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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第二章 - 僕達が生きる世界
22/75

琥珀金の宮殿 - Ⅱ

 天界の中で最も都市化が進み、機械技術の最先端を常に進む王国『シルギノス』――。

 この国では無許可に魔術を利用することを法律で禁止されている。高層のビルが所狭しと立ち並び、人々の移動手段は、全て飛行能力を得ている。

 もちろん、飛行する力があるとは言っても、自由に飛べるわけではなく、厳重な交通のルールの下、その革新的な技術は普及しているのだ。

 ゆえに、信号機や人々が日常的に利用する店、ないしはその駐車場の入口が建物の中層部に侵入する形で設置されていることなど、もはや当たり前のことになっており、その技術力――全ての根源の設計をした“相剋の神”、ルシフェル=ディーテは世界の常識を既に超えているとすら言われている。


 ただ、一つ短所を挙げるとするならば、その土地の寒さだろうか。

 天界の空に浮かぶ人工大陸は、全天・ウラノスの魔法によって気候が一括で管理されている。

 ゆえに本来、氷点下に及ぶ程の高所にある国々も快適な環境を保てているのだが、『シルギノス』の環境はルシフェルが女王になった日に壊された。

 高度な機械技術は代償として膨大な熱を生み、彼女にとっての大きな弊害となっていたのだ。

 当時はその天変地異のような環境の変化に世界の経済が混乱に陥ったが、今や『シルギノス』は“極寒の国”として観光地になっている。機械を学ぼうと多くの若者が集まり、やがて学園都市が形成されるなど、国の発展は未だとどまる事を知らない。



 ルシフェルは王国の中枢に位置する、世界各国の都市間を繋ぐ列車の駅へと来ていた。

 一国の女王が一人で歩いているのだ。道行く人々は驚きながらルシフェルに進路を譲る。挨拶をする者もいた。

 これが地球ならば、陰謀を企む者が暗殺を計画したりもするのだろう。

 しかし彼女は、世界人口百十億の中から選ばれた六人――六神(ろくじん)と呼ばれる――のうちの一人である。たとえ気づかれない場所からの射撃であろうとも、そんな人物を殺すことは不可能だ。

 そもそも、天界には概念ではなく具象としての“地獄”が実在している。

 そんな中で“神殺し”という大罪を起こそうとする者は、よほどの物好きか、気の触れた者だけだろう。


 ルシフェルも、なりたくて国王になったわけではない。その極端すぎる技術力と、思想が買われ、先代の国王に気に入られただけである。

 ゆえに人々からのこういった扱いは居心地の良い物ではなかった。『普通に接してくれればいいのに』と常々思っている。

 駅には改札口のような物はあるが、切符を買うような作業は必要がない。

 ゲートを通るだけでその人物の指紋、虹彩――人体にあらかじめ設計されたあらゆる情報と、それに紐づけられた個人情報を照合される。

 何かしらの問題を起こしてブラックリストに登録された者は、国を跨ぐことすらできない。


 ルシフェルは司法の国『ミナシオン』行きの列車に乗った。床面も窓のように外側が見られる構造になっており、全体的に明るい雰囲気のある列車だが、発進して人工大陸を出てしまえば、窓の外を覗いてもその目に映るのは空のみである。

 人工大陸を繋ぐ、半透明のチューブ状をした電磁式長距離トンネル。

 そしてそこを通行する“反重力式浮動列車”。

 総称して〈ビヴロスト〉と呼ばれているそれの発明、設計を行ったのはルシフェル本人である。

 彼女の知能は、常人の叡智を超えているとすら言われている程だ。


 床窓からは、時折薄っすらと大地が見えるが、人々にとってそこは“地獄”だ。本来それは美しいものであるはずなのに、誰もがその発見を嘆くのだ。子供が見れば、親はそれを止めようとするし、大人が見れば、何も見てないかのように目を逸らす。

 いわばこれは、文化に対する洗脳だ。


「……どうかしてるわね」


 ルシフェルは窓の外を見つめながら、独りそんなことを呟いていた。


 星を半周してしまうほどの距離だったが『ミナシオン』へは六時間ほどで到着した。

 『ミナシオン』は他国とは違い、一つの人工大陸を一つの国が統治している。

 各地に世界的に重要な施設が存在する、“全天の神(ウラノス)”が収める秩序の国。

 彼の者に会ったことがある者は一人もいない。しかし、必ずそれはそこにいる――。

 “ウラノス”は、天界を創造した絶対的な存在だ。この“ウラノス”という名も彼の者が自ら名乗っただけであり、それが本名なのか、それ以前に男なのか女なのか――喋り方は女なのだが――、それすら定かではない。

