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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 - 引き裂かれる日常
16/75

それぞれの進む道 - Ⅱ

 バスを運転し、無事に旅館へと着いた佐伯は、恐縮する様子を見せながら言った。


「いやー、悪いね! 私も旅館に泊まらせて頂けるとは! 実は家かなり遠いからさぁ、ここからだと職場も近いし、助かります本当に」

「いえ、構いませんよ。安藤君の枠がちょうど空いてしまいましたしね」と、飯田は応えた。

「えーと、ダニエルくんだよね。ごめんね! 今日だけ世話になります」と、佐伯は申し訳なさそうに言った。

「……いえ。それじゃ、僕は部屋に戻ってます」


 ダニエルはそう応え、そそくさとエレベーターに乗って部屋に戻った。


 残された二人は、エントランスの隅の椅子と自動販売機のある場所に移動した。


「……それで、安藤君は《ノア》に捕まったんですか?」と、飯田は自動販売機で珈琲を買いながら、佐伯に尋ねた。

「そうなのよー。まぁ、片割れだけでよかったんじゃないですかねぇ。……変な事、吹き込まれる前に助けてあげたいけれど。生憎彼らはお空にいるからなー」


 佐伯の呑気な様子に、溜息を吐きながら飯田は言った。


「……心配なのは、貴方ですよ。よく、ルーナさんの護衛も無しに帰ろうと決断しましたね。サークルの皆なら、帰りは電車、と言っても納得してくれただろうに」

「ま、彼女も彼女で忙しそうだしね。それに、大丈夫さ。別に指名手配されてるわけでもあるまい。あちらも迂闊に攻撃を仕掛けてはこないよ」

「サチュリちゃんは?」

「あの子も大丈夫。一人のヒョロガリと混ざっておきながらあの身体能力だ。彼女は簡単には捕まらないよ。日本語もほとんど、習得したようだし、髪の毛染めれば、はい、ごく一般的な日本人の完成ー」

「参謀役ともあろう方が油断しないで下さいね」

「へいへい。……それよりさ――」


 それまでとは一転して、物々しい顔をして、佐伯は言った。


「――あの子……、氷室ちゃんだっけ? 何なんだよ、彼女は……」



 ***



「あの、黎ちゃん……?」

「……何」

「怒って……るよね。わたし、何か悪いことしたかなって思って……」


 旅館の自分達の部屋で、ミヤは恐る恐る黎に尋ねた。近くではサチュリが、布団に寝転びながら、他のメンバーから借りた漫画や若者向けの小説を読みふけっている。


「……さぁ、知らない」と、黎は相手にしていないかのように答えた。


 そんな黎の返事を他所に、ミヤは話を続けた。


「安藤君、忙しいのかな、何度連絡しても反応してくれないし……」

「そう……」


 遊園地から帰る間、ずっとこのようなやり取りをしていて、とうとうミヤにも限界が来た。普段は出さないような声量で、黎に怒鳴った。


「――いい加減に、してよ! 何に怒ってるかくらい、言えよっ! わかんないじゃん! 言えば直すのにさぁ!」


 それが引き金となり黎も怒りを露わにした。


「うるさいッ! 現実も見れない奴に、教えることなんてあるかっつの! どいつもこいつも! 安藤が帰った事をさも当たり前であるかのように受け入れてさ! 馬鹿かよ……!」

「ハァ? 意味わかんないんですけど! もっと他人にもわかるように喋ってくれない?」


 突如、始まった口論にサチュリも心配を隠せない様子だった。

 その時、誰かの携帯の着信音が部屋に響いた。それが互いの物ではないことは、普段から仲の良い彼女達はすぐに判った。


「……電話、取りなよ。それで思い出さないのなら、もう本当に知らんから」と、黎は告げた。

「え、でもこれ黎ちゃんの荷物――」

「いいから、取れ」


 ミヤの言葉を途中で切って、黎は言った。それに半ば圧倒されて、ミヤは舌打ちをしながら黎の荷物――電話の鳴っている小さな袋だ――を取り出した。


「え……、この、携帯……? ――ッ!」


 ミヤが見たのは、既に乾いてしまった赤茶色い血痕がこびり付いた、安藤の携帯だった。頭痛がするのか、ミヤはこめかみを抑え、顔をしかめている。その目からは、次第に涙が浮かんでいた。


