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平成の魔王  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 - 引き裂かれる日常
14/75

ナイトメア・パレード - Ⅲ

「少々身の程を弁えなさいな」


 翠玉のように鮮やかな緑色をした髪。

 身長よりも長い大弓を片手で持ち、服装も先程までとは全く違ったが、紛れもなくそこにいたのは、シェミルだった。


「わたくしはね。種族がなんであろうが、友と定めた者を傷つける奴がいたら――」


 既に意識はないであろう隊員に、語りかけながらゆっくりと近づく。その瞳は、優しい黄緑色に輝いていたが、奥にあるのは紛れもない、怒りだ。


「――例え、それが神であろうと! 絶対に許さないッ!」


 その様子を、全ての者が呆然と見ていた。それはあるいは、見惚(みと)れていたのかもしれない。あるいは、それは恐怖だったのかもしれない。

 そしてシェミルは、私に大弓を向ける。そして何か、短い単語を呟いた。弓の向き先に淡い緑の魔法陣が展開される。それは、小さな物だったが、書き込まれた紋様が多すぎる。高度な物であることは魔術を少しでもかじっている者ならばわかるだろう。

 彼女の手には『矢』がなかった。しかし、彼女が弓を引く動作をすると、指先から魔法の矢が形成される。そしてその矢は、此方に向かって一直線に飛び、私を射抜く。


「うっわー、驚いたな。言ってることとやってることが真逆だ!」

「いえ、違いますよ……。そうだったら止めてますし」


 空気を読まないサエキの一行がそんな会話をしてるのが聞こえる。

 腹部が、泡立つような感覚に襲われた。痛みはない。逆にどんどん引いていく。見ると、傷が再生していた。


「ぬぉぉ!」

「暴れないでください。回復が遅れますよ」


 傷はあっという間に完治し、私は立ち上がる。しかし貧血からか立ち眩みを起こした。どうやら傷は治せても、血液までは再生出来ないようだ。


 気付けに、自分の頬を叩く。ついでに近くに美味しそうな料理があったので、勝手に食べた。


「よし。バッチリだ」

「残り滓の掃除をします。少しお待ちなさい――って、ちょっと!」


 シェミルがなんか言っていたようだが、私は無視して店を飛び出した。

 私は既に敵の使う魔導武器の特性を把握した。あの攻撃は、真っ直ぐにしか飛ばない。目の前の敵を殺すことしか考えられていない、野蛮な武器だ。

 だが、それ故に集団を相手にするならば死角が生まれる。

 かろうじて弾道の予測は出来たため、攻撃を避けて屋根へと登るのは容易だった。

 ここまで来れば、敵の攻撃もほとんど当たらない。

 足元を(かす)ることはあっても、その程度で私は止まらない。

 ここに居る者はシェミルに任せ、私はアンドーのもとへ駆け出した。


『サチュリ』

「うおっ、なんだシェミルか?」


 突然、耳元にシェミルの声がして、びっくりして躓いてしまった。


『はい。右耳の変換魔術を念術に変更しました。いわゆる、電話です。わかりますね?』

「ああ! それで何の用だ」

『今から、雨を降らします。この遊園地全体に。

 それに当たると意識を失います。屋内にも届きます。無論対象は選べないので、翻訳の魔術を解除して貴方の真上に傘を差します。それで大丈夫だとは思いますが、魔法陣の追尾にも限界があるので、あまりスピード出しすぎないで下さいな。わかりましたね?』

「わかった! 頼む!」


 内心、私は複雑な気持ちだった。あれだけ、忌み嫌っていた天界(ヘンヘイル)の魔術師に、助けられた挙句共闘までしている。

 先日までの自分では想像も付かないことだろう。しかし何故か、悪い気はしなかった。私達は、いつまでも過去に縋るのをやめて、考え方を改めるべきなのかもしれない。



 ***



(休みですし遠くから来た方も、この日を楽しみにしていた子供達もいたのでしょうね――)


