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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第二章 - 僕達が生きる世界
18/75

ニコンとノウム - Ⅰ

 ニヴェルヘイム内の地下一階に位置する格納庫に、三人の魔界人と彼らが率いる戦闘員がいた。


「これからお前らが保護する魔界人は、既に混在型になっている。とはいえ戦闘能力は未知数だ、くれぐれも民間人を巻き込まないよう――」


 戦闘部隊を統括するウィリアムの半ばしつこい注意喚起を隊の最前列で聞き流すのは、《ノア》が有する異能戦闘部隊《キャッスル・ナンバーズ》の第二部隊のリーダーを務めるニコンとノウムの二人組だ。

 まだ歳も若い二人が隊長を務めることが出来るのは、彼らが紛れも無い魔界人だからである。


「ノウムぅ……仕事終わったらどこかにデートに行こう? わたし、水族館行きたいなっ」

「シッ……! 今ウィリアムが喋ってるでしょ。怒られちゃうよ……!」


 そう答えるノウムも、満更でもない様子だった。

 彼らは、魔界人同士で契約している恋人同士だ。

 ゆえに、二人はどこへ行っても二人だけの世界にいた。

 後ろで立ち並ぶ、ノウムが統括する隊の隊員達の羨望の眼差しなど何処吹く風と、今後の予定を立てていた。


「いいよなー、二人ともラブラブで」

「バカ、お前嫁さんいんだろ」

「でも若いっていいよなー」


 隊員達も、ウィリアムの話を殆ど聞かず、私語でささやかにながら盛り上がっていた。

 率いる者がそうならば、率いられる者もそうなる、ということだ。戦闘部隊の中でも二番隊は最も当てにならないグループだと言われている。

 隊としての実力はあるものの、だらけきった隊の空気はよもや暗黙の了解と化しており、ウィリアムもそれに対して口出しをする事はない。

 すでに諦めているようで一通り説明を告げた後、小さな溜息をついていた。


「……今回、捕獲の対象とするのはこの二名だ。魔界人の名前は不明、混在種の氏名は『坂下 賢治』だ」


 ウィリアムは腕にはめた小型のプロジェクターで、対象二人の映った写真を壁に映し出した。


「……あら?」


 ニコンは写真に映る魔界人を見た瞬間、何かに気づく。

 彼女の表情に、僅かな怒りと恐怖が現れているように感じたノウムは、心配そうにニコンに問い掛ける。


「どうしたの、ニコン?」

「――いえ、なんでもないわっ! さっさと仕事終わらせましょ!」


 しかし、ニコンはそう言ってそそくさとヘルメットを被り、小型輸送機に乗り込む。


「そんじゃ、キャッスル・ナンバー:202(ツー・オー・ツー)、並びに201(ツー・オー・ワン)、並びに愉快な仲間達! 捕獲作戦に行ってまいりますっ!」


 ニコンはそう言いながらウィリアムに敬礼し、後から乗り込んだ部下と共に大空へと飛んでいく。

 ウィリアムは機体が見えなくなるまで、それを静かに見送った。



 ***



「そんじゃ、解散っ!」

「ええーっ!」


 着陸後ニコンが放った第一声に、ノウムを含めた隊員の多くが驚きの声をあげた。


「ニコン隊長! お言葉ですが、まだ作戦は成功していません!」

「まさか仕事を放棄して遊――自身のご用を済ますつもりですか!」


 隊員達もこれはさすがにまずいと感じたのか、ニコンの指示に反対した。


「うるさーいっ! 人の話は最後まで聞けー!」


 ニコンの身体を張った叫び声に、隊員達は静まった。

 メットくらい外せばいいものの、戦闘用のスーツを全身に纏いながらそうする様は、なかなかにシュールな絵面である。


「……何か、考えがあるんだね? ニコン」


 ノウムがニコンに優しく問い掛けた。


「さすがノウム……! あたしの意図を言わずとも汲み取ってくれるなんて……! きっとこれが愛の力なのね……!」

「……さっきも、写真を見た時の反応がおかしいと思ったんだ……。あの魔界人を、知っているの?」

「ええ……」


 ニコンは隊員達に、説明を始める。その声色は先程とはうって変わって重々しく、隊員は思わず息を飲む。


「あの魔界人の名前は〈リュード=レクシリア〉――」


 その名を聞いて、ノウムも気が付いたようだった。

 彼の顔色も徐々によくないものへとなっていく。


「そ、それって……」

「――そうよ。三魔帝(トレイズ)の妹を持つレクシリア家の長男――最悪の家系の末裔よ……」


 それを聞いて、理解出来るのはノウムだけだ。隊員は皆、魔界の事は何も知らぬ一般人なのだから当然である。


「隊長! 俺らにわかるよう説明してください!」

「レクシリア家はね、頭おかしいんじゃないかって思うくらいに強大な一族ってことよ! 昔、神様に喧嘩売って……、世界滅ぼしかけて……。史実では〈魔王〉とすら呼ばれていた奴の末裔なのよ? 魔術を使えなくした程度じゃ、どんなに契約者(アルカマル)が虫ケラだろうが、何人死人が出ることか……」

