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「エイルちゃん?いるんでしょ?出てきなさい!」
扉を叩くけたたましい音がする。
だが彼はその音に動じることなく手元の分厚い本に目を落としている。
「ねえ!聞こえないの!お母さんが呼んでいるんですよ!返事をしなさいエイルちゃん!」
しかしエイルと呼ばれた彼は意に介すこともなく、読書を続けていた。
まるで扉を叩く音など聞こえていないかのように。いや実際に彼には聞こえていないのかもしれない。
それだけ集中して本の世界に没頭しているのだ。
「エイルちゃん!ごはんよ!早くでて来なさい!」
エイル・フリード。彼は魔王である。
いつからだろうか。もう自分でも覚えていない。
もっと小さいころ、まだ世界は彼にとって新鮮で実に楽しいものであった。
見るものすべてが美しく、そして驚きの連続であった。
だが、しかし段々と、彼の興味は外の世界からは薄れていく。
目で見て、耳で聞いて、感じるものには限界があるのだ。
彼の身分の都合もあったし、自由に世界を見て回るには途方もない時間と手間がかかる。
そんな彼が興味が沸いたもの、それが本であった。
本を読めばどこでも行ける。様々なことを知ることができる。
生来、凝り性で集中すると周りが見えなくなる性質であった彼には、どんどん本の世界、
歴史、魔術、医術、自然、様々なものへと没頭していく。
その結果出来上がったものが、読書と研究に明け暮れる引きこもりの魔王である。
「ねえ、聞こえているんだったら返事をしなさい!」
以前扉を叩く音はやまず、女性特有の高い声が響く。
「もう!入りますよ!」
その声のあと、返事を待たずに女性が彼の部屋へ入ってきた。
「もう!またこんなに散らかして!エイルちゃん、いるじゃない。いるんだったら返事して!」
そう言うと彼女は乱雑に物が積みあがっている部屋を綺麗に渡り歩き、読書に没頭しているエイルと呼ばれる少年のもとへ近づき、その腕をとる。
「ほら!いつまでも本ばかり読んでないで!ごはんの時間ですよ!」
「ん……」
エイルは返事になっているような、なっていないような声をあげ、彼女に引きずられていった。
「今日のお昼はオムライスですよー」
食卓に香ばしい匂いが立ち込める。
エイルの目の前に、美味しそうなふっくらとしたオムライスが置かれた。
出来立てのオムライスから立ち込める湯気で丸いメガネが曇る。
エイルはいただきますの声も出さず、ゆっくりとスプーンで口に入れていく。
「エイルちゃん、いただきますぐらい言いなさい。ねえ、あなたも注意して」
先ほどエイルを引きずっていった女性がエイルの無作法を咎める。
しかしあなたと言われた先、その先には何もなかった。
いや、何もない訳じゃない。
壁があった。
「ん、んぅ、エ、エイル。いただきますはないのか」
壁が喋った。正確には壁の上のもっと上のほうから。
よく見るとそれは壁ではなく、大きな足であった。
とてつもない大男が椅子に座っており、近くで見ると足しか
見えないため、壁にしか見えなかった。
「……」
エイルは壁からの声を無視した。かまわずゆっくりとスプーンでオムライスを口に運んでいく。
「もう、あなた!もっとはっきり言って下さい!」
女性のその声に壁は「ん、うぅ、でも……」などと言いながら口をまごつかせる。
エイルの目線からは高すぎて見えないが。
「はあ、明日は誕生日だって言うのに、うちのエイルちゃんは大丈夫かしら」
女性がため息をつきながら、表情も目線も変えず、黙々とオムライスを食べる息子を見つめる。
エイル・フリード明日は17歳の誕生日である。