 シェミルは心の中でそう呟く。

 その慈愛の念は軍隊に対する憤怒となって、彼女の手に持つ大弓に膨大な力を流し込む。


「仕方ありません。私達だけで――悪夢の行進を始めましょう。――〈幻想曲(ファンタジア)天涙(エンリルレイン)〉……ッ!」


 シェミルは物悲しい顔で虚空に呟き、一本の矢を天に向けて放つ。屋内であったにも関わらず、それは天井をすり抜けて消えていった。



 ***



 しばらくすると、上空を覆う程に巨大な薄緑色の魔法陣が現れた。それはやがて毒々しい雨雲を形成し、空を包む。

 彼女の魔術は、ことごとく緑色をしていてわかりやすい。翻訳の類は白かったが。

 しかしいつまで経っても、傘らしき物は発現されない。


 ――あまりスピード出しすぎないで下さいな。


 その言葉を思い出して、焦って後ろを振り向く。


「ははっ、まさか……」


 あった。すごい鈍い速度でこちらに向かっている。しかも一部の部隊の銃撃を受けていた。貫通して少し揺らぐだけで、全く崩れていないが。


「遅すぎるわァァァ!」


 思わず叫びながら、限界を越えそうな速度で傘の下に飛び込んだ。銃弾よりも早かったかもしれない。これは、帰ったら筋肉痛だ。

 銃撃は止んでいた。緑色の雨が降り出すと同時に、それに触れた人々が力を失って倒れていくのだ。意識を失っているだけとは言え、恐ろしい魔術だ。

 術式を変えれば、ここ一帯を一瞬で血の海にも出来るのだろう。

 これなら、安藤も大丈夫かもしれない。そう思いつつも、先を急いだ。



 ***



「ウィリアム隊長! 空に異様な雲が!」


 担架に安藤を乗せて運ぶ一人の隊員が、護送用の飛行機へ向かいながら告げる。ウィリアムと呼ばれた大男――安藤へ銃を向けた者である――は、言わずともわかっているようだった。


「――これは、まずいな。そいつの止血処理は?」

「完了しておりますが……」


 それを聞くと、担架に寝かせられていた安藤を背負う。このままだと共倒れだと判断したのだろう。それを見た隊員も、驚きを隠せない様子だった。


「こちらナンバー501(ファイブ・オー・ワン)。今からそちらに負傷した目標を運ぶ。治療の用意をしといてくれ。

 あとやばそうな魔術が発動しかけてるため、〈ヴェイカント・フィールド〉の起動も要請する。502(ファイブ・オー・ツー)は恐らくやられた。私が戻り次第離陸する。以上だ」

『りょうかーい』


 無線機の向こう側からは、いかにも気だるそうな女の声がノイズと共に響く。そのやりとりを聞いていた隊員は、焦りの混じった声でウィリアムに尋ねた。


「……隊長! まさか!」

「悪いな、生きてたらまた会おう」


 ウィリアムは、爆発的な速度で走り出した。それは、人間の出来る芸当ではない。そこはアスファルトで舗装された場所であったが、多量の砂埃が舞い、瞬く間にウィリアムの姿は取り残された隊員の目から消えていた。


 結論から言うと、ウィリアムは安藤の確保に成功していた。コートを脱ぎ、輸送機の中から碧い雨が一面に降り注ぐ様子を見て、何かを心配している様子だった。


「随分と手際の良い仕事をしてきたわね、ウィリアム」


 操縦席から出てきたのは、白衣を着た華奢な身体の少女だった。ポケットに手を突っ込み、口元に笑みを浮かべている。しかし、その目は笑っていない。


「……たくさんの部下を失った」

502(ごーまるに)は、まだ生きているし、他の人らも大丈夫でしょ。気にすることはないわ。……でも、何かしらこの雨は。〈ヴェイカント・フィールド〉には衝撃判定が出ていないし」