「――う、そ……。なん……で、わた……し?」


 空気のかすれたような音をした声を発しながら、ミヤは混乱している様子だった。黎はその様子を見るや、ミヤを割れ物を扱うかのように、そっと抱き寄せた。

 それと同時に、ミヤは赤子のように大きく泣き喚いた。周りの人からすれば、それは悲鳴であるかのように聞こえたかもしれない。

 他人の携帯で、誰かもわからない者からの着信だったので、電話には出なかった。



 ひとしきり泣いた後、ミヤは黎に尋ねた。


「……つまり、安藤君は悪い軍隊の人に連れてかれたんだね、それをシェミルがなんとかして、私達の記憶を書き換えた……。そういうこと?」

「そうだよ」と、黎は静かに答えた。

「でも、どうして黎ちゃんは憶えていたの? 誰かに助けてもらったの?」

「……わかんない。確かに私にも変な色の雨粒が当たったけど、別に私の身には特に何も起きなかった。だけど、周りの人はバッタバッタと倒れてくし、怖くなったから私も寝た振りをしてた」


 黎がそう告げた時、サチュリが漫画を閉じて黎達の元に近付いた。


「黎、目を合わせろ」と、サチュリは達者な日本語で彼女達に言った。口調が強めなのは、読んでいた漫画に影響されたものかもしれない。

 黎は最初は疑問だったが、サチュリの言う通りに目線の高さを合わせ、互いに向き合った。サチュリがぐいと近付いてきて、黎は少しだけ戸惑った。


「はじかれた」と、サチュリは自分の目元を抑え、驚いたように言った。


「弾かれた?」

「今、おまえに意識を乗っ取る術を使おうとした。けど、勢いをそのままに、押し戻された。初めて」

「も、もしかしなくても黎ちゃんには魔法が効かない? 体質、なのかな……」


 ミヤは驚いたように、しかし弱々しく言った。


「体質で魔術を弾くなどあり得ない」と、サチュリは返した。


「と、とにかくっ、安藤くん……助けないと! でも一体何処に……」


 ミヤのその言葉に、サチュリは答えず、ただ空を指差した。


「え、て、天国……?」

「違うわっ。空だよ。もう長いこと向こう側の海の上にいるのがわかる。だが、私には空を飛行する能力など無い。風の魔術師なら何とか出来るだろうが、あいにく私もリュードも、適性は炎――炎属(えんぞく)にある」とサチュリは言った。


 黎にはそれは子供の言葉遊びのようにしか聞こえなかったが、ミヤは必死に食いついていた。


「で、でもサチュリちゃんだって助けたいでしょ! 何か方法考えてよ!」

「――方法はある。……奴だよ」とサチュリは答えた。

「奴って……」

「サエキだ。あいつ自身からは力を感じ取れないものの、天界(ヘンヘイル)のバケモノを配下に従えている。あいつに頼めばあるいは何とかなるかもしれない。……天界(ヘンヘイル)の者に(すが)るのは少々気に障るがな……」


 サチュリは遊園地での後始末のことを思い起こしながら、そう告げた。

 こうして、彼女達は安藤を救うべく計画を練り始めた。



 ***



「……ダメだ。出ない」


 僕は被ったヘッドホンを取り外し、「ありがと」と礼を言いながら秋夢に渡した。もしかしたら携帯の音が鳴るように設定していなかったのかもしれない。自分にそう言い聞かせた。

 それにしても、携帯が手元から離れると、こうも暇になるとは思ってもみなかった。これから先の生活はある意味で地獄かもしれない。せめて、荷物を取りに行かせてもらえればいいのだが、それは無理だろう。


「な、なんつーか……ど、どんまい」


 秋夢は心配そうな表情で言った。彼女はアルバイトだと言っていたし、愛想は悪いが敵という感じはしなかった。これも神楽達の狙いだというのなら、かなりの策略家である。


 秋夢から離れ、僕はベッドで横になった。彼女には悪いが、せめて今日だけでもゆっくりと休ませてもらおうと思った。瞼を閉じると、そこが空を飛んでいる機体の一室だとは思えないほど静かで、秋夢がキーボードを叩く音だけが――いや、それと彼女の「ふひひ」という不気味な笑い声だけが、部屋に響き続けた。



