邂逅 - Ⅳ
「――皆殺しだ」
サチュリは、近づいてくる軍隊を視界に入れながら、そう呟いた。
そして彼女は、人間離れした速度で軍隊に向かい走り出す。
同時に、武装した者達は、小型のミサイルを数本、彼女に向けて発射した。同時に別のタイプの銃器に持ち替え、牽制のためか弾を発射する。
しかし、サチュリは止まらない。
「――まずは、お手並み拝見といこうか」
彼女は走りながら前方に手をかざす。
すると彼女の目の前に、橙色の魔法陣が展開され――霧散した。
「……ありゃ?」
そして、そのまま彼女に、ミサイルが直撃した。
爆風は砂を巻き上げ、勢いよく僕のもとまで吹き荒ぶ。
視界が開けた時、着弾した場所にサチュリはいなかった。
彼女は、空中にいた。
着弾する瞬間に跳躍したのだ。爆風の勢いも利用したのか、かなり高い場所にいる。
「はっはっは! まさか魔術が使えないとは思わなかったぞ!
面白い! 厄介な世界に飛んで来てしまったようだな!」
そのまま、空中で体勢を変え、落下の勢いを加えながら――軍隊の一人に、頭突きをかました。
メットをも砕く頭突きを受けた一人の隊員は、動かない。
気を失ったか、もしくは既に息絶えたのだ。
「――肉弾戦は、あまり好きではないのだがな……」
サチュリは一人の隊員を盾にしている。
それでも、八方からそれを囲む部隊は、躊躇う事なく一斉に銃を射撃した。
「……はぁ、弱いな」
溜息を漏らしながら、彼女はそう呟く。
一人の隊員を盾に背中を守り、勢いよく後退しながら銃弾を弾いた。
同時に足場の砂を巻き上げ、煙幕のように視界を遮った。
隊員達も銃撃を止め、戦況を分析しているようだ。
岩陰から覗いているだけでは、向こうで何が起きているのかわからなかった。
ただ、聞こえてきたのは男の悲鳴、そして打撲音である。
視界が明瞭になった時、立っていたのはサチュリだけだった。
一人の隊員が腰を抜かして後ずさり、恐怖に支配された声で助けを請っているようだった。
『哀れだな、先ほどまでの威勢はどこへ行ったのだか……。興醒めだ。帰って上に伝えておけ、仲間の事も考えさせん軍隊の教育に明日などない、と』
「…………?」
サチュリの放った言葉は、隊員には通じていない。
その事に彼女は気付かないまま、隊員に背を向け歩き始めた。
それを好機とみた隊員は、彼女に銃口を向ける。
「危ないッ!」
咄嗟の僕の叫びに気付き、サチュリは背後を振り返る。
同時に銃声が響く。その銃弾は、幸いな事に彼女の脚を掠める程度に済んだ。
「――いい度胸じゃないか」
――その日、僕達を襲撃した武装集団は、一人残らず死んでいった。
サチュリは返り血を浴びた姿で、こちらに戻ってきた。手からは、未だに誰のものかも判らぬ血が滴り落ちている。
もしも、この世界に悪魔がいるのならば、こんな姿をしているのではないだろうか。
「――ひ、人殺し……!」
「アンドー、あまり気に病むな。仕掛けてきたのはあちらだぞ? 命を奪う資格があるのは、命を奪われる覚悟がある者だけだ」
こんな平和な国でそんな事を言われようとも、説得力の欠片すらない。
――もしかしたら僕は、とんでもない犯罪に巻き込まれてしまったのではないか。
そもそも、この子は何なんだ。
思考の整理もままならないまま、サチュリは話を続けた。
「――さて、と。お前に頼みがある。私はこの世界のことを何も知らん。文化も、言葉もだ。ゆえに、しばらく世話を頼みたい。
……なに、私も帰らねばならん場所がある。手は煩わせない! 頼む!」
腕を組み、腰を抜かしていた僕を見下しながら、堂々とした態度で頼まれた。
それが、人に物を頼む態度ではないことは、言うまでもない。
「……は、はい」
でも僕は、承諾するしかなかった。
逆らったら、殺される。
そう判断したからである。
「おお! 助かるぞ! 命を助けてもらっただけでなく、このような頼みを受け入れてくれるとは、お前はいい奴だな!」
心の底から明るい笑顔を見せてくれたようだが、その顔には血を拭った跡が残っていて、恐ろしさしか感じない。
「……で、でも、これからどうすれば……」
「うむ! 私の目を見ろ!」
言われた通りに、サチュリと目を合わせる。
息がかかる程に顔が近づき、固唾を飲む。
