第3話 出会い
高校生活も残すところあと1週間。あっという間の高校生活ではあったが、とても楽しかったと思える。
転校前の学校の友人関係。部活に明け暮れた2年間と、新しい学校に馴染めるかどうかという不安。そして美容師へと進む道。
僕の所属していたゴルフ部は、よくそこらで見かける"高いネットに覆われたゴルフ練習場をそのまま縮小したヤツ"が、学校の敷地から道路を挟んですぐ隣に併設されていた。屋根つき練習場のお陰で、ちょっとやそっとの雨では決して部活がお流れになるなんてことない。それに比べ、屋根のない野球部やサッカー部などは筋肉を限界までイジメ抜く室内トレーニングとなるので、余計に憂鬱になるらしい。それを思えば僕らのゴルフ部はまだ幸せだったのかも知れない。
僕は身長が高いのも手伝ってか、ゴルフクラブを振るスイングスピードがかなり早い。自慢じゃないが、トッププロと比べても大差ないくらいだった。しかし、そんな僕のクセってのが、打ったボールが途中から右へカーブしていってしまうスライスだ。これでは折角のスイングスピードも意味がない。使い方が微妙な気もするが、猫に小判だ。
もちろん、本を読んだりと研究をし、頭であれこれ考えては試してみるが一向に改善されず、隣の打席で調子良さげにクラブを振るチームメイトが憎たらしかった。こいつは背が高いわけでもパワーがある訳でもないので飛距離こそ武器にはならないが、打ったボールが左右にブレることはなく、その精度は他の仲間の誰よりも群を抜いていた。何度か僕のフォームチェックをしてもらったら、テイクバックからクラブヘッドが下がってくる時の、ほんの少しの重心のズレじゃないか?という見解だった。それでも3割程度と少しは改善されたものの、やはり納得がいく内容ではなかった。
そんなこんなで只でさえやる気がしないのに、何故毎日毎日休むこともなく部活に励んでいたか?
──単なるゴルフ馬鹿?
半分はそうだったろうが、違う。
──厳しかったから?
いや、そうじゃない。
台風が近づいてきているせいで昨晩からずっと土砂降りの雨だったある日。先程も言ったように僕が所属するゴルフ部は屋根つきのため、雨が降ろうと槍が降ろうと練習がなくなることはない。当時、僕はスコアが伸びないスランプに陥っていて、たたでさえやる気がしないのに、こうも雨が続くとそれこそスランプに陥っている人でなくても部活をサボりたくなるってのが心情だ。
帰宅モード全開の僕は仮病を装い、かと言って誰にそれを伝えることもなく、部室とは反対方面の自転車駐輪場に向かった。屋根にあたる雨音が余計に僕のテンションを下げ、つい、ため息が漏れる。
自転車の鍵を制服のポケットから取り出し、カシャッと開錠させて自転車に跨ると、「すみませーん!」と、遠くから声がした。
校舎の入り口に2人の女子が立っている以外にそれらしい人影は見当たらないが、僕にはその2人の顔に見覚えがない。
(他の誰かを呼んだんやな)
ペダルに力を込めると、再度、「ちょっと待って下さーい!」と、雨に濡れる事もお構いなく僕のほうへ走り寄ってくる。
(何やろ?)
と考えるより、その2人が僕のそばまで来るスピードの方が早いんじゃないかって位だった。
「呼び止めてすみません。ちょっと、お時間ありますか?」
僕はまだこの頃、初対面の人との会話が大の苦手だった。なので、当たり前のように言葉は少ない。
「あ…べつに…」
「すいません。ほんとにちょっとでいいんです。ほら。そきが言わなきゃでしょ?」と、話しかけて来たコの後ろに隠れるようにしていた女の子の背中を押した。な、なんだこの子…。恐ろしく可愛い!
