前編
前編・後編で終わらせたいものであります。
眩しい朝日で目が覚めた。外では小鳥がさえずっている。侍女に手伝ってもらい、身だしなみを整える。食卓には既に家族全員が揃って座っていた。お父様が私を抱きしめて頬にキスをし、お母様がその様子を見て微笑んでいる。お兄様たちが呆れ顔で私とお父様を引き離す。
ーー普段と何も変わらない、一日が始まろうとしていた。
そんな時だった。
ドォーンッ!
遠くで、何かが爆発したようなけたたましい音が鳴り響いた。
そう。
これが、私達を絶望へと誘う 残忍非道、悪夢のような事件の始まりである。
「何なんだ今の音は!」
突然の異常事態に、お父様が叫んだ。
私やお母様は不安気に寄り添い、お兄様たちは外の様子を窺うべく家を飛び出して行く。戸の隙間からちらりと見えた限りでは、何事かと慌てて出てきた人々が不安そうにある一点を眺めていた。
私達の家があるこの場所は貴族街で、爆発音が鳴ったのはおそらく平民街。人々は平民街を見ていたのだ。そこから逃げ惑う平民達の足音が、地響きとなって伝わってくる。どうやら、平民達が一斉に貴族街へと向かっているようだ。
この国は特殊な造りで、貴族街だけ高い塀で囲まれている。外部から直接貴族街に侵入するのを防ぐためだ。平民街から関所を抜けて貴族街に入り、最奥には国王一家が住む城がある。
貴族街から外に出ることは不可能。一度こちらへ来てしまえば、まさに袋の鼠だ。
しかし平民街にある入国口が塞がれたならば、平民たちは奥へ奥へと進むしか無くなる。
間も無くここは人で溢れかえるだろう。
「報告します!」
我が家の私兵の一人が息を切らしてやってきた。よく目を凝らせば、所々に火傷の跡が見られる。
「先程、センタナル王国の軍がイスタル平民街にて攻撃を開始しました。平民は貴族街に押し寄せています。平民街は火の海と化し最早近づくことは出来ず、いずれはここも……」
私兵は最後の方で言葉を濁し、俯いた。お父様は厳しい顔で唸り、お母様が守るように私を抱きしめる。
センタナル王国、ここ周辺で最も力のある国だ。広大な所領と豊富な物資により、他国とは圧倒的な差をつけている。ただ、現王が即位した後 そのやり方は多くの批判を集めるものとなった。
”弱小国を片っ端から狙い、力でねじ伏せ従わせる”
センタナルの被害に遭った国は、どこも酷い有り様だと聞いたことがあった。国王とその一族は問答無用で首をはねられ、国民は炎で焼かれて跡形もなくなるのだという。
そして我が故郷イスタル王国は、平和で穏やかではあったが力が無かった。いつ標的にされてもおかしくないとは言われていた。……が、こんなにも突然にやってくるとは。
「旦那様、奥様、どうかお逃げください!」
「……落ち着け」
「ですが!」
「現実を見たまえ。最早逃げることはできまい」
お父様が言い、私兵はその場で崩れ落ちた。
そうこうしているうちに、民衆の逃げ惑う声がだんだん近づいてくる。
「いやあああ!」
「たすっ、助けてえええ!」
お母様の私を抱きしめる力が強くなる。少し震えているようだった。お父様やお兄様たちは悔しそうに俯いている。
当時7歳であった私は、何が起こっているのか理解できなかった。ただ、普通でないことは悟っていた。
「あ」
お母様がか細い声で呟いた。その場にいた全員の視線がお母様に注がれる。
「倉庫の中、小さな隙間があったわ。ちょうどこの子が一人入れるくらいの……」
確かに、倉庫には小さな床下収納の穴がある。ただ、そこは私くらいしか入れない小さなものだ。
「この子だけでも」
「しかし……」
「いや、いいかもしれませんよ」
「うむ……」
一体、何の話をしているのか。
お父様が意を決したように私を抱き上げ、倉庫に向かう。
床下収納?そこに、私だけが入って、隠れる?
……いや、私だけが残ってどうなるのだろうか。どうやって生きていけと言うのだろうか。嫌だ。私はみんなと一緒に死にたい!
