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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第二章 - 僕達が生きる世界
20/75

ニコンとノウム - Ⅲ

『アンタ、そんなトコで何してんの?』


 雪が降り積もる路上の端で一人の少女が、少年に問いかけた。

 それは単純な興味本位だった。

 いつまでも続いていくと錯覚するような、家庭教師を雇った家での勉強。

 ほとほと窮屈だと感じていた少女は、とうとう窓からの脱出を試みる。柔らかい芝生に尻餅を付いたが、積もった雪がクッションになったこともあり、見事にそれは成功した。こっそりと玄関から傘を取り、外の世界へと歩みを進めた。

 行く宛てもなく適当にふらついている時、彼女はその痩せ細り俯いた少年を見かけた。


 深くフードを被った少年は静かに顔を上げ、そして少女の品のある格好を見て驚いたように立ち上がる。


『も、申し訳――うおっ!』


 ――そしてそのまま、足を滑らせ尻餅を付いた。

 少女は、その街では有数の名のある貴族の一人だった。突然そんな人が声を掛けるのだから、驚くのも無理はない。


『……大丈夫? 別にそのままでいいわよ。

 それで、こんな所で何してんのよ』


 だがその少女は、そういった身分による格差に興味は無く、かえってその制度に疑問を感じていた。


『え、えっと……。出稼ぎ……です』


 少年はフードに積もった雪を払い、それを脱いで答えた。確かに少年の懐には小袋がぶら下がっている。硬貨を入れるものなのだろうが、それはただの布としての役目しか果たしていないようだった。

 それ以外には何も見当たらない。


『何して稼いでるのよ? そもそもお客さんいないじゃない』

『その、回復業と言いますか……』


 それを聞いた少女は、少年に疑いの眼差しを向けた。

 この世界――魔界(ネビュレスト)には、“魔術業”と呼ばれる大雑把な職業区分がある。

 いわば、魔法使いだ。ある者は土の魔術で設計通りに建造物を建てたり、またある者は風や水の魔術で火災を止めたりなど、それぞれ人によって出来ることが違って、適正がある人は体力の代わりに魔力を使った労働が出来るということだ。


 だが魔界(ネビュレスト)には他者を治癒させる魔術は存在しない(・・・・・)

