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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 - 引き裂かれる日常
15/75

それぞれの進む道 - Ⅰ

 日が沈みゆく空の下、リュードは自身の契約者の元へ歩いて向かっていた。

 すれ違う人々は、彼の異様な髪色、そして黒を基調に纏められた服装に不安感を抱くものの、さりとて気にする様子も無い。どこからか鈴虫の鳴く声が響き、海岸線を歩く彼には心地よい潮風が吹き付ける。


「あ、あの! どこかのアーティストさんですか?」


 時折このように、彼の姿に興味を示した者――主に女子学生である――が声を掛けることもあった。

 しかし今の彼には、日本語が通じない。そうなる度に、なんとか身体のジェスチャーでそれを伝え、その場を後にしていた。

 一本の川にぶつかった。その川の中流付近……石膏で固められた橋脚の下。そこが彼の契約者の住居だった。リュードは歩みを進める。


* リュード 視点 *


「――坂下。いるか?」


 自身の契約者の住居へ着いた私は、その家へ呼びかける。声は反響し、意図に反して大きく響いてしまった。これで反応がなければ、留守にしているということだろう。

 その家は、茶色い厚紙や金属の筒、特殊な素材の青い布を上手く組み合わせて出来ていた。まるで、巣のようだ。

 あらゆる生物は、本能的に安全な住居を探し、無ければ創り出す。それは、この世界でも同じのようだ。文化の先進に遅れた者は、このようにして自力で住居を立てるのだろう。

 私は旅館からここまで歩いて来たが、そうと見受けられる物は、いくつか目にした。

 この世界の地位の格差も、相当のようだ。そして人々は、まるで最下層の者は眼に映っていないかのように生活をしている。目の前に建てられたその家も、本人には失礼だが犬小屋以下だ。


