第2話 スタートライン
「大学とは言わないが、せめて専門学校へ進む気はないのか?」
担任の先生にも同じ事をさんざん聞かれたが、僕は美容学校へは進まず、働きながら資格の取れる<通信教育>の手段を取る事を決めていた。
一番の理由は、少しでも早く一人前の美容師になりたいという事だが、それよりも何よりも、一日でも早くゆかりさんや先輩方と一緒に働きたかったからだ。専門学校へ行くとなれば平日はなかなか顔を出せないので、せいぜい土日だけのバイトになるだろう。それだけでは全然物足りない、という気持ちが大きいのだ。それに、僕にはこんな考えもある。
大学や専門学校へ行くのが当たり前になってきている左近、僕としてはそれが気に入らない。進みたい道があって大学や専門に行くなら話はわかるが、『別によ?やりたいことがあるわけじゃねぇし』なんて軽々しく言うヤツが正直苦手だ。その学費は誰が払うと思ってるんだ?と言いたい。
もちろん誰しもが進みたい道を歩めるわけじゃないのは知っている。
色んな諸事情だってあるかも知れない。
夢に向かって歩んでも、夢は夢で終わるかもしれない。
自分の前に道がなくとも、大学へ行っている間に見つかるかもしれない。
でも僕は、だからこそ、それならば一日でも早く業界のことを知ってしまえばいい。と思うのだ。外から見るより中から見た方がいい、と。
そうとなれば自分なりに精一杯、思いを言葉にし、この決意を示さなくてはならない。今までの僕ならば、ただ勉強がイヤで学校には行きたくないだけと思われても仕方ない気がしたからだ。
「自分なりにじっくり何べんも考えたんだ。けど、やっぱ何度考えてもこの道が一番自分に合っている気がするんだ」
「そうか。まぁそこまでおまえが決めているならこれ以上は何も言わん。自分で決めた道だ。俺や母さんからしたらこんな嬉しい事はない。お前の言うように、適当に入れる大学へ行って、何とか内定を貰った就職先でやっていくよりもいいに決まってるからな。勿論、別に何もそれが悪いわけじゃない。俺だって今は仕事が楽しいが、最初は嫌いだったさ。そう、俺がそうだった、ってだけだ。おまえは自分で、自分が好きでやっていく道を選んだんだ。ああ、それがいいだろう。もちろん、そこは俺たちの息子だ。少しのつまづきくらいで根を上げたりはしないだろうが、これだけは肝に銘じておけよ?”やるからには全力!”だ。俺たち親の想いを、しっかりおまえの真ん中で受け止めて歩んでいけ。そして、自分の周りにも気を使えるくらいの余裕を持って仕事に励んでいけ。急ぐことはない。ゆっくり進めばいいんだ」
親父は普段、僕よりもヒドイ関西弁なのにサラリーマン生活が長いせいだろうか、真面目な話の時は必ずと言っていいほど標準語になる。
それがまた余計に重い言葉に変わり、僕の胸に刻まれた。
残暑が続く新学期に入り、間もない頃だったと思う。クラスメイトから「島田さぁ。なんかおまえ雰囲気変わったけど、ひょっとして…?」と、”ひと夏の思い出”みたいな妄想をそれぞれが勝手に言うだけ言って僕をからかった。ありがたいやら何やら、僕が人見知りだということもお構いなしだった。
自分ではわからないが、もしも本当に変わっているのならば、間違いなくゆかりさんの所でバイトをさせてもらった結果だろう。確かにそれまで以上にファッションに興味を持ち始めたし、人のヘアースタイルにも目が行くようになった。何よりも、男女問わずクラスメイトともいくらか会話をするようになっていたのは自分でも驚くほどだった。そう自分で考えてみて初めて気づいたが、人見知りという性格は無くなってきているのではないか?人を寄せ付けないオーラ……みたいなものがあるかどうかは知らないが、もし仮にそういう類ものが僕にあったとすれば、それが薄まってきたからこそ、周りのクラスメイトも僕をからかいに来やすくなっているのではないだろうか。