 医療の補助として魔術を扱うことはあれど、直接的に治療する手段はない。

 ゆえに、少女は少年が嘘を言っているように見えた。両親からも散々に「他人は先ず疑え」と教えられていたため、なおさらである。


『――ふーん、で、いくらなの?』

『え、やるんですか? そもそも疲れてますか?』


 少女は面白半分にその魔術を受けてみることにした。

 値段は想像していたよりもずっと安かったし、脱走という初の体験から心が躍っていたこともあっただろう。

 両親に言ったら顔面真っ青になることは予想が出来たが、それは彼女の好奇心には遠く及ばぬ、些細なことだった。


『じゃあ……。――リヴァーライズ』


 少年は少女の手を握り、魔術を発動する。

 見た目には何の変化もない。水も流れなければ炎も点かない(点いたら困るが)。

 やっぱり嘘か――と、文句を言おうとした矢先に、変化は訪れた。

 肩や腰のあたりが温かくなったと思ったら、身体が急激に軽くなった。

 体重が減ったのではないかと思ったくらいだ。

 ――少年は、少女の身体的疲労を打ち消した。


『……す』

『す?』

『すっごいっ! 本当に回復した! こんなの教本には書いてなかったわ! あなたは天才よ!』


 少女は大はしゃぎで少年のか細い手を振り回す。


『そ、それは……、お気に召したようで……ありがとうございます』


 少年は、自身の知り得る精一杯の作法で、少女に礼をする。それはとてもじゃないが貴族社会では通用しない、ぎこちなく間違ったものだったが、少女はとても喜んだ。


『あたしはニコン! ニコン=サーニャよ! あなたは?』

『へ……? ノウム=サヴァルシャード、です』


 その後、彼らはあっという間に仲良くなった。

 身分という壁は彼らの間には存在せず、それは社会の本来在るべき姿を映しているようだった。

 しかし、幸福と呼べるその時間は数年で終わりを迎えることになる。


 ――風で吹き飛ばされる砂のように切り替わる映像。


 それ(・・)は、唐突に訪れた。

 雪が多いと言われていた国のそれを全て溶き流し、徐々に天地を焼き喰らう光の炎――。

 瞬く間に訪れた永遠の夜――。

 そして、洪水のように転移してくる人、人、人――。

 つい先日まで、格差はあれど平和と呼ぶことが出来た世界は、僅か一晩で狂気に満ちた物へと豹変した。


 助けを求めて叫んでも、手を差し伸べる者はいない。


 ――その先に、進むな。頼むから、その先の映像を見せるな。


 そう叫んでも、その映像は容赦なく切り替わる。


 目の前には、狂人に火を放たれ炎に包まれる我が家があった。

 目を凝らすと、両親がいて……。手を伸ばしても、届かない。それどころか、その景色は徐々に離れていき、最後に見えたのは、崩れていく家だった。



 ***



「――――ぁぁぁああッ!」


 ニコンは飛び上がるように目を覚ました。

 全身を流れる滝のような汗を不快に感じながら、周囲の状況を確認した。

 そこは見知らぬ部屋で、誰の物かもわからない――しかしサイズはあっている寝間着を着せられていた。

 窓は網戸だけ閉められた状態で、吹き抜ける風が橙色のカーテンを揺らしている。

 誰かの家であることはわかった。しかし何故自身がそこにいるのか、わからない。


 ニコンは記憶を遡り、そして思い出した。

 先ほどの戦いを。ノウムの暴走を、止められなかったことを。

 気を失っていたにも関わらず、あのような悪夢にうなされるとは思ってもみなかった。

 壁に掛けられた時計を見ると、既に二十時を過ぎている。丸一日眠っていたということだ。


「行かなきゃ……」


 誰に向けて言ったわけでもなく、呟いた。契約者(アルカマル)であるノウムのいる方角は、感覚的に分かる。身体は重いし、お腹も空いていたが、それが霞むほどにノウムは大切な人だった。

 部屋の扉を静かに開くと、電球の眩しい光が視界を遮ったが、おかげで完全に目を覚ますことが出来た。


 下階からは、テレビの音が聞こえてくる。

 階段を降りようとしたところで、三、四歳くらいに見える小さい子と遭遇した。

 その少女は、恐ろしい人を見る目でニコンを見ていた。桜色に染めた髪のせいだということはすぐにわかった。伸びてくる髪も染まってくれればいいのだが、現実はそこまで甘くなく頭頂部は白くなっている。

 それまで眠っていたので髪はグシャグシャだし、髪留めも着けていないのでその姿はまるで化け物である。


「こ、こんばんは!」


 極力怖がらせないように、ニコンはその少女に挨拶をした。


「…………!」


 結果、無視された。

 少女は上の階に用があったはずなのに、踵を返し下階へ逃げていった。

 そして今度は、大きな足音と共にその少女の父親かと思わしき人物が駆け上がってきた。

 ニコンの隊の中では(・・・)真面目な、青年の隊員である。


「あら……」


 普段から武装した姿しか見ていなかったニコンは、名前を思い出すのに少しばかり時間がかかった。


「目を覚ましましたか! ニコン隊長! お身体は大丈夫ですか?」

「ええ……。ありがとう、有馬(ありま)。それより状況を教えなさい……。ここはどこ? ノウムは?」


 有馬と呼ばれた隊員は、申し訳なさそうに顔を俯かせる。


「ここは私の家です。戦闘のあった地点から最も近い場所に位置していたため、勝手ながら運ばせていただきました。

 そして申し訳ありません……。標的(ターゲット)の捕捉には失敗し、ノウム隊長とも未だに連絡は取れていません……。おそらく、標的(ターゲット)と共に行動をしているかと思われます」