「あぁー……? リュード君か……。戻って来たんだ」


 私の契約者――坂下(さかした) 賢治(けんじ)は、気だるそうにその小さな家から顔を出す。彼の目元には、先日にはなかった(あざ)があった。


「妹さんには会えた?」

「ああ……。それよりその顔、どうしたんだ」


 坂下は家から這い出て、大きく伸びをする。その服も汚れが目立ち、一部に穴が開いている。


「……世の中には、残酷――というより、善悪の判断がままならない人がいるもんでね」

「襲われたのか? 一体どこの誰だ。私が――」

「あーいいよ。落ち着け。襲われたのは事実だけれど、そいつはまだ子供だ。きっといつか、大人になったら気づいてくれる。

 少しでも後悔して反省してくれるのなら、俺はそれで十分だよ。こうなってしまったのは、自分の責任でもあるからね」


 坂下はそう言って、明るく笑ってみせた。

 なぜ、彼のような人間が堕落してしまったのか、私はこの世界の構造に些か疑問を感じてしまう。


「……んで、何しにきたの」

「この世界について、色々と知りたい。図書館の場所を教えてくれないか」


 坂下は、「うーん……」と唸りながら、思考を巡らせているようだ。もしかしたら、身分の関係で公共の場に入れないのかもしれない。

 そうだとしたら、彼には失礼な相談をしてしまった。

 しかし彼は、何かを思いついた様子で顔を上げた。


「……調べ物をしたいなら、もっと良い場所がある。この時間だと、図書館も閉まってしまうだろうし、場所も遠いから……たぶん」

「そこでいい。案内してくれ」


 彼は快く受け入れてくれた。


「……あー、その前に飯にするか」


 私が連れられてきたのは、公園だった。

 そこにたくさんの机と椅子が並べられ、誰かが複数人で食料を配布している。


「これは……?」

「炊き出しと言ってね、生活が困窮している人のために、善良な方々が無償で食べ物を配ってくれるんだ」


 つまり、ここに集まっている者は皆、坂下と同じように、身分の低い者なのだろうか。数が、多い。


「俺達ももらおう。早くしないとなくなっちまう」

「……ああ」


 私達は、料理の前に出来た列に並び、料理を受け取り、空いていた席へ着いた。

 その料理は、見た目は美味しいそうとは言えなかったが、立ち込める湯気や香りは食欲をそそる。野菜のたくさん入ったスープと、米だった。


「……悪くない」

「だろ? ホント、感謝してもしきれんよ」


 しっかりと煮込まれた具は、味が染み込んでおり、あっという間に完食してしまった。


「お、坂下さん」

「昨日ぶりだな!」


 不意に、二人組の客が声を掛けてきた。

 坂下の知り合いのようで、私のことも気になるのかこちらを見ながら会話をしていたが、料理を受け取る前だったようですぐに行ってしまった。


「今のは?」

「んー、知人みたいなもんだよ。ここじゃないけど公園にテントを張って暮らしてる。片方は元ミュージシャン、片方はタクシーの運転手だったらしい」

「色々な人がいるんだな」

「そうだねぇ。でも他の区ではこういった炊き出しを禁止してしまったらしいから。

 いつかここに集まる人らも、散り散りになるんだろうな」


 ようするに、地区の行政は彼らを『汚物』としてしか見ていないようだ。

 魔界(ネビュレスト)でもこういった格差はあったし、かつて私は迫害する側だった。


「行政の人らも、僕達を良い方向でなんとかしようとは言っている。

 ホームレスのための施設だってある。でも、そこに入ろうとしない奴も少なくはない。

 彼らはどうしても、『否定』から入ってしまうからだ。ある種の、一般的な社会とはかけ離れた異文化だからね。何も俺達のことを知らないし、知ろうともしていない。

 だから結局、どうすることも出来ないまま時は過ぎていくんだろうな」

「……なるほど」

「ま、外での生活もなかなか悪くはないよ。格差社会とはよく言うが、それは俺達の中にも形成されているようだし」


 彼の言葉は、いちいち私の心に刺さってしまう。


「――さて、腹ごしらえもしたしそろそろ行くか」



 ***



 こうして私が連れられて来たのは、『漫画喫茶』と呼ばれる場所だった。


「最近は身分証がないと入店すら出来ないとこばっかだから困る」


 彼はそう呟いていた。ここで私は、パソコンの使い方や日本語を教えてもらい、四時間ほどでそれを完璧に習得した。

 驚いたのは、国によって使う言語が異なるということだ。坂下は六ヶ国の言葉を話せるらしいが、「日本語が一番難しいと思う」と言っていた。

 日本から出ることはないだろうし、それらの学習は放棄したが、適応力の高さに坂下は半ば困惑している様子だった。

 だが魔界(ネビュレスト)では、これが普通である。


 ふと、この世界の地図を調べようとしていたことを思い出し、読んでいた漫画を置いてブラウザを起動する。


「世界地図、で検索すればいいか」


 そうして出てきた画像を目にして、私は言葉を失った。そこに映し出されたのは、紛れもなく地球の地図だろう。

 ――しかし、それは。魔界(ネビュレスト)の世界地図と、完全に一致していた。


「坂下……。この……世界地図は、本物か? インターネットは嘘も多いとは言っていたが、これは、どうなんだ……」

「いやこれは間違いなくこの世界の地図だけど……なんで?」


 魔界(ネビュレスト)で史実の勉強をしていた時に、一人の人物について調べたことがある。

 その名は、ノルド=ヴァンテリル。とっくに故人となった人物だが、彼は自身の著書にこう記していた。


『私は、死者の国から帰還した者と皆に騒がれ、有名になっているがそうではない。

 私はある時、唐突に異世界に転移し、そこで数年暮らし、帰ってきた。

