第1話 突然の引っ越し
初投稿です。
短編ですが、よろしくお願いいたします。
あの笑顔が好きだった。
彼女の奏でる音色がとても心地よかった。
一生に一度の願いを叶えてくれる神様がいるのなら、
「またあんな恋がしたい」
ただそれだけだった。
「好きっていう感情はさ、当たり前のようにずっと続くわけじゃない。って思うんだよなぁ」
「は?」
「だってよ?考えてみろよ。もしも、その対象が人間じゃなかったらどうよ?趣味だったりさ。『昔はスキでよくやったよ』なんてあるだろ?それが人に対してなら、なおさらのような気がするんだよな。好きだという気持ちが消えないようにするって、すごいエネルギ-が必要なんじゃないかってさ。それが愛なら尚のことだろ?そう考えるとさぁ」
愛ってなんだろうな?と僕が聖史に投げかけると、彼は珍しくも自分の考えを口にし始めた。
見返りを求めないのが愛だ!と、ありふれた言葉だったり、難しいことを聞くなよ!とか、人の名前だろ?とか少しボケたり。ひと言で終わる、そういう言葉を言ってくるもんだと予想していたものだから、僕は驚きが口に出た。
まぁ確かにそんな事を聞くほうも聞くほうだと言われるかも知れないけれど、彼は遠く水平線に目を向けたまま続けた。
「人を好きになるって、一目惚れみたいに出会った一瞬でする事だってあるだろ?でも、それとは逆に、どれだけ時間をかけても好きになることはなかったり、友達として好きとは思っても、恋愛の好きじゃなかったりするわけでさ。なんかそういうのって、こうやって言葉にすると当たり前で、でも実際はそうでもなくってさ。誰かを好きになるのって、難しくも、簡単だよなぁ。ま、そういう意味では家族愛くらいじゃね?あれこれ考える必要さえない愛ってさ」
ここは聖史の家のプライベートビーチ。と言うのは冗談で、聖史の家の庭先から雑木林を抜け、その先にある低い防波堤を下りた所にある、海と砂浜"だけ"のなんの変哲もない所だ。ここへは聖史の家から、歩いてものの5分足らずで来ることが出来る。海沿いに住んでいると言うと羨ましがられたりもするらしいが、彼曰く、「洗濯物は砂まみれになるわ、チャリンコはすぐ錆びるわで、そんなにいいものでもないけどな」なんて、この場所を気に入っている中の一人としては、やはり贅沢のように聞こえる。
さて、僕の話し相手になっているこの男、”永山聖史”と出会ったのは、僕が勤める美容室【grace】へ中途採用で入ってきたのがきっかけだ。
僕はもともと人見知り体質で、打ち解けるまでにはかなりの日数が必要なのだが、こいつだけは違った。同い年だった事や趣味があった事よりも、きっと波長みたいなものが何万分の一の確率くらいに低かったにもかかわらず、ピッタリと当てはまったせいじゃないかと思う。
教会をしている家で彼は長男として生まれ、妹を含む4人家族。教会と言っても”コテコテ”の黒い服を着て聖書を片手に持っているような感じとは違い、この時期の聖志のおやじさんは、いつも夏定番のヘインズの真っ白なTシャツと、色褪せたジーンズを愛用していて、髪の毛は真っ白でフサフサなダンディーな人だ。一見すると、いや、よく見たって、あのおやじさんが牧師だということは誰にも分からないだろう。なんでも聖史と同じで、元々生まれついた家が教会だったらしく、後を継ぐつもりでもなく牧師を始めたんだとか聖志が教えてくれたことがあった。「あれでも数年前は宣教師として各国を回ってさ、教えを伝え歩いてたんだってよ。まぁ若い頃は特に、ほとんど気ままにあちこちブラブラしてたみたいだけどな」と言っていたのを思い出す。
プロテスタントというものに属するらしく、モノを知らぬ僕みたいなヤツからこんな事を言われたらきっと気分を害するだろうが、「ていの良い放浪」に思えてしまうのは僕だけだろうか。(やっぱ怒られるだろうな……。)
「めずらしいな」と、言うよりほんの一瞬前、僕は彼がそんな文学的な言葉を口にしたのは、そういう宣教師的な、牧師的な血筋があるからなんじゃないかと思った。普段はホントに口数少ないヤツなのだが、内では色々と考えているんだろう。
僕は「ええ事いうなぁ」と続けたが、それがちょっぴり悔しく、「メモっとけよ」と言った聖史に向かって、僕はすぐ照れ隠しの言葉を付け加えた。
「猿が人間に程近くなった顔して」
「もう二度とお前の質問には答えねぇ!」
そう言って彼は笑った。