「見たこともない魔術だ。魔界人も、進化しているのかもしれないな」


 ウィリアムは感慨深い様子だった。それを白衣の少女は横目で煙草を吸いながら見ていた。


「とりあえず航空圏外へ移動したら分析してみるか……」


 白衣の少女の呟きと共に、彼らの背後から唸り声が聞こえ、二人は目を向ける。寝かせられていた安藤が、目を覚ました。



 ***



 目を覚ますと、知らない天井がそこにはあった。記憶を辿る。


「確かミヤちゃんとご飯食べてて――」


 そして、その後の光景が脳裏にフラッシュバックされる。咄嗟に感じたのは、吐き気だった。何とか堪えて、飛び起きた。


「ミヤちゃんッ!」

「――おい、あまり動くなよ。傷口が開くぞ」


 声をした方を振り向くと、そこにいたのは、白衣姿の気だるそうな少女と、手入れの届いた無精ひげを生やした筋肉質の男だった。

 少女の方は、白衣の下にどこかの高校の制服を着ていた。しかしその手に持っていたのは、タバコだ。

 そして男は、坊主頭で真っ黒のコートを纏っている。サングラスこそ掛けていないが、先程僕達を襲撃した者である事は間違いない。

 彼はサチュリと同じように片目が赤い。


 しかしそれよりも驚いた事がある。それは彼らの背後にある大きな窓――そこから見える景色だった。

 僕は、雲の上にいた。


「ど、どこだよ……ここは」

「見てわからない? 空よ」


 少女がこちらに近づいて来た。白衣にも煙草の臭いが付着している。煙は苦手ではないのだが、やはりここまで臭うとあまり良い気分ではない。

 彼女はしゃがみ込み顔を近づけ、僕の顔に息を吹きかけた。息というより、煙そのものだ。思わず目を瞑ってしまう。


「……まさか、偶発的に契約を結んだ人間が、現れるなんてね。ある意味驚きだわ」

「一応、俺も偶発なんだが……」

「あんたは黙ってなさい」

「……なんかそれ傷付くな」


 この人達は何なんだろう。恐ろしさのあまり、声も出せない。捕まって、上空にいるということはわかった。つまり、この人達が敵であることに違いはない。下手に動いたら、殺されるかもしれない。

 自分に落ち着けと言い聞かせる。僕はまだ、死にたくない。落ち着け。落ち着け――。

 少しずつ落ち着きを取り戻し、目を開く。白衣の少女が僕の顔をジト目で覗き込んでいた。恐怖とは別の意味で心拍数が上がる。思わず息を飲んでしまった。その音は彼女にも聞こえたのか、微かにくすりと笑って立ち上がった。


「まぁ、何はともあれ歓迎するわ。ようこそ、私達の住居、“ニヴェルヘイム”へ――」



 ***



 ――戦略級航空輸送艦『ニヴェルヘイム』。

 北欧の神話の国になぞらえた名称を持つこの機体が、今僕のいる場所だった。本来は、太平洋上空、あるいは海上に常駐しているらしく出動命令が下されるまではまるで空中に浮かぶ城塞のように、その場に浮いているらしい。

