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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第三章 - 魔法の世界
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枯れ木の森 - Ⅰ

 ――僕が魔界(ネビュレスト)に転移してから、どれだけの時が流れたのだろう。

 介抱してくれた少女の家からは、一歩も外に出ていない。ただ、部屋の窓から望める景色を茫然と眺めているだけで、一日が過ぎていく。

 あるいは、まだ一日も過ぎていないのかもしれない。

 僕がこの部屋で目覚めてから、三回は眠っている。それが単なる昼寝なのか、それとも自身が本能的に求める睡眠なのか、分からない。



 ――なぜなら、この世界には朝が来ないからだ。



 いや、来ないと断言するにはまだ情報が少なすぎるのかもしれない。

 しかしいつまで経っても太陽は空に登ってこない。

 空には巨木の枝が所狭しと絡みあっており、その隙間から見えるのは星の煌めきが一つも無い黒天のみである。

 加えて、窓の外に見える枯れ果てた巨木が連なる景色は、そう思わせる程の寂寥(せきりょう)感があった。


「ヒロキ」

「……どうぞ」


 部屋の外から軽いノックと共に聞こえた呼び声に、僕は応えた。

 恐る恐る扉を開き現れたのは、僕を介抱し、この家へと運んでくれた少女――ククリだ。

 灰色の髪に透き通った空色の瞳をした彼女は、両親と共にこの家で暮らし、僕を介護してくれている。


 ただ不自由があるとすれば、言葉が通じない事だろう。

 唯一把握しているのは、この街――あるいは国が『ナージス』という名前である事と、この家に住まう者の名前くらいだろうか。

 意志の疎通こそボディランゲージで何とかなってはいるものの、僕の世界では共通語とされていた英語ですら通じないのだから、生活に支障が出てしまうのは仕方がない事だった。


