竜の痕跡と新たな家族
長きに渡る勉強の末、僕はようやくヴェルガの許しを得た。
文化も歴史も、一般教養としての水準は身についたようである。
「忘れるな。お前の手には救いがある」
「……? どういうこと?」
「ああ、それと。目覚めたら頭痛に苛まれるだろう。痛覚の抑制をしておくといい」
その言葉を聞き届けると同時に視界は揺らぎ、暗くなっていく。
数日ぶりの安眠だ。全力で堪能させてもらおうではないか。
そう考えながら、僕の意識は本来あるべき深いところへと向かっていく――はずだった。
ギョイーン。
頭の中で閃光のように迸る激痛によって、僕の身体は反り返って跳ねた。
「あああああああああああああああっ!」
割れる頭を押さえながら、即座に脳に送られる痛みの信号を遮断する。
頭の全血管が、突然湧き出した知識の大波に耐えかねて破裂寸前になっているのがわかる。
痛みが無いにも関わらず、不快感は拭えない。蟹のように口の中から泡が噴き出てきて、視界はぐるぐる回って、意識を失いそうだ。
「ヒロキっ!」
叫び声はククリの元にも届いていたようで、彼女が慌てて部屋に飛び込んできた。
僕の口元の気泡を風で吹き飛ばし、上半身を抱き起こしてくれた。幸いにも、全身を巡る不快感はすぐに抜けていった。
「あ、ありがとう、ククリ……」
僕が心配かけまいと彼女を撫でると、彼女は目を丸くした。僕が突然、現地の言葉を流暢に話すようになったからだろう。
現実の時間で言えば、この家に帰ってきてからまだ一時間も経っていない。本当に一瞬で、世界のことを学習してしまった。
あらかじめ聞かされていたとしても、この事実に僕は驚愕するしかなかった。
「ヒロキ、言葉、わかるの……?」
「うん。なんて言うか……精神的な世界で、小言の多い爺さんに教わってきたよ」
言葉を理解したことで、一つ分かったことがある。
ククリ……彼女もまた、この世界の人間ではない。髪を撫でた時に何かに引っかかる感触があり不思議に思っていたが、彼女の言葉が不完全ではないことを知り、確信に至った。
「すごい!」
彼女は心底嬉しそうに笑みを浮かべて、僕に抱きついてきた。
「ククリ、きみはもしかして竜界から来たんじゃない?」
「……わかんない……。覚えてないから……」
「……そっか」
魔界人による獣人への差別意識は、種の大半が滅びた今でも根深く残っている。
ククリの正体がどうであろうと、口外すべきでは無いだろう。
「でも、母さまが言ってた。ククリの頭には竜の角があるって」
「竜……! 見てみてもいい?」
「……いいよ。ヒロキなら」
僕は彼女の髪を掻き分けて、青く光る竜の角を見つけ出した。
髪で隠れてしまうことからも予想はついていたが、彼女の角は二本とも、根元から綺麗に切断されていた。
自然に折れたような断面には見えない。何者かによって、刃物のようなもので切り落とされたように見える。
「……痛くない?」
「うん」
獣人の魔術は魔界人とは比較にならないほど高度だと聞いていたが、彼女の〝風の力〟を目の当たりにすれば、それも納得がいく。
彼女は竜の獣人だったのだ。
そしてそれを明かすのが、どれだけ勇気の要ることかは考えるまでもない。
「ククリが何者であろうと、君は僕の命の恩人だ。だから何も気にしなくていい。誰が何と言おうとも、僕は君の味方でいるから」
そう言うと、僕に抱きつく力が一層強まった気がした。
「じゃあ、遠くに行かないで」
「それは……」
彼女自身、それが無理な要求であることくらい分かっているはずだ。
年齢の近い友達がいなくて、寂しいのだろうか。十年前の天災から、子供の人数も急減したとヴェルガから聞いている。
産まれてくる子供たちに絶望の景色を見せたくないと思うのは、当然のことだ。
「……ううん、忘れて。ヒロキは、元いた世界に帰りたいよね……」
「ククリは違うのか?」
「ここがククリの故郷だと思ってるから……」
彼女がこの世界に迷い込んだのは七年前。その頃にはすでに、世界は闇に閉ざされていた。
空の青さも、太陽の眩しさも知らない子供たちの目に、この世界はどのように映っているのだろう。
「ククリは、星を見たことがある?」
「……絵本でだけ」
「夜になるとな、空一面に綺麗な星が輝くんだ。この国は高いところにあるから、きっとすごく綺麗に見えるはず」
「赤い眼とは違うの?」
ククリの言う赤い眼とは、黒い天蓋に浮かぶ一つの魔法陣のことだろう。
「違うよ。全然違う。あれを美しいと思う奴なんていないだろ。そうだ、決めた。僕が元の世界に帰る前に、ククリに星空を見せてあげるよ」
「ほんとに?」
「頭の中の――知り合いのおっさんに頼まれてんだ。この世界を救ってほしいって。正直なところ自信はないけど、出来る限りのことはやってみることにしたよ。目的は多いほうがいいだろ」
「ヒロキ、そんな魔術が得意そうには見えないよ……」
「それはこれから頑張って覚えるよ」
「そのへんの道端で死にそうだよ……」
「直球すぎない?」
「世界をどうにかしようとしてる人は、世界中にいるもん。ヒロキがやらなくたって、いいんだよ。ずっと家に居てくれても、母さまも父さまも許してくれるよ……?」
彼女は少しばかり、僕に依存している気がする。
心当たりがあるとすれば、彼女の両親を大樹からの落下から助けたことくらいだが、それにしたってここまでべったりしてくるのは違和感があった。