 ***



 翌朝。

 僕は目を覚ますと、当たり前だが昨日と同じ部屋にいた。だけどそれは、自分が夢を見ていたわけではないことを強く認識させた。

 横を見ると、秋夢は机に突っ伏して寝ている。ネットゲームはログインしたままのようだった。

 廃人ゲーマー特有の『寝落ち』であることは、一目でわかった。

 秋夢には悪い事をしたと思い、ベッドへ運ぼうと彼女を抱き上げた。


「重っ――くないな」


 僕には、両手で大きい物を持ち上げる時、重くなくてもそう言ってしまう癖がある。つい先日ミヤに注意されたばかりであることを思い出した。秋夢は眠ったままのようで、安心した。サチュリを負ぶった時よりも軽いと感じたのは気のせいとは思えなかった。

 そっと彼女を布団に寝かせ、少し寝顔を堪能してから、支度を始めた。と言っても、着替えがあるわけでもなく、昨日記入した契約書のチェックをしたくらいだ。


 毎日風呂に入りたい自分としては、気分が悪くてしょうがなかった。

 時計を見たらまだ朝の五時半だった。特にすることもないため、機内の構造を把握しておこうと、書類と携帯端末を手に、外に出た。

 その様子を、秋夢は目を開いてじっと見つめていた。



 機内には、構造を記した地図が至る所にある。僕のいた寮の部屋が密集している『生活区画』は、機体全体でいうと、後部に位置していた。

 中間部に位置するのは、コンビニやレストラン、漫画喫茶から銭湯まで、生活に必要かと思われる店が立ち並ぶ『商業区画』となっている。

 前部は『研究・管理区画』と記されていた。会議室もここにあったはずだ。全てが一階から四階にかけて位置していて、それぞれの階から歩いて移動出来るようになっているようだった。


 周囲を見渡すと、朝風呂から出たのか首にタオルをかけて歩く人や、同僚と思わしき者同士で朝食をとっている者もいた。朝から外食である。

 若い人はそれなりに見かけたが、彼らは学校にも行かずにここに形成された、一つの社会に溶け込んでいるのだろうか。僕は少し疑問に思った。

 そしてそれを束ねるのが、高校生だというのがどうかしているのだが、なぜ誰も疑問を持たないのだろうか。


 四階には、甲板に出られる場所があるらしいので、次はそこへ向かおうとすると、誰かに呼び止められた。


「……あ、安藤さん……。おは……」


 それは、神楽と同じ制服に身を包んだ秋夢だった。少し息切れしているように見えた。

「あれ、おはよう。秋夢……さん」と、僕はぎこちなく返答した。

 なんて呼べばいいのかわからなかったからだ。年下であれど、職場の先輩ということになるのだから、なおさら混乱した。


「……色々、案内しよか。大体は、地図見りゃわかるけど……」


 秋夢は、僕と地図を交互に見て、そう提案した。「じゃあお願い」と僕は言った。


 秋夢は、商業区画にある店を細かに説明してくれた。「ここは、店長が屑、はっきりわかる」だとか、「このネカフェはネトゲの特典を受けれない。クソ」だとか、何一つ褒めた言葉は聞こえなかったが、それでも僕の中にあった緊張感は和らいだのだから、彼女には感謝せねばなるまい。


「……ホント、いろんな店が詰まってるんだね」と、僕は周囲を見渡しながら言った。


「……うん。必要だと思った店は要望として申請出来る……。要望が多かったら会議で検討するらしいよ……。だけど、気づかない?」


 秋夢は僕に問うが、何に気づかないのかわからなかった。だから僕は「アニメイトがないね」と、半ば適当に答えた。


「それだよ……」と、秋夢は言った。自分でも驚いたが、それが正解だったらしい。

「……残された人類に必要なのは娯楽だよ。……娯楽とは、アニメだ。人類にとって……アニメは切り離せない物なんだけど……。それを神楽ちゃんに直接投げかけても……やっぱ声は届かない……」


「そうなんだ」と僕は半分聞き流しながら答えた。

 ここに来るのが、ダニエルだったらよかったな。そう思った。


「ネトゲじゃ、ダメなの?」と僕は尋ねる。

「ネトゲでもいい……。でも、選定される人類に対して、ネトゲの種類が多すぎるし……最近はスマホのクソゲーばっか流行ってる……。私には、それが許せない……。私にとって、ネトゲは娯楽じゃない……人生だよ」

