主人公にしては強さがない!!
死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず。――ラスキン――
生きているということは皮肉にも死に近づいた時だけにしか実感できない。
死も生も。
幸も不幸も。
裏も表も。
次に藤樹が目を覚ました時には、再びその景色は変わっていた。
その風景はあの何も無い空間でもなければ、自分が元いたアパートでもない。
「……何処だ、ここ?」
仰向けに寝そべった状態で藤樹の視界に映ったのはムカつくほどよく晴れた雲一つない青空と、その青空へと届かんばかりに聳え立つ悠々にして深い緑を生い茂らせる巨木であった。
巨木の直径は二十メートル以上はあるだろう。最早何千何万年という途方もない月日を過ごしてきている樹木だということは藤樹にも直ぐに解った。
ゆっくりと体を起こして辺りを見回す。
木、木、木――手入れもされていない原生の密林が一面に広がっていた。
「…………。」
訳が分からないとばかりに藤樹は目の前に広がる緑の世界をただただ見つめていた。
一体ここは何処なのか、どうしてこのような場所に来ることになってしまったのかを未だに覚醒しきっていない頭で懸命に考える。
そうしてしばらく時間がたって、彼はあの何も無い空間で在った出来事を鮮明に思い出した。
「……あの手を取って、気が付いたらここにいた。ということはここがその異世界というわけか。」
一応は結論が出たが、だからと言って納得したわけでもない。
正確には実感がわかない。
それもそうだろう。
例えば街の中に送られたのならばそこにいる人々や言語や文化の違いで少なくとも自分が今までいた場所とは違うということが明確に解るが、このような人一人いないような自然の中に右も左も分からないまま放り込まれてもここがどこでどういった場所なのか判断できるはずもなかった。
しかし、ここが日本ではないことぐらい藤樹にもわかった。
下手したら日本が誇る634メートルの電波塔と同じ高さではないのかというほどの巨木は日本全国どこを探しても存在していないだろう。
生憎と海外文化には全く興味がなかった藤樹にはその巨木と似たようなものが世界にあるのかないのかの判断はできない。
だから、その巨木だけで一概に異世界だと判断するにはあまりにも早急過ぎるし、それに異世界かどうかわかったところでどうにもこうにも仕様がないことにも気が付いた。
どちらにしても、このような文明とはかけ離れた自然の中に放り込まれては異世界にしろ地球のどこかにしろ同じことである。
藤樹はそう結論付けて、一度落ち着くために再びその場に寝そべった。
空はいつもと変わらず青く澄んでおり、太陽が照り付けてくる日差しは優しく降り注いでいる。
「異世界だからといって、早々全てが変わるわけではないか。」
何故かとても疲れたと藤樹は思った。
肉体的な疲労ではなく精神的なもので。
もし自分が今経験していることが全て夢ならば、自分はとんでもない悪夢を見ているのだと思う。
なんせ自分の人生が見ず知らずの異世界によって勝手に狂わされて幸せを失ったのだ。
未だに信じられるものではない、それでも藤樹はあの時確かに手を取ってしまったのだ。
信じられない。
だけど、たとえ信じられなくてもその夢に縋りたくなってしまう。
今の生活が、何も変化のない平坦な生活が、偶然起こされたものではなくて第三者の手によって起こされたものだというのならば、そうだと思いたくなってしまう。
決して自分のせいじゃない、誰かのせいなのだと自己逃避したい自分がいるのだ。
「……復讐か。考えたこともなかったな。自分の人生が勝手に弄られていたなんて。」
それに誰をここまで憎いと思ったの初めてだよなあ。
そう呟いて、藤樹は少しだけ自己嫌悪に陥った。
同時に後悔もした。
なぜあのような虚言を信じてしまったのだろうと。
あの何もない空間で出会った存在が本当のことを言ってるとは限らない。
普段ならまず疑っただろう。しかし、あの時の藤樹はいきなり訳の分からない空間に放り込まれて混乱してのだから仕方がないと言えば仕方がない。
そんな自分を正当化する言葉と共に言い表しがたい感情が心の中で渦巻いている。
あの変な奴の存在感というかオーラに圧倒されていたことも原因の一つではあるだろうが
『おいおい、変な奴とは失礼だな。僕のことは”真理ちゃん”と呼べと言っただろうに。』
「へっ?」
唐突に聞こえた声に驚いて藤樹は体を起こして周りを見渡す。
「……誰もいないよな?空耳か……。」
視界には大自然が構えているばかりである。
それにしても、よくこれだけ樹木が育つものだと藤樹は感心する。
巨木の幹の太さは昔修学旅行で見た奈良の大仏のようだなとか、枝の太さは出雲大社の注連縄ぐらいはあるのではないかと、訳の分からない比較をした。
そんな空想に耽っているときである。
突然辺りが暗くなった。
雲が太陽を覆ったのかと思い、ふと藤樹は空を見上げ、絶句した。
