伝承 - Ⅰ
樹木で出来た牢獄の壁に、僕とニコン、そして名の知らぬ狂人だった男の三人は張り付けにされていた。
僕達を縛り付けているこの宿り木、かなり頑丈に壁に食い込んでいるせいで、全く身動きが取れない。
『こうなったのも、全部あんたのせいなんだからね! どうしてくれんのよ全く……!』
ニコンは右隣にいた男に向け、罵声を飛ばしているようなのだが、この国の言葉を理解していない僕にとってそれは騒音にしかならないのだ。
『…………』
男は何も答えず、ただまっすぐを向いていた。
すぐ先に待つ“死”を覚悟し、何もかもを諦めたような表情をしている。その表情を見るたびに、僕の心にぽっかりと空いた穴の中で、何かがぐるぐると動き回る。
『……何か喋りなさいよ』
『そこの少年――名は何というんだ?』
『ヒロキ=アンドウよ。この世界の人間じゃないから、言葉は通じないわ』
『――変わった名前だ』
彼女達の会話を聞いていても、分かるのは僕の名前の部分だけ。
もしかしたら悪口を言われているんじゃないかと不安になる。そんな状況ではないはずだが。
『あんたこそ、名前くらいは名乗りなさいよ。しかも、どうやって狂人の状態から正気を取り戻したの?』
『俺はトードルという。方法は分からない。ヒロキを襲い、特殊な魔術で返り討ちにされた事は覚えている。その瞬間、夢から覚めたような感覚がしたんだ。すぐに意識を落として、目を覚ましたら捕まっていて――』
『夢ですって……? あんた達が人々に与えてる恐怖も、悲しみも、全部夢のせいにするつもりなの? 今まで何人殺したのよ! どうせ多すぎて覚えてないんでしょう! ふざけるんじゃ……ないわよ……!』
『……ああ、何人も殺したよ。思い返すだけで吐きそうなくらいだ……。早く、楽にしてほしいよ……』
昂ぶるニコンに対し、男はいつまでも静かだった。
後悔に満ちた弱々しい声を発しており、彼が殺戮を繰り返す《インセニル》の者だったとは到底思えない。
「……アンドウ。脱出する方法を考えるわよ。このままだと弁明の余地もなく殺されるわ」
「この根っこさえ何とかなればどうとでもなるんだけどな……」
僕達の身体には細かな根がびっしりと張り、壁に根付いている。身動きを取ろうとするたびに、まるで生きているかのように締め付けてくる。
あまり長い時間放っておくと血の巡りが悪くなりそうだ。
「この根っこは魔術で作られたものよ。だからあの看守が大した魔術師じゃなければ眠ってしまえば効力を失うはずなんだけど……」
僕達は牢屋の外へ目をやる。
ニコンが壁に穴を開けてから、牢の目の前に看守がスタンバイするようになってしまった。今も、まばたきの一つも許されないとでも言わんかのごとくこちらを凝視している。
「無理だろうなぁ……」
その時、看守のもとにもう一人別の男がやってきて、何か声を掛けた。
「まずいわね……」
「何て言ってたんだ……?」
「処刑の準備が出来たって」
「はっ?」
予想していたよりも早い。考えてみればそれもそうだ。
《インセニル》の男は本来なら既に処刑されているはずだった。そこに第三者である僕達が水を差したから、こうして牢に入れるという臨時の措置を取ったのだ。
話さえ決まってしまえば、看守達にとっては処刑する犯罪者の人数が増えるだけである。
何とかして冤罪を証明しなければならないのだが、無理だった。
鎖のついた手錠を持った看守達が、牢の扉を開けこちらに近づいてくる。
「……アンドウ」
「ああ、分かってる……」
これはチャンスだ。この魔術が解除される瞬間、何らかの行動を起こさなければ本当に終わりだ。
はじめに魔術が解除されたのは《インセニル》の男だった。音を立てながら床に崩れ落ち、腕を背後に回してから手錠を掛けられている。
看守達も手慣れてはいるものの、そこには僅かな隙があった。
『ヒロキに伝えてくれ……。ありがとう、と。最後に、朧げな現実から目を醒ます事が出来た、と』
『……嫌よ』