「そうなんだ」と、僕は答えた。


 だが、彼女の言いたいことはわかる。まるで昔の自分を見ているようだったからだ。

 まるで命をかけてるかのようにネトゲに没頭し、一日でもログインしない日があると、途端に人が変わったかのように、どうでもよくなる。

 僕もかつては『札束で殴り合うゲーム』とまで言われたネットゲームに、没頭していたものだ。勿論高校生だった僕は、そこまで重度に課金をしていたわけではないが、学校に内緒でやったバイトの給料を、全てそのゲームにつぎ込んだこともあった。


「俺も要望で出してみるよ」と、僕は彼女に言うと「まじで!」と、秋夢は返した。


 僕一人の要望で自体が変わるとは思えないが、彼女は喜んでいたので、やれることはやろうと思った。


「それよりさ、俺って何時にどこ行きゃいいかわかる?」


 渡された紙には今日これから行くべき場所が書かれていなかった。秋夢がいなかったら、昨日使用していた管理区画内にある会議室に行くつもりだったということも伝えた。


「んー……。神楽ちゃんに渡せばいいなら、そこより機械操舵室の方がいいと思われ……」


 彼女は答えた。

 機械操舵室は、艦内の四階最前部に位置している。科学研究室と隣接しており、そのどちらかに神楽は居ることが多いらしい。


「でも……神楽ちゃん出勤遅いから十時くらいになりそう……」と、秋夢は付け足した。


「十時か……。まだ三時間あるな」

「……ご飯食べたの?」

「あー、そういえばまだだ」

「……じゃ、じゃさ、何か買って一回戻ろ。もしかしたら……誰か迎えに来る可能性もあるし」と、彼女が提案した。


「そうだな」と、僕は了承して部屋に戻ることにした。


 途中で寄ったのは、コンビニだった。


「いらっしゃいませー」


 店内に入ると、やる気があるとは言えない声を、店員が発した。それは、別に現代の日本では当たり前のようなことだし、普段なら気にも留めないことだった。

 しかし場所が特殊だというだけで、それは異様な光景のように僕の目に映った。


「……ここの店員さんも、搭乗員なんだよね。この機体の」


 僕は、レジから離れたところで、店員に聞こえないような小さな声で秋夢に訊いた。商品も地上と同じ物が、同じように並んでいる。それなのに、妙な違和感を覚えてしまうことに、僕は疑問を感じてしまった。


「そだよ……。ま、商業班の人らのことは私もよく知らんけど」と、彼女は商品を選びながら答えた。


 窓の外に目をやるとまだ朝だから少ないとはいえ、私服だったりスーツだったりと、様々な人が行き交っている。その違和感は商業区画全体に及んでいるようだった。

 適当な弁当と飲み物を選び、レジに出した。まだ社員証は発行されていなかったため、秋夢に奢ってもらうことになったが、彼女は「別にこんくらいならいいよ」と言っていた。


「おべんとーあたためますかー」

「いえ、……結構です」


 このやり取りをした時、ようやく違和感の正体に気が付いた。

 普通すぎるのだ(・・・・・・・)。この区画、全体が。

 僕達はコンビニを後にした。気味が悪くて、少しでも早く部屋に戻りたかった。



「……変だと思わないの?」


 部屋に戻る途中、僕は秋夢に訊いてみた。


「……え、な、何が」

「商業区画の店員。普通すぎて不自然だと思わない? ここは、空だろ。空にこんなデカい輸送艦が飛んでて、なのにその中ではコンビニがあって店員はごく自然な接客をしてる。おかしいでしょ」

「わ、私も最初はおかしいと思ったけど……。なんか、しばらくいるうちに慣れちゃったっつーか……。疑問に思っててもどうしようもないから考えるのをやめたっつーか……? どうせあと一週間で私はバイト終わりだし、どうでもいいや、みたいな?」


