいっきって告白します!」

 告白って言葉でドキっとするが、それは僕じゃないもう一人の僕の感情だ。いや、まぁ僕なんだけど。


「先輩。ハルミって人、知ってますか?」


「ハルミ?何ハルミ?」


 と言った所で、(ああそうだ。つい数時間前も同じセリフを口にしたな)と思い出す。そう、タカシさんがここに泊まっているという噂を聞いたと話していたんだった。モデルとか何とか。名前と年齢以外は公表していないって陣内さんや飯田さんも言ってたっけ。


「それってモデルの?」


「うん、そう。やっぱり美容師さんだから知ってて当たり前なのかな」


「いや、それが」


 そう言われると、実はさっきまで全く知らなかったんだ、とは言いづらくなるが、正直に話すことにした。


「そっかぁ。ここに泊まってるウワサまであるのかぁ」


「なんか、ロビーで話してたのを聞いたって。ほら、さっき話したタカシさんがさ。でも、その人がどうしたん?まさか実はお姉ちゃんとか言うなや?」


 もちろん冗談のつもりで言ったのだが。


「言いませんよぉ。だってそれ、わたしなんですもん」


「ふぉ、え?」


「ふぉえってなんですか。あ、あははははっ」


 拍子抜けしたように笑う夏妃を見てやっと気づいた。


「え?いや、あの、ハルミ…ってのが夏妃?」


「です」


「ほう。で、ほんまは?」


「ホントなんですってば」


「マジ……かぁ」


「マジなんです。だから大学とかは行ってないんです。私、両立させられるほど器用じゃないし」


「そっか」


 驚きと同時に夏妃が僕とは違う世界にいるような、遠く手の届かない人になってしまっていることがショックだったのが本音だ。2時間前、偶然にも再会した時には嬉しさばかりが先立って、ひょっとしたら運命?なんて調子のいいことを考えていたほどだ。未練がましい男っぷりに呆れ果ててしまうが、それとは反対に口数は多くなる。


「いやー、にしたって偶然ってあるんやなぁ。ほら、ちょっと前に噂をしていたとこだったからなあ。あ、でもあれだ?芸名なんだな?それにさ、素性を明かさない有名人の正体を知ってるていうのも、何か得した気分かもな」


「そんなにビックリしました?」


「そらビックリもするやろ」


「ですよね。だって先輩ってそういうとき、妙に口数多くなるんだもん」


「あ、アホっ、そんなんちゃうわ。大人よ?俺。昔とはもう比べモノにならなくらいの器のでっかい」


「ほら、そういうトコ。変わってませんよー」


「う…」


 ちきしょう…上目遣いとか可愛いではないか……。ズルイではないか……。


「でね。私、仕事辞めようと思ってて」


「え?モデルをか?だってやっと仕事も増えてきたとこなんやろ?」


「そんなでもないですよ。だって先輩のお店の人が言ったように、素性がわからないから余計にみんなが騒いでいるだけだし。それにほら、先輩も言ったじゃないですか。『得した気分かもな』って。私だって別に有名になりたくってやってる訳でもないですし」


「いや、そういうつもりじゃ…ごめん」


「ううん。私こそごめんなさい。イヤな言い方して」

 と、顔を伏せて言った。


「分かってます。でもね、正直なとこ、結構イッパイイッパイなんですよ。色々あって」

 夏妃の瞳が少し膜を張り揺れる。


「あー、付き合ってないってやつ?」


 涙を浮かべるほど別れるのがツライなら、考え直せばいいのにとも思う。が、男と女の関係はそんな簡単なものでもないのだろう。それに、『色々あって』とは、話したくない意味合いか、説明が難しい時に出る、端折った言葉かも知れない。何にせよ、さっきから訳がわからない。単に僕の頭が悪いからか、頭がまだボーっとしているのか、整理しきれない。まぁ、きっと両方だろう。


「ゴメン、ちょっとわからないんだけど…っていうかそれ、詳しく聞いてもいいわけ?」


 そう聞くと、夏妃はゆっくりと縦に頭を落とし、「あの時はもう、ね……」と、大浴場の前で話していた時よりも声は小さくはないが、もっと寂しげな音を出しながら話し始めた。