幼気な雰囲気が残るその容姿は、たった今、人を殺していたとは思えない程に魅力的だった。
……ただ、血まみれなことを除いて。
顔が赤くなってないか不安だった。
そんなことを考えていると――。
「じゃ、入るぞ」
「え……」
その声を最後に、全身から力が抜けた。
僕は、身体を乗っ取られた。
***
『……ふむ。この魔術は使えたか。となると、やはり精霊に干渉する魔術を妨害する力が働いているようだ』
僕は、一人で喋っていた。
どこの国かもわからない言葉を。
だけど何故か、意味がわかる。僕の言葉も彼女には通じているようだった。
『それが、契約だ』
まるで、僕の心を読んでいるかのように、再び僕は呟いた。
『契約を果たすと、どういうわけか互いの意思が通じるようになるんだ。
心の会話が出来るのは、こうして乗り移っている間だけだが……なっ、と』
僕は、サチュリの身体を負ぶって、海を封鎖する柵に向かい歩きだす。柵には扉が付いていた。さっきの警備員はここから来たのだろう。
(その扉はダメだ。おそらく警備員がいる。また争いになるぞ……)
(ふむ。どうしたものかな)
心の声で対話まで出来た。
不思議な感覚だ。多重人格者というのは、普段からこういう精神状態なのだろうか。
(俺はあそこの、柵の向こうの樹に登ってこっちに来たんだが……)
今考えると相当の高さがある。怪我をしなかったのは本当に幸いな事だった。
しかしこちら側には樹は生えていないし、簡単には越せないだろう。
(なるほど。そこなら人はいないのだな)
(だけど、お前の身体は間違いなく人目に付くぞ。血だらけだし)
(ふむ。困ったな……)
そう言いながらも、歩みが止まることはない。
こいつまさか、柵を飛び越すつもりか。俺の身体で――!
(そのまさかだ!)
何かが軋む音と同時に、地面を蹴っていた。そして無事に着地――とはいかなかった。
足で着地はしたものの、そのまま尻餅をついた。
(すまん。足の腱がやられた。骨も折れたようだ。動けん)
(折れたじゃねえよ、ふざけんな! 俺の身体なんだから少しは労ってくれよ……)
(ほう! 心の声ははかなり強気なのだな! 気に入ったぞ! では、身体操作はお前に任せるとしよう!)
サチュリが悪戯っぽくそう言うと同時に、感覚が一気に戻ってきた。
――そう、痛覚も一緒に。
「ぎゃあああああああああ――」
(――あああぁぁぁァァァァァ!)
(おい、突然騒ぐな! 驚くじゃないか!
……やはり操作は私がする。とは言うものの、動けんのだが……)
(どうすんだよ! つか友達が駅で待ってんだけど?)
(そんなこと言われても仕方ないだろう! あ、そうだ、お前蘇生術使えるのだろう? ならばこの程度の怪我の治癒はできるのではないのか?)
(はぁ? 一体何の話をしてるんだ! そもそもあれは――)
――この押し問答は、しばらく続くことになる。
* ミヤ 視点 *
時は、安藤が砂浜に走り出した頃まで遡る――。
駅で待っていてと言い残して、安藤君は私達三人を置いて、どこかに行ってしまった。
「大丈夫か、あいつ……」
「まぁ、スマホあるし大丈夫なんじゃない? あっちにトイレがあるとは思えないけど……」
「わたし、ちょっと心配だから様子見てくるね!」
そう言い残して、私は安藤君を追いかけた。どこに行ったのかわからないけど、柵に沿って移動していったのは見えた。
警備員のおじさんも、安藤君の行く方向を不安げに見ていた。
柵のもとへ着き、安藤君の行った方向を見ると、彼は何を考えているのか、必死に木登りをしていた。
そして、柵を飛び越えた。その様子は、警備員のおじさんも見ていた。
「あっ! あいつ!」
警備員のおじさんは慌てた様子で、通信機を取り出して、警備員をもう一人呼び出した。安藤君を追うために、持ち場を離れることになるからだろう。
私も追いかけたかったけど、それは無理なことだとわかった。
私は携帯を取り出し、電話をかける。
「……もしもしー? シェミル?」
『もしもし、どうしました?』
私は、シェミル――信頼している友人だ――彼女に事の顛末を話した。
電話の向こうで、シェミルは溜息を漏らしていた気がする。
『……〈アカシア〉の情報は、五日前のものよ。たった五日で、ここまで事象に歪みが生じることは、普通ならありえないわね』
