理解の魔術師 - Ⅰ
僕はウォーロックから受け取ったノートパソコンを起動して、ディスプレイに表示されていたアプリケーションを実行した。
プロンプト特有の黒い画面が展開され、接続までの一連のプロセスを視覚的に認識出来るように、ログに白い英文が数行流れ、止まる。
例えば、一番下の行には『Connection Success ! 』――つまりは接続が成功した事を示す文章が表示されている。そう表示されるようにプログラムされているようだ。
時刻は二二時になる五分前だったが、僕は試しに適当な文を打ってみた。
『ウォーロックさーん』
『来たか』
レスポンスはその一言だけだったが、本人が向こうにいる事は確認出来たのでよしとする。
『一応、約束の時間に近づいたので……こんばんわ』
『昨日言い忘れたんだけど長くなりそうだから、必要ならメモの用意をして。印刷はするな、確実に足がつく。あとそのメモも厳重に管理をする事。二度は言わない』
『了解です、準備出来ました』
『じゃあ、早速始めよう』――
彼は《ノア》についての知り得る情報を、話しだした。
『まず国際秘密結社――《ノア》だが、彼らは地球の破滅を知る前から存在する組織だ。
およそ百年前、この世界に一人目の魔界人が転移した。当時の地球人は、彼――ノルド=ヴァンテリルを外界の侵略者だと勘違いしたらしい。
それがキッカケで発足されたのが《ノア》だ。国家機密ならぬ、国際機密を管理、研究する為の組織。
当時はまだ進歩していない技術で、道徳なんてあったモンじゃない、非情な人体実験を繰り返した。
けどある日突然、彼は窓も無く脱出が不可能な被験者牢から姿を消した。監視カメラには眩い光に包まれ一瞬で消える彼の姿が残っていた――と書かれてる』
いそいそとボールペンで内容を書き写していたが、彼のタイピングスピードが速すぎて追いつかない。
そもそも、どこからこんなたくさんの情報を引き出したんだ。ハッキングってそこまで出来るのだろうか。
『ちなみに、この内容はアメリカで運営されている巨大電子掲示板の、陰謀論を書き連ねるスレッドに書かれてるよ』
『え? それってヤバいんじゃ……』
『確かにヤバいな。現在の《ノア》のコンピュータはシステムの構造から独自の開発がされてる。それを一般のコンピュータで誰かがハックしたということ。豆電球を繋げて銀行口座をハッキングするようなもんだよ』
僕が言いたいのは、そっちじゃない。
『人の目に付くところにあっていいの?』
『嘘の羅列のような場所に一つの真実を入れて、一体誰が信じるというんだ』
『確かに……』
「……何、それ」
「ぬおっ!」
不意に、秋夢がソファーの後ろから覗き込みながら声を掛けてきた。
驚き振り返ると、前屈みになった彼女の着ているティーシャツが緩すぎて弛んでいる姿が目に入り、僕はすぐに顔を逸らしてしまう。
お互い同居に慣れたとはいえ、もう少し警戒をして欲しい。そもそも俺は男として見られていないということか。
それはへこむ。
……と考えている間にも、ウォーロックはひとりでにログを埋め尽くしていく。
「ごっごめん、これ極秘の仕事だから」
「……ほーん。どんな……?」
「だから極秘だっつの!」
ここまで説得してようやく秋夢も退いてくれた。彼女はタオルを持っていたし、どうやら浴場へ向かったようだ。
部屋には僕一人だけが残されて、先程よりも静かになった。
ウォーロックにはかなり突き放されており、僕はそれを急いで読み進めた。
『《ノア》が高度な技術を手に入れて、宇宙船にもなる巨大輸送艦を五機も製造出来たのは、ルシフェル様――今の名を、黒崎 神楽が技術を売ったからだ』
「技術を……売った?」
『彼女は“シルギノス”という機械と氷雪の国の女王だ。本名はルシフェル=ディーテ。
天界六神と呼ばれる肩書きを冠する一人で、彼女の機械技術力はよもや魔術を超越している。
今彼女は日本の高校生と脳波――つまり精神を入れ替えて活動してる。
その上で〈アカシア〉と呼ばれる未来予測アーカイブの情報と、地球人の人智では到達し得ない機械技術の一部を売り込み、代わりに《ノア》を統括する権限を得たんだ』
『それってつまり……神楽の中の人が天界人って事?』
『そうだ。彼女だけじゃない。僕やステレコス――というより、ニヴェルヘイムの搭乗員は九五パーセントが天界人だ』
少し合点がいった。商業区のあまりにも普通な接客は、彼らが何らかの事実を知っていたからだ。
もしかしたら戦闘部隊の新規加入者も、やたらと若く見えた子供も、天界人なのかもしれない。
『ステレコスは、天界におけるいわゆる職業紹介会社の異界管轄部のトップだ。彼は天界の若者を雇い、ここで働かせてる。
別に、それ自体は大して悪い事ではないけどね。天界人は普通に地球人に紛れて観光をしているくらいだし。
てか今日はここまでにしておこう。疲れた。
メモ取るの大変だからと言って写真で残すなよ』
たった今、携帯で写真を残す事を考えていた僕は、そのログにギクリとしてしまう。
まるで僕の行動を見ているかのようなタイミングだ。
そっとパソコンに付随したカメラを手で遮る。
するとチャットのログで、おい、と言われた。
「見えてんのか!」
『当たり前だ。下手な事をされたら困るからね』
僕の声まで向こうに届いている。