男が僕の名を呼んでいたのが分かった。
「な、何だって?」
「……さぁ、よく聞こえなかったわ」
彼女が嘘をついている事くらい、様子を見れば分かる。よほど《インセニル》に対し憎しみを抱いているらしい。
その男は先に処刑されるようで、何処かへと連れていかれるところだった。
「気になるじゃん」
「あんたには関係のない事よ」
「だったら俺の名前を呼ばないだろ。そこまで伏せるなら、本人に直接聞くしかないな」
本当の事を言えば、居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
死に直面した人の顔を見るのが、あまりにも辛すぎた。
あの男の横顔に、ミヤちゃんと同じ眼差しがあるように見えたのは、気のせいじゃない筈だ。
「……は? あんた何するつもり?」
「何って、この状況なら助けるしかないだろ」
「ふざけないで! 自分で何言ってるか分かってんの……?」
それは、絶対に正しい事じゃない。
何人もの人間を殺めた人物なのだから、処刑されて当然だ。そんな奴を救おうとするなんて、正気の沙汰ではないだろう。
だけど、どうしても妙な引っかかりが拭えなかった。先程僕を襲った彼と、たった今から処刑されゆく彼が、同一人物だとは思えなかった。
それ程までに男は憔悴しきった顔をしていた。
吸い込め――。
僕は念じた。対象は、複数いた看守全員。
その瞬間、看守達は驚いた様子を見せながら、僕の右手の黒い窓の中に消えていった。同時に僕達に絡みついていた宿り木も、砂のように霧散する。
これで、もう後には引き下がれない。ニコンは僕のトチ狂った行動に呆れ、溜息を漏らした。
「本当にバカね……。バカ以外に形容する言葉が見当たらないわ……」
「……どうしても、確かめたい事があるんだよ。罪を償うのは、それからでも遅くないだろ」
一番驚いているようだったのは、《インセニル》の男だ。牢屋の扉も開け放たれ、逃げようと思えば逃げられるのに、彼は突然の出来事に唖然として、その場に立ち尽くしていた。
「伝えてくれ。あなたに聞きたい事があるって」
『……トードル。このバカがあんたに訊きたい事があるらしいわよ』
『……何だ?』
トードルは、逃げずに屋内に入ってきた。一応、手錠を外してやろうかとも考えたが、暴れられても困るのでそこは我慢してもらう事にした。
僕はニコンを通じて、トードルに気になる事を問い始めた。
『……単刀直入に訊きます。あなたは《インセニル》と呼ばれる狂人だったという自覚はありますか?』
『ああ。全てを憶えている。この地に辿り着き、お前を襲い敗れた事までな』
『沢山の人を殺したみたいですけど、それはあなたの意思ですか?』
ニコンが僕のその問いを伝えた瞬間、トードルは目を丸くし、そして険しい表情で俯向く。
『……分からない。自分がしてきた事なのに、いつから狂ってしまったのか、全然……分からない……。狂人の戯れ言かもしれないが、本当に……夢を見ていた感覚なんだ……』
憶えていると言ってる癖に、記憶は随分と漠然としているようだ。ニコンが見るからに苛立っているのも分かる。大量の殺人を“夢かと思った”で片付けて良いわけがない。
トードルは続ける。
『お前から吹き飛ばされた瞬間、全ての夢から醒めた気がしたんだ……。気が狂いそうな程の後悔と、悲しみに襲われたまま意識を失って、もう……何もかもを諦めたよ。早く死なねば、とずっと思っていた。そしてようやく死ねると思った矢先、お前達が現れた……』
僕の魔術によって正気を取り戻したというのが、妙に引っかかる。
黒窓で吸い込んだものは、時間が停止されるだけではないのだろうか。看守を吸い込んだ事で宿り木が消えたということは、術者と魔術が離れると魔術の効力が消え失せるという事になる。
「……なぁ、ニコン」
「何よ……」
ニコンはいかにもだるそうな声で返事をした。魔界語は早急に学ばなければ。