自己紹介がまだだった。名前は『しまだ ただし』”島田 禎”と書く。もともとそんなに運動神経がいいわけではないが、親父のゴルフ好きがキッカケで打ちっぱなしに一緒に行ったりしているうちに、どんどんハマってしまい、遊び半分で始めたゴルフが縁で高校にも推薦で入ることが出来た。正直に言ってしまえば頭は良くなかったので、「とても運が良かった」と言わざるを得ない。
しかし、そんな高校生活も2年が終わり、新しいクラスへの緊張感もなくなって来た高校3年の5月。親父の転勤で次の月には生まれ故郷を離れ、新しい土地へと引っ越さなくてはならなくなってしまった。あと9ヶ月ほどで卒業となる学校を転校し、静岡は浜松市へと移り住むことになるわけだが、正直、別の高校に転校するとなると、学力の心配や、せっかくの強運で入る事が出来た、いわば”架け橋”になったゴルフを続けられるのか?など、問題は山積みだ。
そこで、親父に単身赴任を促してみるが、「家族は一緒にいるもんや!」と、あっけなく却下されてしまう。
それならば、と、負けじと僕は条件を出してみることにしたのだった。
「ゴルフ部がある高校ならええかも。あ、あと家から近くて、今通ってる学校と同じくらいの学力で──」という無謀にも思える条件だったが、それがなんと簡単に受け入れられてしまうのだった。そうと決まればもう腹を括るしかないが、僕にはまだ大きな問題が1つ残っていた。いや、正確には"僕ら"か。
そこそこ近くに海や山があり、湖もあり、大きな川も流れていて。自然に囲まれたとても住みやすい所だと感じ、僕は”住めば都”をあっという間に実感する事ができた。(こんなにいい所なんだともっと早くに知っていれば、もっと素直に引越す事にも承諾したかもな。)なんて思うあたり、やはり僕は楽天家なんだろうか?
いや、もう1つの理由も原因かも知れないが、それはまた後にでも話そう。
そしてその年の夏休み、進路をいい加減決めなくてはいけないという焦りと、これからの人生に関わるというプレッシャーを感じつつも、リビングでゴロゴロしていた。宿題は終わってしまっているし、バイトをしているわけでもない。
窓から心地よい風が入り、薄いカーテン越しの日差しがとても気持ちいい。家の電話が鳴る音さえも何だか心地良く感じていると、オフクロがスリッパをパタパタさせ、電話に向かって走りながら僕に言った。
「もう!電話くらい出なさいよ!」
そうは言われても僕は今、このゴロゴロタイムを超!満喫している最中なのだ。そう簡単にはやめられない。
耳の遠くで〔うん…うん…あの件ね。わかったわ。任せて〕と話している様子から、僕にかかってきた電話ではない。どうせオフクロに変わるならば電話に出なくて結果オーライ。
「ねえ、禎。ちょっとお父さんの会社へ行ってきてちょうだい」
電話を切りながらオフクロが僕に言った。 どうやら緊急を要するらしく、親父が書類を持って家を出るのを昼前になってやっと気づき、あわてて家へ電話をよこしたそうだ。まぁ誰にでもある忘れ物なのだが、我が父ながらお恥ずかしい限りだ。
親父の勤める会社は浜松駅から徒歩10分。家からバスに乗っていけば30分程の距離だからそんなに遠いわけでもない。
「めっちゃいい気分やったのになぁ。もう」
なんて、イヤイヤながらも引き受ける事になったのは、「どうせ進路も決まってないんでしょう?ついでに社会というものを見てらっしゃい。ニート生活なんて許さないわよ」とオフクロからボディーブローのようなツッコミをかけられたからだ。
まぁ図星だから仕方がないのが……。
「はいはい。素直なええ息子を持ってよかったな、奥さん」
と重い腰を上げると、オフクロは笑いながら「何言うてんのよ。ほら、いってらっしゃい」と、まるで野良猫を追い払うようにシッシッと手を払って言った。
浜松はJRと新幹線、遠州鉄道の3つの鉄道が動いていて、メインとなる10階建ての駅ビルの前にはとても大きなバスターミナルが広がっている。丸い円を描く道にバス停がズラっと並び、そこを何台ものバスが出入りするのを横目で見ながら東へ進む。親父の勤める会社は周りの建物と比べるまでもなく年代を感じさせるビルだ。
(ロビーにある喫茶店にいるってオフクロが言うてたな)
何で喫茶店なんかでのんびりしてるのか考えもしなかったが、オフクロの言うとおり「おう。悪かったな。ごくろうさん」と、少しも申し訳ないなんて思っていない素振りで、片手を上げてコーヒーを飲んでいる親父の姿が目に入った。
少しも悪びれもしない顔なのがちょっと癪に障るが、テーブル席を挟んだ向かい側にいる男性の手前、皮肉の1つも言えやしない。こういう時は出来のいい息子のフリをするものなのだ。