「お父さんが死んじゃってすぐだったかな。私はどこにいるんだう。私はどこへ向かおうとしていうんだろ。ひょっとして、この世界も空想なんじゃないか。なんかもう、どうでもいいや……って。そんな時、お父さんと小さい頃に来た海が見たくなったんです。ボーっと海でも見ていたら少しは気も紛れるかなって。ちょうど今みたいにこうして…」


 瞳に少しずつ涙が貯まっていくのを、夏妃は堪えるように上を向き、ひとつ深く呼吸をした。


「そこにね…お父さんがいた気がしたんです。何度か呼んだりしたんですけど、お父さんには声が届かないみたいで。ニコニコ笑ってどんどん遠くに行っちゃうんです。そしたらいつの間にか胸くらいまで入っちゃってて。なんかこのまま向こうに行っちゃってもいっか…なんて。なあ~にやってんだって感じですよね…」


  僕には全く想像が出来なかった。いつも頑張り屋で、笑顔を絶やさず、前向きで。夏妃にはそんなイメージしかないのだ。お父さんが亡くなったことにもかなり驚かされたが、夏妃がまさか、そんな、と。なんだか今日は驚いてばっかりだ。


「そしたらいきなり腕をグイって掴まれて。『痛い、離して』って言っても無理矢理。で、私を海から引っ張り出したあと、すっっごい大きな声で『何考えてんだ!』って。『死んでしまったら君が今まで頑張ってた意味がなくなるだろ!それになぁ!君の笑顔で勇気や元をもらっている人だっているんだ!あの写真はそういう意味もあるんだ!そんな事も分からないヤツが、そんなヤツがモデルなんか目指したって、なれるハズがないっ!!』って。あなたに何が分かるのよっ!て思ってその人の顔を見たら、『あっ…』って。読者モデルとして初めて写真を撮ってくれたカメラマンさんだったんです。奥さんと旅行に来てたって言ってました。朝日が登る海の写真を撮りに来たって。彼が言うには、なんかここの海って独特な世界観があるそうですよ。でも驚いたなぁ、あれは。それから事あるごとにカメラテストだからってモデルの勉強をさせてくれたり、まだ駆け出しの私に仕事を回してくれたり。そうしてるうちに少しずつ、彼の事が好きになっていく自分がいるのに気付いたんです。そしたら彼も、そんな私の気持ちに気づいたのか」



「ちょ、ちょいまった」


 話している途中だったが、止めずにはいられなかった。お父さんが亡くなったこと。100%本意ではなくとも、命を軽んじる行動をしたこと。

 そして、今の夏妃があるのは、その男性のお陰だということ。

 どれも信じがたいというか、ウソであって欲しいが、確かな事実であることは間違いなさそうだ。けれど、夏妃の口から不倫をしていたという言葉や、そういう意味合いの、たとえニュアンスであっても…僕は聞きたくはなかった。自分勝手なのはわかっている。

 すると、一呼吸置いて夏妃がいった。


「ううん。違うの。社長はね、あ、普段は社長って呼んでるんですけど、『ちゃんと乗り越えろ』って。『君が好きになるのは僕じゃない。ファインダーの向こうにいる人達だ。君のお父さんも、きっとそれを望んでいるハズだ。僕は少しだけその手伝いをしてあげているだけだ』って」


「じゃあ、そういう…つまり、その、ふり…んみたいな関係ではないのか?」


「私のことなんて子供みたいにしか思ってないんじゃないかなぁ。 私は別に奥さんがいても構わないんですけどね」


「おいおい」


「ふふ。冗談ですよ」


 イタズラっぽく笑う夏妃の顔を見て、ひとまずそういう関係じゃなかったことに安堵し、笑みがこぼれそうになる。かと言って、どこまで聞いていいものかも僕にはわからない。


 こんな時──。陣内さんなら、どんな風に夏妃の話を聞いているのだろう。僕の時と同じくガンガン突っ込んで来ながらも、上手く必要な言葉を伝えるんだろうか?でも、もしそれが出来たとしても、僕にその答えを見つけ、夏妃にそれを言葉にして言えるだろうか。 僕が陣内さんにしてもらったように、心に繋がった枷を少しでも軽くしてあげることが出来ないならば………。それが出来ないなら、深くは聞かないほうがいい気がした。


「でも、好きになっちゃったら仕方ない部分ってありません?だからと言って、どうしても私のものにしたいとか、略奪愛みたいなことをする気もないですし。だから言ってみたんですよ。『私が一人前のモデルになるまで見守って欲しい』って。 ねえ、先輩。いま私が所属している事務所ね、小さいんですけど、それからすぐに作ったんですよ?すごくないですか?」