 時には最大六八〇トンもの物資を運ぶ輸送機として。時には今回のような大規模作戦行動の基地として使われているらしい。

 それよりも驚いたのは、この飛行機が一つの国の軍隊ではなく、国際規模で管理されていることだった。これはつまり、各国の政治が関与していないことを表している。


「――私達は、自分らのことを《ノア》と呼んでいるわ。ちなみにこんなんが世界に五機飛んでる。北米でしょ、ヨーロッパでしょ――」

「ま、待って。なんでそんな喋るんだ。機密事項なんじゃないの?」

「いいのよ。《ノア》のメンバーは堅苦しい奴ばっかりだし、最近仕事も忙しいしストレス溜まってんの。黙って聞いてなさい」


 僕は、機内の一室にある会議室に連れられ、机を挟んで説明を聞かされていた。白衣の少女は脚を組みながら机の上に乗せていたため、些か目のやり場に困ってしまう。

 こんな人が、ここの責任者でこの組織は大丈夫なんだろうか。


「ちょ、ちょっと……あんたも何か言った方が……」


 僕は助けを請うように、ウィリアムと名乗る男に言う。


「当機体の搭乗員はオープンなのが取り柄なんでね。別に上にバレなきゃ良いんじゃないか? ハーッハッハ!」


 いや、大丈夫じゃないだろう。

 こんな朗らかな男が僕に銃を向けたという事実。落ち着きを取り戻した今でも、信じられない。


「それに、よもや機密事項だの、そんなものどーでもよくなる時がすぐそこまで来ているのよ」


 ソファーに深く腰をかけ、煙草の煙を吐きながら、彼女は呟く。


「それってどういう……」

「ま、話半分に聞きなさい――」


 続け様に放った彼女の言葉は、あまりにも突拍子すぎて、しかし彼女の顔は至って真面目なのだから、僕は呆然とする他なかった。


「――およそ八〇年後。この地球は、いわゆる終焉(おわり)を迎えるのよ」

「……そんなまさか」


 八〇年後。おそらく僕は生きていない。医療が発達していたらわからないけれど。日本の平均寿命は八十を越えている。だけどさすがに僕は百歳まで生きている自信はない。内心、三十くらいで死ぬんじゃないか、とすら思っている。


「いいえ、残念ながら、本当よ。たぶん、あなたの周りにも知ってる奴がいたはず。佐伯……とかいったかな」

「佐伯さんが……? あなた達は一体……」

「そうね。そろそろ本題に入りましょう」


 場に緊張が走る。先ほどまで和やかだった空気は、一転して冷たい物になってしまった。


「私は、ノア第二艦『ニヴェルヘイム』総司令官、兼、科学部隊最高責任者。黒崎(くろさき)神楽(かぐら)よ。我が組織の異能戦闘部隊――《キャッスル・ナンバーズ》の隊員に任命するため、貴方をここに連れてきた」


 二手に纏められた黒い髪を揺らして立ち上がり、腕を組みながら彼女はそう言った。



* サチュリ 視点 *


 多くの人々が気を失って倒れている。家族で来ていた者もいたようで、父と思わしき人物が子と妻を守るように覆いかぶさっていた。

 キグルミ、と呼ばれる者達も、アンドーのセンパイだと思わしき人物も。店を覗くと、たくさんの客が気を失っていた。まるで、安らかな夢を見て眠っているかのように。


 私はアンドーの奪還に失敗した。


 契約を交わして以来、アンドーの居場所が感覚を研ぎ澄ますと判るようになっていたのだが、彼は空へと飛び去って行ったのだ。その時、間に合わなかったことを悟った。

 しばらく呆然と立ち尽くしていたが、もう一人――ミヤの行方がわからないことに気づき、閑散とした園内を探していた。

 緑の雨の中をしばらく歩いていると、たくさんの武装した者達が意識を失っている場所へ来た。


「――ここだ」


 店に入ると同時に雨が止んだ。随分と長い間続いていたように感じる。

 やはりここでも多くの客が眠っている。しかしどこからか、(すす)り泣く声が聞こえた。やはりそこにいたのは、ミヤだった。どうやら彼女にも雨を防ぐ魔術がかかっていたようで、意識を失うことはなくその場にへたり込んでいたようだ。

 付近の床には血が飛び散っており、彼女の服も赤く汚れている。私は彼女の元へ駆け込んだ。


「ミヤ! 大丈夫か!」

「うぐっ……あんど……っ、くんっ……」

「おい、しっかりしろ! 立てるか?」


 どうやらミヤに付着していたのは、アンドーの血だったらしい。しかし彼女には相当なショックだったようで、私が来たことに気づいているのかもわからない。目は虚ろで、意識も混濁している。私は彼女を背負って、歩き出した。


