【間話】白い砂漠、黒い混沌 - Ⅰ
天界、地上。
空からの廃棄物が降り積もる白い砂漠を、一台のホバリングスクーターに乗る一行が駆け抜けていた。
時刻は早朝、天候はゴミ。
長距離の移動と野営を繰り返すうちに、シェミルは〝地獄〟と呼ばれる場所での生活に慣れつつあった。
「目的地が見えてきたぞ。起きろ!」
前方を監視していたラノフは、右腕に接合された長銃で居眠りしていた兄妹を引っ叩く。
後方の警戒を担当していたシェミルは防塵ゴーグルと布のマスクでしっかりと顔を覆い隠し、天蓋を開いて目的地に目をやる。荒廃した都市は長い年月を経て所々が崩落していた。
不気味なことに出発地『エリア・イレヴン』と異なり、植物は一切自生していない。
ここまでは事前情報の通りだが、自動運転を続けていたホバリングスクーターのエンジン音が唐突に少しずつ弱まり、やがて止まってしまった。
『……ここで何があったわけ?』
スクーターが声に出して疑問を呈する。声の主はルシフェルである。
「どうした。なんで止まる?」
『この地域は――汚染が酷すぎる。温帯気候なのに植物が生えてないのよ? 人が生きられる環境とは思えない』
「無線で交信していた数少ない地域だぞ!」
『とにかく、迂回して拠点になる場所を探しましょう。長時間の滞在は死にたければどうぞ』
スクーターは方向を転換して、再び発進した。
アルベルトはあくびをしながら無線機を取り出して、交信を試みる。
「あーあー、聞こえますか。こちらはアルベルト・ローンルーク。仲間も一緒です。どうぞ」
ノイズが激しく音声の損失は著しいものの、応答があった。
『……聞こえ……いる……。発信源も確認し……。到着……楽しみにしている』
「そのことなんだが汚染が酷いらしくてこれ以上先に進めない。安全なルートは無いのか? どうぞ」
『南西に発電……がある。地下にある防護服を使うといい』
「……了解。聞こえたよな? 南西の発電所だそうだ」
シェミルとラノフは納得のいかない様子で顔を見合わせた。
「どったん?」気ままな面持ちでアルベルトの妹であるエミリが尋ねる。
「……土地の汚染が深刻だなんて初耳だぞ」
ラノフたちは、古い通信規格を用いて他の地域と通信し、情報交換をしていた。
彼らが今向かっている『エリア・エックス』もその一つである。今回の交流を持ちかけてきたのは相手だったが、信頼に値する相手ならば計画を明かしても良いかもしれないと、エール所長が快諾したのだ。
『最後に直接の交流があったのはいつ?』
「生まれちゃいない。数百年前だろ」
とうに資源は枯渇しきっており、地上で暮らす人が実在したというだけでもルシフェルにとっては奇跡のような話だ。
足りない物は奪い合う。防衛意識が働いて居住地の門を固く閉ざすのはなんら不思議なことではない。
『……罠の可能性を考慮して偵察機を送るわ』
スクーターの内部から、数体の羽虫が音を立てて飛び出した。
「つくづく呆れるな。天上の科学技術は……」
『天上の、じゃなくて私のよ。覚えておきなさい。私はどこにでも行けるし、何にでもなれる。全てが思いのままに』
だからこそ、神の名を冠するのだ。シェミルはルシフェルの強さを痛感していた。
「万全を期すために発電所に到着したら一度休憩にする。無事に戻れるかも分からない。気を引き締めておけ!」
十数分後、スクーターは何事もなく発電所の近辺に到着した。
遠方に見える煙突からは水蒸気が立ち昇っている。
『――少なくとも地上に生体反応は無いわね。電力は一箇所に集中されてる。病院と思われる場所の、地下七階。無線通信の発信源と一致する。振動探査でも動体の検知は無し』
ルシフェルは偵察機によって得た情報を共有した。
エミリは退屈そうに後部座席に寝そべって、頬を掻きながら小言を呟いた。
「なーんか、あたしたち暇すぎね」
彼女とアルベルトはラノフの反対を押し切って旅に同行している。整備士として役に立つはずだと堂々と立候補したのだが、これまで大きなトラブルに見舞われることはついぞなかった。