 ククリは部屋に置かれたランプのスイッチに触れ、魔力を流し込んだ。

 それまで暗かった部屋には明かりが灯され、これから朝が始まることを告げる。

 巨木をくり抜く形で造られた家を照らす灯りは太陽のように暖かく、僕の心を落ち着かせた。


 それでも眠っている時、あの光景がフラッシュバックされてしまう。

 ミヤちゃんに降りかかった災厄。理不尽な、死――。

 絶望に満ち死にゆく彼女の顔を思い返すたびに、僕は猛烈な後悔に襲われ布団を自身の胃酸で汚す。

 とにかく叫ばずにはいられなかった。叫んで、頭を掻きむしってもなお、真っ赤な光景は僕の脳裏から離れない。

 そんな時、ククリは必ず部屋に来て僕の手を握ってくれた。それでどうこうなる問題でもなく、一度だけ彼女を突き飛ばしてしまった事がある。

 それでも彼女は僕の傍にいた。まるで、僕を誰かと重ねているかのように。



 リビングかと思わしき部屋に出ると、ククリの両親が食事の支度をしていた。彼らが魔界人(ネビュレステル)である事は間違いない。その証拠に両目が赤かった。

 父親は僕に気付くと、優しい笑顔をこちらに向ける。

 言葉は通じなくとも、彼らの優しさには感謝してもしきれなかった。


 朝食は、ベーコンのような細かい肉を入れて煮込まれたスープと、パンを薄く焼いた物。

 味はかなり薄かったが、食文化は僕の居た世界と大して変わらない事はどれだけ幸運だっただろうか。

 突然大きな虫の死骸とか出されても食べれる気がしない。


「……いただきます」


 僕は律儀にも手を合わせながらそう言って、食事を始めた。

 彼らは不思議がってたが、これが僕の居た国の文化であることはすぐに理解したようだ。

 彼らが楽しそうに食事をする中、僕は黙々と咀嚼をする。当然の事である。何を喋っているのかわからないのだから。


 とにかく、当面の目標は彼らの言語を覚えることだ。

 ――とは言ったものの、何から手を付ければ良いのかも分からない。

 何も出来ずに時間だけが流れていく。


「ご馳走様でした」


 僕がそう言った矢先、ククリが僕の腕を引いた。


「何?」


 通じないのは分かっていても、ついついそう尋ねてしまう。彼女は家の外を指差していた。

 家の外に出ようと言っているようだった。確かに、いつまでも家に引き籠っていては不健康だろう。この世界について色々と知っている必要がある。

 僕は小さく頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。

 簡単な支度を済ませ、僕達は家の外に出る事にした。



 ***



 何気に、魔界(ネビュレスト)の大地を踏みしめるのは初めてだ。


 ククリが両親と何かを話した後、家の扉を両手で押し開いた。

 その瞬間、流れ込んできたのは、風だ。

 そして瞳に映るのは、巨木の上で栄える村だった。


「すげえ……」


 思わず声に出してしまう程、その景色は圧巻だった。


 無数に広がる巨木の枝は、人々が行き交う道となり、住居は幹の中にくり抜いて造られている。それでもなお倒れない程、太くて頑丈な樹々がこの地域一面に広がっているのだ。

 枝の道を避けるように、気球のような乗り物で上下の移動をする者も居た。飛び降りによる移動を禁止する標識も見える。縦に長いという地理的な特徴を活かした文化がこの世界にはあった。


 圧倒されている僕などお構いなしに、ククリは僕の腕を引く。

 途中、枝から根元を覗き込んでみたが、底が見えない程の高所にいる事が分かり、僕は腰を抜かしそうになった。


 ククリが僕を何処に連れていこうとしているのかは分からない。

 ただひたすらに進み続け、やがて景色が開き始める。どうやら村のはずれまで来たらしい。


 森を抜けた先には、一面の荒野が広がっていた。

 地平線は夕焼けのように赤い。だが、あれは太陽ではないだろう。

 どの方角を向いても、地平線は赤く染まっていたのだ。それに、これは太陽の赤みではない。

 どちらかというと――世界そのものが、燃えているような景色。

 空は暗いのではなく、黒い。まるで墨をぶちまけたかのような闇の空には、赤く輝く月が見えた。

 

 その赤い月は、地球の周囲をまわる月とは色どころか形状すら異なる。

 しかし、月という言葉以外に“それ”を形容する言葉を見出せない。というより、本能が認識を拒んだ。

 世界を凝視し続ける巨大な目玉なんて、この世にあってたまるか――。


「ヒロキ……」

「……あ」


 ククリの呼び声で我に返った。彼女は心配そうな眼差しでこちらを見つめ、僕の服の袖を握っている。

 気付かないうちに、空にある赤い月に目を奪われていたようだ。

 呼吸は荒く、身体中から不快な汗が流れ出ている。


「悪い悪い、少し考え事を――ってうお!」


 突然ククリが僕の手を握って、目の前へ駆け出した。大人しそうな見た目をしている癖に結構力があるな……とか思っていると、僕の身体を支える足場が、消えた。


「え?」


 そりゃそうだ。今まで僕達が景色を見ていたのは村のはずれ――つまりは、森の終わりである。

 そこより先は、何もない。何もないのにククリは駆け出した。


 そして今、僕はククリとスカイダイビングをしている。不本意である。意味が分からない。

 近くに落下の注意を促す標識だってあったはずだ。


「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ…………」


 再び、僕は落ちていた。涙を空に撒き散らしながら。

 ククリはというと、そんな僕の様子を見て、楽しそうに笑っていた。

 そんな彼女が、僕には死神に見えたのだった。


 しかし驚いたのは、その後である。地面が近くなり、何度目かの死を覚悟した矢先、落下速度が急激に遅くなったのだ。

 まるで、質量のある風に乗っているかのような感覚。


「これは――走馬灯?」


 ……という冗談を言えるほどには、落ち着きを取り戻していた。無論、誰にも通じていないのだが。

 そしてそのまま、ゆっくりと地面に着地出来た。


「し、死んだかと思った……」


 ククリは心底楽しそうで何よりである。

 無駄に右腕で吸い込んでしまった多量の空気は、手加減しながら彼女にぶつけてやった。

 その手品のような芸当にククリも驚いていたようだが。


 もしかして、この地に転移した時に僕を助けたのは彼女なのではないだろうか。

 だとすれば彼女は命の恩人という事になる。たった今、僕を突き落としたのもそれを分からせて、主従関係をはっきりさせるためなのか?