 その世界の人々は魔術が使えないが、驚くべき程の技術力を持っていた。彼らの技術力はいずれ私達の魔術を超え、空間をも越えて私達に会いに来るかもしれない。

 そして驚くべきことに、彼らの世界は、まるで私達の世界の複製物かのようだった。地形が、全くと言っていいほど一致していた。

 生きる者こそ違えど、確かにそこに文明はあった。先述したように、彼らは魔術で空を飛ぶこともない。常に大地と共にしている。

 だから、私は彼らのことを『地界人(イールセル)と呼ぼうと思う――』


 内容こそ殆ど覚えていないが、なかなか興味深い話だったから記憶にあった。


「確か……あの著者は気が狂って死んだとか言われてたな……。しかし内容が一致しすぎている……。空を飛ばないと言ってたがそれも技術の進歩で覆したのかもしれない……」

「あのー……リュード君?」

「あの著者は戦闘を好む魔術師ではなかったはずだ……自力で帰ってきたんだよな……方法が思い出せない……くそ!」


 しかし、ここで得た物は非常に大きい。一つの確信が芽生えたのだから。


「――魔界(ネビュレスト)に、帰れる」



 ***



 その後、私達は帰路についていた。漫画の続きこそ気になるが、それよりも最優先でやることがあった。サチュリと合流して、話し合わねばならない。

 いや、坂下にもだ。ネットカフェにいる間に判ったが、彼は頭が良い。気になることをわかりやすく、迅速に説明してくれる。


「あの後主人公はどうなったんだ? どうやってあの砂の魔術師を倒すんだ」

「んー、確か水かけて固めるんじゃなかったっけ……」


 ――と、彼の勧めてくれた漫画の話をしつつ、歩を進めていた。

 しかし、最後の曲がり角を曲がった所で、ある光景が私達の目に入り、呆然と立ち尽くしす。

 坂下の家が、燃えていた。



 ***



「消えろッ! クソっ! 駄目か!」


 坂下は必死に火を消そうとしていたが、やはりそれは無謀なことだった。

 私も水属魔術を使おうと試みたが、詠唱をしても魔力の流れは感じるのに、何も起こらない。

 実に無力だ。魔術の無い私が、これ程に無力だとは思わなかった。


 その火は、すぐに駆けつけた消防隊によってかき消された。恐らく誰かが通報したのだろう。

 だが、全て燃えてしまっていた。

 警察も来て、坂下に事情を聞いていたが、その口調には棘がある。犯人でもないのに、責められているようにも感じた。

 近所の住民も野次のように集まっていた。彼らの会話に意識を集中する。


 ――なに? 火事?

           うわ、ひでえなコリャ。写真撮っとこ――

 ――ホームレスかよ! 死んだかな?

           すげえことになってる! お前らチクるなよ(・・・・・・・・)――


 考える前に、動いていた。

 それは人間には為し得ない速度だったし、目撃した者がいれば驚くだろう。


「――お前らか?」


 目の前にいたのは、十代後半と見える若者、四人だ。突然目の前に現れた私に驚き、硬直している。


「え、何――」

「お前らか、と聞いている」


 この時、私の姿は彼らの目にどのように映っていたのだろう。私自身も怒りで我を忘れかけ、殺意の総てを彼らに向けてしまっていた。


「わ、わあぁぁっ!」


 私の殺意か、この異色な風貌か、どちらに驚いたかはわからない。しかし彼らのうちの一人が、声を上げて逃げ出した。続いて二人目、三人目と。

 しかし私は、一人の腕を掴んで離さなかった。『チクるなよ』と言っていた少年である。


「どうなんだ? 答えろ。『チクる』と言っていたのは、何のことだ?」

「な、何の話だ……ですか」


 次とぼけたら私はこの少年の腕を、粉々に握り潰すつもりだった。徐々に力を込めていく。既にヒビは入っているだろう。


「火を放ったかどうか、聞いているのだが」

「――ごめんなさい。ごめんなさい! やりました!」

「昨日、ホームレスを暴行していたのは?」

「僕達です! もうしませんっ!」


 少年は、泣きじゃくっていた。

 それが、自身の行いに対する後悔か、私に対する恐怖かはわからない。後悔だと嬉しい、坂下の言っていたことがわかった気がする。


「――彼は、お前達を許したのに」


 誰かに迷惑をかけるわけでもなく、他者の悪行を笑って受け入れ生活していた一人のホームレス。

 坂下は、この日全てを失ってしまった。


 私は彼に、警察と坂下のいる前で犯行を自白させた。

 これは後ほどわかったことだが、放火の疑いで送検された四名の高校生は、消防隊への通報も行なっていたらしい――。


「ありがとね」


 事の(ほとぼ)りが冷めた後、河原の斜面に腰を掛けながら、坂下は私を見上げて言った。


「私は、私の正義を掲げて行動しただけだよ。

 正義とは、必ずしも善意による物ではない。実際、あのままとぼけていたら、私は少年に深い傷を負わせただろうしな」

「そうだね――。でも、スッキリしたよ。俺は、『仕方ない』という言葉に甘えて逃げていたのかもしれん。

 彼らは、未来のある若者だ。一日でも早く、過ちに気づかせるべきだったかもしれん」


 静寂に包まれた河原で、坂下は静かに、自身にも問いかけるように呟いていた。虫の鳴く声や、河の流れる音に反して、その場には未だに焦げた臭いが残っている。


「――これから、どうするつもりなんだ」

「それなー、めちゃくちゃ考え中。役所に行って施設にでも入るかなー」

「そうか……」


 彼にとっては、それが最善の選択なのかもしれない。

 しかし、私は彼にこう問いかけてみた。


「お前が決めることに水を差すようで悪いが……もし、これから行き場がないと言うならば、共に旅してくれないだろうか?