 その者は世界の外側から人々を観ている。ルシフェルにはそんな確信があった。


 そんな『ミナシオン』の遥か上空――大気の層を突き破り、暗くどこまでも深い宇宙(そら)の一点に、“琥珀金(エリオス)”と呼ばれる特殊な金属で造られた、黄金に輝く宮殿がある。

 星と神殿を繋ぐのは、ルシフェルの設計した〈ビヴロスト〉なのだが、それに限り通行するのは列車ではなくエレベーターだ。

 電磁トンネル内はある種の隔離された空間であり、その内部には酸素が行き渡っているだけでなく、引力による影響も制御出来る。人為的に作られた電磁の膜は、宮殿にも利用されており、内部では窒息することなく行動が出来るようになっているのだ。


 反重力エレベーターの乗降口まで来たルシフェルは、黒いスーツ姿の二人に止められた。


「この先は権利者以外の立ち入りを禁止されております。見たところ『シルギノス』のルシフェル女王様と見受けられますが、念のため本人の確認が出来る物を提示願います」


 一人の男が言った。

 これは王に対する無礼でもなく、当然のことだろう。魔術を使ってしまえば本人のなりすましなど簡単に出来てしまうからだ。


「ええ。これでいいかしら」


 そういってルシフェルは目の前に手を伸ばす。手のひらから一本の棒状の金属が現れ、花のように開き、軽い音を立てながら彼女の腕を飲み込んでいく。彼女の右肩から指の先までを、銀色に輝く機械の装甲が包み込んだ。それはものの三秒も掛からぬ、一瞬の出来事だった。

 黒いドレスを纏った麗しい女性から伸びる、機械仕掛けの異質な腕に、門番の二人は息を飲む。

 そしてその腕からは光が零れ、彼らの目の前にホログラムを映し出す。そこにはルシフェル自身の個人データが映っていた。


「ありがとうございます。どうぞお進みください。既に他の方々も揃っております」

「……ええ」


 エレベーターは長い時間をかけて、地上(・・)から二千キロメートルほど離れた宮殿へと向かう。その癖、軌道は一本しか敷かれていない。ゆえに時間厳守なのは当然のことである。

 ちなみにルシフェルは三十分ほど遅刻していた。


 乗降口の門を潜ると、景色が一変した。

 それまで『シルギノス』程ではないとはいえ、都会のような街並の広がる窮屈な場所にいたはずだった。

 しかし突然に世界は広がり、暖かい日の光が差し込む緑の庭園へと来ていた。青い空の果てには積乱雲が浮かんでいる。

 向こう側に見える白い石の建物が軌道エレベータの入口であり、そこまでは緑のアーチの続く通路が伸びている。

 蝶や蜻蛉が周囲を舞い、国王の凱旋を歓迎しているかのようにも感じさせるが、ルシフェルはそれどころではなかった。

 意図したものかはわからない。しかし、通路の向こう側から漏れ出してくる圧力は、常人のそれではない。警備の者を配備していたのは、正しい判断だ。一般の人々が触れれば一瞬で気を失う――それで済めばいい話だが――あるいは、自我が崩壊してしまうだろう。


 白い石で造られた小さな神殿に入った瞬間、再び景色は変わる。

 そこは無機質な機械の部屋だった。そこには、ルシフェルの他に四人の“神と呼ばれる者”達が集っていた。

 四人の視線がルシフェルに集中する。空気がコンクリートの塊のように重い。

 ルシフェルはその場凌ぎに「どうも」と言い視線を逸らした。真っ当に向かい合えば圧倒されかねないほどに、彼らから発せられる魔力は常人のそれではなかった。

 ルシフェルはその技術力、そしてそれを生み出す発想力を除けば一般の女性と変わらない。彼女を唯一支えるのは、立場が彼らと対等だという事実に対する安心感だけだ。

 ゆえに彼女は目の前にいる者が、同じ天界人のようには見えなかった。


「やっと来たか、久し振りだな“機械の王”! だが遅刻だぞ、みんなどれだけ待っていたと思うんだ?」


 はじめに声を掛けてきたのは、“無限の神”を自称する“増幅”の魔術師――アレク=マールシュピールだった。

 二十一という若さにして、世界的な宗教の教皇の座に就いた彼は、それに似つかわしくない金髪を備え、荘厳な白い祭服を纏っている。

 ルシフェルが最後に彼と会ったのは三年前であり、六神の中では最も話しやすく、親しみのある相手だった。


「……つい先日まで“アース”に居たからね。まだ時差ボケが治ってないのよ」


 勿論これは、適当に流すための嘘である。 どちらにしろ遅刻したことに理由などなく、ただゆっくり向かっていたら遅れただけなので、ルシフェルは他の神にも聞こえるような声量で、そう答えておいた。