「――な、何だアレ?」
辺りが暗くなったのは確かに何かが日光を遮ったのが原因だったが、それは決して雲ではなかった。
「鳥――なんかじゃねえな、あれは。ドラゴン?いや、恐竜か!?」
鳥にしてはあまりにも大きいシルエット。
羽毛の無い鱗に覆われた体。
毛の無い蝙蝠の様な翼。
そして、爬虫類独特のあのしなやかな体表。
藤樹も子供の頃何度か読んだことのある恐竜図鑑を見て印象に残っていた。
翼竜――それは恐竜の中でもまた特殊な翼膜のある恐竜である。
「プテラノドン、だったっけ。――いや、そんなこと言っている場合じゃない。完全にこっちに気が付いている!!」
藤樹には正確な翼竜の識別ができるわけではないので知っている名前を適当に挙げただけであったが、まさにその通りその翼竜はプテラノドンであった。
プテラノドンとは約八千九百万年前から七千四百万年前の中世代白亜紀後期に生息していた翼竜の一種で、地球ではその化石が北アメリカでよく見つかっている。
ギリシャ語で翼があり歯の無いものの意味を表す名前を付けられているように、その巨大な嘴には他の肉食恐竜の様な立派な牙はない。
例えばここに恐竜学者でもいようものならば、見れば見るほどプテラノドンそっくりだというだろう。
しかし、決して地球に生息していたプテラノドンと同じだとは言えない。
「おい、いくらなんでも大きすぎやしないか!!あれじゃ、伝説に出てくるようなドラゴンと何ら変わりがないぞ!!」
そう、その翼竜の体躯はプテラノドンよりも遥かに大きかった。
地球のプテラノドンの翼を開いた時の体長は推定で約八メートルほど。
しかし、藤樹の頭上から迫り来るその翼竜は小さくても十五メートルは超えている。
いくらなんでも巨大すぎるのだ。
そんな巨大な翼竜が三メートルぐらいはあるであろう嘴を開いてこちらに向かってくるものだから、藤樹は当然恐怖して足が竦んでしまった。
「クワアァァァァア!!」
「ひっ!!」
雄たけびを挙げて突っ込んでくる翼竜を背にして、藤樹は思い切り地面を蹴って横に跳んだ。
ほぼ同時に背後を何かが通過するのが分かった。
ゾッと、背中に今までに経験したことの無いほどの寒気が走る。
「うおっ!!」
受け身も取らずに体を投げ出すようにして地面に着地したために、強かに全身を地面に打ち付ける。
地面と擦れたことにより激痛が藤樹の体を襲うが、しかし動けないような重い怪我は負わなかった。
顔を顰めながらも、すぐに起き上がり後ろを振り返る。
すると先程まで藤樹が立っていた地面は大きく抉れ、鋭い爪痕が残っていた。
もし、後少しでも反応が遅ければ翼竜に地面ごと体を鷲掴みにされていたか、または巨大な爪によってその身を貫かれてズタボロにされていたかもしれない。
それを想像すると、藤樹は恐怖で顔を青くした。
翼竜の方は木々の隙間を縫って再び空高くへと飛び上がっていたが、どうやら藤樹のことを諦めてはいないようで大きく旋回してまたこちらへと戻ってこようとしている。
「……冗談じゃない。どこがバカンスだ、あんなのどうしろって言うんだよ。」
藤樹は小さな声で呟いた。
その表情には絶望が浮かんでいる。
『ぼさっとしていないでさっさと逃げなよ。じゃないと今度は食べられてしまうぜ。』
再び藤樹の脳内に”真理ちゃん”の声が響く。
「逃げるって言ったって――」
『絶望する暇があるなら周りをよく見渡してみることだぜ。ほら、目の前に丁度人一人が入れそうな虚があるじゃないかい。』
藤樹が顔をあげて前を見つめると、声の通り巨木の根元に人一人が入り込めそうな空洞がぽっかりと開いていた。
距離にしておよそ三十メートル弱。
「畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
藤樹は震える足を叩いて立ち上がり、大声を出して自分を鼓舞して恐怖を払拭しながら全速力で走った。
無我夢中で、
必死に、
死にたくない、
その一心で形振り構わず駆け抜け、頭からその虚へと飛び込んだ。
地面は木の根が張りつめていて走りづらく、その虚の入り口は成人男性一人が入るのがやっとと言ったところの大きさだったのだが、藤樹は全くそんなことを考えず突っ切った。
飛び込んだ瞬間、内臓までもが浮いているような浮遊感を感じつつ、派手に転がって、息を荒げながらどうにか静止した。
五月蠅い心臓の鼓動と、遠くで聞こえる甲高い鳴き声が耳に響く。
しばらく、そのまま転んだ体勢で動かずにじっとしていると、無茶な飛び込みで打ち付けた痛みが熱を帯びて鋭く存在証明を始める。
「はあ、はあ、はあ…………。良かった、生きてる。」
恐らくはオーバーワークを無意識にしていたのだろう。
膝や腰、足の筋などが軋むように悲鳴を上げて生きていることを示している。
藤樹には痛みで喜ぶような性癖は持ち合わせていなかったが、今感じている痛みは不思議と辛くはなかった。
次回の投稿は翌日となります。