ビーズのネックレス
そして小5の時。
キタガワが私にビーズのネックレスをくれた。
ちょうど何日か前に友達のアミちゃんが誕生日にお母さんからネックレスをもらった話をしていて、それを聞いた子たちはみんな羨ましがった。もちろん私も。
6月の、梅雨の半ばの緩く晴れた日の学校帰り、一人で中庭を抜けて帰ろうとしていたらキタガワに呼び止められたのだ。中庭にあった池の端だ。立ち止まるとバチャッと水音がして水面に出ている藻がゆらっと揺れた。
池にはどこからともなく勝手にやって来て、10年くらい住みついていると噂されていた大きな黒い牛ガエルがいるはずだった。いるはずというのは実際にちゃんと見た人がいなかったからだ。ちゃんと見た人はいないのに、背中にアルファベットのBの字にイボがあるという噂もあって、全校生徒がその幻の牛ガエルの事をビイと呼んでいた。
放課後の校舎の影になる中庭は、池の濁り具合も相まって少し不気味な感じだった。
なんでこんな所で呼び止めるんだろうと思っていたら、追いついて来たキタガワが、ぐいっと手を差し出しながら言った。
「これ、ねえちゃんが作ってなんでかおれにくれたやつなんだけど、いるならやる」
綺麗なビーズのネックレスだった。オレンジと黄色と透明なビーズの、大きめの玉や小ぶりの玉をうまい具合に組み合わせてあった。
「すごく綺麗。私が貰っていいの?」
「だってオレはいらねぇから。妹も同じやつもらってたから」
「おねえさん、なんで男子のキタガワにもくれるんだろうね。でもせっかく作ったのを私が貰ったら嫌に思わないかな?」
キタガワは首を振った。
「…ありがとう!じゃあもらう!すごく嬉しい!」
「あ、でも」とキタガワ。「オレにもらったって誰にも言うなよ」
「うん。言わない!」
そして私たちはひとしきり、牛ガエルのビイの話をして別れた。
本当に私はあの時の事を誰にも言わないまま。キタガワが女子にもてるようになったので、こんなほっこりする思い出なのに今さら思い出として語ろうにも、もう誰にも言えない。この事を知ってるのはお母さんだけだ。
ネックレスをもらったのは、ちょうど私の誕生日前日で、キタガワはもちろんそれを知らなかったわけだけど、偶然にも家族以外に誕生日を祝ってもらえたみたいで、余計にうれしかった。それはその時キタガワには言わなかったけれど。
ヘアピンの事もあって、私は一気にキタガワの事を好きになってしまった。
…もしかしたらキタガワ、ああやって他の女の子にもネックレスやヘアピン上げてたのかな…
あげてたら嫌だな!
いや、今のキタガワならそうかもしれないけれど、小学生の時のキタガワならそんな事誰にでもはしない。そうであって欲しい。
あんな事してくれたの、私だけであって欲しい。
それでもキタガワはたぶん、私にヘアピンとネックレスをくれた事はもう忘れてるんだろう。あの時も誰にも言うなって言ってたし、これからも私は絶対誰にも言わないし、本当はキタガワにも覚えていて欲しいなと思いもするけれど、今さら覚えてるかなんて、聞いて確かめる事だって出来ない。そんな事をしたら、私がずっとキタガワの事を好きだったみたいだし。今でも好きでいるみたいだし。
私が好きなのは、あの時のちょっと可愛くて優しくて、でも男の子らしかった心のカッコいいキタガワだ。今の誰にも優しくて、見た目もいいけどいい加減な感じのキタガワが好きなわけじゃ、絶対にない。
同じ人間だとは思えない。全く別人。別の人。
そしてこんな風に思ってまだキタガワをチラ見している私がダメだ。比べるためとはいえ、こうやって結構今のキタガワの事を気にしてる。
私はどうだろう…小学校の頃と比べたら…あんまり変わってないのかも。背が高くなっただけ。今、165センチだ。体つきもほぼ変わらない。胸も大きくならないまま。
せつないな!
私にネックレスをくれた後もキタガワは普通だった。私は結構意識し始めたのに、キタガワは全く、なんとも思ってはくれていない感じだった。私にやたら話しかけて来たりする事もなければ、小学生男子にありがちな、好きな子にイタズラをしかけるような、変な感じで絡まれるような事も全くなかった。本当にただ、お姉ちゃんからもらって自分はいらいから私にくれたんだな、って感じ。
変に絡まれたりする事はなかったけど、その頃席が近くになる事が多くて、キタガワは給食に苦手なものが出たりすると私の皿にそっと入れて来た。キタガワの苦手なものは、キウイとか缶詰のシロップ漬けの桃とかアロエ入りのヨーグルトとか。そして私が別に苦手じゃない唐揚げやちくわの竜田揚げとかをたまにぴゅっと私の皿から取って食べたりしていた。たいていは無言でだ。
でもそういう取り換えっこはクラスの男子の半分くらいの子たちがやっていた。相手が嫌がったり、嫌がらないからと言って無暗に自分の好きなものだけ他の子から取ったりしなければ、先生もそこまでうるさく注意をしなかった。「次からは好き嫌いなく食べなきゃダメだぞ~~」くらいの感じだ。
私はキタガワが好きだったのでそういう事をされると嬉しかった。もちろん嬉しいなんて言ったりしないし、嬉しいのを隠して逆に文句を言うような事もなく、ただ交換されるまま食べるだけ。どちらも無言。後はキタガワが消しゴム忘れた時に定規で半分に切って渡してあげた事もあったな…
可愛い思い出だね!
けれどキタガワは、給食の取り換えっこをどういうわけか中1で一緒のクラスになった時にも私に当たり前のようにやって来て、小学の時にはいくらそんな事をしても誰も見てなかったし気にも止めてなかったのに、何回目かに目ざとく見つけた女子に、「え、カナエ私のもあげる~~♡」「やだ私がカナエのキウイ食べて上げる~~♡」みたいな感じで騒がれたので、それ以来キタガワも自粛するようになった。
たまに、本当にたまに、誰も見てない時をねらって私の給食から通りすがりに何かをパッとつまみ、私はムッとした感じで睨むだけ。その時にはもういろんな女子に優しくなってたし…他の女子から好きなだけもらえばいいのに、みたいな目で見てしまっていた。
もしかしたら私…
いや!そんな事ないよね…
でももしかしたら私、私だけじゃなくて他の女子たちに優しくなったキタガワに対して寂しい気持ちになって、こんなに今のキタガワを嫌がってるんじゃないだろうか…
でもそれは当たってる。
それで、こんなに気になるって事はやっぱり今も好きだからだろうと思ったりもするけれど、…う~~ん…
中2の半ばの修学旅行の後で、やたらキタガワに絡んでいた女子とキタガワが付き合いはじめたという噂が流れて、そしてやっぱり別れた、またくっついた、みたいな噂も流れて、いやまた今度は他の女子と付き合い始めた、それで付き合い始めた所にまた別の女子の横槍も入って、みたいな…なんとなくどろどろした中学生らしからぬ男女関係が噂され、もう完全に私はキタガワの事が好きじゃなくなった。
はずだ。
その時も私は一人静かにやたら腹を立てていた。バカじゃんキタガワ!と思いながら。