異世界はかなり悪質だ!!
人生は往復切符を発行していません。 ひとたび出立したら再び帰ってきません。――ローラン――
当たり前。だから、人生を滅茶苦茶にされた恨みは多大なるものであるだろう。案外それを理解しない人は多い。
“もう二度元いた場所には帰れないだろうけどね”
藤樹はその言葉を聞いた瞬間、筆舌し難いこの体の内から込み上げてくるものを叫んでやろうかと思い、そして思い直す。
なんと身勝手な言葉だろう、しかしながら、目の前の存在はそれをしてもよいほどのランクが違う存在ではあるのだ。
もしもだ、迂闊に自分の激情の赴くままに飛びかかり胸ぐらでも掴もうものならば、それこそ目の前から消えていった自分の世界のように(もちろん、本当に消えたのかどうかは藤樹には分からないのだが)藤樹自身が消されてしまっても何らおかしくはない。
まだ、消されるだけならばよい方なのかもしれない。
少なくとも神のような存在に逆らって天罰を受けて命を落とすのならばまだ理に適っているというか、藤樹自身納得のいく理屈ではある。
いや、藤樹は別に死にたいわけではないが。
最悪なのはここで見捨てられて、何の反応も興味も示されなくなった時であると藤樹は思った。
右も左も分からないこの状況で、何もないこの空間に取り残されでもしたら。
そう考えると、藤樹にとってここは憤りを鎮める、もしくはさっさと諦めた方がいい。
そう判断して、それでも直ぐに心内環境を整えられるわけでもないので、だたひたすら下手な過ちを犯さないように口をつぐんだ。
口は災いの元である。
「あははははは。藤樹くんのその柔軟な受け入れ、またはあきらめの早さは既に異常と言ってもおかしくはないね。好きだぜ、そういうところ。こちらとしては楽で楽で実に好ましいんだ。でも、その異常さのおかげで周りの人からは距離を置かれ浮いてしまったて事には気づいていないんだろうけど。ただ、一つ安心してもいいよ。藤樹くんが怒ろうが嘆こうが僕はお構いなしに話を進めていくし。好き勝手に君の事使わせてもらうから。その辺に置き去りになんてしないよ。藤樹くんはここにいる程度の価値があるんだから無駄にはしないさ。」
安堵すべきか困惑すべきか。はたまた自分がなぜ周りの人と上手くやれないのかを知って落ち込むべきか。
藤樹はどうすべきかは分からない。
「まあ、いろいろ考えているようだけどなんてことはないよ。だって、藤樹くん自身はもう了承していることなんだ。パニックのせいで忘れているかもしれないけれど、ほら思い出してごらん。君は旅行に行こうとしてここに来たんだ。つまりはあのツアーの概要説明というわけさ。後日ではなくて、押して直ぐにというのは些か騙しているようで心苦しさがないとも言えないとは言えないんだけどさ。たまたまワンクリック詐欺がお金ではなく人生そのものを取られることに代わっただけさ。取りあえずは喜びなよ。藤樹くんが願っていた平坦な日常生活は間違いなく多大な変化をすることになるわけだからさ。」
「それは、あまりにも……」
「そうさ。あんまりにも酷くてむごくて横暴だよ。それぐらいのことは自覚しているさ。自分の行動を自覚できない奴はただの馬鹿か己のことを天才だとでも勘違いしているかのどちらかだ。自覚していればなんでもいいわけだはないけどね。最もひどいのは自分がどれだけ悪辣なことをしているのかを自覚せずに、好き勝手幸福を求めようとする愚か者だ。本当にアイツらは性質が悪い。」
すると、彼女はどこか遠い目をして、残酷な眼差しを虚空に向けて呟いた。
「幸も不幸もそろえて並べてしまえば、路傍に転がっている石と何ら変わりがないってことを一体いつになったら気が付くんだろう?」
藤樹は背筋に冷たい氷を押し付けられたような寒気に襲われた。
今までに感じたことの無い得体のしれない恐怖を彼は感じたのだ。
「おっと、話が脱線してしまったかな。うん、この際どうせ話すことになるんだし先に説明しちゃうか。」
先程の表情は瞬く間に形を潜めて、彼女はもとの柔和な微笑みを藤樹へと向ける。
「まずは現地に送ってから説明をしてあげようかと思ったけれど、気分が変わったからここで粗方のことを話しそうか。さっき、バカンスなんてことを口走ったけれども流石にそれは誇張表現であること認めるよ。ごめんね。でも、全くバカンスがないというわけじゃない。僕もそこまで悪辣非道な人じゃないさ。二重の意味で。簡単な話、君をこれから地球とか宇宙とかとは全く別の場所に送り、そこで僕の使いっパシリとして右往左往、東奔西走、縦横無尽に動き回ってもらいたいんだ。――失礼誤植だ。働きまわってもらいたいんだ、それこそ社畜のようにね。得意分野だろう?」