「それって、つまり……」

「あんた達じゃ何人束になっても勝てないってこと! 死にたくなければ逃げなさい! ま、別にあんた達が死にたいのならついてきてもいいけどね!」


 隊員達は、ニコンの優しさに涙した。しかし隊の性格上、それは命に代えられるほどのものでもない。


「そういうことでしたか! じゃ、逃げます! あとはお任せしました!」


 隊員達は、現地で流れ解散となった。


「次の戦艦着陸日までは休暇だー! やっほぉー!」

「そうだ、久し振りにカラオケ行こうぜ!」

「いいな! 行くわ!」


 彼らの喜びに満ちた声が、空に響いて溶けていく。あっという間にその場にはニコンとノウムだけが取り残されてしまう。


「さて、あたし達もいきましょ!」と溌剌(はつらつ)とした声でニコンは言った。

「どこへ?」とノウムは尋ねる。


 リュード達は人通りの多い場所にいるため、迂闊に近付くことは出来ない。

 民間人を巻き込むと給料が減るのだ。怪我をさせなければいいのだが、ニコンの性格上、それは困難を極める。


「とりあえず、対象の行動の偵察かな。発見次第、他人の振りをして尾行しましょ」

「そうだね……そうしよう」


 二人はメットを脱ぎ、戦闘用スーツの上にあらかじめ用意していた私服を着て、作戦行動を開始した。

 そうしてニコン達がリュード一行を発見するのに、長い時間は要さなかった。

 しかしそれはまた、逆も同様である。




* リュード視点 *



 私と坂下は、西の方角へとひたすらに進んでいた。時には歩き、時にはバスを利用する。日が暮れれば宿を探し、無ければ野宿だ。

 食糧には困らなかった。スーパーの試食コーナーなどを利用して食い繋ぐことが出来たからである。

 私はまめに、指先から微少の魔力を発生させた。しかしそれは、何かに吸い寄せられるように霧散していく。

 しかし私の狙いはそれだった。魔術の発生を阻害する物を見つけ出し、可能であれば機能を停止させる――それが現在の我々の目的である。

 私達は、既に東京都を出て、緑の豊かな田舎のあぜ道を進んでいた。


「……坂下」

「んん?」


 不意の呼び掛けに、坂下はどこか間抜けな声で応えた。


「後ろを振り返るなよ。先ほどから尾行されている。魔界人(ネビュレステル)が二人だ」

「それって、一昨日くらいに言ってたように妹さんを襲った奴らってことか。戦うのか?」

「さすがに、敵意をもって近づく者を無視することは出来ないからな。人通りの少ない場所に移動しよう」


 そうして我々がやってきたのは、閑散とした公園である。既に日が暮れていたため、視界こそ悪いものの、誰もいない。これは幸運な事かもしれない。