「あ、あの……つっ…」
途切れ途切れの小さな声が、屋根に当たる雨音で余計に聞き取りづらい。
そこで仕方なく僕は少し顔を前へ近づけると、彼女はそれとは反対に、半歩、身を引いて顔を伏せる。
(なんでやねん)
心の中で彼女にツッコミを入れると、また、
「あの……」
と、小さな声。
「なに?」
彼女が何を言いたいのかは分からないが、次の言葉を言いやすいように促してみた。この、たった一言でも僕としては大サービスだ。アメ玉1つでも欲しいくらいだ。
「好きですっ!」
「へ?」
「あのっ…つ…付き合ってる人とかって、いますか?」
「…………」ー
多分、僕が無言だったのは2秒か3秒くらいだったと思う。その、ほんの少しの無言でさえ怖いと感じたのか、彼女は再び言った。
「友達からでも構いません!お願いします!」
と、まぁ、ここから先の事はよく覚えていない。
唯一覚えているのは、お花畑ではしゃいでいる僕の姿だった。あまりにも予想外の出来事が起こると、僕の頭の回路はあらぬ方向の映像を映し出すようだ。
生まれて初めて告白をされためでたい日でもあるが、自分がここまでアホだったのか、と気づかされた記念日でもある。
これが後の"自転車置場 ヲ花畑ノ乱"である。
うん、我ながらつまらん話は置いといて、人見知りで初対面なのはずなのに、何故か「はい」と返事をしてしまっていたあたり、面食いで調子がいい最低野郎なのだろう。
初めて女の子と付き合うってことへの緊張もしていたが、1ヶ月もすれば当然の様にその緊張"だけ"は解けていく。そして、それと同時にわかった事のいくつか。
<そき>というのが名前ではなく、あだ名みたいなもの(名前は<空山 夏妃>と言って、空山の”そ”と、夏妃の”き”を取って短縮した呼び名だった)だという事。僕に当てはめたら"しし"になる。
彼女の周りには、あわよくばお近づきに、と狙っている男が多かった事と、その真逆の「あんなヤツ」と嫌っている人。そして、その事実を当の本人が全く気づいていない事。
まだ多くを知り尽くしているわけではないけれど、ずっと前から知っているようで手の届かない遠い場所にいる人のような、一線を置いた感情があったが、それはまだ心から彼女の事を好きになれていない事への"後ろめたさ"みたいなものじゃないか、とこの時は思っていた。
「それで?そのコは今どうしてるの?ひょっとして今でも続いてたりするわけ?」
陣内さんはマグカップを手に持ち、興味津々な眼差しで目を輝かせて僕の恋バナを聞いている。
美容師として正式にスタートを切ったのが去年の春。もう1年半が過ぎていた。
「その日、家に帰って冷静に考えてみたら、どっかで見た顔だなぁと思ったんですよね」
「だぁーかーらぁー。続いてるわけ?」
焦らされたように答えを急かすその声は、イラだちこそ表情に出すことはないが、<教育係の特権>を使っているようには聞こえる。
「や、もう勘弁して下さい」
そもそも、なんで僕に好意を持ってくれたのか?その当時はそればっかりが気になっていたが、「んー、たぶん一目…惚れ?です。私、先輩がいつも使ってる通学路と同じなんですよ。あ、別にストーカーとかじゃないですよ?たまたまですからね?で、偶然に先輩が家から出てくるところを見かけた時があって…。その時に、あの、かっこいい人だなって」と、ほんのり熱を持った耳たぶを触りながら話してくれた。
小さな顔に若干勝ち気でぱっちりした目。高くはない小ぶりな鼻。若干身長は高めだろうか。スタイルは悪くないと思う。そして透明感のある肌がとてもキレイで。
ようは、人見知りの激しかった僕が彼女の申し出に了解したのは、まぁ…そういう事だとしか。言い訳にしか聞こえないと思うが、相手が同性だろうが異性だろうが、第一印象というのは外見以外にはありえない。それ以外にその人を知る術はないのだ。…やっぱり言い訳に過ぎないか。
「ねぇ、聞いてる?」
「あー、まぁ、それは置いといて」
「何で置いとくのよ!あっ!じゃあフッちゃったんだ~?彼女かわいそ~」
「も、もういいじゃないですか。ね?」
僕が高校時代の恋話を漏らしたばっかりに、こうして陣内さんの”コイバナ好き”の餌食になったのだから仕方ないのだが、この人は人を乗せて聞き出すのがとても上手い。美容師にはこういうスキルも必要なんだろうか?陣内さんの聞きたがりにこれ以上付き合っているとこっちの身が持たない。
かといって無理に話を逸らせば、<地獄のロッド巻き3時間>でもやらされそうだ。(これはやった人にしか分からないが、死ぬほどツライのだ!)
「あっそ?そんなにもったいぶる訳?」
ふふーんと、 横目で不敵な笑みを浮かべる陣内さんには勝てる気がしない。
「い、いや、別にそういうわけじゃ」
素直に続きを話すか課題を増やすか、ホントに迷いどころだが、店内から聞こえてきた「いらっしゃいませー」の声で、何とかその場だけは免れることができた。まぁ結局はこの後日に最後まで聞き出されてしまうわけだが、内心ちょっと感謝しているところもあったりする。
陣内さんの予想通り、僕らは半年にも満たない付き合いだったのだが、無くしてから気づく大切さってのを感じていた。もしかしたらそれは、離れていったものにしがみつくだけの単純で浅はかなものかもしれない。何年も付き合っていたのならまだしも、たった数ヶ月の付き合いでそう感じるってのも違うかも知れないが、それをあえて客観的に考えたりも出来る事や、「あれが欲しい~」と大声で泣き叫び、手足をバタバタさせて親を困らせる子供でさえ、それがワガママであっても自分の不満を伝えられている事を教えられた。
「そんな子供にもあなたは負けているんだよ?彼女に対してもそうしなきゃって言うんじゃないけど、禎君も少しは自分の思ってることを言えるようになった方がいいと思うよ? もしかして、家族だけじゃない?禎君があれこれ言えるのって」
と。そう言われて初めて思い返してみれば、物心ついてからと言うか、人見知りだと気づいてからの僕は、それまで家族以外に素を見せたのが夏妃だけだということに気づいたのだった。
ガンガン突っ込んで聞き出してきた割には、意外とこうして考えてくれていたんだなぁ。そういう意味では、陣内さんのお陰かな?と思うことにし、感謝することにした。