 お前の知識は大したものだし、私もまだ、わからないことが多すぎるんだ」


 それを聞いた坂下は、一度だけ驚いた顔をした。すぐにいつものようなにこやかな顔に戻ってしまったが。


「旅……か。悪くないな! その話、乗った!」

「……随分と決定が早いんだな」

「ハッ! ホームレスってのは、基本暇なんだよ。……俺だけかもしれんがな」


 こうして私達は、魔術の発動が出来ない原因を探るため、西を目指すことにした。

 二人とも、荷物は無い。



* 安藤 視点 *


「ムリです」


 ノアの一員となれ、という神楽(かぐら)の要求に対して、僕は即答していた。かなり緩い雰囲気で運営しているようだが、彼らは敵である。


「そもそも、具体的に何をするのか聞いていません」

「そうね、先に業務内容を教える方がいいか。

 簡単に言えば、魔界人の保護よ。まぁ、あとは適当に戦闘訓練とか、外国語の勉強とか。ちゃんと月給も出るわ」


 それを聞いて、尚更協力する気は無くなった。給料があることには驚いたが……。

 聞き出せるだけ情報を聞き出そう。

 この子、何でも教えてくれそうだし。


「そんなに沢山、魔界人(ネビュレステル)っているんですか」

「ネビュレステル? そんなめんどくさい呼び方じゃなくて、魔界人でいいわよ。魔法の世界と書いて、魔界。

 先週くらいにあった大きな地震覚えてる? 『転移震動』って呼んでるんだけど。

 あれね、自然に起きたものじゃないのよ」

「え……?」


 それを聞いて、家にいる時に保存した光の柱の写真を思い出した。

 あの書き込みは、本当だったのだ。もしかしたら、彼らの手によって消されたのかもしれない。


「ネットで、そんなことを言ってる人がいたような」

「なるほど、やっぱ見てる人は見てんのね。

 想像してるかもしれないけど、それはおそらく私達の手で消したわ。ネットワーク班って部署があってね。必死こいて地球上の全ネットワークの情報を収集してるのよ」


 何それスゲー……っと、相手のペースに飲まれてはならない。

 目の前にいるのを普通の女子高生だと思ってはならない。

 彼女は敵だ。白衣に制服はコスプレだ。

 騙されるな。


「だけど、おそらく既に殆どの人が忘れてるんでしょうね。そういうものだし」

「わかる気がする……」

「で、あの地震波なんだけど、あれで魔界人が召喚される。特徴としては、初期微動がないことかな。わかりにくいけど、空間が揺れるのよ。全方位にとてつもないエネルギーが放出されてね」