誤植でじゃなければよかったのにと藤樹は思ったが、論点はそこではない。
使いっパシリ?こんな神すらも超越したような存在の使いなんてやらされた日にはそれこそたまったもんじゃないだろう。
「――パシリとは言っても労働条件はかなりいい方さ。」
そこを非難しようと口を動かしたが、まるで見透かされているように遮られる。
「もう一回だけ言っておくけれど、これはあくまでもバカンスなのさ。藤樹くんは好き勝手動いてもらって構わないし、楽しむだけ楽しんでいてくれても構わない。あの広告にもあったとおりあの場所は海もきれいで自然豊かで古代遺跡なんかもあったりするからリゾートとして旅行をするにはうってつけの場所さ。それが必ずしも楽しいとは限らないけれど、楽しむのは個人の勝手だろう?それに働いてもらうからと言って、何も無理難題を押し付けるなんてことはしないよ。君にできることだけを適切な量でお願いする。もちろん、何かしらのご褒美もあげるからただ働きなんてことにはならない。休みもたっぷりと付けてあげる。ていうか、休みの合間に仕事を入れるようなものだよ。」
「……たとえ、バカンスで仕事内容に無理がないとしても、初めていくような場所――いや異世界で俺が適応して生きていけるとは到底思えないです。大方へんな病気でも患って早死にするのが関の山でしょう。」
「それについては全く心配いらないさ。上手いことこちらフォローするよ。ていうか、既にこの異常事態に慣れつつある藤樹くんがたかが別の世界に送られただけで早死にするとは思えない。君は寧ろ向こうの住人よりも健康で逞しく生きるだろう。まあ、それも実は仕事内容の一つだし、君には何が何でも生きてもらわなくてはいけないんだよ、藤樹くん。」
すると彼女はここからが本題だとばかりに表情をキリリとしたものへ変えた。
「藤樹くんに行ってもらう世界は君が元いた世界よりも致命的に歪んでしまっている。」
「人がいて獣がいて神がいて自然があり大地があり海があり幸も不幸も平等に分配されていた。」
「本来は多少の文明の遅れがあるものの君たちが暮らしていた地球と何の遜色も変りもない世界のはずだった。」
「普通に生きて普通に生活して普通に死ぬ。まるで君の今までの日常のように毎日を繰り返す世界だった。」
「できないことはできないし、ないものはない。」
「身分相応というか当たり前なこと当たり前に享受していた世界だったんだ。」
「それなのに今ではたいそうひどく歪んでしまった。」
「烏滸がましいことにその世界の住人達は欲してしまったのさ。」
「もっと幸せを、もっと快楽を、もっと夢と希望を。」
「結果としてその世界の本来あるべき秩序は乱れに乱れることとなった。」
「人々は欲求するあまりに魔法を生み出し、獣たちは快楽に飢えて怪物と変貌し、神々は秩序を守るどころか信仰を増すために好き勝手に恩恵や天罰を与える、自然は世界の理を無視して自由に荒れ狂い、大地はとうとう魔力を生み出すようになり、海は生命力の源を垂れ流すようになってしまった。」
「そして何よりも幸せを求めすぎるがあまり他の世界から横取りをはじめやがったんだ。」
「これは流石に頭に来たよ。」
「その世界を跡形もなく消し去ってやろうかとも考えた。」
「造作もないことだったから、即座に実行しようとして思いとどまった。」
「なんせ僕は見つけてしまったんだ。」
「――君という、幸も不幸もその身一つで全てを引き受けている君の存在を見つけたのさ。」
「……は?」
藤樹は再び茫然とした。
「うんうん、その反応は実に尤もらしい。理解出来たらむしろすごいだろうね。なんせ藤樹くんの知らないところで勝手に自分自身に起こりうるはずだった幸不幸の変化の全てを根こそぎ君は持っていかれてしまったのだから。」
「ちょっと待ってください。まさか俺の日常が平坦なものになっていたのはその世界の奴らがその変化というものを全て奪ったからだとでもいうんですか!?」