だが当時、私は恐怖に震えることしかできなかった。あの時、もう少し思慮があったなら……
私はきっと、死を選んでいたことだろう。
お父様は私を床下収納庫に無理やり押し込んだ。
「おとうさま……?」
「よく聞け。これから何があっても決して声を上げるな。敵に気づかれるな。どうか、私たちの分まで生きて欲しい。……頼んだぞ」
「え?どういう……」
私が完全に言い切る前に、扉が閉められた。私は訳がわからなくて、不安で、もう一度外に出ようと扉に手をかける。
「出るなっ!!」
「……っ!」
お父様は今まで聞いたことのないような怒鳴り声で私の行動を制した。
「……私たちはどこにいても、ずっとお前を愛しているよ。
エリーゼ」
そして、お父様の足音が遠くに消えていった。
それから、私は必死に声を抑えた。たとえ、敵だと思われる人物が家に現れ、お父様やお兄様たちの叫び声が響き渡り、お母様の悲鳴を聞いてしまったとしても。
あれからどれだけ経っただろうか。辺りに音はなく、人の気配もない。
キイィ……
私は収納庫の外に出た。倉庫の中には荒らされた跡があった。きっと金目のものを根こそぎ奪っていったのだ。なんて野蛮な奴らだろうか。
それから、私は大広間の方に向かった。そこで私は、一生消えないトラウマを負うことになる。
「…………あぁっ」
そこには、大きな血溜まりができていた。お父様だったもの、お兄様だったもの、お母様であったものが、まるで邪魔な物を隅に寄せるようにまとめて転がしてあったのだ。
「う、うあ……ぐ、げえぇっ!」
あまりにも酷い有様に、私は嘔吐した。こんな、こんなことがあるものか。何かの間違いでは無いのか!
……しかし、辺りに立ち込めるこの悪臭が、私に現実を知らしめる。彼らはもうこの世の者ではないのだ。
この時、私は完全に油断していた。背後から近づく影に、気づいていなかった。
「へへっ、まだ残っていやがったか」
「!!」
私は驚きと恐怖のあまり、反射的に後ろに飛びのいた。見上げれば、センタナルの兵士と思われる男が家の入り口に立っていた。
「残念だなお嬢ちゃん、終わりだ」
「ひっ……」
センタナルの兵士が剣を構えた。私は恐怖に震えるのと同時に、家族の元へ行けるという喜びを感じた。
「お父様、ごめんなさい……」
私は目を閉じた。
しかし、いつまで経っても来るはずの衝撃がやって来ない。私はうっすらと目を開けた。
「ぐ……ふっ……」
なんと、兵士の胸から剣が突き出ていた。背後からの不意打ちを受けたようだ。兵士は苦悶の表情を浮かべながら、絶命した。一体誰が。
「エリーゼ、無事であったか!」
「デ、ディーおじ様!」
そこにいたのは、ディーデリヒ・ヴァイラント様であった。センタナル王国の軍人であり、お父様の昔からの友人だ。私は親しみを込めてディーおじ様と呼ばせていただいている。
「すまない、お前をこんな目に遭わせてしまった」
「……」
ディーおじ様は力強く私を抱きしめる。知っている人に会えた安心感からか、私の目から涙が溢れ出した。
「よし、まずは安全な場所に行こう。だが外には我が国の兵が駐在しているから、気づかれないように行くんだ」
そう言って、ディーおじ様は大きめの布袋を出した。どうやら、ここに私を入れて運ぶ気らしい。
そうして、私はセンタナルにあるディーおじ様の邸宅まで連れて行かれた。ディーおじ様は独身で、お手伝いの人も雇わないので、邸宅は閑散としていた。
「このような不便な男の家だが、安心して過ごして欲しい。二階に部屋を用意したから、今日はもう寝なさい。今後のことはまた明日……」
「いいえ、ディーおじ様」
私は無礼にも、ディーおじ様の言葉を遮って言った。この時、私の中ではある気持ちがメラメラと燃え滾っていた。
誰にも侵されない、神聖であって、野蛮ーーそんな、『復讐心』が。
ディーおじ様は面食らった顔で私を見て、その鬼気迫る眼光を確認し、何かを悟ったように真剣な面持ちとなった。
「……復讐、か」
「……っ?!」
私は思っていたことを言い当てられ、驚いて顔を上げた。
「どうして……」
「馬鹿を言え。今日お前の身に起きた事と、今の目を見れば簡単に推測できることだ」
「あっ」
驚きで目を丸くする私と反対に、ディーおじ様は依然として厳しい表情である。当然だ。
私はまだ7歳で、当然こんな子供には何の力も無い。現在頼れるのはディーおじ様だけだ。しかも、もし私の手助けをするならば、それは自国を裏切るということになる。ディーおじ様はセンタナルの騎士団長であり、侯爵でもある。簡単に国を裏切ることは出来ないはずだ。協力などしてもらえる筈が無かった。