「まだあんな無能な種の介護をしているのか。君の力を持ってすれば、アースを支配するなぞ三日もかからぬことだろう」


 アレクのいかにもわざとらしい言い方に、ルシフェルは苛立ちを感じた。しかし、決してそれは表に出さない。出してしまえば、それは彼の思う壷になってしまうからだ。

 まるで、自身の宗派が崇拝する神に祈りを捧げるような素振りを見せる彼だが、ルシフェルは知っている。

 彼が、神なんぞこれっぽっちも信じていないことを。

 そもそも、この世界には神が実在する。

 その神を放っておいて、架空の偶像を崇拝するなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 彼にとって信者とは、ある種の金蔓にしか過ぎないのだろう。


「彼らにだって力が無いわけではないわよ。自らの住む場所を滅ぼしてしまうほどの破壊力を持った攻撃を、やけになって撃たれても困るじゃない」

「ふっ、確かにそうだな。計画とは慎重に行わねばならないものだ」

「それより、そっちの掃除はどうなのよ」

「あぁそうなんだよ聞いてくれよ。どうも、やたらとしぶとい魔法使いがいるようでね……。こちらはもう十年も拮抗状態だ。この美しい黄金に輝く万物霊(エーテル)をこうも凌ぐとは、並の魔術師ではないだろうな。……やれやれ、困ったものだ。何時まで待てば計画が進むのやら」


 万物霊(エーテル)は無色の魔法元素だ。ゆえに、黄金に輝くことはない。使用者の力に合わせて変色を起こす事があるようだが、彼の魔術は、それの知識に乏しいルシフェルから見ても、金に輝く程綺麗なものでは無かった。

 彼は、“増幅”の魔術師だ。一の魔力を使って、万物霊(エーテル)を倍加、つまりは増殖させる。倍の魔力を使えば、四倍。その倍の魔力を使えば十六倍。

 万物霊(エーテル)を強引に引き千切って再生させているようなものだ。

 しかもその魔術を、異国への攻撃手段として用いているのだ。

 一体、そのような力を誰が美しいと言うのだろう。


「つまり、今のアンタは一般人も同然ってことかしらね」

「おいおいやめてくれよ、確かに今は魔術式の維持に手一杯だが、少し機械が得意な女性を殺すくらいの力はあるんだぜ?」

「……へぇ、なんなら試してみるかしら? 新兵器のテストをしたかったところなのよね」


 二人の間に、殺意の渦が生じ始めた。

 他の三人の神は、どうでもいいと言わんばかりに席に着いて黙っている。


『あら、揃ったようね』


 その時、室内に機械の声が響いた。

 互いにぶつかり合っていた殺意は、同時にその声の方向へと流れを変える。

 そこに居た五人の神すべてが、一つの物体に目を向けた。


『ようこそ、世界でたった一つの宇宙(ソラ)への道、超高軌道エレベーター〈アステル〉へ――』


 それは、はじめからそこに居たとも言えるし、居なかったとも言える。

 なぜなら、それは世界そのものだからである。

 天界六神の一人であり、それを統べる唯一無二の存在――。

 “全天の神”ウラノスが、其処に居た。



 ***




 その姿は、何処から投影してるかも判らないホログラムで映し出されていた。

 それは巨大な白い翼を携え、白いローブを着た美しい女性だった。その姿を一言で言うならば、天使だ。

 映像(ホログラム)だというのに上品な動作や笑みを浮かべた表情まで、滑らかに映されるその影は、もはや電気と光で出来た一つの生命のようである。

 この場にいる者全員が、幻覚を見ているような感覚に包まれた。



『ああ、そのまま座っていて結構です。私は別の場所にいますので、ずっと立っていますが――私達は対等でしょう? これからこのエレベーターは琥珀金(エリオス)の宮殿まで向かいます。目的は、一人の罪人の審判。時間が余りましたら、その後はある程度自由にしてくれて構いません。食事も用意しておりますので、どうぞごゆっくり……』