「寂しい思いをさせるかもしれない。でも、元々僕は異邦人だし、君のご両親が許してくれても、僕自身がそれを許せそうにない。意思の疎通は出来るようになったし、一人でも生きていけるさ」
ニコンは僕の護衛として付いてくるのだろうけど。それはそれで頼もしい限りだ。
「なら、ククリもついてく」
「それはダメだ」
「どうして……!」
「君まで居なくなったら、君の両親は誰が守る? 君の力はこの国に必要になると思う。だから、僕についてくるのはダメだ」
ククリは僕から少し離れたところに立ち、今にも泣き出しそうに握り拳を震わせた。
意地悪な物言いをした自覚はあるし、引っ叩かれる予感はしたが、彼女は何もせずに部屋を飛び出していった。
「……父さまが帰ってきたら夕食だから。それまで寝てて」
「あ、ああ……」
去り際に放たれた言葉には、彼女の本質的な優しさが込められていた気がする。
年齢は分からないが、彼女は立派だと思えるくらいに、しっかりとした子だった。
遮断した痛覚をゆっくりと戻していく。
耐えられなくはないが、未だに鈍い痛みは続いていた。
*
ククリの両親は一緒に帰ってきた。母親は数々の野菜が入った袋を両手に抱えこんでいる。
結局、ゆっくり休んでいる時間は無かったものの、彼女の両親が無事に帰宅したことに僕は安堵していた。
「おかえりなさい」
食卓に出向き僕がそう言うと、両親は驚いて目を丸くした。
「あなた、言葉が話せるようになったの?」
「はい。これまでご迷惑をおかけしました。おかげで元気になりました。明日からは僕も色々お手伝いしたいと思っています」
ククリの母親からの質問に、僕はそう答えた。
あまりにも丁寧すぎる物言いだったのか、ククリの両親は驚いたように互いに目を合わせ、顔を綻ばせた。
「驚いたな。まだここに来て日が浅いのに……。知能が相当高いのか?」
「い、いや。そうではないです。勉強したというよりは、無理矢理覚えさせられたというか……」
ククリの父親は僕に興味津々といった様子だった。気持ちは分からんでもない。彼らにとって僕は宇宙人にも等しい。
「母さんは夕食の支度を頼む。俺は彼と話がしたい」
「もう、面倒なことばかり押し付けて……。私だってその子のこと気になるのに……」
「後で教えてやるよ。あまり質問責めにしても彼が混乱するだろう」
「はいはい……」
彼らの日常的なやり取りが分かるようになったことに、僕はかつてないほどの幸福感を覚えていた。
一度失っていた『それまで当たり前だったもの』のひとつを、再び感じ取ることが出来た瞬間だった。
「さあ、ヒロキだったか。ここに座って話そう」
「はい」
僕たちはいつも使っている食卓に向かい合うように座った。
ふと廊下に目をやると、ククリが身を隠しながらこちらを覗いている。
「ククリも来なさい。そんなとこにいたら風邪引くぞ」
「ん……」
父親の呼びかけに、ククリはとててっと駆け寄り、僕の横に座った。いつもより距離が近い。
先ほどのやり取りで嫌われたと思っていたが。
「では改めて自己紹介をしよう。俺の名前はグラ。グラ=ウルサスだ。妻の名前はララだ」
「僕は、ヒロキ・アンドーです」
「変わった名前だな。発音がしにくい」
台所で作業していたララが「失礼よ」と彼を叱った。
「故郷では苗字が名前の先に来るので、僕も違和感があります……」
「ふうん……? まあいいや。それでそこにいるのがククリ。妹だと思って、仲良くしてあげてくれ」
「もちろんです」
「父さま、ククリが獣人だってこと、ヒロキに教えたよ」
「えっ!」
ククリの発言に、グラは心底驚いた様子を見せる。
「口外はしません。この世界の歴史も学習したので、獣人の立場も理解しています」
「そ、そうか……。いずれは明かすつもりだったけど、俺たちは血の繋がった親子じゃないんだ」
それはなんとなく実感があったので、驚かなかった。
ククリの年齢は知らないけれど、彼女の見た目に対して両親の年齢が若すぎる。まだ二十代後半くらいではないだろうか。
「ククリはこの家に来て、本当に良かったと思います」
「へへ……嬉しいこと言ってくれるな。まあ実際、今の時代の獣人は希少種もいいところだ。売ろうとすれば、莫大な金が流れるだろうな……」
「彼女の角は、正体を隠すために切ったんですか?」
グラは首を横に振った。
「うちに来た時には、その状態だった。獣人にとっての角がどれだけ大事なものなのかは知らんが、俺はなくて良かったと思ってる」
「確かに……」
目立った状態で出歩けば、すぐにでも悪人に捕まって売られていた、と彼は言いたいのだろう。
「聞きたいことは山ほどあるが、いざとなると抜けちまうな……。ひとまずヒロキが悪人でないことが分かって安心したよ」
「え、これだけで?」
「所作や雰囲気は見てきたんだ。少し話せば分かるさ。心細いかもしれんが、俺のことは気兼ねなく父さんと呼んでくれていいからな」
「はい……。ありがとうございます……」
「堅苦しいのもナシにしよう。とりあえず、飯食うか」
それから僕たちは夕食を食べながら、お互いのことを明かしていった。
故郷のこと、文化のこと、家族のこと……。
この時僕は初めて、知識を無理矢理叩き込まれたことに感謝の意を表したのだった。
言葉を交わしながらする食事の味は、かつてないほど美味かった。