「……サッちゃん……? サッちゃん! 大変なの……! 安藤くんがっ!」

「わかってる! だけどそれは、後だ……。今は先に、他の者達と合流する……」


 本当は、今すぐにでも助けに行きたい。自分にかかった“死の呪い”など、どうでもいい。少しでも安藤に傷を付けた奴は、全員殺してやる。

 ミヤは、私の背中で赤子のように泣いていた。気持ちは、痛いほどわかる。それでも私は泣かない。過去にリュードと約束したからだ。


『――サチュリさん』

「シェミルか」


 耳元でシェミルが念術を飛ばしてきた。予兆が無いのでいちいち驚いてしまう。


『その喚き声……。よかった! ミヤも一緒ですね。出来るだけ早く戻ってきて下さい』

「しかし私は……――」


 アンドーの奪還に失敗したのだ。皆に合わせる顔がない。しかしシェミルは、ピシリと叩くように私の言葉を遮った。


『わかっておりますわ。それも含めて――戻ってきてください』


 その時のシェミルの声は、どこか悲しい音色をしていたと思う。それは、何かを惜しむような力の無い声だった。


「……わかった」


 私は少しずつ歩く速度を早めた。ミヤが驚かないように、そっと。

 ふと、私は昔のことを思い返していた。私も幼い時はいつも泣いていた。貴族のくせに力が強すぎたからだ。周りの者からは避けられ、畏怖され、友人も出来なくて。

 それを助けてくれたのが、兄だった。それまで兄は、手加減してわざと私より弱くみえるように演じていたのだ。俺の妹はこんなに凄いんだ、と周りに自慢していた。

 しかし悩みを打ち明けたその日に、私は兄に完膚なきまでに叩きのめされた。はっきり言って、死にかけた。そして、こう言ったのだ。


「そんなことで泣いているお前が強いわけがない。お前を畏れている奴らが、弱過ぎるだけだ」


 この日から、私は泣かないと決めたのだ。一度だけ泣いたけど。それからは、何事にも手を抜かないことにしている。


 店に戻ると、シェミルがすぐにミヤの元に駆けつけた。先程の宝石のような髪は、元の金髪に戻っていた。


「ミヤ! よかった……。無事でしたのね!」

「シェミルゥぅぅ! 安藤くんがぁぁっ! 死んじゃうっ!」

「大丈夫ですよ。安藤さんは生きています。少し疲れたでしょう。休みなさい」

「え――」


 シェミルはミヤを優しく抱き寄せ、何かを呟く。そしてミヤは力無く意識を失った。辺りを見渡すと、ダニエルや黎も気を失っているようだった。

 窓際の席には、サエキとルーナが座りながら、興味深そうに私達の様子を見ている。サエキは脚と腕を組みながら、ルーナは険しい顔でシェミルを直視していた。


「先程撃った私の魔術には、夢を見せて記憶を書き換える力があります。目を覚ませば、眠っていたことさえも忘れます。ただ、些細なことがトリガーとなって記憶に深く刻まれた物は呼び起こされるかもしれません。――ですので、あの軍隊をどうにかしなければなりません」