 ウラノスは、微笑みながら皆にそう告げた。

 琥珀金(エリオス)の宮殿へ行くことなど、滅多に無い。極稀に現れる大罪人の審判か、あるいは新たに“神”の名を賜った者との親睦会――といったところだろう。

 “刃神”と呼ばれる、ルーナが最も新参の者なのだが、彼女がその立場になるまでは、ルシフェル達は五神と呼ばれていた。


「これはこれは全天の女神よ、今日もお美しい。しかしなぜ何時までも偽りの身体で現れるのかな? 我々にくらい真の姿を見せてくれてもいいのではないか?」


 アレクが目の前の天使に問いかける。

 彼はウラノスを最も嫌っている。仕事柄そうなのは当然の事だが、それ以前に彼は全天の座を狙っているのだ。

 世界を構築した神が死ねばその世界は一瞬で終焉を告げ、新たな神が世界を再構築するまで虚無の空間を堕ち続ける。それまで生きていた生物が、引き続き生き続けるかは、新たな神の選択次第である。

 しかしウラノスは、これまで誰の前にも姿を現したことがない。その美しい姿は、意図的に造られたものであり、彼女――あるいは彼本来の姿ではないのだ。

 ゆえにアレクは、表には出さないが苛立ちを覚えていた。


『そうね……。確かに貴方達と等しい場で会うことが出来ないのは、申し訳なく思います。ですが――』

 その後、ウラノスが放った言葉は、導火線に火をつけるという過程をすっ飛ばして、アレクの怒りを爆発させる。

『ですが、会えないということはつまり、まだ貴方達が私のいる“神域”へと到達するほどの力を、持っていないということになりますね』


 微笑みながら、ウラノスは、他の五人の神に向けてそう放った。

 その瞬間、ウラノスの居た場所が大きな爆発音と共に吹き飛んでいた。

 大きく揺れるエレベーター。素材に特殊な耐魔処理が施されていなければ、五人の神は空に放り出されていたことだろう。


『あらあら、乱暴な事はおやめ下さいね。魔術に対する処理は完璧でも、それに伴う発熱に対しての処理はそこまで完全ではありませんよ? あなた方が総出で暴れ出したら、どうなることやら……』

「くく、くふふはッ! いやはや本当に、舐められたものだ……」


 アレクは人の話を聞かず、間髪入れずに極限まで圧縮された魔弾を三発ほど撃ち出した。それはウラノスの身体をすり抜け――その向こう側で静かに座っていた少女に、直撃したように見えた。