 秋夢はそう答えた。彼女も理解の追いつかないまま今日までやってきたようだった。

 もしかしたら、さっきのコンビニ店員や、あるいは他の搭乗員の中にもそう思いながら業務を続けている者がいるのかもしれない。

 ある種の、洗脳だ。僕はそのやり方が、どうしても許せなかった。

 だってそれではまるで、秋夢が、彼らが――。


「操り人形、みたいじゃないか」

「……え?」


 秋夢が目を丸くして、立ち止まった。


「ゴメン、なんでもないよ。はよ戻ろ」

「……う、うん」


 それからは、特に会話もなく部屋へ戻った。しかし「操り人形」という言葉は、この時秋夢の心に深く刻み込まれたのだった。

 ――このやり取りが、いずれ世界を混乱に陥れる引き金となることに、一体誰が気付けただろうか。



 ***



「さてと、ここで食べればいいよね。頂きます」


 自室に戻ると、僕はソファの前に配置されたガラスのテーブルで食事を取ることにした。机が低くて、少し前かがみの姿勢になってしまうが、気にする程のことでもなかった。

 秋夢は、パソコンの置いてある机の席に着いた。今までの僕と同じだ。パソコンに向かいながら食事を取るのは。


「そういえば、秋夢ちゃんは飲み物買ってないけど、いいの?」


 ふと気になったことを僕は訊いてみた。自然な流れで、ちゃん付け呼んでしまったが、彼女は気づいていないか、あるいは気にしていない様子だった。


「……ワイは買い溜めがあるんやで」


 秋夢はそう呟きながら、1人で暮らすには大きい気がする冷蔵庫の扉を開いた。

 その中を見たとき、僕はどんな顔をしていただろうか。

 そこには、500ミリリットルの炭酸飲料やオレンジジュースといった、様々な種類の清涼飲料水が敷き詰められていた。普通のお茶とかは無く、全てがジュースである。


「すげえ……」


 僕は素直にそう感じた。コンビニで飲み物を買う必要はなかったのではないだろうか、とすら思った。

 そして気が付いた。この子は、間違いなく高校を卒業したらもれなくネトゲ廃人になるだろう。下手するとボトルで用を足すようになってしまうのでは、とすら思ったが、それを口にしたらセクハラ扱いで提訴されかねないご時世だったので、心の中にしまっておく……のではなく、考えないことに決めた。


「スゴイな……君は、本物のゲーマーだよ」


 僕は心の底から賞賛した。僕も過去の自分のネットゲームに対するのめり込み具合には、自信があった。もちろん今ではそれが情けないと思えるが。彼女はそれを上回っているかもしれない。


「……安藤さんは、もうネットゲームはしないの?」と、おにぎりを片手に彼女は僕に訊いた。


「んー、やろうと思えば出来るけどね。大学入ってからはリアルの関係も大事にしようって思ってさ。ちょっとログインしないだけでどうでもよくなっちゃったんだよね。高校まではホント俺も、ネトゲばっかに熱中してた。……親に心配かけるくらいにはね」

「……ここにいると、暇だよ。何にもすることがない」

「長くいるつもりはないよ。隙を見て逃げるつもりだし」


 そう答えた時、部屋のインターホンが音を鳴らした。秋夢が「今無理。出て」と言うので立ち上がり、外の状況を映した小さな画面を見た。


「ウィリアムさんだ。迎えに来たのかも」

「……そ、そう。まぁ、初日だしね。が、がんがれ」と秋夢は言った。


 僕は一通りの荷物を片手に、入口の扉を開いた。

「おう、昨日は休めたか!」とウィリアムは僕に訊いた。

「いえ、あまり……」

「だはは、そうか! まぁ、部屋は悪かねぇだろ! ……傷はまだ痛むか?」

「そ、そうですね……。傷は大丈夫だとは思うんですけど、わからないんですよ」

「わからない?」

「はい。痛覚を遮断する魔術を昨日からずっと使ってて……。そ、それで、その……解除の仕方がわからなくて……」


 僕は、彼に対する恐怖心を克服していなかった。誰が聞いてもわかるくらいに、自分の声が震えていた。

「ふむ……」とウィリアムは考える素振りをした。だけどそれは、ごく僅かな時間で、すぐに元の姿勢に戻った。


「まっ、それは長くなるから後にしよう。……なに、気にすんな。怪我人に運動させるような真似はしねぇよ。今日は、健康診断も含めていろんな検査をして、今後の予定を伝えたらたぶんお終いだ。ほら行くぞ!」


 彼はそれだけ言い残し、着いてこいと言わんばかりにさっさと行ってしまった。僕は、黙ってそれに従い、彼を追いかけた。


 ウィリアムに連れて来られた場所は、研究・管理区画の一階にある部屋だった。部屋の入口には『医務室』と書かれたプレートが壁に張り付いている。ウィリアムは扉を三回叩き(・・)、「連れてきたぞ!」と言った。すると部屋の中から「どうぞ」と言う声が聞こえた。