ユーザーインターフェイスを用意していない、通話アプリケーションのような物でだ。
単純に見えて高度なプログラムが組まれている。
それよりも、秋夢が僕の後ろから顔を覗かせた時、その様子――つまり、はだけた服の中をガン見していたという事になるのではないか。
なんて羨ましい。
『じゃあ、また明日』
ウォーロックの発言に返信をする前に、彼はチャットから去ってしまった。
黒い画面の最下部には『disconnected . 』と書かれていた。
***
翌日、僕は情けない事に秋夢に起こされた。目覚まし時計が鳴らなかったのだ。
というのも、アラームをセットした時計を右腕の中に入れた場合、腕から音は鳴るのかという実験のためである。
大方想像の出来た結果ではあったが、自身の事なので細かな事まで知らねばならないという意識があった。
しかも今朝は悪夢を見た。
風の代わりに炎が吹き荒ぶ地獄のような世界を見下ろす夢。
朧げな光に包まれる少女に手を伸ばすが、その手がすり抜けて何も出来ない夢。
この夢を見た日は決まって頭痛が酷い。
いつの間にか治っているので気にしてはいないが、下手をすると訓練に支障が出る。
時間的に余裕があったのは、いつも寝落ちするまでネットゲームをしているにも関わらず、起きるのがやたらと早い秋夢のおかげだった。
僕は時計をソファーの上にポンと放ち、そそくさと支度をした。
今日の午前中は、訓練ではなくひたすら外国語の授業だ。
格納庫の一角にある会議室の机を並び替えて教室のように変え、ウィリアムが教員となり二十名程度の隊員に、今はロシア語を叩き込んでいる。
《ノア》では時折、別の艦体へと出張要請が出る。
その際、各艦で決められた国の言葉か、もしくは英語を使って会話しなければならないらしい。
最初は覚えきれるか不安さもあったものの、契約によって脳も活性化されるようで、意外にもスムーズに習得出来た。
それでも復習を怠る事は無かった。これはある意味自分の学習に対する癖だ。
「安藤隊員! 集中しろ!」
「す、すみません……」
「どうした! 体調が悪いのか!」
周囲の者も心配そうにこちらを見る。
あまり弱音を吐きたくないが、授業への取り組みが困難な程に、頭痛が酷くなりつつあった。
目を瞑りこめかみを抑えるが、容態は微塵にも良くならない。
「すみません……。少し……顔を洗ってきます」
恐々とそう告げ、席を立つが足元がおぼつかない。
いつの間にこんなに深刻な状態になっていたのか――と考えつつ、僕は床に倒れ伏した。
「おい! 大丈夫か?」
周囲のざわめきと、ウィリアムの声が聞こえる。
意識はハッキリとしていたが、身体が動かない。
『……大体の事は理解した』
『ふむ、ならば妾が行くとするかの』
頭の中に誰かの会話が響く。
「誰……だ?」
「安藤隊員! 意識は確かか! おい、誰か手伝え! 医務室に運ぶ!」
これはウィリアムの声だ。僕の身体が宙に浮かぶ。担架に乗せられたようだ。
『気を付けて……。敵を侮らないことよ、彼らは昔よりずっと強くなっている』
『分かっとるわい、しかし楽しみじゃな。彼らはどんな文明を築いたのかの』
意識を会話に集中させると、徐々に世界が切り替わる。
それまで見えていたはずの天井が、やがて果てない宇宙へと変わり――、とうとう僕の意識は別の場所へと転移した。
「誰だよ……誰なんだよ! お前ら!」
それはどこかで見た地獄の風景だった。
そこには赤い髪をした少女がいて、地上は業火が吹き荒ぶ。
ただ、夢とは違う事があった。
もう一人、少女がいたのだ。
燻んだ灰色の髪に黄金の眼を備え、まるで聖女のような服装をした少女。
そしてその場に渦巻いていたのは、夢では感じる事の無かった、底知れぬ恐怖である。
神の首すらも刈り取らんとするその力に圧倒されて、僕はその場に動けない。
だが彼女達は、意外な事に驚いた眼差しをこちらに向けている。
『……おい、アルカ。この男は、何じゃ?』
『分からない。サチュリ=レクシリアの契約者だね。でも彼は地界にいる』
『……面白い。しかも“オラシオン”じゃないか。興味深いぞ!
予定を変えよう、アルカよ。――この男に、会ってみたい』
『構わないけど、それこそ彼らの腹の中よ』
不思議と言葉の意味は分かった。
だけど彼らは、何を話しているんだ。僕に会ってみたいとは、どういう事だ。彼らって誰だ。
僕が混乱する中、アルカと呼ばれる赤髪の少女は魔術の詠唱を始める。
名も知れぬ聖女のもとに光が集まり、彼女を包む。
――やめろ。
本能がそう言った。しかし僕は動けない。
「やめろォォォ!」
手を伸ばすが、それは虚空を掴み――僕は床に落下した。
戻って来た。医務室だ。
頭痛も綺麗さっぱりなくなっている。
「安藤隊員! 大丈夫か!」
「え、ええ……」
「……? 心配したんだぞ、担架で運ぶ最中、眼を開きながら唸りだすんだからな……」
それは確かに怖い。
しかし僕は今、もっと怖いものを見た。
そしてそれが、確かなのならば――
「……来る」
「は? 来るって一体何――」
ウィリアムの言葉を切るようにして、艦体全域に尋常ではない衝撃波が襲いかかる。
《ノア》の者は、この現象を知っていた。だからこそ、困惑していた。
――転移震動が『ニヴェルヘイム』艦内で、発生した。