 再び爆発に包まれる狭いエレベーター。それぞれがそれぞれの力でそれを凌いでいた。


『これでは排煙処理が間に合いませんね……』


 ウラノスは溜息交じりに呟いた。


「……少し静かにしなよ、アレク」

「はァ?」


 背後からの声にアレクは振り向くと、魔弾が直撃したと思われた虚ろな目をした少女が、静かにそこに座っていた。

 確かにその少女は、アレクの放った魔術の弾道上に居たはずである。どういった仕掛けかはルシフェルにはわからない。

 しかし、その少女はその現実(けっか)を捻じ曲げた。


「短気だね」

「うるせェな不老不死のクソガキが……」

「いや、不死は違う。私は銃弾を受ければ死ぬ。ナイフを刺されても死ぬし、毒を盛られても死ぬよ……」

「その可能性が軒並み死滅するんだから不死も同然だろう……」

「……どちらかといえば、そこにいるバルドの方が、不死には近い」


 少女の指す先には、百獣の王のような髪型をした、寡黙な男が佇んでいた。

 バルド=ミストルソール――この世界で、人々から最も畏怖される、地獄の番人と呼ばれる男。

 その呼び名とは裏腹に、その雰囲気は日差しのように暖かい優しさに包まれていた。


「ああ……“(クソ)の神”か。久し振りすぎて忘れていたよ……。そもそも此処に来て一言でも喋ってたか? お前は、空気か?」

「…………」


 その男は、一言も口を開くことはなかった。ただ、アレクを静かに睨んでいるだけだった。


「……興醒めだ。お前達はおかしいとは思わないのか? 実在すると言われる神様がたった一度も姿を見せない。なんてバカバカしい!」

『まぁまぁ、久し振りに集まったんですから、仲良くしましょうね。もうすぐ宮殿へ到着いたしますから』


 ウラノスの言った通り、エレベーターは徐々に減速をし、やがて停止した。

 窓の外には、広大な宇宙が広がっている。

 一切の衝撃もなく、大気圏外へとルシフェル達は移動していた。

 全てが金色に輝き、広大な宇宙にポツリと浮かぶ巨大な宮殿に彼女達は足を踏み入れた。



 ***



 中に入ると、エントランスにぶら下がった巨大なシャンデリアが、自動で火を灯す。

 そこは、柔らかく赤い絨毯の敷き詰められた部屋だった。奥には二階へ続く階段が二本、向かい合うように曲線を描いている。


「まるで屋敷ね……」


 ルシフェルは無意識のうちに呟いていた。

 いつか、自分の城もこんな風にしたいと考えていると、

『元々私の家ですからねえ』

 と、ウラノスが自慢気に告げた。


『二階は皆さんの待合室として用意しております。開廷は、館内の時間にて四時間後。時間になりましたら、再びこのエントランスにお集まり下さいね』


 ウラノスはそう言うと、まるでテレビの電源を落としたかのように、ふっと消えていった。

 肩に掛かる圧力が一気に消えた気がしたのは、そこに残された五人の神、全員が思ったことである。


 ルーナは二階に行かず、別の扉に手を伸ばしていた。


「……ちょっと刃神(はじん)様? どこにいくのかしら」

「……少し、気晴らしへ」


 ルシフェルの問いにそう答え、ルーナは部屋を出て行った。

 ルシフェルも部屋ですることなど特に無かったため、ルーナの後についていくことにした。


 宮殿に入って左側の扉を潜ると、一本の通路に出る。左手は巨大な窓が並び、宇宙と自分達の住まう天界が望める。


「監視でしょうか?」

「……いや、そういうわけではないけど……。あんた、何やってんの」


 ルーナはあろうことか、廊下にある部屋の扉を手当たり次第に覗いていた。

 しかも、開けた扉は閉めたり閉めなかったり、突然タンスの中身を漁ったりと、ルシフェルにとっては家に招き入れたくないような行動を取っている。

 そのうち、壺を担いでぶん投げるのではなかろうか――そう考えた矢先、ルーナは口を開く。


「私が“神の名”をウラノス様から賜った時、こう言われたのです。『あなたの剣で斬れないものはない、世界はいずれ塗り変わる、その時それが正しくないと思ったら、あなたは世界を切り裂く刃になれ――』と。

 妙な話ですよね。少なくともそれまでいた五人の神は、それぞれ己の世界を創造するために神から機会を与えられたのですから。

 私にはそういった野望もなければ、今のこの世界に満足してすらいる。だとしたら、この冠位を賜る条件とは何なんでしょうか」

「……別に、神なんて肩書きは世界が決めた記号みたいなモンじゃない。元々そんなものどうでもいいわよ。

 ただ、私の考えとしては、ウラノスは私達を恐れているんでしょうね」

「……恐れている?」

「そ。私が神だったら、自身の立場を脅かす者は先に手駒にしておくからね。他の人らもそういうもんでしょ」


 会話をしている最中でも、ルーナは問答無用に各部屋を物色していた。質問に答えてもらっていないルシフェルにとっては、中々腹の立つ行動である。しかし、それは表には出さない。


「――あと、私も初めてウラノスに会った時、言われた言葉があるわ。『あなたは神域に最も近い人物だ。故に世界を見ろ、全てを感じ、塗り替えるべきのみを塗り替えろ』ってね。

