伝わる想い - Ⅰ
「……安藤君、大丈夫?」
不意に声をかけられた。
ミヤちゃんが、不安げに僕の方を見ていた。今までのやり取りを見られていたのだろうか。もしかして彼女は、僕の頭の心配をしているのだろうか……。そんな不安が脳裏をよぎる。
(なんだ、知り合いか?)
(そうだよ! 駅で待ってるはずなんだけどな……)
(ならば痛覚だけ遮断しておく。無理に身体を動かすなよ!)
さっき身体の主導権を返された時に、激痛もお見舞いされたよな……。あれはわざとだったのか……。
「ミヤちゃん! 詳しい話は後! 救急車呼んで! 足が折れた!」
「えっ、えっ? そ、その子は……?」
「この子も! なんか命狙われてるっぽい!」
突拍子もないことを言っているとはいえ、これが事実であり、それ以上のことは僕も知らない。
ミヤちゃんはスマホを手に取るものの、何かを迷っている様子だ。
「ミヤちゃん……?」
「……た、たぶんだけどね?」
ミヤちゃんは、自身の中で何かを結論づけたようで、口を開いた。
「その子、救急車で病院に連れていくのは、危険だと思うの……」
僕はその言葉の意図することが、理解出来なかった。その様子を察してか、補足を加える。
「あ、あのね。命を狙われてるのなら、救急車とかそういう、公共のものを利用するのは、危ないんじゃないかなって……。ま、漫画の読みすぎかもね!」
「……なるほど」
確かに、あの武装集団は国が管理する軍隊だろう。つまり、ある程度の施設への根回しは既に完了しているという可能性は十分に考えられる。
彼女はどこまで考えているのだろう。一度頭を覗いてみたい。
「やっぱすげえな……。ミヤちゃんは……」
「えっ、そんなこと……ないよ……」
僕はいつもするように、ミヤちゃんを褒めたのだが、彼女は俯いてしまった。僕の褒め方が悪いのだろうか。本心から思ったことを伝えたつもりだったが。
「でも、どうすれば……」
「それなんだけどね……。その、実は……、あの……」
何かを言いたいのだろうけど、迷っている様子だ。
「どうしたの? 何でも言ってみて」
「一分……。一分でいいから、目を瞑ってて欲しいの」
唐突にミヤちゃんはそんな提案をした。その言葉の意図に、疑問を拭えないが、言われた通りに目を瞑った。なぜか胸の動悸が高鳴る。
「で、出来れば耳も塞いで欲しいんだけどね……」
すぐそばからミヤちゃんの声が聞こえる。そこで、何をしているのか、どうしても気になってしまい、目を少しだけ開けた。
バレないように、目蓋を震えさせながら、慎重に。
しかし、視界は大きくぼやけていた。地に茂る草木の緑や茶色しか、認識することが出来ない。その事実に少しだけ驚くが、大体誰が原因か見当が付いたため、心の中でサチュリに問う。
(……お前なんかした?)
(ん? ああ。視力を奪った。目を閉じていろと言われたんだろう?)
(……あのなぁ――)
心の中で再び口論が始まるかと思ったが、それは、ミヤちゃんの驚くべき行動によって止められることになる。
目を瞑ってもわかるくらいに、目蓋の裏が青白く、明るくなる。
「……え、えっと――」
――彼女が何を言ったか、わからなかった。
どこかの国の言葉で何かを詠ったのだ。そしてそれと同時に足の傷が癒えていくのがわかった。脚の内部が、じわじわと接合されていく感覚に苛まれる。
(……ほう、面白い! 天界の魔術を使うとはな!)
(ミヤちゃんって魔法使いだったの……)
既に色々なことがありすぎて、別段驚くわけでもなかった。そのことに驚いたくらいだ。慣れとは恐ろしいものである。
ミヤちゃんは僕の足を治療し、同じ詠唱をして、サチュリの頭部の傷も治したようだった。二度聞くことになったが、その言葉の意味は理解できるはずもない。
「もう目を開けてもいいよ! 皆には、言わないでね……」
目を開く。しかし、視界はぼやけたままだった。
(おい、見えん)
(…………)
心の中で呼びかけても、反応しない。
(おーい、サチュリちゃん?)