「うんうん、まさしくその通りさ。オールオッケイ、パーフェクト。因みに藤樹くんがもしもそれらの変化を奪われていなかったら凄い生活になっていたぜ。まず、道角で暴漢に襲われているアイドルを助けて、次に上司とのオフィスラブが繰り広げられて、そしたら幼馴染が隣の部屋に引っ越してきて、気が付いたら危うい関係になっていると思いきやハーレムエンドを迎えるというなんとも世の一般男子にとっては羨ましい展開で生涯を終えるはずだった。」
「なんてギャルゲー!?いや違う、突っ込んでいる場合じゃなくて。そんなことができるんですか!?他人の幸不幸を横取りするなんて――」
「出来ちゃうんだから仕方ないよ。神や世界そのものが狂っているんだからさ。半分くらいは何でもありだ。それよりも落ち着きなよ。まだまだ話の続きだぜ。」
「いや、ていうか、話を聞いている限りだと俺をとんでもない世界へと送ろうとしていますよね?」
「大丈夫、死なないように何かしらの能力やら優遇待遇はしてあげるよ。もし君が望むのならばこういった異世界トリップ系の物語ではよくあるチート的な何かをオプションとして付けてあげることも吝かじゃないぜ。」
「え、チートですか?それは……」
欲しい。つまりは俺Tuee展開ができるのだ。ネット小説の一読者としては憧れる。
「ただまあ、そのチートを使えば向こうで生き抜くことはかなり楽勝になるだろうけど、間違いなく勝ち組になるだろうけど、でも、君のそのチートに巻き込まれた人々は必ずその運命を狂わせることにはなるだろうけどねえ。それはそれで僕の望む展開ではあるよ。あの世界でどれだけの人が狂わされようがどうでもいいから。」
しかし、そんな藤樹の欲を見抜いたように彼女は悪辣な言葉を掛けた。
「うっ。……流石にそれは諦めます。」
「正しい判断だとは思うよ。ああいう物語は大抵巻き込まれた奴の悲劇を語らないものがばっかりでムカつくんだよね。そんな皆が上手くいってハッピーエンドですとか、主人公が幸せなら全て良しとか、現実はそんなに甘くないのにねえ。幸せになったものの裏では不幸に嘆いている奴は必ずいるし、主人公だって何もかもが幸せで上手くいきますなんてまずもって有り得ない話だよ。藤樹くんのように幸せに満ちたハーレム生活を描くはずが今は異世界へとチートなしで送り込まれるわけだ。八割がた僕のせいだけどね。」
「まだ俺は異世界に行くと決めたわけではないですよ!!」
「じゃあ、このまま指をくわえて見ているのかよ。」
急激に彼女が纏う雰囲気が変わった。
目は冷たく、表情は悍ましさを感じさせるような無表情だ。
「僕は君に良かれと思って提案しているんだよ。まあ、有態に言ってしまえば可哀想だと不憫だと気づかてやっているのさ。悔しくはないのかい?自分の人生を滅茶苦茶にされて、それも自分の与り知らないところで好いようにされてさ。その癖に自分の人生を奪った奴等は幸せを享受している。この現状を見せつけられて君は悔しくないのかい?藤樹くん。復讐したいとは思わないかい?やり返したいとは思わないかい?自分と同じ目に合わせたいと考えなかったかい?確かに君は別に自分の人生に不満を持っていたわけではないだろう。でも、今はどうだ。幸せを約束されたその人生が人様の勝手都合で書き換えられてしまった事実を知った今、君は果たして奪った奴等に対して一片の憎悪を抱いていないと言えるのかい?」
思わなかったわけがない。
だけどそれは、その願いは必ず人を不幸にする。
それだけは分かっている。
「別に個人的な復讐をするわけじゃないし、第一君にやらせようとしているのはあるものを有るように定める善行なんだぜ。罪悪感に浸ることはない。善い行いをしつつ、自分の恨みも晴らせる。そのチャンスを僕は君に授けてやろうっていってるのさ。」
徐に、彼女はてを藤樹の前に差し出した。
「…………。」
「嫌ならば断ったって別にかまわないぜ。どうせ、お前はこの後もくだらない平凡な変化のない日常を過ごしながら、悲劇も喜劇も幸も不幸もなく生きて、良くも悪くもない人生を歩み、孤独のまんま寿命で死に至るのさ。お前がそれを望むのならば別に僕は無理にでも引き止めるとこはしない。しょぼい人生でも送ってな。負け犬。」
辛辣で悪辣。
深淵よりももっと深くから覗き込んでいるような真っ黒な瞳が不気味に輝く。
しばらく藤樹は逡巡して、
迷いに迷って、
そして、彼女の手を取った。
「それでは、おひとり様ごあんなーい!!」
次の瞬間、藤樹は意識を失った。
お粗末さまでした。