「無謀なことを言ってるのは分かっています。ですがこの復讐、遂げられないならば最早私の人生に生きる目的はありません。せっかく助けていただいた命ですが、申し訳ありません。どうか家族の元へ逝かせてください」
そう、このためだけに生きると決めたのだ。それが出来ないならばいっそーー
私は手を胸の前で組んで跪き、首を前に差し出した。
「エ、エリーゼ……」
「私は本気でございます!さあ!」
私は目をギュッと閉じた。ああ、今日の内で何度命の危機を感じただろうか。だがそれも今をもって終わるのだ。
しかし、待てども私は生きたままであった。
「……分かった」
「……え?」
「お前の復讐に協力しよう。元よりこの国のやり方は気に食わんかった。此度のことも、私は何度も止めたのだ。が、王は私の言を受け流し、私を遠くに派遣させている間に侵略を開始した」
なんと。ディーおじ様は王に忠誠を誓っている訳では無かったのか。
「それに……お前の家族をあの世へ葬った恨みもある」
「……はい」
私とディーおじ様は共に俯いた。楽しかった家族との日々を思い出していたのだ。
ディーおじ様がふと顔を上げて、呟いた。
「忙しくなるぞ、エリーゼよ」
それから、ディーおじ様は身寄りの無い遠縁の少女を養子にしたと周りに話して回った。もちろん私のことだ。私はエリーゼ・アイグナー改め、クリスティーヌ・ヴァイラントと名乗ることに決めた。
復讐の方法としては、まずこの国の王子に見初められることだ。そして機会を待ち、絶好の時が訪れたら王の心臓を剣で貫く。あわよくば、王子やその他の王族も命が尽きる限り殺し続けよう。これが今考えられる一番確実な方法である。
王子の妻に選ばれるため、出来ることは何でもやった。ありとあらゆることに精通できるよう、様々なジャンルの本を読み多くの知識を詰め込んだ。その他ダンスや剣術にも身を捧げ、死角無しの完璧な令嬢に仕上がった。辛く険しい日々も、家族の仇と思えば不思議と疲れが吹き飛んだ。今の私は、最早他の令嬢とは比べるまでもない。
そして、ついに社交界デビューの日。今日は第一王子の生誕祭である。噂によると、ここで王子の生涯の伴侶を決めるらしい。この日のために、血の滲むような努力をしてきたのだ。絶対に妻の座を掴んでみせよう。
ディーおじ様は綺麗に着飾った私を見て、いつになく真剣な表情を浮かべた。
「いよいよだな」
「ええ、今まで本当にありがとうございました」
私の教育代や、生活費、そして何より私の身勝手な復讐により、ディーおじ様の人生を狂わせてしまうのだ。私はディーおじ様になんとお礼を言えばよいのか分からない。
「エリーゼよ、本当に、いいんだな」
「!」
私は驚いてディーおじ様を見つめた。
「今ならまだ戻れる……」
「お父様、私はクリスティーヌですわ」
「……!」
今度はディーおじ様が驚いている。
「そう、か。すまない、お前は私にとって可愛い娘のような存在だ。心の底では、これから何十年も生きて欲しいと思っているのだ」
「私もですわ。貴方は私の二人目のお父様です」
「エリー……いや、クリスティーヌよ。
お前の恨み、存分に晴らしてこい。私のことは気にせずともよい」
「……ええ、最後までご迷惑をおかけして申し訳ありません」
それから私たちは無言で馬車に乗り、城へ向かった。
城に着いた時には既に下位貴族が集まっていて、場を賑わせていた。
私とディーおじ様が腕を組んで会場に入ると、多くの者が視線をこちらへ向けた。
「まあ見て、ディーデリヒ・ヴァイラント様よ。横にいらっしゃるのは、何年か前に養子となったお嬢様かしら」
「名前は確か……クリスティーヌ様」
「なんてお綺麗なの。それにあの聡明そうなお顔立ち。きっと王子に選ばれるのはあの方ね」
間も無く、王族の入場が始まった。その中に、憎き王の姿もある。姿を見ればすぐに飛びかかりたくなるが、今はその時では無い。私は視線をターゲットの王子の方に向けた。
(……綺麗な方)
第一王子ジークフリート・センタナルは、非常に整った顔立ちであった。綺麗なブロンドの髪に、すらりと長い手足。そして何より、ブルーの瞳が澄み輝いている。
(まるでこの世の悪など見たこともないような、純粋無垢な瞳だわ)
真っ黒な復讐心に包まれた私とはあまりにも対照的で、とても眩しく感じた。
私がぼんやりと第一王子を見つめていると、彼がいきなりこちらを見た。
私は一瞬焦ったが、すぐに気をとりなおし王子に微笑んでみせた。厳しい訓練を経て得た最高級の微笑みである。
王子はわかりやすく頬を赤らめ、すぐに視線を逸らす。