「……そう」


 ニコンは不思議と冷静でいられた。行動をしているということは不幸中の幸いか、ノウムは無事だということだ。


「すぐに追うわ! ……ところで、スーツどこ? ……てか、着替えさせたの誰」

「ご、ご安心ください! 着替えさせたのは妻ですし、スーツは……あ、スーツ……今洗濯機の中で回転してるかもしれません」


 束の間の沈黙。有馬の言ったことをニコンはすぐに理解できなかった。


「…………洗ってるってこと?」

「はい」

「じゃ、いいわ。何かいらない服を貸して。というか、ちょうだい。それで追うから」

「お、お言葉ですが、既に日は沈んでいるし危険です! せめて今日一日だけでもここでゆっくりしてください!」


 有馬の提案を拒否しようとした時、視界の隅に少女が映り、目が合った。

 少女は驚き、怯えた様子で隠れてしまう。


「……娘さん、いるのね」

「え? はい。(あかね)と言います。先月で四歳になりました。妻のお腹にも一人、弟になる子がいますよ」


 有馬は照れ臭そうに言った。

 ニコンの目に映った有馬は、隊員ではなく一人の幸福な家庭を築いた父親だった。


「いつか、あたしも……」

「ん?」

「い、いや! なんでもない!」


 その時、ニコンの腹部が大きく唸る。ニヤリと笑う有馬。ニコンの顔は真っ赤になった。


「腹が減っては戦は出来ぬ、という言葉をご存じですか? まだ私達も夕飯を食べていませんので、よかったら一緒に」

「し、仕方ないわね……」


 ニコンは渋々、夕食をいただくことにした。



 ***



 そして今、ニコンは後悔している。食事中だというのに、髪の毛をさわさわと触る有馬の妻と娘。

 落ち着いて食事が出来なかった。

 娘の方はまだ恐る恐るとした態度があったから許せたが、妻は堂々と触るどころか頬ずりまでしてくる。


「ホントーに、さらさらねぇ……。こんな若い子がお仕事では上司なんて、本当にすごい人なのね!」

「あまり、邪魔をしないでやってくれよ。これからも仕事だし、相当疲れてるだろうから……」


 夫婦がそんな会話をしている中、極力気にしないよう、静かに食事をとる。


 ――そう、気にしたら負けだ。今、あたしは一人静かな部屋で落ち着いて夕食をとっている。


 そう言い聞かせても、髪の毛を触れられる微妙な感覚は常に襲い掛かってくる。

 しかし夕食を頂いている以上、反抗することはプライドが許さない。

 ニコンはもはや、彼らのオモチャだ。

 しかし一人は幼い娘、一人は腹に子供を抱える母。労らなければならないのは、魔界人(ネビュレステル)とて同じである。


「……おいしかったわ。ご馳走様!」


 ニコンは席を立ち、玄関へ向かう。ノウムを追うために。服装は寝間着のままだが、あとで返すつもりでいた。

 茜は大事なものを失くしてしまったかのように、儚げのある声で「あ……」と発した。


「ごめんね! あたしはいまからお仕事があるから、また今度遊びましょう!」


 茜に優しく投げかけると、その娘は心配そうに「うん……。約束」と言って、小指を差し出した。

 いつになってしまうかはわからないけど、きっと遊んであげよう――ニコンは心に決めた。


「隊長……。今日くらいは休んでいってもいいんじゃ――」