 あ、もちろんこんな命令口調じゃないわよ。でも、そん時まだ私十五歳よ。今のあんたより若いじゃない。そんな難しい言葉の羅列がわかるかっつーの」


 ルシフェルのその言葉を聞いて、ルーナは手を止めていた。


「――それはつまり、いずれ貴方を斬るということになるのでしょうかね」


 ルーナは物悲しげに、ルシフェルとは顔を合わせずにそう呟いた。


「今あんたの喉をぶち抜いてやりましょうか? 私の思想があんたにとって正しくなかったらの話でしょ。余計な事は考えなくていいのよ」

「……そうですね。――ルシフェル様」

「何よ、改まって……」

「私達、六神は何のために生まれ、この世界に生きているのでしょうか……」

「はぁ……めんどくさ。今言ったでしょ、余計な事は考えるなっつーの」


 仲が良いとは言えないにしろ、これまで均衡を保ってきた六神の関係も、近いうちに崩壊するのかもしれない。

 いずれ大きな戦いが起き、誰かが死に、誰かが生き残る。それに対する然るべき準備が必要かもしれない――ルシフェルはそんなことを考えていた。


 廊下を抜けた先は、冷たい風の吹く牢獄のような場所だった。建物で言えばちょうど入口の正反対に位置するだろうか。その扉を開いた瞬間、高貴に満ち溢れた空間は終わりを告げ、錆びた鉄の臭いと冷たさに包まれた固く狭苦しい場所にルシフェル達は入り込んでいた。


「ここにこんな場所があるなんてね……。よくウラノスは止めてこないわね」


 少し進んだ後、ルーナが何かを見つけたかのようにその歩みを止める。そして静かに「見つけた」と呟いた。その先には、毛布を纏い壁に寄りかかって眠る大罪人――シェミルの姿があった。


「あんた、人探すのに部屋のタンス開いてたの? ――ってあら?」


 ルシフェルは、その顔に見覚えがあった。

 記憶を辿り、遊園地での魔界人捕獲任務を思い出す。

 任務終了後、対象のパターン分析のために園内に設置された監視カメラを確認していた時、この女性が映っていたことをルシフェルは思い出していた。

 園内の全ての人間を魔術で眠らせ、ある種の事実改変を起こした“魔装”持ちの天界人だ。


「この子だったかー。そりゃ、六神裁判にもかけられるわね」

「……? シェミルと知り合いなんですか?」

「あ、ええ? そ、そうじゃなくて、一方的に知っているだけよ。そもそも魔装(インブレイズ)を発動出来るヒトなんてこの世界に千人いるかいないかでしょっ?」


 ルシフェルは焦っていた。自身が肉体を変えて、地球を機械技術の実験台にしていることや、未来の地球で起こり得る事象を常に計算し、ある程度の生物の生死を予測出来る宝具〈アカシア〉の演算結果を、社会を陰から牛耳る要人達に売っている事が知れれば、大罪どころでは済まされない話になる。


「なるほど、そうですか」


 ルーナがそれ以上言及してこなかったのが、ルシフェルにとってどれだけ救いになったことだろうか。


「よ、ようするに。とうとうバレちゃったってことね」

「ええ。〈アカシア〉の情報を、親しい人に流していたようです」

「はァ? それって、八十年後のことも――」


 〈アカシア〉の演算結果は、常に変化を伴う。本来それは不変であり“運命”と言い換えても差し支えのないものだ。しかし、演算に用いられるのは地球上の生物のみである。

 地球には、確認出来るだけでも十数年前から、異界の者が転移している。

 彼らの些細な行動が、計算結果――起こり得る事象に甚大な変化をもたらしてしまうこともあった。


 しかし、魔界人がどんな行動を起こそうとも、変わらない未来があった。

 ――八十年後に、地球が消えるのである。

 これは計算上では事実とされる、比喩でもない事象だった。

 僅かな時差もなく、地球上の生物が纏めて死ぬ――あるいは、消滅をする。

 〈アカシア〉は無慈悲にも、そう告げていた。


「いいえ、彼女は一人の少年の未来だけを、その友人に教えていたようです。二人の恋を、成就させるためだけにね」

「……うわぁ、なんていうか……メルヘンね」

「確かに大罪としては馬鹿馬鹿しいですね。ですが彼女の眼に後悔の念は宿っていませんでしたよ。その潔さは、私達も見習うべきものだと思います」

「ふーん……。てか、あんたはこの子に用があったんじゃないの?」

「ええ……。ですが、緊張のあまり眠っているようですし、それを済ませるのは後でもいいので。戻りましょうか」


 ルーナはその場を後にした。ルシフェルも一度シェミルの寝顔を牢屋の外から眺め、その後についた。

 ルーナは来た方とは逆の方向からエントランスに戻ったのだが、その間も各部屋の扉やタンスを隅々まで開けていた。

 そのルーナの目は、なぜかルシフェルには輝いて見えたので、何をしているのかを問うのはやめることにした。


 館内に響く鐘の音――。

 裁判の開廷時間になると同時に、曲線を描く階段の間にある重々しい扉が音を立てながら開く。

 シェミルはこれから、神々による審判を受けることになる――。

文章中に変なトコあったら教えてくださ。

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