常に笑顔を絶やさず、を実行できるとすれば、一躍人気者に。
──うん。まだそこまでの道のりは遠い。
そして冬休み前日。オフクロへ嫌々ながらも手渡さなくてはならないモノ。それを期待もせずに「また来ましたか」と嫌々に受け取るオフクロ。成績表だ。
でも、今回はちょっとだけいつもと違う。オフクロは恐る恐るそれを見ると、驚きが口に出た。
「あらあらあら。まぁ…」
美容師の道を選んだ僕の成績は…上がっていたのだった。
確かに自分でもビックリはしたが、これにはオフクロが一番ビックリしていたようだ。今にして思えば、単なるやる気のせいだろう。”勉強に対して”ではなく、”自分の人生に対して”だ。──なぁんて、なんか偉そうだが。
卒業式まであとひと月にもなると、進学をしない少数の生徒は自由登校となり、大学へ進もうとする生徒は補習授業に変わる。学校に行かなくてもいいのならば、わざわざ好き好んでいくヤツはいない。ということで、僕は改めてゆかりさんのお店での一員としてお世話になることを挨拶しておこうと、朝ごはんを済ませて洋服に着替え、自転車で店へ向かった。
美容室graceは9時にオープンして19時にクローズとなる。
既にゆかりさんを含めた3人は開店前の掃除を終え、予約帳やカルテなどをチェックする時間に入っていた。
「おはようございます」
「おっ!来たわね?新入社員!」
入り口のドアを開けて挨拶をしながら中へ入ると、陣内さんが僕を迎えてくれた。新入社員なんて、何だかくすぐったい。
つい、笑みがこぼれる。
「いらっしゃい。って言うのもヘンね」
「はは。よろしくお願いします」
「あ、じゃあいい機会だし渡しておこうかな」
そう言ってゆかりさんはスタッフルームへ向かい、すぐに戻ってきた。
「はい。これが禎君の仕事道具ね。前にも使っていたものもあるし、分かるわよね?」
と、ドライヤーやブラシなど、美容師道具一式を持ってきてカウンターの上に置いた。
「うわぁ。ありがとうございます」
「まだまだ、だなぁ」
ニヤつく僕を見て陣内さんが言う。
「何がですか?」
「子供みたいな顔してる」
「や、陣内さんに言われたくないです」
「あー、それを言っちゃうかー。よし来い!コノヤロウ!」
と、イノキのモノマネでファインティングポーズをするこの女性が陣内由美子〈ジンナイ ユミコ〉さん。年齢不詳(教えてくれない)。O型。みんなには”由美ちゃん”と呼ばれている。150cm半ばの背丈で、ほんの少しふくよかに見えるのだが、それはたぶん世の男達は真っ先に目が行くであろう、胸のせいだ。
いつだったか飯田さんが、「ねえ?胸の、おっきな女性は、お好み?」と返答に困ることを言って僕をからかった。
「僕はオッパイ星人じゃないですから」と切り返すが、僕だって男だ。目が行かないこともない。正直そう言われて心拍数は上がっていたので、冷静に装えていたかどうかは定かでない。
ただ、弁解させてもらえるならば、この陣内さんという人はアイドルを目指そうとする人は、この人の仕草を見て勉強すればいいと思う程、ひとつひとつの仕草がとても可愛らしい。もちろん、ふざけている時以外の限定、ではあるが。
かと言ってブリッコでもなく、お笑いも大好き。ようは変わった人だ。
「スタートライン。だね。」
と、飯田さんが言う。
「はい」
ニヤニヤが止まらない。
「あ、また子供みたいなカオ~」
陣内さんがからかう。
そして、
「だから、陣内さんには言われたくないですって」
というセリフ。
早くもこのやり取りがお決まりみたいになりつつある。
自分でも顔が緩んでいる事はわかっている。正直、飛び跳ねたい気分だ。
「由美ちゃんだって、禎君の年頃は今よりもっと子供っぽかったんじゃない?」
とは、ゆかりさんのセリフ。
「それを言っちゃあ…よし、来い!コノヤロウ!」
「や、なんで僕を」
一同が笑う中、僕は、この今を大切にしたい。と心から思った。
とても幸せに満ちた時間だった。