「そんなわけないじゃない。すぐにでも追うわ」


 隊員の言葉を切ってニコンは言った。有馬の影には、彼の娘が隠れている。


「……あんたはここに居なさい。たまにはその子と一緒に遊んであげなさいよ」


 そう言うと、娘の顔がどことなく晴れた気がした。

 ニコンは玄関のドアノブに手をかける。まだノウムはそんな遠くには行っていない。

 全力疾走で一時間ほど走れば追いつけるだろう。


「え、でも――」


 有馬が止めようとした、その時だ。

 さっきまで仲良く食事をとっていた場所から、鈍い音が鳴り響く。


「……なんだ? (あおい)……? ――葵ッ!」


 その後聞こえてきたのは、娘の悲鳴と隊員の焦燥に駆られた声だった。

 茜はニコンのもとに駆け寄り泣きながら言った。


「たすけて! ママが死んじゃう!」

「え……」


 ニコンは食卓に戻る。有馬は電話で病院に電話をかけていた。


「ちょっと! どうしたの? 大丈夫?」


 葵に呼びかけても、腹を抑えてうずくまり唸っているだけだ。顔面は蒼白で、汗を流している。

 どんな状況なのかは、一目でわかった。いかなる状況にも対処出来る訓練を受けていたとはいえ、目の前の光景にはニコンも焦りを隠しきれなかった。

 茜はわんわんと泣いている。ニコンは彼女をなだめようと近づいた。


「大丈夫、大丈夫よ! すぐに救急車来るから! あんたのお母さんは強いのよ? 簡単には死なないわ!」


 掛ける言葉が見当たらず、ありきたりな言葉ばかりを並べて茜の頭を撫でる。髪色も目の色もおかしく、慰めにはならないかもしれない――それでもニコンは茜を抱き寄せ、なんとか落ち着かせることは出来た。

 救急車はすぐに到着した。


「すいません隊長! 少し家を空けます。どうかご無事で……! ほら、茜行くぞ!」


 茜はニコンから離れようとしない。突然の出来事に恐怖が拭いきれていないようだった。


「……あたしも行く」

「え――」

「うるさい! 命令よ! あたしも同行する!」


 半ば強引だったが、ニコンは有馬一家と共に病院へ向かうことになった。



 ***



 葵は、“新生児ICU”と呼ばれる集中治療室に運ばれていった。有馬も落ち着きのない様子で辺りをうろうろしている。茜は未だニコンから離れない。泣いてはいないが、顔を埋めていた。


「……有馬、大丈夫?」とニコンは声を掛けた。

「すいません……。二度目なんですがどうも慣れないもんで……予定よりも一ヵ月近く早いので、心配で……」


 有馬はそう答え、再びそわそわとうろつき始める。


「大丈夫よ。あんたのお嫁さんからはね、二人分の存在が感じ取れたから。あたし達はわかるのよ、そーいうの。元気そうだったわよ、たぶん」

「たぶんって……」

「あのね! あたしはまだ未経験なの、わかる? 陣痛だっけ? どんくらいの痛みなのか検討も付かないし……。赤ちゃんだって抱いたことだってないし……」


 言いながら赤面するニコン。しかしその言葉は有馬に落ち着きを与えた。


「うう……。やっぱり、隊長は隊長なんですね……。ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 訳の分からないことを言って今度は泣き出す有馬。ニコンは内心『めんどくせぇ』と思った。

 