 神楽は、スクリーンに映し出された映像を僕に見せながら、説明してくれた。


「じゃあ、何か海底火山が噴火とか言ってたのは?」

「おそらくそれは誘発されて起こった自然現象ね。今でもメディアのヘリが飛んでるんじゃないかな。

 ――話を戻すけど、魔界人はそんなにいないわ。あなたの契約者で、十一人目になるかな?」

「少ないな……。でもなんで魔界人を……」

「――危険だからよ。そして何かと身体能力は高いからね。手中にあれば、いざという時に使える」

「俺もここに来た時は、戦いなんてからっきしだったんだぜ?」


 ウィリアムが付け加えた。この体躯の男が戦わなくて、サチュリやリュードのようなスマートな体型の者が戦う――魔界(ネビュレスト)はどんな世界なんだ。

 しかしそれだけが理由なのだろうか。僕には彼ら魔界人(ネビュレステル)が危険な存在だとは思えなかった。


「故意に来たわけじゃないんだろうし……。元の世界に帰るのに協力してあげればいいんじゃないかな……」

「帰れないわよ」


 帰れない。その言葉を聞いた時、心なしか部屋が静かになった気がした。


「あなたの言うように、全ての魔界人が共通して『故意に来たのではない』と言うわ。

 だけどね、魔界には“時空石”が無いみたいだし、自力で次元を越える術がなければ、転移魔術を起こした奴が同じくらいの召喚魔術を使わない限り、帰れないのよ」

「まぁ、俺ぁこの世界に嫁さんも息子もいるからな。帰る気はねーわ。ハハハッ!」


 彼女が言ってることは理解出来た。サチュリもリュードも、この世界で一生を過ごすことになってしまうのだろうか。

 しかし何故、彼女はここまで知っているんだろう。


「――そろそろ、答えを聞かせてもらってもいい? 大体のことは教えたでしょう」

「事情は大体わかったけど……。仲間にはなれない。俺は、サチュリ達を元の世界に返してやりたいし、魔界人を駒のように使うのは許せない」


 神楽は、溜息を吐いた。


「……そうね。今の隊員の中にも、スカウトを断った人はいたわ――。ウィリアム」

「……はいよ」

「でも、最終的に内定を蹴った人は一人もいない。なんでだと思う?」


 神楽は、不敵な笑みを浮かべる。ウィリアムはスクリーンの映像を変えた。

 そして神楽がコンピュータを操作する。


「……まさか」


 そこに表示されていたのは、両親、姉、祖母、そして飼い猫のゴローだった。いつものように生活をしている映像を、遠方から撮影されている。


「お前達は、鬼か……」

「いいえ、私は人間よ。ふふ」


 僕は、家族を人質に取られ、彼らの仲間に加わる事を、承諾することになった。でも、心まで屈したわけではない。

 彼らが、サチュリを狙っているというならば、そう遠くない日に会うことになるだろう。

 そうなれば、タイミングを見て逃げればいい。そう思っていた。


「とりあえず形式上の雇用契約を結ばないといけないから、あとで渡す書類を書いて私に明日ちょうだい。ウィリアムは寮に案内してやって。むさい所じゃなくて若い子がいるとこにしてあげなさい」

「了解っと。ついてきな」


 僕は寮に向かう間、機内を見渡していた。

 これは、半分は脱出のため、半分は興味である。

 そう、半分の興味を持たせるほどにこの機体は、広かった。天井から吊るされた案内板には『←露天風呂』だとか、『←屋内プール』だとか書かれているし、コンビニからちょっと高そうなレストランまである。

 どうなっているんだ。


「すげぇだろ?」


 僕の様子に気づいたのか、ウィリアムが尋ねてきた。


「……はい。すごいですね。飛行機の中とは思えない……」

「ハーハッハ! そうだろうよ。しかも、ここにいるのは全員が従業員。残業もなし、勤務中ずっと休憩してても命令が下らない限りはお咎めナシ」


 優良企業すぎて、不安になる。

 ただ、二週間に一度の物資補給時にしか、家に帰れないようだ。二日間だけ地上に降り立つため、家族とは一晩しか過ごせないことになる。


「ウィリアムさんも、家族を脅されて……?」

「いーや、俺は昔海外で生活してたんだけどな。一念発起して日本に来たら、速攻で捕まって勧誘されたんだ。魔界人だからな。待遇が中々良かったから、快く仲間に入ったよ。頑張ってこの地位も手に入れた。こう見えても、今や戦闘部隊のリーダーだよ」


 つまり、彼は戦ったら強いのだろう。銃一発で沈んだ自分が情けなくなってしまう。

 そして、僕達は寮に着いた。


「んー、若い子っつったな……。若い子で一人の部屋……おお、いたいた。十七歳、ネットワーク班の奴だな。42F号室だ。覚えろよ」

「Fって……16進数ですか」

「ご明察。一階当たりの部屋数が100を超えちまったせいで、四桁にするのもわかりにくいからって16進数にしたらしい」


 「頭(ワリ)いよな!」とか言いながら、ウィリアムは爆笑していた。彼の言う通り、寮の部屋数は多かった。寮の区画に入ってからの移動時間の方が、長かったくらいだ。


「どうやら相方はいないみたいだな。んじゃ、明日から頑張ろうぜ!」


 そう言ってウィリアムは、僕に携帯のようなものと、数枚の書類を渡した。読めということだろう。

 そして高笑いしながら去っていった。嵐のような人物だった。



 ***



「広っ!」


 寮の部屋に入って、最初に浮かんだ感想がそれだった。

 入ったらすぐに台所があった。そして、冷蔵庫もある。自炊が出来るということだ。しないけど。

 奥に入ると、壁に埋め込まれた液晶テレビ、ガラスのテーブル、ソファと並び、その後部にベッドが一つ。その横には机があり、ノートパソコンが付けっ放しで置いてあった。

 何もかもが、一人暮らしで借りていた部屋よりも大きい。

 ただ、窓はない。ここだけ勝ってる。

 これが、格差社会か。


 ソファに腰を下ろし、渡された資料に目を通す。一枚目の冊子には、機内の地図から内部の店の情報まで細かく記されている。それはまるで、ありきたりなグルメ雑誌であるかのようだ。

