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「誕生日会」。何やら楽しそうな雰囲気の言葉であるが、ことエイルにとってはそうではない。
魔族、それも大魔王の息子エイルにとって、誕生日、そして誕生日会-正確には生誕祭だが-とは
ただ家族みんなで祝うだけの催しではない。魔王家の慣例として、年齢が17になる時に初めて魔王が
公の場に現れ、魔界をあげて魔王を崇め奉る重要な儀式なのであった。
会場はもちろんエイルの部屋やリビングでやるのではなく、城から少し離れた、舞踏会など大人数を収容できる
専用の建物の一番広い大広間で催され、古今東西魔界に住む様々な種族やその長など多くの人が集まることになる。
「打ち合わせ、といっても特にないんだけどね。あんたは座っているだけだし」
フレイヤはやれやれと言って腕を組む。
「ただ忘れて寝坊したりしないでよね。魔王がいないのに私たちだけがいるなんてまぬけじゃない」
「ふふ、明日の衣装なんですが、エイル様はどういったのがお好みですか?少しお持ちしたので、
見ていただきたいのですが……」
もじもじと顔を赤らめながら、窺うようにユミルがエイルを見ていた。
「ああ、誕生日……」
エイルが今思い出したように呟く。そういえば自分はそろそろ17歳になるのだった。
魔術や歴史など学問についての興味は大いにあるエイルだが自分自身についての興味はさほどないので、
言われるまで気付くことがなかった。
そう言えば母親が何日か前にそんなことを言っていた気がする。
「はあ……」
正直面倒くさい。だが、魔王にとって17歳の生誕祭、魔界の面々に初めて魔王として公の場に現れるその催しは
いかに出不精のエイルといえども避けては通れない道であった。
「あっ、そういえば衣装を馬車に置き忘れてしまいました」
唐突にはっとした顔でユミルが言った。
「これではエイル様にお披露目できません。取りに行ってきます」
そういうやいなや立ち上がりそそくさと扉へ向かう。
「まってお姉様、私も手伝います!」
フレイヤがそう言ってユミルのあとを追おうとしたが
「大丈夫。シグルに手伝って頂きますから。フレイアは待っていなさい」
そう言い残し、ユミルはエイルの部屋をそそくさと急ぎ足で去っていった。
「ふん。別に大した衣装じゃないんだからあんまり期待しないでよね」
ユミルが行くと、フレイヤは少し頬を染め、そっぽを向いた。しかし視線はちらちらとエイルに向けており、エイルが多少なりとも
自分たちの衣装に興味をもってくれるのかを期待しているようだった。
当のエイルはどう反応すればいいのか困り、とりあえず「ははは……」と笑っておいた。
頻繁に自分の元を訪れてくれる婚約者の姉妹ユミルとフレイア。出不精で引きこもりがちの自分に甲斐甲斐しく世話を
焼いてくれる二人にはちろん悪い感情などあるはずもなく、感謝している。それに容姿の美醜に関してこれっぽっちの興味のないエイルから見ても二人は母親であるヘルベティアに負けず劣らずの美人であることはわかっていた。
二人ならどんな衣装、たとえそれがぼろきれであろうと美しく着こなしてしまうに違いない。
そう思ってはいるが、どう伝えればいいかわからずにエイルはぎこちない笑みを浮かべてしまう。
そんなエイルの心境を知ってか知らずかフレイアはエイルの顔をじっと見つめていた。
長く美しい睫毛、ユミルよりも多少切れ長のその目がユミルを見つめる。
その目は何を考えているのか、エイルにはわからなかった。
「ねえ」
ふとエイルを見つめていたフレイアが口を開いた。
「キスして」
「えっ」
唐突な物言いにエイルは対応できず、小さい声をだした。
「一昨日、私がちょっと出て行った時にお姉様とキスしてたでしょ」
そう言ったフレイアは別に怒っているわけではなく、ただ不公平だと言わんばかりに口を尖らせる。
「最近キスしてなかったのに。お姉様だけずるい。キスして」
フレイアは甘えるように言いながらエイルの目の前まで近づき目をふせて、顎を少し突き出した。
「ううっ」
目の前にあるフレイアの綺麗な顔を見ながらどうしようかとエイルは悩んだ。
確かに一昨日ユミルと二人きりになった時、ねだられキスをした。ユミルも、フレイアもそうだが、姉妹でいる時はお互いに気を使っているの
かあまりエイルに甘えてきたりおねだりをしてきたりすることはないのだが、二人きりになるとそうする必要もないのか、色々と要求して
くる。もちろんエイルだって嫌な気はしないが二人のストレートな愛情表現に多少困惑してしまうのだった。
と言ってもユミルとしておいてフレイアにしないわけにはいかないだろう。引きこもりで世間知らずのエイルでも、これを拒否したら
フレイアがどれだけ悲しむのだろうかということは想像できる。エイルよりもユミルとフレイアはエイルの婚約者であるということに
こだわっている。
いや、本当にこの美しい姉妹がこだわっているのはエイルの婚約者であるということではなく、エイル自身に対してなのだが、エイルはそこまでわかってはいないのであった。
「ん」
あまり間を置くわけにもいかず、エイルはフレイアの唇に口づけた。
柔らかく瑞々しい唇がエイルの唇と重なり、吐息が鼻に当たる。
「ふふ」
数秒間のふれあいのあと、唇を話すとフレイアは嬉しそうに微笑む。その顔は普段どちらかというと気難しい顔をしているフレイアとは違う、女の子の表情だった。目はとろんとしており、何かを欲しそうにエイルを見つめ続けている。
「そーれ」
そう言うとフレイアはエイルに抱き着きそのままエイルは押し倒された。
仰向けに寝転がされたエイルに覆いかぶり抱きしめてくる。
その抱きしめる力が強すぎてエイルは「うっ」と声を上げてしまった。
女の子特有の柔らかい身体がエイルに押し付けられ、「エイルぅ、エイルぅ」と言いながらその身をこすり付けてくる。
胸は形を変え、足は絡められる。エイルはどこに手を置けばいいのかわからなくなったが、とりあえず頭を撫でておいた。
そうするとフレイアはとても嬉しそうな顔をするのだ。
少しの間力を弱めることなく抱き着き首筋に顔を埋ずめていたフレイアだったが、ふっと力を緩め、エイルの顔の位置まで自分の
顔を持っていく。
「……」
またもや数秒見つめあい、フレイアが睫毛を伏せる。
今度はフレイアのほうから唇を近づけた。
その時廊下から、エイルの部屋へと近づく足音が聞こえてきた。