「ああ。うん。そうだな」


 確かにすごい。僕には到底、真似出来っこない。僕とその人との、格の違いってものを見せつけられた気分だ。しかし、そこまでしてくれるのは、やはりその社長さんにも夏妃に対する感情があるからではないだろうか。でも…それは逆に、近くにいるから辛いんじゃないだろうか?そう聞くと、夏妃は僕を見て、クスリと笑って言った。


「辛い。でも、社長の幸せまで私が邪魔して壊しちゃいけないですから。だから、辞めようと思って」


「幸せって?その社長さんのか?あ、いや、ごめん。さっきからちょっとズカズカ入り過ぎだよな」


「ううん。大丈夫です。さっきもちょっと言ったように、私のものにしたいとか、そういうんじゃないんです。でも、奥さんからしたら私の存在ってどう見えるのかなって」


 やはり意味が分からない。

 夏妃の涙はどっちのものだろう。社長に向ける気持ちの整理のものなのか、お父さんが亡くなった事に対する不安定なものなのか。それとも。

 なんだか夏妃自身の中でもゴチャゴチャしているんじゃないか?そうも感じるのだ。


「夏妃が気にしてるだけやろ?それに、なんかさ?夏妃らしくないわ」


「だって…迷惑は掛けたくないですし。ってもう、さんざん掛けちゃってるんですけど」


「んー…。けど、それも直接言われたりしたわけじゃないんやろ?」


 そう僕が聞くと、夏妃はコクン、と小さく頷いた。


 周りを気にするあまり、自分から深みにはまってしまっているようだが、肝心のことが抜けている。それでは曲がったキュウリだ。例えが古い?そんな事どうだっていい。


「もしさ?俺がその社長の立場だったとしたら、俺なら自分の道を進みたいけどな。なぁ、ちょっとひどい事言うかも知れへんけど、いいか?」


「はい」と言う夏妃の頭の周りから、はてなマークが飛び出してくるのが見える。


「夏妃な?さっきから聞いてると、なんか社長の事を思って自分の気持ちを抑えてるみたいに聞こえんねん。なんか最近の若いヤツってそういうの多くないか?自分の仕事量を自分で調整したりな。『それは私の仕事じゃないんで』ってアホかっちゅうねん。やれって言われたことはやったらええねん。それって結局は自分に甘々やねん」


「そんなこと」


 夏妃の言葉を手のひらで制止する。


「言い過ぎてるんやったら後でいくらでも謝るわ。でもな?夏妃を一人前のモデルにしたいっていう夢な?奥さんかて別に夏妃が邪魔なわけじゃないと思うねん。実際さ、不安な部分はあるとは思うんやけど、奥さんにしたって自分の旦那さんが選んだ道は、一緒に叶えたいと思うんとちゃうか?まぁ、これは俺の想像やから?実際のとこは本人にしかわからないんやけどな。やっぱ助けてもらった恩は返すのが礼儀やんか?まだ乗り越えてもいないんやろ?そしたら突き進んだらええやん。日本中の人が知ってるような有名人になったらええやん。そしたら社長さんも奥さんも喜ぶ事に繋がるやんか。そこまでやって、やっとお礼を返したってことになるんちゃうか?モデルの仕事もだけど、それが夏妃っていう、一人の人間としての今の仕事やろ?」


 これだけ何だかんだ偉そうに言っておいてなんだが、僕自身も整理なんて出来てなんかいない。人の感情部分はあくまでも想像でしかないわけで。どこまで夏妃に話が伝わったかは大いに疑問だ。

 辺りは変わらず僕らだけしかいなく、たまに車の走る音がする程度だ。波の打ち寄せる音だけが均等な間隔で響き、目を閉じれば星空も月明かりも消えてしまう。そう言えば、聖志がいつだったか言っていた。『うちからすぐ裏にある林を抜けるとすぐ海に行けるんだけど、ムシャクシャした時とか最高だぞ?目の前には海しかないんだからな。ただジッと見てるだけで、なんかどうでもいいやって気になるんだよ。ちっぽけな事でウジウジしてんなぁ俺。ってさ』ってなことを。『こうして俺達が生きてる地球はさ、海があるから大気も潤滑されるし、色んな生命も誕生して進化してこれただろ?そんなスケールのでかいことをして来たんだよ、海って。そんな海からしたら、俺のウジウジした気持ちを洗い流すことくらい簡単なんじゃないのかな。って思うわけさ』