それもそのはず、ルシフェルが全てを魔法のように解決してしまうからである。
スクーターから見える景色を映すのも窓ではなく、肉眼で見るよりも鮮明なホログラム・ビジョンだ。技術の格差は圧倒的で、兄妹は出発して間もなくお荷物となっていた。
「危険が無いのは良いことですのよ、エミリ」
「天使さま、空のことを教えて!」
シェミルは未だにエミリから〝天使さま〟と呼ばれていた。
自身がどのような経緯で地上に落とされたのかを語っても、エミリは彼女への接し方を変えようとしなかった。
「そうね……曇っていて見えないけれど……。今私たちの真上にある大陸が、司法の国と呼ばれる『ミナシオン』。私が住んでいたのは――あの辺りかしら。世界で唯一、一つの国が一つの大陸を治めている超大国ですのよ」
「すごい! 戦争とか無いの?」
「治安の悪い地域もありますが……〝全天の神〟と称されるウラノス様のお力で、大きな事件は起こりませんわね」
「平和なんだね。本で見た人類史は、ほとんどが侵略だったのに」
シェミルは苦笑した。足元にいるルシフェルも一国の王であり、侵略で勢力を伸ばした過去がある。
一方でルシフェルは黙ったまま反論せず、大人の余裕的な何かを見せていた。
「カミサマごっことは笑えるぜ。地上の人間には見向きもしねえくせによ!」
武装したままスクーターに寄りかかり一服していたラノフは、皮肉を込めて呟いた。神の一人であるスクーターは静かに水平移動して、ラノフを突き飛ばす。苦悶の声が短く跳ねた。
『一つ忠告しておく。ウラノスも私と同じよ。奴はどこにでも居て、世界のすべてを監視している。私たちの行動も、意思も、筒抜けよ』
「……クソっ。なら何でアンタはここに居る? 天上への反逆もいいところだ」
汚れを振り払いながらラノフは立ち上がり、スクーターに向けて右手を構える。
『止められないということは、許されているということよ。全てが掌の上だと分かっているなら、やることは一つでしょう?』
「……言ってみろ」
『ひたむきに齧り倒して、風穴を開けてやればいいのよ』
「ハッ、面白え。情熱的なこった」
ラノフは武器を下げ、スクーターに再び寄りかかった。ルシフェルは水平移動をしかけ、ラノフは姿勢を伸ばすが、単なるフェイントで彼は舌打ちした。
「もう、仲良くすればいいのに……」
「あの……あまり気を悪くなさらないでくださいね。天上の民は皆、地上に生きている人間が居るとは思っていないのです。晴れない雲は有毒で、下を覗くことそのものがタブーのようなものですの……」
「それは、あたしたちも同じかもしれない。歴史の多くが消されてて、天上に興味を抱かないように仕向けられてる気がするの! そんなことしたら余計に、だよね!」
興奮気味にエミリは語るが――
「それは気のせいだって……」
アルベルトは呆れた様子で彼女に釘を刺した。
「クソ兄は黙ってて!」
『安心なさい。私がここに居る以上、じきにすべてが暴かれるわ』
「おお、頼もしいね! 神さま!」
『……それをあんたたちに共有するかは別の話だから。そこんとこよろしく』
「あたしメカニックだから分かるけど、神さまのマシンって拘りがあるよね〜! さっきのハエ?も女の子っぽい可愛さがあった感じするし!」
『ふふん。私の技術だからこそ出来る機能と造形の両立よ』
シェミルはルシフェルに対して大きな意外性を感じていた。
彼女の知る〝相剋の神〟は他者に興味を示さず、不要なことは一切語らず、冷徹な心で敵対国を滅ぼした悪政の王だった。
そんな人物が忌み嫌われる〝地獄〟の少女と、技術を語る。気怠げな兄が横槍を入れ、隙あらばラノフが恐れも知らずに神をおちょくる。
もはや何が真実で、何が嘘なのか分からない。しかし眼前の微笑ましい光景に、休まらない日々を積み重ねてきたシェミルの疲労は少しずつ露呈して、気付けば彼女は穏やかな眠りに落ちていた。