 改めて見ても広い。パチンコ店まである。

 そして驚いたのが、この機体がそのまま宇宙船の役割をも果たすということだ。

 それは、二枚目の資料――こちらは白黒の印刷物だった――に記載されていた。

 この機体は一つの街のように機能出来るように作られているらしく、今でも改装が続けられているようだ。

 機内の人間は皆、何かしらの従業員で、一人一人に渡されるカードを使うことで、内部の店を利用出来る。

 その際、(あらかじ)めICタグカードに登録された口座情報から、自動的に料金の引き落としが行われる――。

 現代社会において、最先端の技術がどれだけ進歩しているのかは、地方に住んでいる自分にはわからなかったが、これだけでも十分にハイテクだと感じてしまう。

 三枚目の印刷物は、契約書のような物で、住所や銀行口座を書く欄がある。枠外の余白には、可愛らしい字で『書け』と書いてあった。

 住所を書くことにやや躊躇(ためら)いがあったものの、簡単に調べられるのだろうという先入観から、その思いはすぐに払拭されてしまった。


「……これで、いっか」


 一通りの記入を済ませ、僕は肩を伸ばしながらソファにもたれかかった。大分身体が疲れているようで、このまま眠ってしまいそうだ。しかし、この部屋にはもう一人住人がいる。その人に挨拶もせずに居眠りをするのは失礼だと思い、僕は待つことにした。

 時計の針は下を向いている。ミヤ達は心配しているに違いない。どうにかして連絡を取れればいいのだが、渡された携帯端末はどこを押しても反応しないし、機械にはそれなりに強いと自負していた自分であるにも関わらず、それに関しては使い方がさっぱりわからない。

 結局どうすることも出来ず、時計の秒針が時を刻む音を聴きながら、ただ黙々と、ソファに座っているだけだった。ここが、自分の利用していい部屋であるという実感が、なかったというのもあるだろう。


 しばらく待っているうちに、僕の意識は半ば眠りに落ちていた。顔を揺らす反動で目を覚まし、また意識を落とし――その繰り返しである。

 だが、そのある意味心地の良い時間は部屋のオートロックが解除される音に終わりを告げられた。意識は高速で自身の元に返り、同時に湧き出たのは緊張感である。

 同居人が帰って来たのだ。


(ウィリアムさんは同居人は十七歳だと言っていたけれど……自分より大人っぽい人だったらどうしよう。そもそも、こんな機体にいるんだから、筋肉ガチガチの怖そうな人に違いない……)


 こんな事を考え、息を呑みながらその者が現れるのを待つ。床に響く足音は軽い。


「…………え?」


 お互いが同時に目を合わせ、同時に声を発した。

 現れたのは、風呂上がりなのか少し髪を湿らせた、パジャマ姿の女の子だった。


「……す、すいません。部屋間違えました」

「いや――」


 僕の話を聞かず、その女の子はそそくさと部屋から出ていった。そして、扉のロックを解除して戻って来た。


「……え、なにこれ…………」


 その言葉の通り、彼女は部屋に突如現れた大きなゴミを見るような目で、困惑した表情をしながら僕を見ていた。


「あっ、えっとー初めまして! 今日から何かよく分かんないけどここに住む? ことになったらしい安藤……です、ハハ」


 僕は僕で、状況を飲み込めなかった。いや、脳が飲み込もうとしていなかった。


「はぁ……。そ、それはご丁寧にどうも…………」


 そして流れる沈黙。それと、冷や汗。

 彼女はパジャマのポケットから僕が先程渡されたのと同じ携帯を取り出し、誰かに電話をかけた。


「――か、神楽?」

『ん、どうしたの?』

「どういうことなの…………」


 それから、彼女は神楽から説明をされていたようだが、その口から発せられるのは、ネット用語や有名なアニメのセリフばかりだった。机上に置かれた付けっ放しのノートパソコンから、彼女が重度のネット依存症であることは、容易に想像出来た。