 その時はただ深く考えもしないで聞いていたし、(やだ、なにこの人カッコいい。抱いて!)なんて聖史をからかったけど、夏妃が親父さんと来た海を見たくなったというのも、ひょっとしてそういう事なんじゃないかと思った。


 そして少しの沈黙があり、隣からグスっと音がした。


 ──ヤバイ。


「ご、ごめん。やっぱ言い過ぎたか?」


 夏妃は折り曲げた膝に顔を埋め、小さく頭を横に振った。何度かグスっと鼻を啜ったあと、顔を上げて言った。


「いえ、大丈夫。私、この仕事もっと頑張ってみます」


「ああ…頑張り。ごめんな、泣かせて」


「ううん。ここに」


「ん?」


「ここに来て…良かったです。先輩にも会えて、こうやって…話せたのが良かったです」


「そ、そっか?」


「はい」


 少しばかり重く感じる内容に展開してからというもの、大浴場の前では聞こえていた夏妃からの旋律音が全く僕の耳に届いてこなかったが、それが今、ハッキリとした音で聞こえた気がした。


「まぁ、俺でよかったらいつでも。うまくは言えへんし、また泣かせてしまうかも知れへんけど」


 夏妃が笑って頭を振る。


「相談相手には頼りないかも知れへんけど」


 そう僕が言うと、夏妃はニッコリ笑い、もう一度、頭を振って言った。


「ありがとうございます。じゃ、そろそろ戻りましょっか? なんか私ばっかり話しちゃってごめんなさい」


「なぁ、夏妃?」


 先に立ち上がり、スカートに付いた砂を払い落としている夏妃を見ないまま、僕は言った。


「夏妃さ、モデル頑張れよ。その社長のことがまだ好きなのも仕方ないと思う。それだけ夏妃の事を心配して、色々優しくしてくれてる人だしな。でもさ?俺も思うんだよ。やっぱ、夏妃の笑顔や夏妃の前向きさは、人を元気にする力があるんだと思う」


「うん。とっても嬉しい言葉です。ありがとうございます」


「現に俺も高校のとき……や、それはいいか。なんでもない」


 改めて感じる彼女への気持ちは、付き合い出した時よりも、たったこの少しの時間で大きく確かなものに変わっていた。ありがとうと言われると、なんだか照れくさいが、前を向いている夏妃がやっぱり僕は好きなんだ。と、改めて思う。言おうとした言葉がバレてしまったのか、夏妃の目はイタズラっ子のように笑っていた。


「ねぇ先輩。あの時に私が言ったの、当たりましたね。覚えてます?」


 その言葉を覚えているということが何だか恥ずかしく、とぼけながら立ち上がる。


「ふぉえ?」


「あははは。もー、なんか台無しー」




『またいつかな』


『うん。私たちが大好きな夏に。必ず会いましょうね』




 僕のモヤモヤとした予感はこれだったんだろうか? そう思うと、ため息ばかりついて聖史にペシペシ叩かれていたのが馬鹿みたいだったな、と笑いがこみ上げてくる。それと同時に、頭の片隅にあった、ホンの小さな引っかかりを思い出したので聞いてみることにした。


「そういえばさ、ハルミっていうモデルのことをみんなで話してたときな」


「ああ、はい」


「22才だって?」


「みえませんか?」


「や、そういう問題ちゃうやろ」


 夏妃が、ふふ、と笑みを浮かべて海を見て言った。


「わあ…キレーイ。ちょうど日の出ですね」


 うっすらと太陽の暖かさを感じながら海を見ていると、あの意味がわかった気がした。


「あー。なるほど、なぁ」


「ん?」

 夏妃は、なにが?っていう顔で僕をみる。


「〈独特な世界観〉ってやつが、何となくわかった気がしたからさ」




 陽の出で輝き始める海と、淡青に薄く光る月がとても綺麗だった。





 fin


一気に5話まで投稿してみました。

あまり長くはないのでちょろっと暇な時間さえあれば読めたのではないかと。


正直、長編物を書かれている方には頭が下がります。すんごいです。


でも、また今度は違う分野で挑戦してみたいな、と思っております。


お読み頂きましてありがとうございました!

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