剛雷の騎士 - Ⅰ
富士の樹海、虚魔の鉄塔に人知れず衝撃が鳴り響く。
リュードの周囲に小さな灰色の魔法陣がいくつも展開され、その瞬間に虚空から鋼の杭が伸びてくる。
それをかろうじて交わしつつ、ラヴィルに距離を詰めようとするが、彼は自らを護るように棘の壁を形成する。
「チッ……埒があかん」
愚痴をこぼす間もラヴィルの魔術は展開され、同時に弾丸のように鉄の杭がリュードのもとに飛来する。
それを黒耀剣で弾くも、状況は進展しない。完全に消耗戦だった。
リュードの周囲には銃弾すらも灰にする焦熱の領域が広がっている。
だがラヴィルの鉄杭はそれをものともしないほど、冷たく鋭い物だった。
長距離の相手を攻撃する手段に乏しいリュードにとって、ラヴィルは相性の悪い相手である。
「なぜ貴様も《ノア》とやらに加担する! そこまで一時の保身が大切か!」
坂下には『恩人だから殺さないで』と言われていたが、それは無理な相談だった。
はじめはそのつもりで臨んだ戦いだったが、ラヴィルはリュードが思っている以上の手練れであり、手を抜いたら殺されると思わせる程の覇気を纏っていた。
「別に加担しているわけでは無い。――これはこの世界の安寧秩序を乱さぬためだ」
「何だと!」
リュードに一瞬の隙が生まれてしまう。
その隙を見逃す程にラヴィルも甘くなく、リュードは一瞬にして串刺しになる。両肩や脚、脇腹に杭が容赦なく刺さった。
「かはッ!」
「いいか。魔術を使うというのは、こういう事だ。残念だが我々は彼らの目には殺戮の兵器にしか映らん。
それともお前、鉄塔を壊して虐殺でも始めるつもりかい。人間は強いぞ、我々が思う以上にな」
坂下は、ニコンの金で買ってあった救急箱を担ぎながら大慌てでリュードのもとに駆け寄った。
「お前も、魔界に帰ろうと……しないんだな……」
「俺にはこの世界に妻と子がいる。この世界では東 秋人という仮面を被って、生活しているんだ。
その安寧を壊そうと言うのなら、俺はお前を今殺すよ」
「お、俺らが悪かった東さん! すぐに出てく! だから見逃してくれ!」
坂下が言った。彼はリュードを守るため、白旗を振る選択をした。
「――急所は外しておいた。さっさと治療してどこにでも行け」
ラヴィルは静かに森へと消えていく。リュード達はその背中を情けなく見送るしかなかった。
***
ニヴェルヘイムは停留基地に着陸すると、姿を隠すために地下に格納されてしまう。
僕とサチュリは艦体を出て地上へと繋がるエレベーターを待っていた。
「ミヤちゃんが狙われてるってどういうことだよ!」
「私もよく分からん。天界でミヤが指名手配されてるらしい。ルーナの情報だから間違いないは無いだろう」
どういう事だ。ミヤちゃんは天界の魔術を少しだけ使う事が出来る。
海岸での出来事を思い返していた。あれが本当はタブーとされている事だったのだろうか。
ならば何故、それが天界にバレたのだろう。
「……ちなみに、いつの情報?」
「今朝ルーナが帰ってきたんだ。その時に教えてくれた。おそらく既に騎士団は地球で捜索を開始してるだろうな」
地上に出ると、ヘリコプターが一機止まっているのが見えた。
操縦席には飯田さんが座っている。まさか彼がこんな高度な資格を持っているとは思いもしなかった。
ヘリコプターは僕達を乗せ、静岡県へと向かった。
「そうだ! ミヤちゃんに連絡しなきゃ」
幸い今日の午前中は机に向かっての授業だったので、ポケットに携帯が入っていた。
僕はすぐに電話を掛ける。
『もしもし?』
「よかった! ミヤちゃん、今どこ?」
『珍しいね、安藤くんから掛けてくれるなんて。それでどうしたの?』
中々話がかみ合わない。
「だから、今どこにいる? 緊急!」
『今? お風呂から出て扇風機の前にいるよー』
「わかった! すぐに行くから住所教えて!」
『ええっ! そんな……。いくら安藤くんだからって……いきなりそれは……』
ミヤちゃんは何を勘違いしているんだろう。
この大事な時に夫婦漫才をしている場合じゃないというのに。