「《インセニル》って、あまりの絶望的な状況に正気を保てなくなった奴らの事だったよな。……俺には今のこの人が正気を失っているとは思えないんだけど」
「……ごく稀に正気を取り戻す事があるのよ。あたしもこの目で見たのは今日が初めてだけど」
彼女の言葉から、トードルが既に正常な精神状態の人間に戻っているというのは確かなようだ。
「素っ頓狂なこと言うかもしれないけど……《インセニル》ってもしかして、誰かに魔術で操られてるんじゃないか?」
「……ば、そんなことあるはずないじゃない! ……と、思うけど……」
ニコンも妙な引っかかりがあるようで、確信が持てない様子でいる。
「じゃあ、やっぱり……」
「で、でも……ありえないわよ。《インセニル》は大陸中に蔓延ってるのよ! その一人一人を魔術で精神支配? 並大抵の魔術師じゃ無理よ! こんな時に……破滅を促してる魔術師がいるっていうの……?」
ニコンの顔は青ざめ、彼女は力無く地面に膝をついた。まだこれは確定した事ではない。
根拠の浅いわずかな可能性が、ニコンを不安感で縛り付けていた。
そして泣き出してしまう。さすがにここまでなるとは思わなかったが、彼女もまだ少女なのだ。その性格から勝手に強い人物だと思い込んでいたのは、自分の方だ。
気まずい。まるで僕が泣かしたみたいな感じになってる。
何か声を掛けてやらなければならないのだろうけど、全然思いつかない。
いっその事僕も泣いてしまおうか。もらい泣きだ。何を考えてるんだろうな僕は。
「あ、あの――」
『許せない……』
「え?」
ここに居ても仕方がないから、とりあえず外に出ようと提案しようとした時、ニコンが唸るような声で何か言った。
『間違いない……。どうして今まで気付かなかったんだろ……簡単な事だったのに』
「に、ニコン? 日本語で――」
「アンドウ。早急に『タリュカス』へ向かうわよ。あなたも私も早く契約者に合流しないと」
「……構わないけど、随分と急だな」
「今のこの世界……空だけでなく地上にも、何か闇がある気がしてきた。《三魔帝》は何してるのかしら……」
ニコンはトードルを睨みつける。しかしその眼差しに、先程まであったような憎しみの感情は無くなっているように思えた。
『……何だ』
『あんたは、証人になるのよ』
『証人……?』
『過去に犯した過ちは今は目を瞑っておいてあげるわ。あんたも『タリュカス』まで来なさい。それで人々に言うのよ。《インセニル》は何者かに洗脳を受けているって』
『洗脳……だと?』
『とにかくすぐに行かないと! そろそろ別の奴らが様子を見に来るかもしれない!』
僕はニコンに指示され、トードルを再び右手に吸い込んだ。
牢屋の扉を閉め、檻の中に右手を突っ込んで、さっき吸い込んだ看守達を檻の中に解放した。
看守達は突然の出来事に唖然とする。彼らが状況を理解する前に駆け出した。
『ふん、ざまぁ見ろ!』
ニコンが看守達に向けて何か言っていたが、気にしないようにした。
「あった! 出口だ!」
「突っ切るわよ!」
その瞬間、広間へと通じる出口に木の根が生え始め、徐々に道を塞ぐ。先程の看守達だ。
もしかしてもう脱出したのか。正確に出口を塞いできた。
「くそ! どうする!」
「バカにしないで! 〈ニコンザイル〉!」
ニコンは走りながら槍を召喚し、構える。その間も木の枝はさらに細かく、より強固に道を塞いでいく。
僕たちは止まらなかった。ニコンを信じ、壁となった枝に突撃する。
「あたしの通り道を……開けろッてのぉ!」
ニコンの蒼い槍は彼女の心に共鳴するかのごとく光を帯びて、その木の壁を木っ端微塵に撃ち砕いた。
ニコンはその勢いのまま向こう側の壁まで突っ込んでいった。轟音と共に砂埃が舞う。住民はほとんど帰ったようだ。怪我人を出さなくてよかった。
「よし、出られた!」
安堵の息を漏らしながら、大聖堂から出ようとすると、入口を塞ぐように別の戦士が立っていた。
そう簡単に脱出はさせてもらえないらしい。