 数分経った後、暗く冷たい電灯の照らす廊下に、元気な産声が鳴り響いた。

 そして開く病室の扉。有馬とその娘は室内に駆け、ニコンはそのあとをゆっくりと追った。

 ニコンが初めて見た赤ん坊は小さかったが、どこから出しているのかわからないほど大きな声で泣いている。


「はー、びっくりしたー!」


 葵は未だ汗をかいていたが、楽な姿勢で新たに芽生えた命を抱いていた。

 有馬はさっきからずっと泣いている。脱水症状になるのではないかと、ニコンは心配だった。


「茜……。あなたは今日からお姉ちゃんになるのよ。しっかりと“(カケル)”を守ってあげるのよ」

「うん……。がんばる」


 葵はよしよしと茜の頭を撫でながら、ニコンに向けて言葉を放った。


「抱っこしてみる?」

「えっ……」


 ニコンは不意の言葉に驚き躊躇うが、恐る恐る赤ん坊を抱き上げた。

6

「……重い。――軽いのに、重い」

「隊長……?」


 ニコンは、気づかないうちに涙を流していた。「ありがとう」と、抱いた赤ん坊を葵に返す。


「……最近、あたし泣いてばっかりね。どうかしてる、わ――」

「え? 隊長!」


 苦笑いしながら放ったその言葉を最後に、ニコンはその日二度目の失神をした。



* リュード 視点 *



 破約反射で意識を落とされた後、目を覚ますと私は岩山の隙間に出来た洞穴に居た。

 ランプの光が壁一面を照らしている。


「……坂下、いるか?」


 身体を起こす前に、極力静かな声量で呼び掛ける。――が、返事はない。

 身体は非常に重かった。強引に形成した魔剣のせいだろう。

 おそらく今の自分は周りより少しだけ運動神経の良いただの人間だ。戦闘は避けたい。

 身体を起こすと、壁を背に座るノウムか目に映った。

 ――魔界人(ネビュレステル)の発する気配を、感じ取れなかった。


「なっ! 何故お前がここに居る! 居るなら返事くらいしろ!」


 ノウムはキョトンとした顔でこちらを見て、答えた。


「……僕は、坂下という名ではありませんので」

「――これはどういう状況だ。なぜ気配を隠せる? ……それより、坂下はどこだ!」

「落ち着いてください……。そもそも、気配を隠してなんかいません。まず自分の目を見てください」


 ノウムはそう言って携帯を取り出し、内側のカメラを起動して私に向けた。

 その画面に映った自身の目は、両方とも黒かった。


「これはどういうことだ……」

「今のあなたは魔力を使い果たして、限りなくこの世界の人間に近い状態にあります。運動に関してはその限りではないと思いますけど、それは契約のおかげで徐々に均一化されているはずです。つまり、その気になれば僕は今のあなたを捕まえることは出来るでしょうね。無傷とまではいきませんが……」


 ノウムの言葉は、つまりは脅迫ということになる。洞穴を吹き抜ける風が少し冷たくなった気がした。


「……目的を言え。坂下はどうした」

「人間に近づくだけでそこまで契約者が心配になるものなんですね。……目的は何度も言ってます。僕を鍛えてほしい。安心してください、あなたの契約者(アルカマル)は近くにある別の防空壕――言うなればこういった洞穴です――そこに待機させています。

 正直、すぐに引き合わせると、人間に近づいたあなたが何をするのかわかりません。いきなり撲殺する可能性だって考えられないわけですし」


 その言葉に、私は黙らざるをえなかった。坂下の最後の行動は、ある種の裏切りとしか思えなかった。そんな彼と顔を合わせたときにどんな言葉を発せばいいのかなど考えもつかない。

 口論になって殴りかかりでもしたら再び破約反射で跳ね返る。それが、契約者(アルカマル)にとっての普通なのだが、殆ど人間になってしまった自分が殴って半殺しにしても、破約反射が発動しない可能性も考えられるだろう。

 ノウムはその可能性をも吟味して、こういった状況を作った。

 坂下が逃げようとも、再び捕えるのは簡単だろう。しかし、一つ拭いきれない疑問があった。


「お前は……十分強いだろう。なのになぜ、力を求める? 言っておくが三魔帝(トレイズ)を目指すとは考えるなよ。彼らを同じ種族だと思わないほうがいい。それに、お前の能力はそこまで戦闘には向いていない。それは自分がよくわかっているはずだ」


 私はそう言いながら、実の妹であるサチュリを思い出していた。彼女もその気になって暴れたらこの国一帯を破滅に追い込む程度の力は秘めている。

 今は契約による能力分散と魔力流出の阻害によって相当な力を封じられているが、それは彼らにとってもこの世界にとっても幸いなことだ。


「……あなたの契約者(アルカマル)に公園で言われました。嫁と子供を持つのなら、それらを守れるだけ強くなれ、と。今の僕は、弱い。あなたと戦って思い知らされました。今までの僕は、戦っていたのではなく、ニコンの補助をして彼女に戦わせていたのだと。もう、守られているのは嫌なんです。僕が彼女を守りたいんです……」


 理由としては、至極もっともな言葉だった。既にノウムは己の弱さを理解している。

 ならば私が教えることなど無いというのに、それには気付かないのだろうか。


「……なぜ、私が意識を落とした時、捕らえずにここへ運んだのだ。坂下一人でお前らを相手にするのは不可能だろう」

「あの後、あなたが斬ろうとした隊員も戦意を喪失し、混乱の中意識を失いました。そして――」


 ノウムは事の顛末を話し始めた。



 ***



 ――突然の出来事に、その場にいた隊員達は銃を構えたまま呆然としていた。何かに感電したかのようにその場に倒れ伏す私を見て、何が起きたか理解出来た者はいなかったようだ。