「……は、話は聞かせてもらった」


 彼女は通話を終え、挙動不審な様子で言葉を発した。目を合わせるのが怖いのか、パソコンの前に座りこみ、ちらちらとこちらを見ている。


「こ、これからよろしく……、安藤さん……。わ、ワイ……私は、高松 あゆみ、です……。あ、秋の夢と書いて秋夢(あゆみ)……」

「安藤 弘樹です。……よ、よろしんき?」


 少しでも緊張を和らげようと、僕も自分が知っていたネット用語を使ってみたが、それは成功だったようで、秋夢(あゆみ)は「ふひ……」と不気味な笑みを浮かべた。

 しかし、この手のタイプの人は、男女問わず部屋を散らかしてしまうものかと思ったが、全くそんなことはなく、この部屋は綺麗に整頓されている。逆に、年齢にしては何も無い気がするのは考え過ぎだろうか。


「えっと……十七って聞いたんだけど、高校は?」

「い、今は休みですゆえ……。あ、安藤さんは?」

「俺も休みだよ。今年で大学入学したから、二個上」

「なるほ……」

「…………」


 覚悟していたことではあるが、かなり気まずい。相手が女であるから、余計にそう感じてしまう。


「そろそろ……寝るかな。俺はソファに寝ればいいよな……」


 時刻はまだ19時を過ぎた頃だったが、それ以上に疲労が溜まっていた。寒気や目眩がする。この二日間、身体を酷使し過ぎている気がする。


「……布団で、いいで……。わ、私寝ないから……」

「寝ない……?」

「ネトゲ……してるから」

「あー……」


 机の上のノートパソコンの画面を見ると、彼女は何処かで見たようなオンラインゲームで、自身のキャラクターを操作していた。


「なんか懐かしいなー、俺も高校まではネトゲ漬けだったもん。つか、よくノートで出来るねコレ……」

「……このノートはネット班に加入したら配られるもの、らしい……。ワイは……バイトだけど、配られた……。

 ここは、別荘みたいなもんだから……、自宅のパソは自分で組んで現状最強だから……へ、へへ」

「……待って、ちょっと待って、バイト?」

「……私、神楽とクラスメイトだから……。唯一私だけアルバイト……。もちろん、守秘義務はちゃんと守っているのだが……。スレ立てしたい欲求を飲み込みながら日々頑張ってるのだが……」


 アルバイト採用しても何とかなってるって大丈夫なのだろうか、この組織は。そもそも、明確な目的を僕は知りもしないのに、迂闊に手を貸してしまっていいのだろうか。

 そもそもなんでこんなことになっているんだ。


「あ、あ……、安藤、さん?」

「ん……?」


 秋夢(あゆみ)が僕のお腹辺りを見て、蒼ざめている。

 見ると、横っ腹が真っ赤になっていた。先程撃たれた傷が、開いて出血していた。


「……ごめん、少し横になる――」


 血を見ただけで失いそうになる意識を何とか保ちながら、僕は布団に倒れ込んだ。そこまで出血は酷くないようだが、衣服が血液で湿っているのに、気付かなかった。


「……ひぃっ」


 秋夢(あゆみ)は、ゲームもそのままにどこかへ消えた。誰かを呼びに行ってくれたのなら嬉しいのだが、横になったら落ち着いたし、そこまで大ごとでもない気がする。

 と、思っていると、すぐに戻ってきた。救急箱と思わしき物を手にしている。


「……脱ぎなよ、上」


 言われるままに、着せられていた服を脱ぐ。あまり見たくはなかったが、腰のあたりには、既に半分は赤く染まった包帯が巻かれていた。


「……こんな状態で、今までいたんか……。あ、あほすぎじゃね……」


 彼女はそう言いながら、慣れた手付きで包帯を外し、傷口にガーゼを当てる。


「……痛くない?」

「う、うん……。全く」

「……変なの」


 彼女は、僕の傷をベッドの横から眺めながら、言った。

 痛覚を遮断されたままになっているようで、傷口には全く痛みはない。しかし身体に血液が足りていないのか、貧血のような目眩は収まらなかった。


「……ま、まぁ、ヤバそうだったら言ってよ。入社初日で、死んだら困る……」


 そう言いながら彼女は、腹部の包帯を付け替えてくれた。「気休めだけど」と彼女は言っていたが、手際もよく、今は社会人である姉と彼女の面影を合わせてしまった。

 そして、気がついたら僕は泣いていた。

 年甲斐もなく、彼女が心配そうに見ている前で情けないと思ったが、意に反して涙は止めどなく溢れて来た。どうしてこうなったのか、考えると余計に涙は溢れてくる。

 帰りたい――、その気持ちでいっぱいだった。


---


「……つ、つまりここには無理矢理連れて来られたのか……」


 ひとしきり泣いて、落ち着いた後に秋夢は僕に訊いた。

「そうだよ」と、僕はそれだけ答えた。


「……やっぱ、いるんだなそういう奴……。初めて見たわ……。そもそも、私もここに来たばかりだし……。家族を脅すとか怖すぎ……最近の神楽ちゃん、やっぱおかしいわ……」


