後味の悪い結末
「ええええええええっ! な、なななな、ナロウ様ぁぁぉぁぁぁ!? ほ、本物ぉぉぉっ!?」
予想外の人物の登場に、受付嬢は目が飛び出るほどぶったまげて腰を抜かしていた。
「一時的に館内は閉鎖しますよ。私が皆さんに説明をしますからね。安藤君とニコンちゃんは気兼ねなく先に進んでください」
ナロウは落ち着いた様子でそう告げて、直属の部下たちに指示を出し始めた。
「ありがとうございます!」
僕は礼を言い、地下に向けて駆け出す。
魔術図書エリアを一直線に駆け抜けて、アルドマリアの自室に向かった。
部屋の扉をノックし所在を確認するが、反応がない。中からは物音の一つすらせず、嫌な予感がした。
「どきなさい。扉を壊す」
「いや待て。鍵が開いてる……」
思い切って侵入したものの、彼女の部屋はしんと静まり、中には誰も居なかった。内部が荒らされている痕跡もない。
アルドマリアは自身の意思で、何者かに付いていったのだ。
『別室だ。黒板のある部屋に居る』
突然、僕の右腕からヴェルガの声が響いた。何も知らないニコンは不思議そうな表情をして周囲を見渡す。
「……誰の声?」
気付かぬうちに、手のひらにおさまるくらい小さな《白窓》が発動していた。そこから声を送ったのだろう。
「ああ……天の声というか……助っ人だよ。どうやらここじゃなくて会議室に居るらしい。急ごう!」
僕たちは会議室に駆け込み、扉を開け放った。
そこでようやく見つけた。神妙な面持ちで席につくアルドマリアと――彼女と向かい合って座っていた、魔術省襲撃の犯行者を。
「ワトチョッ! すぐにその子から離れろ!」
「アンドー様? こちらには何の用で?」
この期に及んでまだしらばっくれている。僕は本物のワトチョに会ったことがない。……が、この偽者が彼の素振りを完全に模倣しているということだけはわかる。
「アルドマリア様、気を付けてください! そいつは偽者で《大司教》殺害の嫌疑がかかっています!」
「まあ! 気付きませんでした!」
彼女は慌てるように席を離れ、僕の背に隠れた。
なんだか、全然怖がっていないように見えるのだが。大精霊の余裕ということにしておく。
「アンドー様? 何を言っているのです。支部長が死亡し、私が殺したと? いくらなんでも冗談が過ぎます!」
「し、しらばっくれるな……! 貴方の遺体が見つかってるんだ!」
果たして、正常なのは本当に自分の方なのか。
何の違和感もない彼の所作を見ているとそんな疑念すら湧き出てきて、混乱してしまいそうだった。
だがワトチョの姿をした者は観念したように溜息をつき、一言愚痴をこぼした。
「ったく、死体の処理でヘマをしやがったな……」
別の人格が完全に露呈すると同時に、彼の皮膚がぼろぼろと、焼け崩れていく。
「な、何よコレ……!」
骨と肉に圧力がかかるような軋む音を立てながら、次第に黒い結晶のような身体へと変質していく彼の姿に、ニコンは恐怖を隠しきれていない。
「だァから嫌なんだよ能無しのヒトもどきをコキ使うのはよ……」
黒い結晶体の心臓部には赤い光が脈動し、明らかに禍々しい何かを全身に巡らせているように見える。
人の形を成し、人の言葉を話しているが、これは――人間とは遠くかけ離れた存在だ。
「お、お前は何だ! 正体を明かせ!」
「俺? 俺って何だろ……。自分にもよく分からんのよ。そもそも俺は生きてんのか?」
彼は独り言が多く、僕の問いかけには答えず、生とは何かという哲学を始めた。
「ニコン。アルドマリア様を連れて逃げろ。あとナロウ様を呼んできてくれ。こいつは――どう見てもヤバい」
「……あ、あんたは!」
「とりあえず時間は稼ぐ。話が通じないようなら吸い込むから大丈夫。行ってくれ」
ニコンが渋々頷き、動き出そうとした直後、不意に結晶体が彼女を呼び止める。
「あぁー、おいおい待てよニコンちゃん。久し振りの再会なのに挨拶も無しか? 寂しいねぇー」
――まるで、彼女と昔から知り合いであるかのように。
「はあ? あんたなんか知らな――」
振り向きざまに言いかけたところで、ニコンは硬直した。
何か心当たりがあるのかもしれない。……が、それは後。
「おっ、思い出してくれたか?」
「その口調――あんたまさか……クリストフなの?」
「へへっ、大正解!」
刹那、彼女の内からかつて感じたこともないような怒りの感情が爆発した。