「いや、街に来たついでにそこらでもブラっと歩いてから帰るよ」
そう言いながら親父に書類を渡し、男性に会釈をするをすると、その男性は「やぁ。久しぶりだね」と立ち上がり、僕の肩をポンっとたたいた。
あまりに突然のことで動揺する僕に、彼は目一杯親しみを込めた笑顔を見せるが、どこで会ったのか?まるで記憶にない。
それでも思い出そうと頭の中の引き出しを開けては閉めながらも「あ、ど、どうも」とだけ言い、なんとか思い出そうと次に繋げる言葉を探していると、「山本のこと、覚えてるか?禎。おまえが小さい頃よく一緒にキャンプに行ったりしたんだぞ」と、親父が助け舟を出してくれた。
「え?キャンプ…?いや、ちょっと覚えてないか…も。すみません」
山本という名前なのはわかったが、それでも思い出すには至らず、なんだか申し訳ない気持ちで男性に向かって頭を下げた。
「いやいや、そんな気にしないでよ。何せ10年以上も前のことだしね。いやぁ、それにしても大きくなったねぇ」
山本さんはニコニコと当時の話をしながら、何度も僕を上から下まで繰り返し見ている。
まるで水族館で魚をガラス越しにでも見ているようだ。(ってことは俺は魚か?)余計な事を想像したばっかりに笑いそうになるのを堪えた。
「昔話もいいが。おまえ忘れてないか?」
山本さんの思い出話がなかなか終らないと思ってか、親父が促した。
「あっ、そうでしたね。すっかり話に夢中になってしまって」
仕事に戻るのかと思いきや、話はまだ続くようだ。長話は得意じゃないので少し肩を落としたが、どうやらこれからが本題らしい。
「なぁ禎君。突然だけどさ、バイトは何かやってるかい?」と、ホントに突然話を変えた。
家を出る時にオフクロから食らったボディーブローがここでも放たれる。
家でゴロゴロしてたのを見てたんじゃないかとさえ思うが、「いや、勉強に忙しくて」なんて言って見栄を張ったって仕方ない。どうせ親父もいることだし、そんなウソは一瞬でバレてしまう。
「いやね、うちの奥さんが美容室を経営してるのはさっき話したろ?でさ、もしよかったらバイトする気はないかな?実はさ、人手が足りないからってウチの奥さんから心当たりはないかって聞かれてたんだよ」
「美容院でバイトですか?」
「うん。どうかな?知り合いにも当たってはみたんだけど、なかなかいなくてさぁ。部長には「朝からなんだ、その顔は」なんて言われるしさ。あっ、いや、僕が悪いんですけどね」
親父の目線が気になったのか、早々に一言を付け加えた。
「や、でも、やれるかわからないですし」
事実、僕は普段床屋さんに行っているし、見たこともない美容師さんの仕事をやれるのかなんて、誰が見たって一目瞭然だろう。もしやれたとしても、せいぜい店内の掃除くらいじゃないかと思うのだ。それに、バイトを探すのならそういう雑誌か何かで美容師さんを募集するものじゃないのか?それにグータラしていた自分が言える事でもないが、僕は受験生だ。そう思えば尚更に、わざわざ親父を通してまで言うことでもない気がするのだが、何だか断りづらい雰囲気がそこにはあった。
「俺もな、こいつにはそう言ったんや。誰にでもできる仕事じゃないだろう、ってな。美容師の専門学生ならまだしもおまえはまだ高校生やしな。そやけど、どうしても話だけでもさせてくれってしつこくてなぁ」
「ははは。すいません。いや、こういうご時世だし、募集かける経費ももったいないようでして」
(なるほど。そういうことか)
溢れんばかりの笑顔で話す山本さんは、同じ大人に属する部類として、また、社会人として見ても親父とは違いがありすぎる。この2人が本当に同じ会社に勤めているのか?と疑いたくなるほどに。
スーツと笑顔が親父なんかよりもずっと似合っているし、僕ほどではないにしても背が高く、見た感じ30歳くらいだろうか。僕は山本さんと会った当時の記憶を見つけられなかったけれど、当時のちっちゃな僕は彼を慕い、目一杯遊んでもらったのだろう。そんな印象を受けるのだ。きっとモテモテな人生なんだろう。
「ほら、君の家からも近いんだよ。試しにでもいいからやってみないかい?」
地図を書いたメモを僕に見せながら「バイト代はずむように言っとくから」と耳打ちされたのは秘密だが、ここまで言われては断ることなんて出来るはずもない。
そんな僕の顔を見るなり、
「どうやら決まりのようやな」
と、親父は口元を数ミリ上げて言った。