「と、とにかく住所! ミヤちゃん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど――」
その時、電話の向こうから窓ガラスの割れる音が聞こえた。
「え……。ミヤちゃん? ミヤちゃん!」
『ごめん、ちょっと待ってて!』
――待て、行くな。
その言葉は、彼女には届かない。
「東稜高校のグラウンドに隣接した場所だな」
飯田さんがそう言った。
「な、何で分かったんですか」
「いや、彼女が投稿してる写真に位置情報付いてただけだよ。全く無防備なものだ」
確かに、不特定多数の人間が見るSNSに、ミヤちゃんは写真をアップしまくっている。
彼女は一人暮らしだと言うし、ストーカーの被害に遭わないか心配だ。
……それよりも心配なのが、飯田さんが自動操縦にヘリを任せ、携帯片手に機体を操作していた事なのだが。
ミヤちゃんの家に着くのに、四十分近く掛かった。
ヘリコプターは学校のグラウンドに半ば強引に止め、部活中だった高校生や教員は、僕とサチュリを降ろした機体が飛び去っていくのを、砂が舞う中茫然と見送った。
「ここだ! 舞島って書いてある!」
ミヤちゃんの家のインターホンを鳴らす。
僕は焦っていた。『ちょっと待ってて』と言ってから、彼女が電話に出なかったからだ。
「……突き破るか?」
サチュリがそう提案する。
状況は緊迫している。やむを得んと、僕は彼女に頷いた。
「少しどいてろ」
彼女はそう言って、僕は扉から離れた。
「うおりゃー!」
サチュリは気合を入れながら、扉に突進しようと駆け出した。
それと同時だ。ミヤちゃんが家の扉を開けたのは。
「ごめんなさーい、遅くなっちゃっ――て?」
「あ?」
サチュリはヤバイという表情をしながらも勢いを殺せず、ミヤちゃんと共に家の中へと消えていった。
中々スタイリッシュな訪問を決めたが、僕は安心していた。
――ミヤちゃんは、無事だった。
***
「いやーびっくりしたよ、まさか安藤くん達が来るなんて。……しかも、その安藤くんの目……」
「あー、大丈夫だよ。契約の影響らしいから。
ちょっと魔術が使えるようになったけど、俺は俺のままだよ」
僕がそう言うと、ミヤちゃんは少し曇りかけていた表情を晴らして、ニコリと笑った。
「すごーい。どんな魔術なの?」
ミヤちゃんとサチュリが興味津々にこちらを見るので、見せてあげる事にした。
黒い窓と白い窓、両方を。
「……何か微妙だな」
サチュリからの第一声である。
さすがにティッシュ箱だとインパクトが薄かっただろうか。
「そう? わたしはいいと思うけどなー」
やはりミヤちゃんは優しかった。
「便利そうで」
……たとえそれが、道具のような扱いだとしてもだ。
ミヤちゃんになら道具扱いされても、存在を無碍に扱われ放置されても、許せる。
「そういえば電話してた時、ガラスが割れる音したんだけど、何があった?」
「あー、あれね。野球のボールだよ。柵を越えてうちの二階の窓に当たっちゃったの。それからずっと顧問の先生がぺこぺこしててさぁ、逆に困っちゃうよね」
彼女はその後、付け焼き刃ではあるが窓の補修や片付けをしていたらしい。
ひとまずは、怪我がなくて良かった。
「でもさ、二人して突然どうしたの?」
「…………」
僕はどう本題を切り出せばいいか分からず、黙ってしまう。
とにかくしばらくは彼女の側にいなければならない。
「ミヤちゃんさ、これから数日って何か予定ある?」
「うーん、別にないかなぁ。でもどうして?」
「あのー……アレ。よかったら、俺とデートでもしないかなーって……」
――よし、言った。
ミヤちゃんは両手で口元を押さえ、驚いている。
そして、目に涙を浮かべた。なぜなのか。
もしかして僕とミヤちゃんとの関係は、少し有耶無耶になって無かった事にされてしまったのではないか――そんな不安が脳裏をよぎる。
「み、ミヤちゃん……?」
「ううん、ごめんね……嬉しくて。
わたし、あの時――キスした時に安藤くんに嫌われちゃったのかなって思ってて……」
「……そんな事、あるわけないだろ」