(あ、すまないな。少し、考え事をしていた。痛覚も戻すぞ)
無事に視力を取り戻し、痛覚も取り戻された。痛覚の制御まで出来るなんて、なんて便利な魔術だろうか。しかし、足の痛みは、完全には癒えてなかった。
「……痛ッ!」
先ほどのような、叫ぶほどの激痛は伴わなかったが、立ち上がって歩くと、地面に足をつけるたびに、捻挫したような痺れる痛みが走る。
「ご、ごめんね! わたしそこまで魔法得意じゃないから……。あの、歩けるかな? わたしでよければ肩を貸すんだけど……」
ミヤちゃんの身長は低い。二人で歩いてる時に、友人に出くわして、妹か、と尋ねられたことがある。おそらく、映画のチケットを買う時とかも、子供の値段で買えると思う。
「いや、大丈夫。それにしてもこいつは起きないのか……」
「……その子、人間じゃないよね? こんな髪の毛初めて見たよ。それに、こんなに血だらけになって……。何があったの?」
僕は口を噤んでしまう。事の顛末を話すべきか迷っていた。話したことで、彼女を巻き込んでしまうことになるのではないか、そう思ったからだ。その時、サチュリが心の中で囁いた。
(別に話してもいいだろう。天界の魔術を使っていたことは気にかかるが、敵意は感じ取れない。
それよりここから早く離れたほうがいいのではないか?)
「そ、そうだよな。場所を変えよう。わからないことが多すぎる」
「……?」
「あ、な、なんでもない!」
思わず声に出して返答してしまう。未だに、心の中での会話に慣れない。
それよりもミヤちゃんから、変なモノを見る目で見られた事がショックである。束の間の沈黙が場に流れる。
「……ミヤちゃんって、あれなの? 人間界にバレないように潜り込んでいる世界征服を目論む魔術師達で構成された組織の――」
「ちっ、違うよ! それだけは違う! 確かに魔術を使ったけど、これは友達から教わったもので、私は普通の人間……だよ?」
ミヤは不安げにそう答える。たぶん、怖いのだろう。
普段と違う自分を見せてしまったら、誰もが不安になるものだ。
誰にも言わないで、と頼むあたり、本当は誰にも知られてはならないんだろう。
「わかった。大丈夫だよ」
「え……」
「ぶっちゃけ、俺はミヤちゃんが何者であろうが、その、関わり方を変えるつもりはないしな……」
さりげなく、思ったことを口にしてみるが、語尾は弱々しく最後まで聞こえなかったかもしれない。
どれだけヘタレなんだ、俺は。
(ほう、お前この少女を好いているのか)
突然の心の声に思わず噴き出す。
(お、おま、そんなわけ――)
(ないのか? じゃあ嫌いなのか?)
(そんなわけないだろ! こんな可愛い子!)
「ありがとうね、安藤くん。見られたのが、安藤くんでほんと良かった」
「うん」
ミヤは、微かに笑みを浮かべながらそう言っていたが、サチュリが執拗に好きなのだろうと問うてきたせいで、それどころではなかった。
(好きなら好きと言えばいいのに……。お前の愛は、その程度なんだな……)
その精神攻撃とも取れる心の声に、僕も限界を迎えてしまう。
「……でも、おかしな話だよね。わたしみたいなチビが、魔術なんて――」
「違う! 大好きだよ! わかったか!」
「えっ――」
潮風がミヤの長い髪を揺らす。彼女は驚いて一歩後退り、目を見開いていた。
顔が熱い。思わず声にしてしまった自分が恥ずかしい。
「あっ? 大好き、だよ。ま、魔法」
再び沈黙が訪れる。
ミヤは、静かに僕に笑顔を向けたが、その瞳の奥には鬼が潜んでいるような気がした。
***
「で、問題はこの子の服だな……。ミヤちゃんこれはなんとか出来ないの?」
「……水を生成することは出来るけど、この服、血が染み付いちゃってるからねえ……」
そう言って、ミヤはなぜか申し訳なさそうにする。こういう時は、すかさず誰かがフォローを入れるのだ。そうしないと彼女はどんどん落ち込んでしまう。
「まぁ、魔法も万能じゃないってことだな。気にしないでいいと思うよ!」
正直に言おう。
この状況でフォローを入れる言葉など、微塵にも思い浮かばなかった。かなり無理のある言動をしたと思う。
そもそも、『怖い人達に命を狙われて、怪我をして、介抱してくれた女の子が実は力不足で申し訳なさそうにしてしまった時にかけてあげる言葉』など、僕は知らない。
「……ごめんね、私使えなくて」
まずい。ミヤちゃんが、闇堕ちしかけている。負の連鎖が始まろうとしている。
どうする。考えろ、俺。
(全く、男の癖に情けないな)
僕の心の葛藤を聞いていたようで、サチュリが言葉を紡いだ。
(男なら、言葉ではなく行動でわからせればいいだろう)
(それは、ダメ。絶対)
(何を勘違いしている。ただ、抱き締めてやるだけで、女ってのは安心してしまうもんなんだよ)
(…………)
確かに、サチュリの言っていることはわからなくもない。僕も昔はよく母の胸の中で泣いていたし、それと同じ事だろう。
気がついたら、歩き出していた。
「……ミヤちゃん」
「何――わっ!」
ミヤちゃんに近づき、そっと抱き寄せる。
そうしたのは僕ではなく、身体の自由を奪ったサチュリである。
逃げて、と言おうとしたがもう遅い。
「安藤くんっ? な、何を……」
(驚いているな。これから私の言うことをそのまま彼女に伝えろ)
「――ダメか?」
「なっ、だ、だ、ダメって……。あの、いきなりすぎてっ、な、何が何だか……」
ミヤは、顔を真っ赤にして小さな力で抵抗をするが、それも徐々に収まっていく。
ミヤの言葉をそのままサチュリに伝えた。
「……ダメかな」
「だ、だからっ――」
(何がダメなん?)