「んん、それは厄介だなー。一人ずつ回収するんじゃ埒が明かないし」

「私がなんとかします。少々強引ですが」


 一歩前に出て、自信満々にルーナが口を開く。


「意識を失っている間に、部隊を全員この建物の前に集めて下さい。サチュリさんは、安藤弘樹さんのいた場所へ案内してください」

「わかった」


 そして、彼女と共に安藤とミヤが居たであろう場所に来たのだが、ここでも彼女は、部隊を一纏めにしろと言った。


「こんなもんじゃないか?」

「そうですね。では少しお待ちを」


 そう言うと彼女は、離れた場所へ駆け足で移動する。「何を――」と言いかけたその時、空間そのものが振動を起こし、私のもとへ途轍もない勢いで風が吹き付けた。

 それは風というよりも、空気の壁だ。体重が軽かった私は、吹き飛ばされた。


「ごめんなさい! もう少し離れるべきだった」


 そう言って近づく彼女は、銀の騎士の姿をしていた。蒼かった髪は銀に輝き、先程まで着ていた物も下に着用していて、少し変な見映えをしている。


「その姿は……」

「これは、魔装――〈インブレイズ〉と呼ばれるものです。天界で実力のある者は皆これを神から賜ります。普段は力を抑えておく必要がありますからね」


 先程のシェミルの姿もそれなんだろうか。

 しかしルーナから感じ取れる圧力は尋常ではなく、シェミルも相当ではあったが比較にはならない。そう、例えるならば……彼女は刃そのものだった。


「では始めますか。まずはあちらと合流せねば――と、その前に貴方の服の血と汚れを落とさないといけませんね」


 ルーナは、魔術で私の着ている服を綺麗にしてしまった。相変わらず、万物霊(エーテル)の魔術はなんでも出来てしまう。恐ろしい者達だ。

 そして再び短く魔術の詠唱をする。

 すると今度は風の渦を巻いた巨大な球体が現れ、気を失った隊員達を一纏めに巻き込んで宙に浮いた。

 それはそのまま空へと上がり、シェミルのもとへ飛んでいく。人が玩具のように回転しながら。


「――敵には回したくないな」


 そんなことを考えながら、私も戻った。


「途中で落ちてなければ、これでほぼ全員かと」

「……全くルーナちゃんも器用なことするねえ」


 結果的に、一纏めになった部隊は皆、海へ飛ばされて行った。その後どうなるかは知らないが、波によって打ちつけられるから大丈夫だとサエキは言っていた。


「……シェミル」

「わかっています。全て承知の上です」


 ルーナは、重い声色でシェミルに話しかけた。

 何の事を話していたのかわからなかったが、彼女達の重苦しい雰囲気から、喜ばしいことでないのは確かだろう。


「正直、魔装を出さねば気づかなかったぞ」

「そうですか……。まぁ、覚悟は出来ていますわ」

「友、か。――羨ましいな。私もお前の立場だったら、そうしていたのかな……」

「サチュリ。しばらくミヤをお願いします。私は天界で禁忌とされる罪を犯したため、しばらく此方には来れません。黎さん達とも協力して、どうかミヤを守ってあげて下さい」


 シェミルの顔に、後悔の念は感じられなかった。瞳には、必ず戻るという決意が現れている。

 だけど私はこの時、“守ってくれ”という言葉の意図をわかっていなかった。


「佐伯さん、少しの間護衛を離れます。危険なことはしないようにしてください」

「はは、了解了解」


 二人は、小さな宝石を空に掲げ、同時に短い詠唱をして、魔法陣の出す淡い光に包まれて消えていった。同時に、喉元と耳元にあった翻訳魔術も失効された。


「ふふふ、よぉやぁーく二人になれたねぇ……」


 サエキが不敵な笑みを浮かべて、指をわなわな動かしながら近づいてきた。しかし、何を言っているのかわからない。言葉が、通じない。

 とりあえず、下からすくい上げるように殴り飛ばした。


「サエキ」

「ゲホッゲホッ……なんだい……」

「コトバ、オシエテ」

「ああ、なるほどな……」


 なんとか、通じたようだ。サエキは承諾したかのように、指の形を変えた。案外、身体のジェスチャーでなんとかなるものなのかもしれない。

 この日から、私の日本語の特訓が始まることになる。


 私とサエキは二人で黎とダニエル、そしてミヤをバスまで運んだ。言葉が通じないため、会話をすることも出来ず、バスの中では気まずい空気こそあったものの、私は静かに窓の外を眺めていた。

 サエキの携帯電話が鳴り響く。


「もしもーし。……あぁそりゃもう災難。安藤君も攫われたし、ルーナちゃんもシェミルちゃん連れて天界に帰った。すぐ戻るっつってたけど。うーん、大丈夫だと思うけど……。うん、うん了解ー」