「ーー掴みは完璧だな」
「そのようですね」
私たちは怪しく笑いあった。
その後、私たちには王への挨拶の順番が巡ってきた。ここで勝負をつけようではないか。
私はディーおじ様に着いて今まで教えられてきたことを慎重にこなしてゆく。
「初にお目にかかります、国王陛下。
ディーデリヒ・ヴァイラントが娘、クリスティーヌ・ヴァイラントと申します」
私が礼をして見せると、王は感嘆のため息を漏らす。
「なかなかに出来た娘だな、ディーデリヒよ」
「お褒めに預かり光栄の極みでございます」
私はディーおじ様と一緒に頭を下げた。
「クリスティーヌ、顔をよく見せよ」
「はっ」
私は顔を上げ、王の目をしっかりと見た。
なるほど、これがセンタナル王国の頭か。予想通り、野蛮な獣にふさわしい鋭い眼光を持っている。
こいつが、こいつが……
「なるほど、美しい容姿をしておる」
「ありがとうこざいます」
「ふむ。……ところで、そなたは今日はどのような催しか知っているな?」
「はい。我がセンタナル王国の第一王子であらせられる、ジークフリート・センタナル様の生誕祭でございます」
私は王の横に控えている第一王子に視線をやり、しっかりとその瞳を捉えると、優雅に微笑んだ。やはり先程と同じように、王子は赤面し俯いてしまった。
「ははは!これは良い。実はな、今日は生誕祭を兼ねてこいつの嫁探しをしておったのだ。クリスティーヌ、お主を候補に加えようと思っていたところだが、杞憂だったようだ。奴の心はもう決まってしまっているのだからな」
「まあ、そうでしたの?」
「ち、父上!」
王子は慌てて席を立ち、あわあわと忙しなく動き回る。そして私の前まで来ると、より一層顔を赤く染めて後ずさった。
「クリスティーヌ、お前を我が息子の嫁として迎えたい。ディーデリヒよ、異論は無いな?」
「はっ。願っても無いことにございます」
(どうやら上手くいったようね)
「ク、クリスティーヌ嬢!」
私が今後の予定を組んでいると、いつのまにか第一王子が前に立っていた。
「はい」
「ほ、本当によろしいのか?!」
「……? もちろんですわ」
よろしくない訳がない。この日のために、私は努力してきたというのに。
「そうか……」
王子は安心したように息をはいた。……かと思えば、急に真剣な表情へと変わる。私の手を取り、その場に跪く。
すると、王子の異常な行動に気づいた周りの視線が次々と増えてゆく。
「クリスティーヌ嬢、私と結婚しよう!」
そう言い切った声は、会場内に響き渡った。そして、誰も喋る者がいなくなる。
私は突然のプロポーズに少し驚いたが、すぐに笑顔を取り付けて言った。
「どうぞ、よろしくお願い申し上げます」と。
その瞬間、会場内は祝福の声で埋め尽くされる。鳴り響くのは私たち夫婦の誕生を祝う音楽、そして拍手の音。
しかし、この中の誰も知らないだろう。まさか私が、この国を破滅へと追いやろうと目論む悪魔であるということは。
私と第一王子の結婚式は、盛大に行われた。
城の中には多くの貴族が訪れ、外では平民たちが王子の妻の顔を一目見ようと集まって騒いでいる。
ディーおじ様が私の待合室に来て、これからのことを確認し合った。
まず、できれば毎日連絡を取り合うこと。しかし手紙では読まれる可能性があるので、伝書鳩に手紙をくくりつけて運ばせるのだ。
何も無い日には丸を書き、予定外のことが起こって会うことが必要になった時には三角を書き、暗殺決行の日にちが決まればその日にちの横にバツを書くのだ。
そして次に、城に連れて行く侍女を、センタナルに対して敵意を持つ者にすることだ。
シャルロッテという娘。彼女は私と同じように、小さな国出身の子だ。そしてその国は数年前にセンタナルに襲われ、滅びた。偶然にも生き残った彼女は、やはり家族の仇を取るため、城に行く私について行こうとしたようだった。
ちなみに、私たちの計画のことは何も知らない。彼女には悪いが、万全を期してディーおじ様との間だけにとどめておきたいのだ。
「さて、クリスティーヌ」
「はい、お父様」
私たちは互いに見つめ合う。これからは、何が起こるか分からない。いつ会えなくなってもおかしくなくなるのだ。私はディーおじ様の顔をしっかりと目に焼き付けた。
「……行ってきなさい」
「はい。行って参ります」
私は込み上げそうになる涙を抑え、第一王子の元へ向かった。
「ごきげんよう、王子殿下」
「あ、ああ。今日から、よろしく頼む」
「ええ」
「……必ず、幸せにする」
(……幸せなど)
幸せなど、とうの昔に終わっているわ。
私は荒れる心を悟られないよう、「はい」と答えた。