 ウィリアムが扉を開くと、やはりと言うべきか、中から薬品のような匂いが流れ出てきた。部屋に入ると、そこには昨日と同じで、学校の制服の上に白衣を纏った神楽がいた。


「来たわね。安藤弘樹くん。昨日はよく眠れたかしら」


 口元にだけ笑みを浮かべて、彼女は僕にそう尋ねた。


「……いや、あんまり」

「そう。あ、それ契約書ね、先に受け取っておくわね。それで今日なんだけど、艦内の構造を知ってもらうのも兼ねて、色んな検査をさせてもらうわ」


 そう言った彼女は、僕の頭に手を伸ばし、髪の毛を一本抜き取った。

 突然の事に頭を押さえ、きょとんとした僕を見て彼女は言った。


「悪いわね。遺伝子配列の検査もしてるのよ。まぁそれはこっちの話で……。ここでは身体測定と戦闘用のスーツの採寸をするわ」


「スーツ……?」と、僕は訊いた。その問いに答えたのはウィリアムだった。


「遊園地で俺達が着てたヤツだよ。サイズ正確に計らねえと、任務に支障をきたすからな。一人一人が特注なんだ、作ってるのはここだけどな。ダハハ!」

「そーいうこと。じゃ、隣の部屋でよろしく。私は少しすることがあるから」


 神楽はそう言って、携帯通信機を取り出し誰かと電話を始めた。


「ついてこい」とウィリアムは僕に言った。

 医務室と繋がった隣の部屋は、どちらかというとそこに付属された狭い物置部屋のような感じだった。棚の中には薬品と思われる様々な大きさの瓶が、所狭しと並べられている。

 その横には、使い古されたのかボロボロになった測定器が置かれていた。体重計も病院にあるようなデジタルの物ではなく、一昔前の重さで針が動くタイプの物だった。


「……古いですね」と僕は思わず呟いてしまった。しかし彼は笑いながら答えた。

「ハッ! 使えりゃいいってことだよ! 余計な所に金は掛けられねえからな」

「それは全然説得力がないような……」


 商業区画に並ぶ豊富な顔ぶれの店々を頭に浮かべながら、僕はそう答えた。


「ま、どうだっていいだろ。ほら、脱げよ」

「はぇ?」


 唐突にウィリアムが突拍子もないことを言い出し、僕は変な声を上げてしまった。その言葉の意図を察するに要した時間は、多くなかったが、一瞬でもある意味での身の危険を感じてしまい、終始それを意識してしまうことになった。

 男としてのそれ(・・)を卒業する前に、性別の問わないあれ(・・)を卒業するくらいなら、死んだ方がマシだな。

 そんなことを考えていた。


「うし、これで採寸終わりだ。随分細いな、もっと肉食え肉!」

「自分は少食なんですよ……」


 そんな会話をしながら部屋に戻ると、神楽が「おかえり」と声を掛けてきた。

「じゃ、このデータは軍事研究部に送って、と」と自身の目の前にあるコンピュータにデータを打ち込みながら、神楽は言った。

 彼女も「体重かっる」と呟いていて、僕はどこか悲しい気分になった。


「この後は、ニヴェルヘイムの各班のリーダーと面接をしてもらうわ。もしかしたらそれ以外の人もいるかもしれないけれど、そういう予定だから、よろしく」

「え、面接?」

「そうよ。あなたのステータスがどの程度の物かを多くの視点から判断するための面接だから、緊張とかはしないで、気楽に受けてもらって構わないわ」と神楽は応えた。


「はい、コレ」と彼女から渡された用紙には、点数を入力するような様々な項目があった。『マナー』とか、『常識力』などといった項目があり、案外凝ってるなと僕は思ったが、その目線を下に落とすにつれ、その考えは霧散していった。


「……なんですか、『煽り耐性』って」

「煽り耐性よ? わからないの?」

「わかるけど、おかしいでしょこれ!」


 その項目は下に進むほど意味のわからないものになっていった。『女子力』とか『メンタル』とか、他にも意味が重複してる物もあるし、まるで途中で思いつかなくなったから無理にでも埋めた感じがひしひしと伝わってくる。