(……考えていない)
(考えてないんかい!)
「……――黎ちゃん達が駅で待ってるかもしれない……けど。ちょ、ちょっとだけなら、いいよ……?」
意味がわからない。なんだ、この超展開。
僕の想像の域を超えている。世の中のリア充達は、普段からこんなわけのわからないやり取りをしているというのか?
(さ、私はもう満足したし、後は自分で何とかしろ)
(え、どうすんのこれ! 離れるに離れられないんですけど!)
サチュリから返事は無い。もしかして、遊ばれていたのか。そうだとしたら許せない。
結局しばらくの間、ミヤを抱き締めた状態から状況が進展することはなかった。
***
「……よし、帰ろう」
「ぁ……」
僕は、一呼吸置いて、ミヤから手を離した。名残惜しさもあるけれど、早くここから戻らなければならない。
「で、でもこの子は?」
「置いていきます。色々と危険なので。大丈夫この子強いから。行こう」
僕はミヤちゃんの手を引き、歩き出す。
(こら! 置いていくな!)
頭から声が聞こえるな。幻聴かなあ。
「えぶっ!?」
その時、僕は僕に殴られた。ミヤがまた不安げな眼差しでこちらを見ている。しかし殴る手は止まらない。両手で十数発殴られるまで、その手は止まらなかった。
(わかったか?)
(わかりました……)
「あの……安藤君。大学で辛いことがあるなら相談に乗るよ……?」
「……いや、何でもない。大丈夫……」
涙目になりながらそう答えた。
「あっ、そうだ! わたしの服、カバンの中に入ってるから、この子にそれ着せたらどうかな?」
「……なるほど」
彼女達が着替えている光景を想像する。
彼女達には、胸が無い。いや、無いわけではないのだが、あるかないかと聞かれたら、無い。しかしそれにはそれの、魅力というものがある。
わかる奴にだけわかる魅力が。
僕にはそれがわかる。
「……なるほブッ!」
また自分に殴られた。迂闊なことが出来ない。
***
時刻は十四時を過ぎた頃だった。
まだ東京に来てから三時間程しか経っていないのだ。あまりにも多くのことがありすぎて、未だに夢を見ているのではないかという感じがする。日差しは強いようだが、木々の下にいるためか、時折吹く風は心地いい。
「安藤君ー、おっけーだよー」
ミヤは、意識を落としたサチュリの服を着せ替え、僕を呼んだ。そこには、着替えを済ませた二人の姿があったのだが。
「あれ? ミヤちゃんも着替えたんだ」
「うんー、この服だと着せるのに苦労しそうだったから! この子と身長同じくらいでよかったなぁ」
ミヤは膝のあたりまで丈のある空色のワンピースを、サチュリはピンク色のキャミソール――名称はうろ覚えだが――の上に白い薄手のカーディガンを羽織り、チョコレート色に近いスカートを着用していた。サチュリの服装は、元々ミヤが着ていたそれである。
二人とも可愛い。こうして見ると二人の妹を前にしているようで幸せである。決してそんな状況では無いのだが。
「サチュリは裸足なのがなぁ……」
実に素晴らしい。
「それは、さっき寄った洋服屋さんで、クロックスでも買えばいいんじゃないかな」
「んだな。じゃあそろそろ行くか」
(そういうことだ。もう起きてくれ、サチュリ)
(……いや、悪いが背負ってくれ。どうにも嫌な予感が拭えないのだ)
言い返すのも億劫になったため、指示に従って、サチュリを背負う、その時に微妙に残った痛みが足に響く。
「う、おもっ!」
「安藤君、それは女の子に言ったら失礼だよ」
そんな会話をしながら、駅へ向かった。来た時とは違う警備員に少しだけ怪しまれた気がするが、その後追ってくるようなこともなく、無事に駅まで辿り着くことが出来た。
***
駅に着いたが、ダニエルと黎の姿はなかった。携帯に送信されたメッセージによると、どうやら待ちくたびれて二人で遊びに行ってしまったらしい。返信はしないでおいた。
そして、ミヤからは『大丈夫?』、『安藤君、大丈夫?』というメッセージが十件ほど入っていた。少し怖い。
「はっはっは、男女二人でとはお熱いことよ」
「……あの、一応わたし達も二人だよね。この子がいなければだけど……」
「あ、そういやそうか……」
確かにそうなのだが、何か違うのだ。ミヤはなんというか妹のように抱きしめたいような存在ではあるが、そういう目で見てはいけない気がするのだ。
(その聞くに堪えない言い訳は、私に言ってるのか?)