 彼の会話を聞いていても、わかるのは三人の名前だけだ。言語の壁というのは、こんなにも厚いものなのか。


「く……んん?」


 ダニエルが、目を覚ました。寝起きのように大きく伸びをして、腕に着けた時計を見て混乱しているようだった。


「……あれ? 僕はなんでここに?」

「お。おはよーダニエル君」

「おはよう? 何を言っているんだ……」


 ――眠っていたことまで忘れる。

 シェミルの言っていた通り、ダニエルは自分がなぜここにいるのかわからなくなっている様子だ。


「どこまで、覚えてる? 今まで何をしてた?」

「皆でパレードを見てたら、ここにワープしたんだが……」


 夢を見せる、とも言っていた。もしかしたら皆、楽しいパレードとやらの夢を見ていたのかもしれない。そうだとすればなかなか粋な計らいである。


「ホントに、忘れてんだ……」


 ぼそりと呟く声がする。黎もいつの間にか目を覚ましていた。でも黎はなぜか、泣いていた。恐ろしい物でも見ていたかのように、震えながら。


「うーん……あ、れ?」


 続け様に、ミヤも目を覚ました。ミヤは泣きすぎて目元に隈が出来てしまっていたけど、やはりこの場にいることに混乱している様子だ。


「なんで……忘れてんだよ……」

「黎ちゃん。どうしたの?」

「どうしたのじゃなくて! なんでお前まで忘れてんだよっ! 一人いないだろ! 安藤はどうしたんだ!」


 まずい。

 驚きのあまり、ダニエルは唖然とし、ミヤは怯えた様子だった。それよりも、些細な事がトリガーになるということだ。このままだと、黎がそれになりかねない。

 私は黎の後部座席に移り、彼女を取り抑えた。


「離してよっ! 忘れるなんて許さない! 私がっ、んんー!」


 暴れまわる彼女の口元を抑える。確かに辛い気持ちはわかるけど。それ以上にミヤは苦しむことになる。

 そして、確信した。

 彼女に魔術は通じていない。全て、覚えているのだ。気を失っているように見えたのは、演技だったらしい。

 少し彼女だけ体重が軽い気がしたのはそのためか。


「れ、黎ちゃん。聞いてなかったの? 安藤君は家の急用で、実家に戻ることになったって、言ってたじゃないの」

「――ああ。それに黎、お前も残念がってたじゃないか。せっかくの合宿なのにーって」


 それを聞いた黎は、暴れるのを止め、言葉を失った。そして一発、ミヤの頬に平手打ちをした。


「どいて……」

「お、おい――」


 そして通路へ移動し、ダニエルの頬にも平手打ちをかました。そのまま、バスの外へ走り去ってしまった。

 二人は打たれた場所を手で押さえながら、呆然とそれを見届けていた。


「はぁーやれやれ。本当にめんどーなことになったもんだ」


 サエキはその様子を見て、呆れて溜息を吐いていた。


「黎ちゃんどうかしたのかな……。サッちゃん。まだかなり時間あるし、遊園地戻ろうよ」


 ミヤは私に向かって何か話している様子だったが、言葉の意味がわからない。


「シェミルさんも帰ったんだろ。言葉が通じていないんじゃないか?」

「あっ、そっか。どうしよ……」


 ダニエルとミヤのやり取りに、サエキが口を挟んだ。


「いやー、申し訳ない。サチュリちゃんはちょっと僕の手伝いがあるから席外せないんだ。二人で遊んでおいでー」

「えー、二人……。安藤君怒らないかな」

「僕は別にどっちでもいいけどな。先輩達と合流すればいいんじゃないか」

「あー、そうしよ。黎ちゃんにも一応連絡いれて、と」


 二人はそんな会話をして、外へ出て行った。先程まで眠っていた人々も、目を覚まして再び人の流れを作っている。

 入れ替わるように、サエキが補助席を開き、そこに座った。私は窓際にいたため間に空席が一つある。そこにサエキは、でかい携帯電話と、小さな紙を差し出して来た。

 紙に書いてあることは何一つわからなかった。しかし、でかい携帯電話の画面に表示されていたのは、恐らく文字の表だ。