合宿二日目の遊園地デートの時は、心に傷が残る程の大惨事になってしまった。
だから僕はまだ、恋人として彼女を幸せにしていない。
ミヤちゃんの側にいるための口実も兼ねているのでは、という罪悪感もあった。
だけど、命が狙われているという事は、どうしても伝える事が出来なかった。
「……まだ、ミヤちゃんの事、何も知らないし」
そう言うと、ミヤちゃんは頬を林檎のように赤らめた。
「うん……わたしも、安藤くんの事知りたいな……」
「お、おう……」
上目遣いでそう言われて、嬉しくない男は居ないだろう。
互いに赤面し、場には少しばかりの静寂が訪れた。
サチュリが机に出されたスナック菓子を、静かに頬張る音だけが部屋に響く。彼女は頬杖をつきながら、じっとりとした目でこちらを凝視していた。
本当の目的を忘れるな、という事だろう。
「そ、それで……いつ、どこに行きますんですか?」
彼女は僕にそう尋ねた。緊張のあまり言い間違えた事にはすぐに気付き、顔を真っ赤にして俯いている。
「そ、そうだなぁ……」
地元には東京と違って遊ぶところは全然無い。
それに僕は高校時代、女子との接点はほぼ皆無だった。ようするに、思いつかない。
「ミヤちゃんは、どこ行きたい? 俺あまりどこが楽しいかとか分かんないんだよね……」
「えー、安藤くんとならどこ行っても楽しいと思うけどなぁ……」
と、そんな感じで持ちつ持たれつと相談をし、明日の十時に駅で待ち合わせをする事になった。
そしてぶらぶらと歩きながら、映画を観る。
それからの事はその時考えよう、という事に決まった。
計画性が無いのは、昔からの事だ。
楽しみだ。もちろん、本来の目的は絶対に忘れない。
「じゃあ、また明日」
「うん!」
既に日が暮れ始めていたので、ミヤちゃんの両親が帰ってくる前に撤収する事にした。いつまでも家にいては迷惑というものだろう。
「……ちょっと待て」
「え?」
今の殺気に満ちた声はミヤちゃんだろうか。背筋が凍り付いた。
振り返ると、ミヤちゃんはとても眩しい笑顔で尋ねた。
「サチュリちゃん! 今日はどこに泊まるのかな?」
「はぁ? そりゃ……アンドーの――」
「そっか! 今日はうちに泊まるといいよ! ね、遠慮せずに!」
「うわっ、何をする! アンドーたすけ――」
玄関の扉はサチュリの言葉を切って、力強く閉じられる。
彼女はそのまま連れ去られ、僕はそれを茫然と見送った。
その場は静寂に包まれ、まだ夏だというのに少し寒気のする風が路地に吹いていた。
「少し、見回りをするか……」
僕は学校のグラウンドに沿って歩き出す。高校生は未だに部活動をしている。大変だな。
僕はいわゆる帰宅部所属だったが、今思えば彼らの青春は本当に輝かしいと思う。
そんな大切な時期を今は見向きもしないネットゲームに費やしてしまった自分を、酷く悔やんでいる。
それでも大学に入ってから、ほんの一歩進んでみようと思っただけで、人は変われるという事も知った。
今、高校時代の同級生と会えば彼らは驚くかもしれないな。契約を含めた、僕の変化に。
不意に、背後からクラクションが鳴る。
飯田さんだった。ヘリコプターを航空基地に止めて車でここまで来たらしい。
この高校は、航空基地からそこまで遠くない場所にある。それが幸いしたようだ。
「サチュリちゃんは?」
「ミヤちゃんに連れ去られましたよ」
「なるほど、なら安心だな」
僕は車内で、ここまでの経緯を飯田さんに話した。
飯田さんは戦闘能力が無いが、ミヤちゃんの護衛には付き添ってくれるらしい。もちろん、見知らぬ人の素振りをして、である。
「安藤君も疲れてるだろうし、今日は家に帰って休みなよ。僕は車で寝泊まりするから」
「申し訳ない……」
飯田さんは僕を車で送った後、東稜高校まで戻っていった。
まさか本当に、ミヤちゃんに指一本触れさせないがための親衛隊が出来るとは、思わなかった。
そして明日のデート、必ず成功させてみせる。
決意を固め、布団に倒れこむ。夕食もまだだったが、疲労した身体はすぐに意識を落としていった。
そしてまた、あの夢を見る。