「……出てこい! 尾行されていることは既にわかっている!」


 夜の公園に声を響かせる。

 何処かに潜んでいた蝙蝠が驚いて、羽音を立てながら飛んでいく。


 やがて、二つの小さな影が姿を現した。


「久し振りね……リュード=レクシリア」

「……?」


「知り合い?」と、坂下が私に訊いた。


 どこかで見た事があるような気がするが、全く覚えていない。


「……すまないが、お前が誰かすっかり忘れてしまった。名乗ってくれ」


 それは挑発ではなく、本心から放った言葉のつもりだったのだが、どうやら彼女を怒らせてしまったようだ。


「あったま来た! これを見ても思い出せないかしらね!」


 そう言いながら彼女は前方に手をかざし、自身だけが知る魔術を唱えた。


「――〈ニコンザイル〉ッ!」


 その呼び掛けと共に彼女の手元に顕れたのは、一本の蒼い槍である。

 無駄なデザインの無い、貫くことに全てを注いでいるかのような、まっすぐに伸びた槍だ。

 彼女の魔力を帯びたそれは、暗闇の中であるにも関わらず、群青色の光を帯びて輝いている。それはさながら海の底を静かに泳ぐ鮫のようだ。


「……坂下、下がっていろ。思い出した。かつてあの娘とは戦ったことがある――」



 ***



「――あれは、魔界で最も強い三人――三魔帝(トレイズ)を決める武闘会でのことだった。

 闘技場が用意され、一方が場外に出るか、あるいは負けを認めた時点で決着となる。それが武闘会のルールだ。

 ある時私はその戦いで、一人の蒼い槍を持つ少女と戦うことになった。あいつだ。

 試合が始まるやいなや、彼女は全力を一本の槍に込め、突進してきた。

 受け切れないと判断した私はそれを真横に回避し、追撃を試みた――しかし、その必要は無かった。

 彼女は勢いのまま場外へ突っ込み、その試合は私の勝ちになったのだ……」

「そりゃなんつーか……可哀想だね。てか、魔界人(ネビュレステル)って髪の毛白い人だけじゃないんだな」

「いや、殆ど白髪(はくはつ)しかいないぞ。個人差はあれど、灰色になる程度だろうな。――知っている限り、一人を除いてだが……。おそらくあれは、この世界に溶け込むために髪の色を変えているだけだろう」

「え、いや……アレ、相当目立つと思うんだけど……」


 坂下が言うように、ニコンの髪はこの世界に来て一度も見たことがないような色をしていた。

 桜、と言っただろうか。春に咲く花の色だ。

 もう一人の少年は黒髪に染めている。こちらは違和感はない。しっかりとこの世界に溶け込んでいるようだ。彼らはこの世界の服を着ていたが、その下に異質な黒いスーツを纏っているのが見える。