 そうだとするならば幼い容姿の癖して、中々に策士である。


 僕達は巨木の森を抜け、少し離れた荒野の岩場まで赴いた。見渡すと、遠方まで線路らしきものが伸びているのが分かる。どうやら列車があるらしい。


「ここは……?」


 ククリは空を指差し、それをゆっくりと地面に向ける。そして不安げな眼差しを向けながら僕の名前を呼ぶ。

 彼女のジェスチャーが言わんとする事は分かった。僕はこの地点に、落ちてきたのだ。

 でも一体どうして、その事を僕に伝えようとしたのだろう。


 思考を巡らせていると、不意にククリが僕を岩陰に押し込んだ。今度はなんだ、と言おうとするとその口は塞がれる。

 ただ、遠方を覗き込む彼女の瞳から、事態の深刻さを把握する事は出来た。

 僕も恐る恐る荒野の向こうに目をやると、たいまつを持ち、おぼつかない足取りで森に向かって移動する者がいる事が分かった。数は四〇人くらいだろうか。


「何だあいつらは……」

「…………インセニル」

「いんせにる?」


 なんだそりゃ、と思うのも束の間。彼女は僕の手を掴み、風を巻き起こし宙を浮く。

 そして巨木の森に向け、風を切る勢いで飛行した。

 命綱は僕の手を握るククリの腕のみだ。彼女を信頼していない訳ではないが、元々遊園地とかで絶叫マシンを好きこのんで乗る事のない僕には、いささか刺激が強すぎた。


 それよりも、彼女は民族衣装のようなワンピースを着ている。そんな事もお構いなしに空を飛ぶのだから、その気になればスカートの下が見えてしまうのではないだろうか。

 そこには恐怖とは別のベクトルの刺激があるのではないか。

 僕は不可抗力に身を任せ、薄眼をゆっくりと開きながらさりげなくそれを覗いてみた。これは仕方のない事だ。不可抗力なのだから。


「ッ!」


 そして驚愕した。

 僕の目に映ったのは下着ではなく、スパッツだったのだ。腰の部分には護身用かと思わしき刃物まで仕込まれている。

 ククリと別の出会い方をしていたら、あの刃物の餌食になるのは僕だったかもしれない。そう考えると僕の下心はすぐに消沈した。



 ***



 街に戻ると、住人は慌ただしく避難をしている様子だった。

 皆が同じ方向へと向かっている。その流れに僕達も乗じた。彼らと違い荷物も無ければ、僕は周りから見たら随分とおかしな格好をしているように見えるわけで、注目の的になるのは仕方なかった。

 しかし、妙だ。

 彼らの視線は、僕だけでなくククリに対しても向けられていた。彼女もその自覚はあるようで、弱々しく顔を俯かせている。

 僕と行動していることが原因だとするならば、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。


 僕達が着いた先は、数ある巨木の中でも群を抜いて大きな樹を掘って造られた神殿のような場所だった。

 人々はここに集まり、安堵の息を漏らしている。しかし同時にその瞳は恐怖に怯え震えていた。

 《インセニル》と呼ばれていた者達は、それほど危険な存在なのだろうか。遠目で見ても分かるくらいに弱々しい足取りをしていたような気もするが、見間違いか?


「っ……!」


 突然、ククリが小さな悲鳴をあげた。


「ど、どうした?」


 と尋ねてみるものの、問い掛けである事しか伝わってはいないだろう。

 彼女は今にも泣き出しそうな表情をしながら、周囲をせわしなく見渡している。

 そして、不安げな声色で自身の両親の名を僕にぶつけた。


「まさか……」


 僕もククリと同じように周囲を見渡す。

 そして気付いた。この場所には多くの住人が避難している。少し窮屈だと感じる程に。

 しかしどれだけ人混みの中を探しても、ククリの両親が見当たらない。


 ククリは自身の家に向かって駆け出していた。

 護身用の武器があるとはいえ、これだけの人が避難しているのだ。一人で行かせるわけにはいかない。

 僕もすぐにそれを追いかけた。

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