(あー、そういうことにしといて、いいよ)
ミヤはこほん、と咳払いをして、別の話題を切り出した。
「これからどうしようか……。足痛むよね? 今日は旅館戻る?」
「あー……、そうする。ごめんな、俺のせいでせっかくの合宿の一日が台無しになっちゃったみたいで」
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。後でダニエルと黎にも謝っておこう。僕達は、旅館の最寄り駅までの切符を買い、駅のホームまで進んだ。
「かなり混んでるな……」
電車は、かなり混んでいるように思えた。いや、東京だったらこれが普通なのだろうか。仕方なく乗り込んだ。サチュリを背負っているため、他の客にはかなり迷惑していただろう。
ふと、ミヤの方を見ると、彼女は顔を俯かせて震えながら、僕の裾を力無く掴んでいる。
一瞬で、それがどんな状況なのか理解した。
(アンドー、右腕を借りたい。左で私を支えてくれ)
サチュリが不意にそう囁いた。彼女がしようとしていることも、見当はついた。
(くれぐれも殺すような真似はするなよ)
(うむ。心得た。この世界にも下衆はいるのだな。しかも汚らわしい気を撒き散らして……。死して詫びるべきだな)
(いやだから、殺しはするなよ)
返事はなかった。代わりに右腕の感覚がなくなる。
僕の右腕は、サチュリの意思で勝手に動き出し、ミヤのすぐ後ろにいるおっさんの顔を、変形させるほどの強さで殴り飛ばした。
それまで静かだった車内に、歯が床を転がる音が鳴り、当然のように車内は騒然となる。
右手に痛みはなかった。痛覚をシャットアウトしていたようだ。
ミヤは、驚きのあまり、目を丸くしていた。
「安藤く……わたし――」
「降りようか。旅館には散歩がてら歩いて戻ろう。いいね」
ちょうど電車が、駅に停車した。目的の駅までは、あと三つほどだ。歩いて戻れない距離ではない。他の乗客が恐ろしいものを見る目で僕を見ていた。
「……今僕が殴った人は、その……痴漢なので、注意して下さい」
そう言い残し、片手でミヤの手を引いて、電車を降りた。そのまま帰路についたのだが、ミヤは僕の手を離すことなく、半ば手を繋ぐ形で歩いていたことになるのだが、彼女になんて声をかけてあげればいいかわからなかった。
(サチュリ、やり過ぎだ。あのおっさん息してたか?俺まだ捕まりたくないんだけど、警察に)
(なに、殺しはしていないさ。それとも、何か文句があるのか?)