「押してみて」


 サエキが画面の文字の一つを指差すので、そこに触れる。すると、携帯電話が『あ』と喋ったのだ。

 次に指差したのは、『ん』の文字だ。同様にして彼の指を追いかけながら、音を鳴らす。


「あ、ん、ど、う。あんどー」

「そう! これならすぐに覚えられるな」


 今度は、ペンを渡された。紙に線が引けたため、既に彼の意図は掴めた。書け、と。

 ペンの持ち方から教えられる事になったのだが、サエキの手は、痩せた体型の割に岩のようにゴツゴツとしていて、なんとなく父のことを思い出してしまった。こんな貧弱な悪人のような風貌ではなかったが。


 こうして私は、数字とひらがな、そしてカタカナを一時間程で習得した。

 その後は、彼はメモ帳に絵を描き、その言葉を教えてくれた。お世辞にもわかりやすい絵とは言えなかったが。それは、例えば『バス』といった名詞だったり、『すわる』といった動作だったり様々だ。知りたかった動作はこちらが絵を描けば大抵教えてもらえた。


「……ハッ? 待てよ。この幼女の得る知識は私が握っている……つまり……」

「ヨウジョ」


 彼はふと、何かを呟いて黙り込んでしまった。しかし、湧き出る悪意を察知出来なかったわけではない。


「……サエキ、ブチコロガス」

「アッ! ごめんごめん! ささ、続きをしよう」


 その授業は、メモ帳の余白がなくなってしまうまで続いた。外を見ると既に日は沈み始めている。今日だけでたくさんの言葉を覚えたと思う。あとは、忘れないようにそれを自分の物にするのだ。


「飲み込みが早くて助かるよ」

「チョロイ」


 完全ではないが、彼の言っていることもわかった気がした。……彼が、正しい知識を教えてくれていれば、だが。


「サエキ。メモチョウ、クダサイ」

「おけ、大切に、使う!」

「オケ。――ん?」


 メモ帳と一緒に、一冊の本を渡された。開くと、絵と文字が一緒に刷られている。後にわかるのだが、これは漫画と呼ばれる物だった。


「べんきょー!」

「オケ」


 しばらく復習に勤しんでいたら、黎がバスに戻ってきた。今こそ、勉強した成果を見せる時だ。たしか女の場合は――。


「佐伯さん」

「……や、やぁ。なんでしょう?」


 黎が後部に来る前に、最前列の席に戻っていたサエキと話を始めてしまった。


「あんた、誰なの。旅行会社とか、ウソだろ。あの軍隊は、何だったの。教えてよ」

「やだなぁ、あいつらとは無関係ですよ」

「じゃあどうして、あそこまで冷静でいられたの! あんた、サッちゃんが撃たれた時も内心楽しそうににやけてただろ!」

「――君には、関係のないことだ」


 サエキは掛けていた丸メガネの位置を整え、声色を重くしてそう切り捨てた。


「そんな――」

「それよりも今はサチュリちゃんの相手をしてやってくれ。ずっと二人で勉強してたんだ」

「え……」


 そこで黎と目が合った。何を考えたのか、彼女の顔からはだんだんと血の気が引いていく。


「お、おま、おま勉強っておい、まさか」

「ぶおっ! 何だよ! 日本語を教えてただけだ! 別に二人だからといって薄い本が厚くなるような犯罪行為はしていない! ひぃ暴力反対!」


 黎はサエキに殴りかかる手を止め、こちらに駆け寄ってきた。


「サッちゃん。ホントなの? あいつに変なことされてない?」

「今その子には日本語が通じないよ。しかも、あちらも魔界の言葉しか話せない。最低限の言葉は教えましたけどね」

「な、なんだ。そうなんだ……」


 黎はそっと胸を撫で下ろし、私の隣に座った。今こそ、私の勉強の成果を。


「レイ」

「ん、なーに? サッちゃん」

「オカエリナサイマセ、オジョウサマ」

「…………」


 最前列の席から、「あっ……」と小さな声が聞こえた。

 黎は、再びサエキに殴りかかっていた。

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