 冷静でいたのは坂下だけだった。坂下は私を担いで山の斜面を滑り降りた。我に返った隊員達はすかさずそれを追おうとするが、ノウムがそれを止めたらしい。

 隊員達を帰投させ、ノウムは一人で坂下を追う。しかし、追い詰めようとも捕まえる事はなかった。


「それは……貸しを作ったということか」

「うーん、そのつもりはなかったけど結果的にはそうなりますね」


 私は悩んでいた。彼を訓練し鍛えることは出来るし、やりがいがありそうとすら思い始めている自分がいる。


 ――彼は、強くなる。サチュリに似た眼をしていた。叩けば叩くほどその力は伸びるだろう。

 しかしそれが最終的に坂下を苦しめる結果になってしまうのならば、私はそれを全力で止めなければならない。


「……俺は、いいと思うけど」


 洞穴の陰から、声がした。坂下だ。

 いつからか、私達の会話を聞いていたようだ。全く気が付かなかった自分が情けない。


「坂下……」


 坂下の服はボロボロで、身体にも至る所に擦り傷が見える。私にとっては大した傷とは言えないが、その傷を見て私は辛くなって目を伏せてしまった。


「――ただし、条件だ。メチャ強くなって、リュード君が手に負えなくなっても、俺達に攻撃をしないこと。こんだけ」


 坂下はノウムに提案をした。私はそれに乗り、条件を一つ追加する。


「ならば、私からも一つ。我々の捕虜になれ。私達と同行し、尚且つ私達の行動に一切の干渉をするな」

「……今、さらっと三つくらい言わなかったか?」


 坂下の指摘を聞かなかったことにし、私は続ける。


「……それが約束出来るのなら、私はお前を助けよう。誰にも頼らず、家族を守れるだけの力を得るのに協力する。どうなんだ?」


 ここまでくると、もはや勢いのみだった。後のことは、後になって考えればいい。ついでに、坂下にも戦い方を教えた方が良いかもしれない。

 ノウムはしばらくの間考え込んだ。やはり、組織に対する義理という物があるからだろう。そんな彼に向けて坂下は言った。


「なに、別に裏切るわけじゃねえ。ただ、俺達に捕まっちゃって捕虜になってるだけだ。気にすることはねえよ」


 そう言いながら、ノウムの頭をぽんぽんと叩く。その顔は完全に悪人のそれだった。


「……そうですね、わかりました。よろしくお願いします。リュードさん、そして、坂下さん」


 こうして、ノウムが私達と同行することになった。


「ノウム君」

「なんですか?」


 不意に坂下が、ノウムの名を呼んだ。


「さっきの、リュード君に対する説得。良かったよ。守れよ、家族を」

「……ありがとうございます」


 ノウムは照れ臭そうに顔を伏せたが、どことなく表情が明るくなった気がした。それを見る坂下の顔は、何かを思い返しているかのような哀しげな顔をしていた。


「そうだ、坂下。一つ教えろ。なぜ、あの時私を止めた? こうなることが分かっていたとは言うまい」


 私は話題を変えようと、坂下に尋ねる。彼にとってもあまり振られたくない話題だとは思うが、ここはハッキリとさせておきたかった。これからのために。

 坂下は予想に反して、照れ臭そうに笑いながら答えた。


「……いやー、笑わないでくれよ? 特に、何も考えてなかった。

 ただ、なんつーかな? 本能? よくわかんねえけど、リュード君が手を汚しちゃダメだって。そう思ったんだよなぁ。なんであんなことしたんだろな……。いやまぁ、結果的には誰も死ななくて良かっただろ!」


 契約者(アルカマル)が、本能的に動くのは、相方を守ろうとする時だけだ。

 私を邪魔したことで、私を守ったとでも言うのだろうか。本当に、神の作った(ことわり)には、理解が及ばない。

 気が付けば私は笑っていた。


「あ、コラ! 笑うなって!」


 坂下はそう言うが、堪えようにも堪えられず、私は笑っていた。単純に、彼の勇気ある行動が嬉しかったのかもしれない。

 笑い声は虫の鳴き声と混ざり、暗い山の森の奥へと溶けていった。


 ――この時の私は気付いていなかった。自身に掛けられた血族の呪いが、この日をもって完全に消滅していた事に。

誤字等見つけたら教えて下さい


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