 ニコンは槍を地面に刺し、腕を組みながらこちらを睨みつけている。


「ふんっ! ようやく思い出したようね。そちらのオジサンは初対面だし、改めて自己紹介といきましょう」


 この国の言語を既にマスターしているということは、彼らの方が先に地界(イールス)に来た可能性が高い。


「まずあたしっ! キャッスル・ナンバー202(ツー・オー・ツー)! ニコン=サーニャよ!」

 隣にいた少年が、それに続いた。

「き、キャッスル・ナンバー201(トゥー・オー・ワン)! ノウム=サーニャ……です!」


 その言葉を聞いて、真っ先に反応したのは私達ではなく、ニコンだった。顔が爆発しそうなほど真っ赤になっている。


「な、なななな! な! の、ノウムっ! そ、それって……!」

「ご、ごめん! ……今まで隊員達がいて中々言い出せなくてさ。――ニコン」

「はい……」


 ニコンは蕩けた顔をしながら、ノウムはどこか覚悟を決めた顔で、二人は互いに見つめ合う。

 何しに来たんだ一体。


「この作戦が無事に終わったらさ……結婚、してくれないかな」

「はいっ……! 喜んで……!」


 彼ら二人は再び、自分達の世界に入っていた。


「……何やってんの、あいつら」と、坂下が怠そうな目をしながら言った。考える事は生きる世界が違えど同じのようだ。


 抱き合う二人を前に、私と坂下は完全に放置されていた。

 暑い季節だというのに、風を肌に受けると寒気がする。


「……それで、ニコンとやら。貴様らの目的は何だ? 随分と日本語が上手いんだな」


 一度咳払いをし、私は少年と腕を組むニコンに問いかけた。


「あんたを、生け捕りにするのよ! そこのオジサンもね! 大人しくついてきてくれないかしら?」

「……決して悪いようにはしません。そもそも、元々私達は仲間じゃないですか。ただ単に《ノア》に所属して、生活するだけですよ。日本語も、そこで教わります。言語を国に合わせろという指示なので……」


 二人はそう答えたが、一体誰がその言葉を信用するというのか。


「その目的は何だと訊いている」

「うーん……。知らないわ! 艦内で各国の言葉を勉強して、部下の戦闘訓練に付き合うくらいしかしてないし。それに、戦闘部隊に入れば魔術が使えるようになるわ! 理屈は忘れたけどね!」