「殺すッ! 殺してやるっ! あんただけは……あんただけはあたしがこの手で――!」
即座に彼女の手中に顕現した槍も、明らかにこれまでとは形状が異なっていた。
これが好ましくない状況であるのは火を見るよりも明らかだ。
僕がしようとした直前にヴェルガが《黒窓》で彼女を『アリュート』に引き摺り込んだ。
「アルドマリア様、逃げてください!」
「でも……」
「自分のせいで大事な人を失いたくない!」
「わかり……ました」
アルドマリアは俯き顔で駆け出し、無事に部屋から脱出した。
「ったく大袈裟だねぇ。目的は果たしたからもう誰も殺しゃしねーよ」
クリストフと呼ばれた結晶体は、退屈そうにしゃがみこみながら僕たちのやりとりを見物していた。
「目的だと? 《大司教》の権能を奪って何をするつもりだ!」
「あーそうだった。忘れてた。この肉体は思考や記憶に雑音が多すぎるから困る。異邦のガキ、良いもん見せてやるよ」
クリストフがそう言うと、再び彼の身体は軋む音をあげ、変形していく。次第に薄い人肌の色が表面に現れはじめて――全裸の女の姿になった。
隠すべき場所も隠さずに直立し、そして恐怖に満ちた顔で涙を流している。
「だ、誰――」
「ぐすっ……。私は当国魔術省の《大司教》、ビクトリア=リヴィウスと申します……――なんてな……うう……」
「余計なことをするんじゃない……!」
僕は動揺を隠せなかった。女の姿になった途端に泣き出す彼が恐ろしいほど不気味に見え、もはやその風貌など気にしている余地すらなかった。
「ずび……不便なもんだろ。死の恐怖まで模倣しちまうとしばらくこうなんだ……。あー……私は大丈夫、私は大丈夫……。よくもまあこんなビビりで大層な役職に就いたもんだ……」
彼は深呼吸を何度かして、やがて落ち着きを取り戻した。
それと同時にナロウと部下たちが会議室にやってきて、瞬く間に彼を包囲した。
「そこまでですよ、襲撃者。大人しく投降しないのであれば、王命により即座に処刑します」
「次から次へと……。投降しても処刑は免れないだろ……」
両手を上げ反抗の意思がないことを示しながら、クリストフは呟く。
「貴方がやったことを猛省し、情報提供に協力的な姿勢を見せてくれれば、少なくとも苦痛は与えません」
「おい、異邦人。目的はなんだと聞いたよなぁ? 教えてやるよ。オレたちは世界を救おうとしてるんだ」
「皆さん、聞く耳を持ってはいけませんよ。罪人の戯言です」
クリストフは呆れたように溜息をつく。
「一つ断言しよう。今の世界の法則じゃ、この世界は滅亡するぜ。国王様も薄々分かってんだろうがよ」
「そうならないために我々人類は日々研究を重ねているのですよ」
「その人類の一部にオレたちも居るってわけだ。そして呑気な偽善者どもと違って、オレたちにはもう世界を取り戻す〝一つの算段〟が出来上がってる。支部長の尊い犠牲は実現のために必要不可欠だったのさ」
「戯言ですね。――〝神の門〟はそう易々と叩けるものではありません」
「なんにせよ《嵐の眼》と呼ばれるあんたとやり合う気なんて起きねーわ。大精霊様に伝えとけ。〝仮定したことは全て起こる〟ってな」
直後、爆風によって外に繋がっている窓が吹き飛び、クリストフは黒い泥のような液体へと変わり、吸い寄せられるように外に流れて消えていった。
「逃しましたか……」
「ナロウ様、よろしいのですか」
険しい表情で外を見つめるナロウに、兵士の一人が尋ねる。
「安全第一、ですよ。捜索も無謀でしょう。奴はもうこの国には現れないでしょうから」
「伝聞に関しては……?」
「連合の協定に則り全ての真実は公表します。後日、大聖堂にて公聴会見をしますので用意を頼みます」
「はっ!」
「兵の皆さんは図書館の封鎖を解除したのち、所定の持ち場に戻ってください。私は大精霊と少し話をして戻ります。安藤くんも、一緒に来てね」
こうして、騒動は後味の悪い結末を迎えた。
クリストフの黒くおぞましい姿は、いまだに脳裏に焼き付いて離れない。魔術がいかに恐ろしいものであるかを、僕は少しずつ理解していた。
誰もが兵器を手にし、あるいは兵器そのものになり、人を傷つけられる世界。まるで悪魔が作ったような法則の世界に、僕は放り込まれたのだと、この時になってようやく自覚したのである。