「だよねぇ……この五日であったことといえば、大きな地震くらいだし……大丈夫かなぁ」
『勇気を出しなさいな。大丈夫よ、ヒトの心はそう簡単には揺るがないの。これからそっちに向かって調べてみるわね。夜までには着くと思うから』
〈アカシア〉――。
それが何なのかは、私も実際に見た事がないからわからない。ただ、シェミルはそれから得た情報で何度も私を助けてくれた。
本人曰く、未来を観る機械――らしい。
私は宿泊先の住所をシェミルに教え、電話を切った。
その時、柵の向こう側、浜辺から銃声が響いた。
「うそ……」
私は不安で仕方がなかった。でも自分が柵の向こうまで行こうとしても、警備員の人に取り押さえられてしまうだろう。
そのもどかしさは、私の不安感を助長する。
私は携帯のアプリで『大丈夫?』と送ることしか出来なかった。
返信が来ないことなど、当然のようにわかっていたことだが。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
私は警備員の目を盗んで、安藤君の登った木のもとまで来ることが出来た。
ここならば警備員の死角になっている。
その時突然、空から轟音が聞こえた。見上げると大きなヘリコプターが飛んでいくのが見えた。
不安感はますます増していく。
私は木によじ登った。木登りなんてしたことがないのでかなり苦労した。自分の身体が重い。少しダイエットしたほうがいいかもしれない――。
そんなことを考えながら、浜辺に視線を送る。
「なに、あれ……」
安藤君は、少し離れた所にある岩陰にいる。無事なようで安心した。
だけど、私の目の前には、ありえない光景が広がっていた。
全身を黒い武装で包む人達が見えた。武器も持っていたけど、自衛隊の人とは思えない。
そして、それに一人で立ち向かう、白い髪の女の子。地面には血も付いてる。
私は茫然とそれを見ていた。
そして、驚くべきことに、その戦いを制したのは女の子のほうだったのだ。
瞬時に理解した。
――あの子は、シェミルと同じ、別の世界から来た子だということを。
安藤君は、女の子と何か話したと思ったら、その子を背負ってこちらに向かって歩いて来た。
気づかれたのだろうか? 私にはわからない。
ひとまず木から降りて、彼を待つことにした。
でも彼は、どこから戻って来るのだろうか。ふと疑問に思った。入れ違いになったら困る。とりあえず連絡を入れておけば大丈夫だろうか。
そう思い、木に寄りかかってスマホを取り出す。
その時、グシャ、と音を立てて何かが落ちた。
驚いて木の影に隠れたが、それは安藤君だとすぐにわかった。
「安藤く――!」
声をかけようとしたが、止まってしまう。
そこにいるのは、安藤君のはずなのに。
わたしには彼が、人間ではない別の何かに見えた。
まるで、人の皮を被ったバケモノだと感じた。
そう感じたのは、ほんの一瞬だったが、声をかけるのを戸惑うには十分すぎるほどの違和感だった。
しばらく彼の様子を見ていたが、動く気配がない。バケモノを見たような感覚は、既に薄れていたので、声をかけようとした。
「安藤く――」
「ぎゃあああああああああ――」
「ひえぇ……」
今度は唐突に断末魔をあげたのだ。息が切れたかのようにぶつりと止んだが、恐怖のあまり声をかけることが出来なくなった。
そして、あろうことか彼は、一人でぶつぶつと呟き始めたのだ。よく聞き取れないが、足がどうとか、新体操(身体操作)がどうとか。
次第に呟きの声量は大きくなっていった。
「大体、普通に考えれば人間の身体でこの高さを跳躍するのは無理だろうが!」
『なんだと? それはお前の鍛え方が足りんのだ! もっと精進しろ!』
「お前の世界を基準に言わないでくれ! 俺はこの体格、体力、筋力で満足してるんだ! ムキムキ願望なんてねーよ!」
『何を言っている! 私の身体を見ろ! こんなピチピチでふわふわな身体でも可能なのだぞ!』
「いや、それはお前の身体の構造が――」
安藤君は、一人で漫才を始めていた。
日本語と、どこの国の言葉かはわからない外国語を交互に並べながら。
そこまで大学生活で気に病むことがあったのだろうか。心配になる。
困ってるなら、助けてあげたいな。
見るに堪えなくなって、わたしはようやく、声をかけた。
「……安藤君、大丈夫?」と。