 そこまで魔界人(ネビュレステル)を優遇していることが、返って怪しいとは思わないのだろうか。

 もしかしたら、私もこの世界に転移してすぐに彼らに拾われたら、ああなってしまったのかもしれない。

 だとしたら、サチュリを護ってくれた安藤君には感謝せねばなるまい。


「……悪いが、断る。貴様らの上層部の目的がわからん以上、協力することも出来んしな。力尽くでというならば、相手になろう」

「くぅー……! やはり結婚となると一筋縄ではいかないか……! ノウム、戦うわよ!」

「うん!」


 あちら側も目的が変わっているような気がしたが、あちらがその気なら相手をしなければならない。

 契約者(アルカマル)同士の戦いが始まった。



 ***



 坂下には戦う術がない。身体能力こそ向上しているものの、ここで戦わせるには相手が悪すぎる。

 相手側を見ると、ニコンは槍を構え……ノウムは、何もしていなかった。

 もしかしたら、あちらの相方にも戦う力がないのかもしれない。――かといって、慢心するつもりもないが。


「行くわよっ! ノウム、お願い!」

「わかった!」


 ニコンの指示と同時に、ノウムは魔術を発動するために、手先に魔力を込める。

 どうやら彼らは、魔術を何の問題もなく使えるようだ。


「――〈リヴァーライズ〉!」


 その詠唱と同時に手から放たれた青い炎は、ニコンを包み込んだ。

 ニコンの赤い瞳が、魔術による効果なのか空色に光り輝く。


「受けてみなさいよ! あたしたちの愛の力!」


 ニコンは姿勢を低く、槍を構えた。

 膨大な魔力の流れを感じる。


「……坂下。念のため、もう少し後ろに下がってくれ……出来れば、槍の直線上にいない方がいい」

「だ、大丈夫かよ……」

「問題ない。私を誰だと思っている」


 ――確かに契約の影響で身体能力は半減した。


「空の果てまで、吹っ飛びなさいっ!」


 ニコンは足を踏み出した。その力で地面は抉れ、小さなクレーターのようになっている。


 ――しかし、だからどうしたというのだ。


「――〈ニコンアルクトゥルス〉ッ!」


 ニコンの一撃は、もはや槍術のそれでは無く、一筋の蒼い光の鉄槌だ。

 まともに喰らえば、受け切れる者はいないと思える程の一閃。その攻撃には僅かな迷いも感じ取れない。

 それは確実に私の命を刈り取る軌道を描き、此方へと飛んでくる。


 だが。

 彼女は知らないのだ。私の家系の本質を。

 レクシリア家は世界的に畏怖された一族だ。しかしそれは単なる“推論”で塗り固められた噂が飛び交っているに過ぎない。


 ――《最悪の血族》を見縊(みくび)るな。



 はじめに、(うるさ)いな、と感じた。

 ここは魔界(ネビュレスト)ではなく、魔術の存在しない無力な世界、地界(イールス)だ。

 憩い場とはいえ、近くには民間人も住んでいるだろう。神の定めた戒律の下で戦うのならば、少しは周囲に気を配れと言いたい。


「……生け捕りにするのではなかったのか?」

「なっ――!」


 二つ目に、弱いな、と感じた。

 愛の力とやらは、この程度なのだろうか。

 かつて魔界(ネビュレスト)でニコンと戦った時、その一撃の重さに、当時の私は避ける事を優先したというのに――。

 あの時から、まるで成長していない。

 己の力に満足し、慢心に溺れているのだ。



「愛だけでは、成せないこともあるということかな」


 彼女の目に、私はどんな風に映っているのだろう。

 死神だろうか? それとも悪魔か。

 気になるがしかし、今彼女の顔を見てはならない。

 おそらくあまりの滑稽さに、笑いが堪えれなくなってしまうだろう。


「ニコンッ!」


 ノウムと名乗る、少年は立ち尽くしていた。

 恐らく、彼の力は味方の力を増幅させるのだろう。追撃を仕掛けてこないことから容易に想像が出来る。


「――まぁ、思っていたよりは重く良い攻撃だったのではないかな」


 私は、ニコンの渾身であろう一撃を、片手で受け止めていた。

 もちろん、無傷というわけではない。

 掌からは出血しているし、先ほど居た場所からは十メートルほど後退している。


「次は無いのか?」


 半ば意地悪く、私は彼女に問いかける。


「ひっ……」

「私は、妹のように優しくはないぞ……」


 いつでも、彼女を殺せる状態にあった。

 片手で槍を受け止め、もう片方の手で彼女の首を絞め上げる。

 この状態でも、魔術を使えばどうにか出来るだろうに、彼女は恐怖心からか抗う事ことはなく、半ば諦めた様子だった。

 その向こう側からは「頼む、止めてくれ」というノウムの喚き声が響いてくる。

 弱い。身の程も知らずに私に挑んできた事、後悔させてやる――。


「おい、リュード君。もういいだろ。やめてやれよ」

「――なに?」


 意外にもそう言ったのは、坂下だった。

 私はニコンを地面に下ろす。ニコンは地面に伏せて咳き込んだ。

 別に彼の言葉を無視して殺す事も出来たが、それは今後の関係に亀裂を生むと判断した。


「坂下……。こいつらは――」

「わーかってるって、敵なんでしょ。でも力の差は見せつけたんだからそれでいいじゃないの。わざわざ殺すことはねえよ。こいつら、結婚するんだろ? だったら祝ってやれよ」