(……いや、正直なところ、スカッとしたよ。良いパンチだった)
(ふふ、お前もあの男のようになりそうな節があるがな。今のうちに、生殖器を切り落としておくか? お前の手で)
(なっ……。 恐ろしいことを言わないでくれ! 確かに歳上よりは、歳下のほうが好みだが、ああはならねえよ! …………たぶん)
たぶんと付け加えたのは、決して自分の意志に揺らぎがあるからではない。人生、何が起こるかわからないからである。
「……安藤君さ、変わったよね」
不意に、ミヤが力のない声でそう言った。
「変わった?」
「うん、朝はいつも通りだなーって思ってたけどね……。さっき電車で助けてくれた時とか、かっこよすぎて、誰だこいつって、思っちゃったよ」
「そりゃまたなんつーか……たぶん、大学で合宿とか初めてだしテンション上がってたとか、そんなんだと思うよ」
「安藤君はテンション上がると、あんな高い柵も飛び越えられるんだ」
浜辺での顛末を見られていたようだ。僕は黙っていたけれど、それ以上は触れてこないし、別にいいだろう。
「……今までの安藤君も、今日の安藤君もかっこいいけどね」
「う、うん」
「でも、変わりすぎないでね……。どっちが本当の安藤君か、わからなくなっちゃうし、そしたらみんなが混乱しちゃうよ。これは、わたしからのアドバイス、かな?」
彼女の言わんとしていることの本意は、よくわからなかったが、流れで、わかったと返事をしてしまった。
その後旅館に到着するまで、彼女と会話することはなかった。途中、あまりの暑さに自動販売機で飲み物を買ったが、その際に「これ」と言われた程度だ。
それでも彼女は、僕の手を離すことはしなかった。道ゆく人々が見たら、カップルにしか見えないのではないだろうか。顔が熱くなった。
***
「……ふぅ、到着。おつかれ」
「うん。ありがとうね、安藤君」
「いやいいよ。ミヤ様には指一本触れさせない。これがミヤ様親衛隊の絶対の掟だからな」
そう言ってからかうと、ミヤは間に受けたのか、顔を真っ赤にして目を逸らした。そんなストーカーまがいの親衛隊なんて無い。
旅館に入ると、スタッフの一人がサチュリのことを物珍しそうに問うてきたので、事情を話して、宿泊者の人数を増やしてもらった。その際、ミヤが「二人追加で」と言ったのだが、理由は話せてもらえなかった。今日の夕食を二人分出さない――と言うより、準備の都合で出せないらしい――ことを条件に、了承を得ることが出来た。
僕の泊まる部屋がある階に着いた時、一つの疑問が浮かんだ。
「……なぁ、サチュリの部屋は、俺のところでいいのかな」
「ええっ! ダメに決まってるじゃん! 女の子部屋に連れ込んでなにする気なのっ?」
「あ、そ、そうですよね! すいませんいやほんと! ……じゃあミヤちゃんの部屋まで連れてくわ。どこ?」
「隣だよー。いいね、近いと便利で」
気づかなかった。確かに近いと便利だが、隣ということに妙に引っかかる点を感じる。
「もともとね、この旅館に泊まる! っていうことと、部屋の割り振りはわたしが決めたんだー。先輩、他の計画とかに忙しそうだったからねえ」
「あ、そうなの。でもなんでこの旅館に?」
良い旅館ではある。スタッフの対応もいいし、掃除も細かいところまでしているのか、木質の床は電灯の温かい光を反射している。
しかし、都市部から外れたところにあるため、アクセスに関しては不便だ。近くに山が見えるくらいだ。少なくとも、僕のような若者がイメージする『東京』とは、少しばかり離れていると思う。
「それはー……、ひ・み・つ! ふふっ」
そう言ってミヤははにかんだ。僕の目の前にいるのは、天使か何かでしょうか。
サチュリをミヤの部屋に敷いた布団に寝かせる。
「じゃあ、この子の服はわたしが洗濯しておくね」
「……おう。んじゃ俺は疲れた。少し寝る、おやすみ」
「あはは、まだ四時だよ」
確かにそうだ。せっかくの合宿で、今日は一日中フリーである。時間が勿体無いとは僕も考えていた。
しかし、心身共に疲れたのだ。身体が休息を求めている。明日は遊園地へ行く予定だ。体力は温存しておきたい。
(あの娘は信用できるのか?)
不意に、サチュリが囁いてきた。
(お前まだいたのかよ……。戻らねえの)
(戻るのには自分の身体が必要だ。だから聞いたのだ。天界の魔術を使っていたあの娘は、信用できるのか?)
(へんへいる……? なんのことか知らんが信用はしてるよ。それにお前の正体もわかってないだろ、大丈夫だ)
(そうか……)
(俺は、疲れたから少し寝る。邪魔だけはしないでくれよ……)
(うむ、わかったぞ)
素直に従ってくれて助かった。ここで心の口論になったら疲労で卒倒するかもしれない。意外にもそれ以上何も言ってこなかった。僕のことを少なからず心配してくれていたようだ。
僕は自分の部屋に戻ると、重い目蓋を持ち上げながら布団を敷き、倒れこむように横になる。意識は、まるで沼に沈んでいくかのように、深い眠りへと誘われた。
そして、それを見計らったかのように、僕は起き上がり、部屋を出た――。