 そのことを指摘したら「……早く行きなさい。昨日行った会議室ね」と部屋を追い出された。


「一つアドバイスだ。これからのお前の行動は全て監視される。だから気を付けるんだな。それじゃ、俺は他に用があるからな」


 一緒に追い出されたウィリアムはそう言い残して走り去った。

 僕は、それを呆然と見送った後、会議室に向かった。



 ***



 会議室に向かう間、多くの人とすれ違ったように思える。スーツ姿の者や、白衣を着た者が大半だったが、彼らからは妙な視線を感じ取ることが出来た。

 その時はじめてウィリアムの言っていたアドバイスの意味を理解したのだ。

 既にステータスチェックは始まっている、ということだ。


 会議室に着き、扉の前で深呼吸をした。そしてノックをしようとした時、先程のウィリアムの行動を思い返した。彼は扉を三回叩いていたことだ。あれはもしかしたら、癖ではなくて礼儀の一環なのではないか、と僕は考え、扉を三回軽くノックした。

 しかし、中からは応答が無い。まさかこれも診断の一つなのか、といちいち勘繰ってしまう。


「し、失礼しまーす……?」


 恐る恐るドアノブに手を掛けると、扉は音を立てながら簡単に開いた。しかし中には誰も居なく、綺麗に並んだ机と椅子が置いてあるだけだった。椅子の一つ、神楽が座っていた席は、昨日のまま雑に飛び出していたが。


「場所、間違えたかな……」


 そう呟きながら外に出ようとすると、扉が開かない。ドアノブは回るが、空振りを続けるだけで本来の機能を果たしていなかった。

 何かあるとは思ったが、どうやら無様にも罠にかかってしまったようだ。

 ドアを突き破る力が僕にあるとは到底思えないし、少し考えたがしばらく待つ事に決めた。

 余計な体力を使いたくないし、痛覚がないおかげで下手に身体を動かすことが出来なかった。

 僕は一人、静かな部屋で待った。先にトイレに行くべきだったと後悔した。今は平気だが長期戦は、こちらには分が悪い。

 まさか真の黒幕が尿意だったとは、誰も思わなかっただろう。と、頭の中でジョークを言いながら気を紛らわせた。


 しばらくすると、扉を開く音と共に五人の人物が会議室に入って来た。


「わりぃ、遅れちまった」


 そう言いながら、先陣を切って入室してきたのは、ウィリアムだった。神楽は三番目に入室してきたが、残りの三人は初めて見る人物だった。

 背筋に緊張が走る。元々、こういった面接の場は苦手だったし、尚更のことである。普段通りの振る舞いが出来ないのだ。

 五人は、僕の向かい側に座った。真ん中の席にどっさりと座り込み、足を組みながら神楽は言った。


「悪いわね、少し待たせてしまったようで」

「い、いえ、そんなことは……」

「何?」

「え?」

「そんなことは、何? と訊いているの。理解してちょうだい」


 それが演技だったのかはわからないが、少しばかり僕はその言葉に苛立ちを感じた。

 しかし、周囲に座る人達の視線を感じてしまい、僕は強く言い返すことは出来なかった。


「……特に、待ってはいませんよ」

「そう、まぁそんなことは置いといて、予定通りこれから面接を始めさせてもらうわね。だけど少しスケジュールを変えるから、さっき渡したステータス表は返してね」


 そう言って神楽は僕の前に置いていた紙を手に取った。


「じゃ、先に本日面接官を担当する職員を紹介させていただきます。まず一人目、あなたから見て左側にいるのが、ニヴェルヘイム軍事部隊の隊長、ウィリアムよ」

「よろしくな」


 ウィリアムは歯を光らせながらこちらに笑いかけた。僕は軽く会釈をして返した。


「それで、このスマホでぽちぽちゲームやってんのが、ネットワーク班のリーダー、名前は『ウォーロック』だっけ?」

「ん」


 ゲームに熱中しているのか、その少年は神楽の問い掛けに曖昧な返答をした。薄手のパーカーを腕をまくりながら着ているが、その腕は僕と同じくらいに細い。年齢の近い、趣味もほぼ近い大学生みたいな感じだ。


「安心していいわよ安藤くん。少なくともこいつよりあなたのほうが能力も人間レベルも高いでしょうし。『ウォーロック』ってのはハンドルネームらしいから、呼び捨てでいいわよ」

「ん」

「は、はぁ。よろしくお願いします」

「ん」


 僕の呼び掛けに対しても曖昧な返答をした。この人は、こういう人なんだと割り切ることにした。しかしこんな人が班長って、ネットワーク班って大丈夫なのだろうか。

 そんな疑問が顔に映っていたのか、神楽が補足を入れた。


「まぁ、こんな風にゲームばっかしてる奴だけど、こと通信関連、とくにハッキングにおいては世界で争えるレベルだと言えるわね。脆弱なセキュリティだとスマホだけを使ってハック出来るらしいから」