 坂下はそう言いながら、力なくその場にへたり込んだノウムに近付いた。


「お前な。結婚するんだったら、男は嫁さんと生まれてくる子供を守ってやれるくらい強くなくちゃならねえよ。それは、肝に銘じておきな」


 ノウムの頭をぽんぽんと撫でながら、坂下は告げた。

 まるで、過去の自分を見ているかのように。

 ニコンは力なく伏せ、ノウムはその場に泣き崩れた。

 その様子に坂下はいささか心配していたようだった。


「行こう、坂下。今日の寝床を確保しなくては」

「あ、ああ……」


 こうして、地界(イールス)に来て最初の戦いは幕を下ろした。

 誰かが通報したのか、警官の車両がサイレンを鳴らす音がどこからか聞こえてきた。

 見つかると面倒なので、私達は先を急ぐことにした。



 ***



 リュード達が去った後、ノウムは涙を拭いニコンに駆け寄った。


「ニコンッ! 大丈夫? どこか怪我はない?」


 幸いにも、彼女に怪我はないように見えた。そのことにノウムは安堵の息を漏らす。

 しかし、彼女の目が虚ろになっていることに気付く。心を恐怖に、支配されている。


 遠くからは、警察のサイレンが近づく音が聞こえてきた。

 魔界人の聴力は人間のそれを上回る。そのため距離はまだあったが、ノウムはこの場に残っているのは厄介だと判断した。


「立てるかい? 少し場所を変えよう……」


 ノウムはニコンに肩を貸し、彼女を背負って移動を始めた。彼女は自身の力で歩いていたが、やはりその足取りはおぼつかない。

 公園を出る際、一度振り返り自分達の居た場所を見る。

 地面には(さじ)ですくったかのような大穴が残り、ニコンの一撃の重さを物語っていた。

 しかし、一人の民間人と契約した魔界人に、それはいとも容易く受け止められたのだ。


 ――まるで、住んでいる世界が違う。


 かつて同じ世界に、ああまで化け物じみた者が生きているとはノウムも思わなかった。

 そんな存在に、ニコンは勇猛果敢に立ち向かっていたのだ。


「僕も……、強くならないとな」


 暗い路地を歩きながら、ノウムは呟く。

 朦朧としたニコンの握る手の力が少し強くなったのを、ノウムは確かに感じていた。


「――こちら、201(トゥー・オー・ワン)。司令室、応答願います」

『ほい、こちら司令室。どうかした?』


 しばらくして無線に応答したのは、神楽だった。いつものように、淡々とした声が無線機から流れた。


「申し訳ありません。目標の捕獲に失敗しました……。ニコンも――心神が喪失している状態です」


 ノウムは、力のない声で報告を始める。神楽もそれを静かに聞いていた。


『――強かったの?』

「……ええ。正直、相手の慈悲がなければ……ニコンは、いえ、僕達は殺されていたでしょう……」


 殺されていた。自身で放ったその言葉に、ノウムは吐き気を催す。

 記憶の底に押し込んだ恐怖が再び溢れようとしてくる。


『そう――。仕方ないわね、部下は無事? 次の輸送艦着陸日に拾うから、それまでにニコンもなんとかしてあげなさい』

「了解しました……。部下は――逃がしました。ニコンの判断です。では、四日後に……」


 ノウムは無線のスイッチを静かに切った。


「ニコン、大丈夫かい?」


 ノウムはニコンに問いかける。返事は返ってこなかったが、ノウムは続けた。


「ニコン。これからどこかの宿を探すから、ニコンはそこでゆっくり休んでいて」

「…………ノウムは?」


 ニコンは力の無い声で、ノウムに問う。


「――あの魔界人(ネビュレステル)を、追うよ」


 その言葉を聞いて、ニコンは目を丸くして驚いた。

 そして先程までとはうって変わって、喚くような声で反論しだす。


「だ――ダメッ! あんなのに挑んだら絶対死んじゃう! そんなのやだ! 行かないで!」

「……大丈夫だよ。少し相談をしてくるだけだから。すぐにはそんな遠くには行かないだろう」


 そう言いながら歩みを進めるノウムの眼には、確固たる決意が表れていた。


「なん……で! こんな時に限ってそんな目をするのよ……!」

「まだ……任務は完了していないからね」

「ダメよ……絶対に行かせないから……」

「初めて、意見が割れたね……」


 ノウムが微かに笑みを浮かべて言う。だからといって、彼らの互いを愛する気持ちが揺らぐ事はない。


 しかしその言葉に、ニコンはしばらくの間黙り込んでしまう。

 その間もノウムは進み続ける。まるで、彼がゆっくりと(わかれ)へと向かっている気がして、ニコンは焦ってしまう。


「……せめて――」


 ニコンはその沈黙をようやく破った。


「――今日だけは……一緒に居て……」


 ノウムの耳元で囁かれた儚げのある声に、彼は歩みを止めてしまう。

 決意が、揺らいでしまったのだ。

 ノウムにとって、ニコンは彼自身の命よりも大切な人である。

 彼女を置いて一人でリュードを追うことが、本当に正しいのか否か。彼の中に葛藤がうまれてしまう。


「……わかった」


 本当に、一日だけ。

 ――明日になったら、彼女が寝てる間に出発しよう。


 自身に誓いを立て、ノウムはニコンの要求に応えた。

 

 眩い満月が照らす道を、ノウムはゆっくりと進み始めた。

 時折すれ違う人々は、心配そうに彼らを見れど、助けの手を差し伸べることはなかった。


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