 彼女は、パソコンの画面を見ながらそう呟いた。


「……正直、制服着てるのはコスプレかなんかかと思ったよ」

「私より身長低いけどな……。つか、そうじゃない。神楽ちゃん、去年まで病弱で学校もあんま来ないし、入院してたりもしたのに……」

「入院?」と僕は訊くと、彼女は「……うむ」と答えた。


「……わ、ワイみたいなゴミ人間にも仲良くしてくれた親友的な奴だったのにね、入院してる時にお見舞いに行ったんだけど……、そん時に神楽ちゃんの病室に変な女がいて……、『健康な身体が欲しい?』とか訊いてたの。……私も盗み聞きしたくてしたわけじゃないけど……、神楽ちゃんは『欲しい』って答えてた。『元気になって学校にしっかり行きたい』っつってた。ワイも人のこと言えないけど、あんまり友達いるような奴じゃないよ……って、それはどうでもいい。

 仕方なくその日は帰って、次の日お見舞いに行ったんだけど、そしたら神楽ちゃんメチャクチャケロッとしてんの……。つか、『タバコない?』とか訊いてきて、ビビった、マジで……。で、そのまま退院したの、少し人格がアレだったけど嬉しかったよ。……明日から楽しくやれそうだって思った。

 けど神楽ちゃん、学校来なかった。何日も。心配になって……悪いとは思ったけど自宅に行ったら、神楽ちゃんが出てきたけど、なんていうか……スゲー嫌そうな顔すんの。親友だったのにな……ショックだった。

 で、キレちゃってさ私……、『誰だよお前』って訊いたわ。そしたら神楽ちゃん驚いた顔して、だけどすぐに冷たい雰囲気に戻って『神楽だけど。どうしたの』って」


 その話を聞いて、僕が最初に考えたのは、魔界人(ネビュレステル)の使う、意識を乗っ取る術だ。だが、あれは乗っ取る側の身体が留守になるし、病弱な身体を健康にする力はない。

 ということは、天界人(ヘンヘイレル)だろうか。リュードさんは、「万物霊(エーテル)は何でも出来る」と恨めしそうに言っていた気がする。

 秋夢は話を続けた。同時にゲームの操作――恐らくチャットである――もしているのだから、器用だと思った。


「……それから、神楽ちゃんとも疎遠になってって……。でも、学校には来るようになった。……すごい明るくなって、いろんな人と仲良く話すようになってさ。だから……、私思ったのだわ……。これが、本来の神楽ちゃんなのかもって。……相変わらずワイには冷たくしてたけど。……んで、夏休み入る前にこのバイトに誘われたってわけ……。住み込みなのがアレだけど割と快適やで。

 ……でも、つらそう。……誰とも連絡取れずに連れてこられるとか……」

「……そうだね。せめて電話でも出来ればいいんだけど。この端末、無理っぽいし」


 僕がそう応えると、「電話……出来るよ。する?」と彼女は言った。

 僕は、気だるい身体を起こしながら、「えっ、出来んの!」と尋ねた。


「……わかる? スカイペ。ワイ金払ってるから、電話かけれるで、自宅でも、携帯でも」

「マジかよ! 頼む!」


 いきなり変わったテンションに、彼女は少し引き気味だったが、ヘッドフォンとマイクをパソコンに繋げ、僕に「ほれ」と差し出してくれた。

 掛けるのは、自分の携帯電話にした。ミヤちゃんの携帯番号を覚えていなかったからだ。でも、ミヤちゃんは僕の携帯を持っているはずだ。きっと、気付いてくれるはずだ。


「でも、バレないかな? データの通信とかで」


 脳裏にそんな不安が過ぎり、口にした。


「……ふひ、こんなこともあろうかと、ポケットワイファイ完備やで……」と彼女は不敵な笑みを浮かべながら応えたので、

「さすが!」と、僕は返した。


 頼む、出てくれ。

 そう心で強く願いながら、僕は自身の携帯に電話をかけた――。

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