「……言っとくけど、これはゲームしてるわけじゃない。不正なプログラム――いわゆるチートを使って、レアアイテムをコモンアイテムにしてるだけ。それを他のユーザーに売るだけで月に数十万は稼げる」


 ウォーロックは画面を見てニヤニヤと笑いながら自慢した。神楽は「そのくらい私にも出来るわよ」と反論していたが、こうやって働かずに大金を稼いでいる人がいることは、正直羨ましいと思う。いや、彼にとってはこれこそが労働なのかもしれない。


「で、私ね。昨日も言ったけど、黒崎 神楽ね。一応この艦内では一番偉いんで、そこんとこはよろしくー。本業は、まぁコンピュータ関連全般ね。機体のシステムの保守やら運用やら新たな機器の開発まで。正直出来ないことはないわ」


 神楽は相変わらず制服に白衣だ。本人も気に入ってるのかは知らないけど、白衣を着る女の子は可愛い。素直にそう思った。しかし、その白衣からは机越しからでもわかるくらいに煙草の臭いが染み付いている。

 お節介かもしれないけど、彼女の若さで煙草を吸っていることは少し心配だった。


「で、私の隣にいるのが商業区域の首領(ドン)よ」

「……フンッ! ステレコスだ! 商業区は労働区域からの干渉は一切無しに仕切らせてもらってる! もし軍部が嫌で普通に働きたくなったらオレのトコロに来な! 斡旋くらいはしてやらァ!」


 その男は、いかにもボスに見える風貌をしていた。スーツも完璧に着こなし、高そうな腕時計を着けている。ウィリアムが霞んで見えるほどに雰囲気は暑苦しいが悪い人ではなさそうだった。


「……悪いけどステレコス、安藤くんは混合種よ。そっちにまわすほどの余裕はないわ」

「はッ! そうかい!」

「……で、五人目ね。どうぞ」


 僕は片側の隅に座る人物に目をやった。五十代くらいの眼鏡を掛けた男性だったが、ステレコスの隣にいるのもあってかなりちっぽけに見えた。神楽と同じように白衣を着た男性は、咳払いの後に口を開いた。


「えー、初めまして。ニヴェルヘイム医療チームの責任者、清水 大介と申します。よろしくお願いします」

「おお……」


 感動のあまり、思わず声を出してしまった。ようやく、普通な感じの人に会えた気がしたからである。雰囲気も優しそうだった。弱々しいとも言える。


「あんたを治療したのは彼よ。礼くらいしときなさい」

「そうだったんですか。それは……ありがとうございます」


 元々怪我させられたのも彼らが原因だったのだが、それは触れないことにした。


「もう、調子は大丈夫みたいですね?」

「は、はい! おかげさまで……で、いいのかな」


 痛覚遮断の事を黙っていたのは、彼が嬉しそうな顔をしていたからだと思う。

 どれだけ深い傷を負っていたのかはわからないが、どうにか今生きているのだ。それは感謝するべきことだろう。


「……じゃあ、そろそろ面接に入らせてもらうわね。私達が持ってるのは、あなたの経歴調査書とステータス評価表よ。私達五人がそれぞれ点数を付けるから、それを平均してあんたのステータスが決められるわ」

「……そのステータスって、何か必要なことでもあるんですか?」


 あの評価欄を見ても、これが何かの役に立つとは、到底思わない。


「……そうね。正直業務に大きく影響することは無いけれど、あんたはあんた自身のことをよくわかっていないでしょう。他者から見た評価を知れるんだから、いい機会なんじゃない?」

「な、なるほど……」


 その答えを聞いて、僕の中で大人しくなっていた緊張感が再び唸り出した。


「じゃ、早速質問に移らせてもらうわね」

「はい」と僕は返事をした。

 面接が始まった。


「いきなりなんだけど、大学楽しい?」

「はい? 楽しいですけど……」

「ふーん、友達いる? 恋人は? てか大学行ってる意味あるの? ちゃんと勉強してるのかな、まさか遊びに行ってるわけじゃないでしょうしね」


 答える前に次々と神楽から質問が飛んでくる。

 これは、僕も聞いたことがあった。一時期話題になったからだ。

 これは、『圧迫面接』だ。


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